友人って何だ
先日の日曜日、父の四十九日法要を終え、家族で食事をとっていたときのこと。
食事に入った店は、実家から少し離れた、J寺という古刹のすぐ近くにある会席料理屋さんだった。
「J寺で思い出したんだけどね」
母が思い出したように言った。
「3年くらい前だったかしら。お父さんの高校時代の友人だという二人が、突然たずねてきたのよ」
「たずねてきた、って、家に?」
「そう、我が家に」
僕はいささか驚いた。僕は幼いことから父のことをずっと見てきて、ほとんど友人らしい友人がいないことを知っていた。
もちろん、近所には幼なじみが数多く住んでいるのだが、親しい友人、といった感じではなかった。
父が通った高校は、自宅からかなり離れた、都会のほうにあったので、高校時代の友人が近所に住んでいる、という話も聞かなかった。
高校を卒業し、会社に入ってからの同僚や友人といった話も聞かなかった。
父が友だちとどこかへ行くとか、友だちがたずねてくる、といったことも、ほとんどなかったのである。
「その高校時代の友人、ていうのは、よく家に来ていたの?」僕は母に聞いた。
「それが全然そうではないのよ。その二人は、おぼろげな記憶をたよりに、うちを探しあてて、たずねてきたのよ」
「じゃあ、前もって連絡してきたんじゃなく、突然家にやって来たってこと?」
「そう」
母もその二人のことを知らないくらいだから、会わなくなってかなりの時間が経っていたということだろう。ひょっとしたら、高校卒業以来だったりして。
父は、たずねてきた二人の友人と、しばらく話をしたのだろう。
「そうしたら、今年に入ってからだったかなあ。その友人の方から、電話が来たのよ」
「電話?」
おそらく、再会したときに、連絡先を取り交わしたのだろう。
「いま、J寺に来ているから、いまから出てこれないか?って」
「それもまたずいぶん急な話だね」
「でももうお父さんはその頃、酸素を吸っていて遠出ができなくなっていたから、行けないって断ったのよ」
その友人からしてみれば、父の住む家とJ寺は近いから、電話で呼んだらすぐ来てくれるだろう、という感じで電話してきたのだろう。しかし実際は、家からJ寺に行くまでにはかなり時間がかかるのである。
つまりその友人は、このあたりに土地勘のない人なのだ。
結局、父はその友人と2度目の再会を果たせないまま他界してしまった。
それにしても不思議な話である。
おそらくその友人は、高校を卒業し、半世紀ぶりくらいに父に会いたいと思ったのだろう。
それで、おぼろげな記憶をたよりに、家を探し当てて、再会した。
家の場所を記憶していたということは、過去に何度か父の家に行くほど、高校時代は親しかったのかも知れない。
再会して、どんな話をしたのかはわからない。
少なくともいえることは、再会してそれっきりになったわけではなく、再びその友人から連絡があったということである。
僕は、半世紀も音信不通の友人が、自力で家を探しあてて訪れてきたということに、驚いた。
いまは、SNSだとかなんだとかいって、むかしの友人と簡単につながることができる世の中である。
むかしの友人が、いまどんなことをしているのかが、刻々とわかったりする。
場合によっては、まるで日常会話のように、手軽にコメントを書けたりする。
しかし、それは友情のバロメーターなのだろうか?
思い立ったときに、あるいは思い出したときに、再会したいと強く願うことの方が、場合によっては深い友情かもしれない。
母の話を聞いて、そんなことを思った。
父の死を、まだその友人には告げていない。
おそらく次にその友人から連絡が来たら、母はそのことを告げるだろう。
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