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堂々完結!

12月15日(金)

帰宅すると、やけに大きな書籍小包が届いていた。

苦節20年の本が完成したのだ!

全1480ページ。十分に凶器になりうる本である。

私が、編者の先生から、最終巻での分担執筆のお話をいただいたのは、まだ20世紀、20代の頃だった。

いまから思うと、編者の先生は、よくもまあ、どこの馬の骨かわからない若造に声をかけたものだ。

こっちにしても、若かったんだろうな。どれだけ大変なことか、なんてわからないまま、引き受けてしまった。

お引き受けしたものの、

(この企画、本当に実現するんだろうか…)

と、実は半信半疑だった。企画が壮大すぎて、想像できなかったのである。

そんなこともあり、執筆が足踏みしていたのだが、21世紀に入り、いよいよ原稿を出さなければならなくなった。

第1巻の刊行が2000年5月、第2巻の刊行が2007年6月。いずれも1000ページを超える大部なものだった。

そしていよいよ、最終巻の刊行が現実味を帯びてきた。

全3巻を完結させることは、編者の先生の執念だったのである。

私は10年ほど前に、原稿を粗々仕上げた。

原稿を仕上げただけではダメである。ここからが本番。出版社の一室で、編者の先生と読み合わせをおこない、猛烈なダメ出しをいただく。そしてそれを書き直す。

その時のことを、私はこのブログに書いていた。2008年11月10日の日記である。

「10日(月)は、朝から都内の出版社で打ち合わせ。打ち合わせというより、さながら大学の演習のようだった。夜6時過ぎにようやく解放され、くたくたになって駿河台下のカレー屋に入ると、サンボマスターのボーカルがカウンターでカレーを食べていた。一般人に見えたが、あれは絶対サンボマスターのボーカルだよな。東京駅で最終の1本前の新幹線に間に合う。駅の構内で、片桐はいりとすれ違う。地味な芸能人にばかり会うものだ。」

思い出した。サンボマスターのボーカルと、片桐はいりを見かけた日だ!

その直後、私は1年3カ月ほど韓国に留学したので、編者の先生と打ち合わせをしたのは、たぶんこのときが最後だったような気がする。

その後、2011年1月に、無念にも編者の先生が亡くなった。本の完成を見届けることなく。

もっと早く原稿を出していれば…、と悔やまれた。

それから約7年が過ぎ、全三巻の最終巻が、ようやく完成したのである。

執筆者紹介をみると、20人ほどいる執筆者の中で、私が最年少だった。

まだ20代だった私に、編者の先生はどんな思いで声をかけてくださったのか、今は知るよしもない。

そんな私ももうアラフィフになってしまったのだから、時はなんと早く過ぎ去ってしまうものだろう。

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