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戦友の名刺を持ち帰る話

嬉野雅道氏のエッセイ集『ぬかよろこび』(KADOKAWA、2017年)に書かれていた話。

戦争中、南方戦線に送られた一人の兵隊さん。戦争末期の戦場は、それはそれは悲惨な状態で、食べ物なんて何もなかった。多くの戦友が餓死した。

やがて戦争が終わり、いよいよ日本に帰ることができることになった。しかし日本へ帰る引き揚げ船が出るという海岸まで、ジャングルのなかをひたすら歩いていかなければならない。

その兵隊さんは、戦死した戦友の遺品を日本に持って帰りたいと思った。しかし食べ物も満足に食べられず、骨と皮だけになったその兵隊さんにとっては、重いものを持ち帰るなど、とうてい不可能だ。考えたあげく、その戦友の名刺を1枚、持って帰ることにした。名刺ならば、重くて持ち運べない、などということはない。

歩いても歩いても、引き揚げ船が出るという海岸までたどり着く気配がない。そのうち身につけているものが重くて仕方なくなってくる。カラになった水筒を捨て、ズボンのベルトを捨て、それでもまだ身につけているものが重い。とくに左の胸のあたりが重い。

左の胸のポケットには、戦友の名刺が1枚入っていた。たった紙切れ1枚なのに、これがすこぶる重く感じるのである。

ああ、捨ててしまいたい。でも戦友の遺品だから捨てるわけにもいかない。

困ったあげく、その兵隊さんは、戦友の名刺の周囲を細かくちぎりはじめた。少しでも軽くしようとしたのである。でもまだ重い。兵隊さんは、名刺を少しずつちぎっては歩き、ちぎっては歩き、少しでも身軽になろうとしたのである。

引き揚げ船に着いたときには、戦友の名刺が、ほとんど名前の部分しか残っていないほど、ちぎられていたというのである。

嬉野雅道氏は、この話を父から聞いたという。彼の父は、当時小学生だった嬉野雅道氏に、

「人間というものは体力が落ちて極限状態になると、名刺程度の紙でも重くて持てないと感じて捨てたくなってしまうものだろうか。不思議なことだ…」

と神妙な顔でこの話を語ってくれたのだという。

それから35年後のこと。

嬉野雅道氏が、テレビのロケでマレーシアのジャングルを、カメラを持って撮影しながら歩いていたときのこと。

歩き疲れた彼は、カメラを持つのもイヤになり、一刻も早くカメラのスイッチを切りたくなった。スイッチを切ったところで、カメラの重量が変わるわけでもないのだが、とにかくカメラのスイッチを切りたくて仕方がなくなったのである。

とうとう我慢できなくなり、カメラのスイッチを切り、撮影を中断してしまった。

その瞬間、気持ちがウソのように軽くなったのである。

あれだけ重くて持っているのが億劫だったカメラが、スイッチを切ったとたん、軽くなる。

その時、あの兵隊さんの話を思い出した。

あの兵隊さんにとって、名刺の紙が重かったのではない。戦友の遺品を持って帰らなければならないという責任の重さが、極限状態にあった彼にとっては煩わしかったのだ、と。

自分もまた、ジャングルの中をカメラを持って撮影するという重責に耐えかねていたのだ。

かくして、小学生の頃に父から聞いた話の真意が、35年たって、自分の中でようやくわかった、というお話。

…と、ここまで書いてきてくたびれちゃった。

僕も思い当たるふしがある。

体調が悪いとき、仕事に関するメールは、ほんの短いものであっても、返信するのが億劫だった。

長い文章を書く体力くらいはあったにもかかわらず、仕事に関する短い返信メールとなると、とたんにキーボードを叩くのが億劫になるのである。責任のない文章はいくらでも書けるのに。

あれは、体力が弱っている中で、仕事に対する責任が必要以上に重く感じられて、そこから逃れたかったからだろうな。

インターネットで連載している文章も、少し前までは、まったく書く気が起こらなかったが、体調が少し上向きになったいま、気持ちが軽くなったせいか、また書けるようになってきた。

些細なことが億劫に感じられるようになったとき、戦友の名刺を持ち帰った兵隊さんの話を思い出すことにしよう。

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