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嬉野先生

12月3日(日)

昨日に引き続き、今日も、実家に置いてあった本を古本屋さんに買い取ってもらうことにした。

昨日と同じ、約80冊を買い取ってもらい、885円也。

うーむ。どんどん買い取り額が減っていくぞ。

それはともかく。

父の葬儀も終わり落ち着いてきたので、少しずつ実家にあるものを片付けていこうということになった。

実家のパソコンが古くなったので処分しようということになり、中に入っている写真だのデータだのを移し替える作業をした。

ほとんどが、父と母が旅行に行ったときの写真ばかりなのだが、「マイドキュメント」の中に、

「嬉野先生」

というファイル名の文章ファイルが入っていることに気づいた。

「嬉野先生」とは、北海道テレビのディレクターの嬉野雅道氏のことである。

中身を開くと、彼がインターネットで公開していた、2008年8月17日の日記が保存されていた。

知らない人も多いと思うが、嬉野雅道氏は、「水曜どうでしょう」というローカル番組のディレクターをしている。この「水曜どうでしょう」はカルト的な人気を誇った番組で、担当ディレクターの藤村忠寿氏と嬉野雅道氏は、ホームページ上で「本日の日記」というコーナーを設けて、毎日のように、エッセイのようなものを掲載していたのである。

ある時期、僕はそれを読むのが日課になっていた。

実家のパソコンに残されていたのは、2008年8月17日の日記である。

おそらくこのとき、僕はお盆休みで実家に帰っていたのだろう。

毎日の日課として、「水曜どうでしょう」のホームページの「本日の日記」を読んだ僕は、8月17日に書いた嬉野雅道氏の文章に、いたく感銘を受けたものと思われる。

この文章を永久保存しておきたいと思い、その文章をコピペして、実家のパソコンに保存したのであろう。

このほかに、保存していた文章がなかったことからすると、僕はこの文章がよっぽど気に入っていたものとみられる。

さて、どんな内容が書いてあったのか。

嬉野雅道氏の文章を読み返してみて、驚いた。

それは、要約するとこんな話である。

子どもの頃、水泳が苦手だった。

小学校6年生の時の水泳大会で、なんとか自分は水泳大会に出なくてすむようにならないかと、いろいろ思案をした。

学校を休むとか、水着を忘れるとか、台風で中止にならないかなあとか、いろいろな方法を考えてはみたが、パッとしたアイデアは浮かばず、水泳大会当日を迎えることになる。

ここから先の描写が秀逸である。

「その時私は、他人が飛び込む様子を遠くから眺めながら、あの他人事がやがて我がことになる、と、そのことを妙に噛み締めていました。

このまま時間が過ぎていき、やがて三十分もしないうちに、私は、コースの縁にある、あの小さく盛り上がった飛び込み台にあの男のように立つのだと。

そうして衆目の集まる中、妙な緊張感を下腹部に感じながら、水で満たされたあの空白の長方形を目の前にして、塩素くさいあの水の中に当然のことのように飛び込んでいくのだと。

その順番が間もなく来る。

私には、自分の番が自分に回って来るということが段々不思議に思えてきました。

他人事が、やがて自分のことになる。

その当たり前のことが妙に不思議に思えて来るのです。

あんなところに立ちたくないと思っているこの自分は、まだまだ離れたところで事の成り行きを他人事として呑気に眺めている。だが、やがて自分の意思とは裏腹にあの台に立つ時が来る。

その時になって初めて、私は、今あの台に立つ男が経験している現実と直面することになる。

それまではまだまだ時間がある。

だが、やがて間違いなく自分はあの台に立つ。

そして逃れられない現実の中、その私の身に現実が襲い掛かってくる。そして私は苦痛とともに何かを経験する。

水泳大会は流れ作業のように、どぶんどぶんとしぶきを上げながら進んでいきました。

私たちは体育座りのまま、横へ横へと移動を続けていきました。

私は妙に哲学的な小学生になって順番を待っていました。

とうとう六年生の番になりました。

私のクラスの先頭の男が台に上がりました。

そうして両手を後ろに伸ばし腰を屈めました。

一拍あって、乾いたピストルの音がしました。

パーン

台の上の男は背中を押されたようにあっけなく水に飛び込んで、私の視界から消えました。

次の男もその次の男も。

同じように私の視界から消えていきました。

それを繰り返すうちに私とプールまでの距離は見る見る縮まり、私の前にいた男たちが向こう岸に泳ぎ着くごとに私の前の視界はどんどん開けていくのです。

とうとう私のすぐ前の男が立ち上がりました。

そしてその男がピストルの音を聞いて飛び込んでしまってしばらくすると、体育教師の指示で私は立ち上がりました。

やはり私の番になったのです。

私の列の男たちも横一線に立ち上がり、それぞれに手足をぶらぶらとさせ、私もそれに習うようにぶらぶらとさせ、まじないのように耳につばをいれるのでした。

そうして私は自分の足を動かして、とうとうあの台の上に立ったのです。」

この後、自分がプールに飛びこんだときの描写が続く。小学6年生の嬉野雅道少年は、無我夢中で25メートルを泳ぎ切り、翌日からまた、何ごともなかったかのように学校に通い始めた。

さて、僕が感銘を受けたのは、この後に続く文章である。

「今から六年前。

その小学六年生が42歳になった年。

かつての小学生の父親は肝臓を悪くしてこの世を去りました。

父親を亡くしてみて初めて、かつての小学六年生は思いました。

次は私だなぁと。

人間は誰でも永遠に生きるわけではないから、やがて、自分の身にも、その死という瞬間がめぐってくる。

今は他人事として呑気に眺めているだけのものだけれど、いつか自分の番が来る。

そう思った時。

私は、三十数年前のあの日の水泳大会を思い出したのです。

いつかそれは、私の現実になって、私の目の前に立ち現れ、その時初めて、私はその現実に直面する。

私は弾かれたように水に落ちていく。

すると不意に顔に衝撃を受け、鼻の奥がツーンとする。

そして外界の音が一気に消え、ごうごうという水の中の音だけがする。

私は手足をばたつかせ、もがき、そうして何かをくぐり抜けていく。

その時私に、あの台の上に立って飛び込んでいった男の気持ちがやっと分かる。

そして自分が今直面している、このことが現実のことだということを知る。

そのあとのことは誰にも分からない。」

この日の日記は、ここで終わっている。

実はこの文章、嬉野雅道氏の最新のエッセイ集『ぬかよろこび』(KADOKAWA、2017年)に再録されている。

僕はこの文章のことをすっかり忘れていて、つい最近、このエッセイ集を読んだときに、再びハッとさせられたのである。

しかもまことに不思議なことに、このエッセイ集を読んだのは、父が入院する直前のことであった。

この本を読んだ直後、父は入院し、そしてその4日後にこの世を去った。

僕は、父の死を間近で見ながら、嬉野雅道氏の水泳の話を思い浮かべたのである。

なんという偶然であろうか。

僕はその直前に、この文章を読んでいたから、父の死を、すんなりと受け入れることができたのである。

そしていつの日か、自分の死も受け入れることができるようになるのではないか、と。

水泳の順番待ちのように、である。

2008年8月17日に、嬉野雅道氏が書いたこの文章。

おそらくこれは、お盆の時期に、嬉野さんがお父さんのことを思い出して書いた文章なのだろう。

当時の僕がそれを読み、何を思ったのか、ハッとさせられて、パソコンに保存をした。

その時点では、僕の父はすこぶる元気だったので、父を意識してハッとさせられたわけではなく、何かしら琴線に触れるものがあったのだろう。

しかし、そんな文章のこともすっかり忘れて、10年近くがたった。

この文章が再録された彼のエッセイ集を読み、再びこの文章にハッとさせられる。

そしてその直後に、父が入院し、帰らぬ人となった。

僕はこの文章のおかげで、父を送り出すことができ、いつか訪れるであろう自分の死についても、それほど恐れることもなくなった。

2008年に一度、この文章に出会い、ハッとさせられ、それから約10年がたち、今度は本当に自分の問題として、同じ文章と再会したのである。

うーむ。何が言いたいのか、伝わっているのかな?

つまり文章の力ってすばらしい、ということだ。

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