雨あがる
11月22日(水)
夕方から、小雨が降り出した。
16時半に、市内の斎場に着くと、すでに祭壇ができあがっていた。
僕が気になっていたのは、遺影である。
数日前の葬儀屋さんとの打ち合わせで、祭壇に飾る遺影の写真を選ぶことになった。
遺影の写真というのは、もとになる顔写真があれば、そこに洋服や背景を合成したりして作り上げるものである。背景は、一般に単色の場合が多い。
父は数年前まで、毎年秋に母と妹と3人で家族旅行に行くことが年中行事になっていたので、旅行先で撮った写真が何枚か残っていた。それらが、遺影の顔写真の候補となった。
その中から僕が選んだのは、2014年に田沢湖に旅行に出かけたときの写真である。
田沢湖の湖面と周囲の山の紅葉を背景に、父と母が写っている写真で、妹が撮ったものである。
何より、その写真は、父の表情がいちばんよくとれていると、僕には思えた。
「この写真の表情がいちばんいいので、この写真にしてください」と僕は言った。
「わかりました。では、衣装と背景はどういたしましょう」
そういって、葬儀屋さんは、僕たちにカタログを見せた。
着せ替え用の背広の写真が並んでいるが、どれもしっくりこない。
「父は背広を着ない人だったので、できればこのままにしていただけませんか」
「わかりました」
「それと背景も、このままにしていただけませんか。ちょうど、湖と山の紅葉がバックに写っていて、今の時期にもふさわしいので」
「わかりました」
こうしてできあがった遺影が、祭壇に飾られていた。
思った通り、父らしい遺影となった。
参列した人々が口々に、
「とてもいい表情をしているねえ」
「どこで撮ったんだろう。いい写真だねえ」
と言ってくれた。
18時。通夜が始まる。
近親者だけでひっそりと、と思っていたはずのお通夜には、親族とご近所の方を中心に40人以上の方が会葬に来てくれた。
午後8時過ぎに斎場を出たが、まだ小雨が降っていた。
11月23日(木)
朝から大粒の雨である。
午前10時からの告別式には、やはり40名以上の方が来ていただいた。
ご住職の読経が終わり、棺の中に参列者がお花を入れる「お花入れの儀」がはじまる。
司会が、「これが最後のお別れです」というと、母は父の顔に取りすがって、
「いままでありがとうね」
と何度も言って、泣き崩れた。
やがて棺の蓋が閉まり、僕が、遺族代表の挨拶をした。
「本日は、お忙しいところ、故人のためにご会葬くださいまして、まことにありがとうございます。
生前中は、みなさまより格別なご厚情ご愛顧をいただきまして、故人になりかわりまして、深く感謝申し上げます。
父は11月12日(日)に、呼吸がひどく苦しくなり、入院いたしました。大げさなことが嫌いな父は、救急車に乗ることを拒み、タクシーで病院に向かったそうです。入院中の父は、呼吸がひどく苦しそうでしたが、最後まで、ふだんとなにひとつ変わらない会話を交わしました。
父は70歳を過ぎてから、2度の大きな手術を経験しました。そのたびに、持ち前の飄々とした性格で乗り越えてきました。今回も、父のことだからきっと飄々と乗り越えるだろうと信じておりましたが、今回ばかりは叶いませんでした。
11月15日(水)、午後2時32分に永眠いたしましたが、母と、私と、妹の3人で、最期を看取ることができました。
大げさなことが嫌いな父でしたので、このような形で多くの方にご会葬いただいたことを、きっと照れくさく思っているに違いありません。このように多くの方にお送りいただいて、父は多くの人に愛されたのだと、あらためて思いを致した次第です。
残る遺族一同にも、故人同様のご厚情を賜りますよう、ひとえにお願い申し上げ、まことに簡単ではございますが、遺族を代表し御礼の挨拶とさせていただきます。本日はありがとうございました」
火葬場では、40人近くの人たちに立ち会っていただいた。多くの人たちに見守られて、父は荼毘に付された。
1時間後。
「そろそろ御収骨のお時間でございます」
とうながされ、控え室から外に出ると、午前中の雨はすっかりやみ、晴れ間がのぞいていた。
「雨があがったねえ」
「晴れ間がのぞいてきたね」
まるで父が、もう悲しむなと言っているように、僕には思えた。
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