第九のスズキさん ~別冊太陽~
12月24日(日)
父の四十九日法要と埋葬が終わり、ようやく一区切りがついた。
その足で、家族と食事に行く。
僕の中では、昨日の、Kさんから「第九のスズキさん」に宛てたハガキのことが、頭から離れない。
Kさんが「第九のスズキさん」に宛てたハガキは、いつ書かれたのか?
ハガキの冒頭に、
「御著作の載った「太陽」(別冊)有難く拝受いたしました」
とある。「第九のスズキさん」の原稿が掲載された『別冊 太陽』は、1987年に刊行されている。その2年後の1989年に、スズキさんは著書を完成させた。..
つまり、ハガキが書かれたのは、1987年頃ということになる。
このことは、ほかの記述とも矛盾しない。Kさんが、僕と同じ職場を定年退職したのは、1985年である。
ハガキの中に
「このところ三、四年、退職、就職、転居等のことにふりまわされて、仲々はじめての方にお目にかかるやうな気持ちにならず、これまで大変失礼いたしました。おわび申し上げます」
とあり、Kさんが僕と同じ職場を定年退職し、自宅を転居し、再就職をした時期であることがわかる。
Kさんの教え子だったAさんに聞いたところによれば、Kさんは、退職後、定年まで勤めた勤務地に骨を埋めるつもりで、地元に新居を構えたという。ハガキの差出の住所は、Kさんの新居の住所だった。
この点から考えても、1987年頃にこのハガキが書かれたということはほぼ間違いない。僕が高校を卒業して、浪人生だった頃である。
ここまでのことを母に話すと、母は驚くべきことを思い出した。
「別冊太陽、覚えているわよ。たしかあんたが見つけて、私に見せてくれたんだよね。その文章の作者を見たら、『あら、トシエちゃん(母の高校時代の親友で、「第九のスズキさん」の奥さん)のダンナさんだ!』と思って、ビックリしたんだもん」
てっきり僕は、スズキさんの第九に関する研究を母から聞かされたと思っていたのだが、母の記憶は逆であった。僕がたまたま興味をもって買った『別冊 太陽』を母に見せたところ、そこに高校時代の親友のダンナさんの名前、つまり「第九のスズキさん」の名前を見つけたというのである。
それを母がスズキさんに伝え、「息子さんが興味を持ってくれたのか」と、「第九と日本人」が完成したおりに、本を送ってくれたというのだ。
僕はまったく記憶にないのだが、もし母の記憶が正しければ、僕は「第九のスズキさん」が、母の高校時代の親友のダンナさんであると知らずに、自力でそこにたどり着いたことになるのだ。
はたして真相はどうだったのだろう?
いま僕の手もとに残っているのは、平成元(1989)年12月21日に、鈴木さんがサインをして送ってくれた著書のみである。
そこには、「第九のスズキさん」の好きだった「歓喜満堂」という言葉が書かれている。
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