贈りもの
12月7日(木)
自宅にお菓子の贈りものが届いていた。差出人の名前をみると、大学時代の同級生だったE君の御母様からだった。
以前にも書いたが、2014年の1月に、大学時代の同級生だったE君が突然この世を去った。
僕がそのことを知ったのは、1年後の2015年のことだった。E君のお父さんから手紙をもらい、そこには、「息子の卒業論文を読んでみたい」と書かれていた。僕はE君の卒業論文を出身大学から借り出して、それを編集して、私家版の本を作るお手伝いをした。
2015年の4月に、関西に住むE君のご両親にお目にかかり、医学部の教授をしておられたというE君のお父さんと、お酒を飲みながらお話をした。
それから1年後の2016年6月、E君の卒業論文の私家版が完成した。
僕が2015年4月に御父様とお話をしてからしばらくして、御父様は脳梗塞で倒れて入院されたと、御母様から聞いた。
E君の遺稿集に一文を寄せるはずだった御父様は、それが叶わず、代わりに御母様があとがきをお書きになった。
御父様が元気なうちに、その遺稿集を手にとってもらいたかったと、完成が遅くなってしまったことを悔やんだ。私はその後、E君のお宅にご連絡することをなんとなく躊躇してしまったのである。
今日届いた贈りものは、僕の喪中はがきを受け取ったE君の御母様が、気を遣って送っていただいたのだろう。
僕は久しぶりにE君の御母様に電話した。
「このたびは大変なことで…」
「いえ、お気遣いいただき、ありがとうございました」
「実は、うちの主人も、今年の4月に亡くなりまして…」
「そうだったんですか…」
「1年半の闘病生活でした」
ちっとも知らなかった。E君の御父様は、半年前に亡くなっていたのである。
御母様は、E君の御父様の亡くなるまでのご様子をお話になった。
「本当に、こういうことは、わからないものですねえ」
「こういうこと」というのは、人の死についてである。
「本当にそうですねえ」僕は共感した。
「2年ほど前に我が家に来ていただいたとき、お別れの時に写真を撮ったでしょう」
思い出した。たしかE君の御父様と一緒に写真を撮ったのである。
「主人はあの写真を大事にしていましてねえ。あなたを実の息子のように思っていたんだと思います」
不思議な気がした。
僕はE君の御父様とは2度しかお会いしたことがないのである。
人生、悔やまれることばかりである。
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倉山無差別殺傷事件、公判始まる
平成20年9月に倉山県倉山市で発生し死傷者3名を出した無差別殺傷事件で被告となった無職の男(32歳)に対する第1回公判が27日、倉山地裁(沢山英二裁判長)で開かれた。冒頭陳述で検察側は殺人および殺人未遂を主張した一方、弁護側は心神喪失による無罪を主張しており、被告の刑事責任能力が今後の争点となりそうだ。(石川こぶぎ・週刊エブリデー編集部)
投稿: 今日のニュース(こぶぎ) | 2017年12月 8日 (金) 23時12分
倉山無差別殺傷事件で無罪判決
平成20年9月に発生した倉山無差別殺傷事件の判決公判が8日、倉山地裁で開かれ、沢山英二裁判長は被告の男性(32歳)に無罪を言い渡した。この裁判では事件当時、精神疾患であった被告の責任能力を巡って検察側と弁護側で精神鑑定結果が異なり争点となっていたが、判決では弁護側の鑑定結果を合理的として心身喪失による無罪が認められた。判決について、裁判演劇論が専門の鬼瓦権三教授(倉山大)は「統合失調症を真正面から取り上げた脚本や、証言席での被害者母役の涙を誘うような熱演に加え、傍聴席も大入り満員で、カーテンコールもあったことが今回の勝訴につながった」と述べている。なお、この事件を巡っては連日マスコミによる取材合戦が続き、加害者家族のプライバシーに踏み込んだ興味本位の過熱報道を批判する声も多く、本誌の報道姿勢も含め、真摯な反省が必要とされよう。(石川こぶぎ・週刊エブリデー編集部)
投稿: 今日のニュース(こぶぎ) | 2017年12月 9日 (土) 20時08分
週刊エブリデーの記事に対し、鬼瓦権三教授(倉山大・裁判演劇論)は、「取材された覚えはない。モギ裁判の季節だということは知っていたが、行ってもいない」と事実を否認し、いかにも言いそうなことを記者が捏造したのだと主張している。(週刊武秋)
投稿: onigawaragonzou | 2017年12月11日 (月) 01時19分