長い1日
1月15日(月)
午前中に職場で仕事をしたあと、午後、会議のため、都内にある出版社に向かう。
この会議は、数カ月に1回おこなわれているもので、大学時代の恩師の1人が主宰されている。
厳密に言えば僕はその恩師のゼミを受けたわけではなく、教えを受けたわけでもないのだが、なぜかメンバーの1人に指名されたのであった。
僕のほかにメンバーは2人。いずれもその恩師の薫陶を直接受けた、いわば愛弟子である。
僕ひとりだけ、外野の人間なのだ。
その恩師はとても厳しい先生だった。
学生に対してあまりに厳しすぎて、まわりの評判は、とても悪かった。
その先生をよくいう人は、あんまりいない。
あまりに厳しいという評判だったためか、先生のゼミには日本の学生がほとんどおらず、海外、とくに韓国の留学生が多かった、と聞いた。
僕はゼミに出たことはなかったが、先生の厳しさを何度か目の当たりにしたことがあったので、こわい先生だ、というイメージがあった。
なので、お仕事をご一緒させていただく、ということになったとき、とてもではないが、自分の荷が重い仕事だ、と思った。
実際、会議中の私は、全く愚鈍で、ほとんど発言をしていない。
(うーん。あんまり役に立ってないなあ…)
自分のふがいなさに、反省することしきりである。
会議中の恩師は、あいかわらず厳しいのだが、見ていて、楽しそうでもある。
恩師はもう古稀を越えたお歳だが、実にお元気である。
会議はほとんど休みなく、4時間ほど続いた。
会議が終わると、近くのお店で打ち上げである。
前回の会議のあとは、体調が悪かったので懇親会は欠席したのだが、今回は、出席することにした。
毎回、打ち上げの席の恩師は、すこぶるご機嫌がよい。
実に話題の豊富な先生で、私に向かって、森羅万象、いろいろなお話を機嫌よくなさるのだが、私はひたすら相づちを打つだけで、気の利いた受け答えが、全くできない。
ここでもまた、自分のふがいなさに、反省することしきりである。
打ち上げが3時間ほど続いて、時計は午後10時をまわっていた。
結局、7時間ぶっ続けで、恩師のお話を聞いていたことになる。
お店を出てから、恩師が私に言った。
「今年の秋に、私のところで勉強していた韓国の教え子が、ゼミの大同窓会を計画してくれてね。日本からも教え子たちが参加してくれるのだが、あなたも出席してくれるかい?」
いえいえ、先生、僕はゼミの同窓生ではないですよ!
と、喉元まででかかったが、それをグッとこらえて、
「ちょっとその時期は行けそうにありません。すみません」
と丁重にお断りした。
「そうか…。残念だが、仕方がない」
地下鉄の駅のホームで、愛弟子さんと私が、恩師と反対方向の電車に乗り込んだ。電車が発車すると、恩師は見えなくなるまで私たちのほうに向かって、ニコニコしながら手を振っていた。
世間的な評判とは裏腹の、恩師のあんなご機嫌な姿、誰にも想像はつくまいな。
それにしても、不思議な恩師である。
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