« 2017年12月 | トップページ | 2018年2月 »

2018年1月

共演者再会

1月27日(土)

久しぶりに西へ向かう新幹線に乗る。

途中、景色がまったく見えないほどの大雪のため徐行運転となった。

27023877_397190087359493_82407040_2さてクイズです。新幹線の車窓から撮った写真ですが、この写真はどこでしょう。

…いや、これがクイズの本題ではない。クイズの本題はここから。

新幹線は定刻より21分遅れて、降車駅に着いた。

今日はこの町にある施設で、私が世話人をつとめる寄合があった。

マニアックな人たちが集まり、施設の中にある小さな会議室をお借りして、濃密な意見交換が行われた。

夕方に寄合が終わり、解散となった。閉館時間までまだ若干時間があったので、この建物の4階で開催されているイベントを見に行くことにした。

実はこのイベントには、うちの職場も少しだけかかわっていた。年に3回ほど一緒に仕事をしている業者が企画したイベントである。

イベント会場に着くと、

「先生!」

と呼ぶ声がする。

「あ、Nさん」

「お姿を見て、そうじゃないか、って思ったんです」

「そうですか」

「先生、お正月の番組に出ていらっしゃいましたよね」

「ええ。そういうNさんも、同じ番組に出ていたじゃないですか」

そう!声をかけてきたのは、正月の番組に出ていた共演者だったのである。

年に3回ほど一緒に仕事をするNさんと私が、お互いそうとは知らずに同じ番組に出演したことも驚きだったが、私がこの会場を訪れたときに、Nさんがたまたま居合わせていたというのも、不思議な因縁である。

「自分がいつ出るのだろうと思って見ていたら、先生が同じ番組に出演されていたので驚きました」

「しかし私が映っていた時間はたったの5秒ですよ。それにくらべたらNさんはもっと長い時間映っていたじゃないですか。最後の最後に全部持っていかれた感じがしましたよ」と冗談交じりに言うと、

「いやいや」と顔を赤らめながらも、まんざらでもなさそうだった。

おすすめのイベントなので、ぜひ足をお運びください。

| | コメント (2)

新春講演会

1月25日(木)

午後、都内で出版社の編集者と打ち合わせである。

もう10年近くのつきあいになる編集者で、とにかく私の書いたものを世に出したい、と言ってくれている。

私も、その誠実でまっすぐな人柄にすっかり負けてしまい、この人と仕事をすることになった。

「とにかく直接会って話をすることが大事だと、会社の先輩に教えられました」とその人は言った。その通りだと思う。

前回の記事で書いた、腹の立つメールを送ってきた編集者との違いは、こういうところにあるのだな。

それはともかく。

打ち合わせが終わり、夕方からは、都下の大学で「新春講演会」である。

この大学の某学科では、毎年1月に「新春講演会」をやるそうである。

依頼を受けたのは、3カ月くらい前のことだった。

ちょうど体調が悪い時期だったので、断ろうかとも思ったのだが、学生さんから手紙で依頼が来たので、引き受けることにした。

この大学には、むかし同僚だった人が勤めているので、その人の人選かな、とも思ったが、よくわからない。ただ、もしその元同僚から依頼が来たとしたら、断っていただろう。学生から依頼されたので、断れなかったのである。

それに、私が講演に呼ばれるなんてことは、めったにない。

私をよく知る人の中には、私が年中講演をやっているように思っている人がいるが、それは間違いである。私ほど、つぶしのきかない人間はいない。だから、もともと講演を依頼しにくい人間なのだ。

にもかかわらず、私を人選してくれたのだから、ありがたいというべきである。

駅を降りて、バスに乗り、「正門前」というバス停の前で降りる。

しかし、「正門前」といっても、正門がどこにあるかわからない。なにしろ私がこの大学を訪れるのは、初めてなのだ。

キョロキョロと見渡すと、大学の看板が見えた。

おそらくあの看板の立っている道路を歩いた先に、正門があるのだろう。

その道路は見事なまでに直線の道路で、200メートルほど歩くと、ようやく正門が見えた。

ずいぶんと奥まったところに正門があるんだな。

正門に着くと、学生さんが待っていてくれて、会場まで案内してくれた。

私は、どうしても正門前の直線道路のことが気になったので、聞いてみた。

「あのう…バス停から正門にたどり着くまでに、長い直線道路がありましたけれど、あれは公道ですか?」

「いえ、ちがいます。あれは大学の所有です」

「そうなんですか。ずいぶんと幅広い道ですけれど」

「めずらしいでしょう?」

「ええ、そうですね」

「先日大雪が降りましたけれど、私道なので、除雪は大学がやらなきゃいけなかったんですよ」

「それはたいへんですね」

「この場所にはもともと陸軍の技術研究所があったのです」

「するとこの大学は、その跡地に建てられたのですか?」

「そうです。で、あの長い直線道路は、有事のときに滑走路になるようにと計画されていたようです」

「なるほど。その名残ですか」

午後6時に始まった講演会は、午後8時過ぎに終わった。

久しぶりに学生さんたちの前で喋り倒した。

さて、私が訪れたその大学というのは…。

| | コメント (3)

クールス

ほんとにどーでもいい話なのだが。

インターネットのニュースを見ていたら、岩城滉一と舘ひろしが、友人の葬式に参列して、42年ぶりに和解したとあった。

ね?どーでもいい話でしょう?

二人は若い頃、なんでも「クールス」という不良バイクグループのメンバーだったらしい。

その後クールスは、ロックバンドとしてデビューすることになるそうなのだが、音楽に興味のない岩城滉一は、グループの路線をめぐって舘ひろしと対立し、俳優の道に進んだのだという。

舘ひろしもほぼ同じ頃、結局俳優の道に進むことになる。

その後も二人の気まずい関係が続いたのだと、ニュースにあった。

なんでこんなどーでもいい話に僕が食いついたのかというと、二人が若い頃に出演していた映画を見たときに、ある共通点を見いだしていたからである。

岩城滉一は、映画「人間の証明」(1978年)で、郡恭平という、大物政治家のバカ息子の役を演じていた。

これがどうしようもないダメ人間で、役が見事にはまっていた。

一方舘ひろしは、映画「野性の証明」(1978年)で、大場成明という、地元の有力者のバカ息子の役を演じていた。

これもまたどうしようもないダメ人間で、これまた役が見事にはまっていたのである。

さらに二人はどちらも、劇中で、バイクを乗り回していた。

つまり二人の若い頃は、典型的な、金持ちのボンボンのバカ息子役が似合う俳優だったのである。

むかしこの2つの映画を見た僕は、

「若い頃の岩城滉一と舘ひろしは、キャラ、かぶってるなあ」

と思ったものであった。だってほとんど同じような役だもの。

キャラがかぶってるもなにも、二人は実生活でも同じ不良グループでつるんでいたというわけだな。

二人が当時、お互いに対してどのような気持ちをもっていたのかはわからない。

おそらく、若いときにありがちな、自意識過剰というか、「俺とおまえとは違う」みたいな感情があったのだろう。

しかし大人からみれば、二人は同じ穴のムジナ。

キャスティングした大人のプロデューサーにとっては、若い二人はまったく同じタイプの人間にしか見えなかったに違いない。

なんかそのあたりがおもしろいなあと思ったのだが、結局は、どーでもいい話である。

| | コメント (0)

大寒波の日に

1月24日(水)

昨日から今日にかけて、怒濤のようなメール送信。

仕事の依頼、不手際の謝罪、原稿の送信、問い合わせ、問い合わせに対する返信への御礼メール、等々。

メールの文章を書いているうちに、別件のメールが来て、1つメールを書き終わると、今度はそのメールに対応する。その繰り返しである。

まるでモグラたたきゲームのようだ。

書いて送信するだけでもかなりの精神的な負担なのだが、その上、そのあとの先方の反応まで気になって仕方がなくなり、ドッと疲れてしまう。

今日来たメールはすべて今日のうちに返そうと思っていたが、さすがにもう限界で、いくつかは取りこぼしてしまった。明日考えよう。

今日、いちばん腹が立ったのは、ある出版社からのメールである。

その出版社の編集者は、どうも人をイラッとさせるメールを書く天性の才能を持っているようで、そのメールを受け取った4人全員が、そのメールの文章を読んで、等しく腹を立てたのである。

悪気がないだけに、天性の才能と言わざるを得ない。いや、悪気があるのか?

ここにその文面を紹介したいのだが、紹介したところで、第三者が読んでもニュアンスが伝わりにくい。

しかし関係者が読むと、等しく腹が立つのである。

いったいこのメカニズムはどうなっているのか?誰か解明してほしい。

先日、別の出版社の編集者から来た、心のこもったメールとはえらい違いである。

心のこもったメールを書いたほうの出版社は、地味だが勢いのある会社であるのに対して、イラッとさせるメールを書いた出版社は、老舗らしいがとにかく仕事ぶりがいい加減である。

なるほど、メールの文面にそういうことが宿るのだな、と、自分自身を戒めているところである。

| | コメント (1)

大雪の日に

1月22日(月)

首都圏で数年ぶりの大雪が降るという。

今日は1時半から5時まで、外部の方をお招きして、職場で寄合があるのだ。

「帰宅時間のころに交通機関がマヒする可能性があるので、寄合は3時に終了します」との連絡が来た。

しかしこういう日に限って、次から次へと仕事のメールが来る。

トラブル、依頼、問い合わせ、確認…。

それぞれに「打ち返す」ばかりでなく、自分から送らなければならないメールもあり、それだけでかなりしんどい。

寸借詐欺。いろいろな人からちょっとずつ騙してお金を取る詐欺のことである。

その言葉を借りれば、「寸借仕事」。

これくらいの仕事ならできるかな…と思って引き受けた仕事が積もりに積もって、最終的に首が回らなくなる。

「お体の加減も悪いでしょうから、あまり負担のない程度に…」

といいながら、みんなが少しずつ依頼してくるのだが、結局、合計してみると仕事の量は以前とさほど変わらない。

まったく、困ったものである。

それでも、以前とくらべれば、かなり仕事の量は減らしているのである。

しかしなかには、自分から引き受けてしまう仕事もある。

思わぬきっかけから、アジア・太平洋戦争の際に南方の戦地で亡くなった兵士の日記にかかわることになった。

今日はその正式な仕事の依頼も来たのだが、依頼のメールの中に、

〈偶然の連鎖は思いの強さが引き寄せる〉

という言葉が書かれていて、それが、依頼を引き受ける決め手となった。

考えてみれば、「思いの強さ」が自分の仕事の基準かも知れない。

まわりの同業者たちがあまりに売れる本ばかり書くので、少し前に、高校時代の後輩に、

「あ~あ、売れる本が書きたい」

と愚痴をこぼしたら、その後輩が、

「いまの時流に乗る本を書いても、それは、歴史には残りません」

と言ってくれて、ああ、やはり同じ価値観を共有できる人だな、と思った。

先日、ある会議に出たときも、恩師から、

「50年は残る仕事をしましょう」

と言われた。

まわりがどうあろうと、あとは、自分自身がブレないように仕事を続けていくまでである。

| | コメント (0)

郷里の友!

1月19日(金)

2カ月に一度くらい、読めない文字を読んでくれと、調査の依頼が来る。

今回の調査依頼は、私にとって初めての体験であった。

昨年末にメールをいただいた。

「いま、アジア・太平洋戦争で没した方の日記を読んでおります。

南方戦線で孤立無援のなか、米軍の襲撃に怯えながら、飢えに苦しむ様子を克明に記した日記であり、 本人は終戦直前に亡くなり、日記だけが遺族のもとに戻ってきたものです。

遺族の了解を得て、何人かで読みすすめておりますが、 手帳に鉛筆で細かく書かれた文字は読みにくく、一部判読不明なところがあります。

類推しながら読んではおりますが、すっかり擦れてしまったところなどもあり、 難儀しております。

できるだけ文字を読み取り、没した兵士の思いを記録できればと考えております。ついては、解読のお手伝いをお願いできないでしょうか」

もちろん、お手伝いすることにした。

そして今日、その日記の解読に従事しているお二人が、職場にやって来た。

地下の調査室にご案内し、大学院生にも一人手伝ってもらって、IRという分析機器で、解読することにした。

「日記というのは…」

「これです」

見て驚いた。

小さくて薄いメモ帳のようなものに、鉛筆でびっしりと文字が書いてある。

「ずいぶんとびっしり書いてますね」

「ええ。毎日毎日、その日にあったことを克明に書いておられたようです」

「南の島の戦場で、ですか?」

「ええ。終戦の4カ月ほど前に亡くなるのですが、約2年間、亡くなる直前まで、日記を書き残していました」つまり戦場日記である。

「そうですか…」

「鉛筆が擦れてしまって、どうしても肉眼では読めないところがありまして…ご遺族の方のお気持ちを考えると、1文字でも多く解読したいと思いまして…」

「わかりました。では、さっそくIRを使って解読することにしましょう」

テレビモニターに、日記が映し出される。

肉眼では見えなかった鉛筆の文字が、鮮やかに映し出された。

「こんなにはっきりと見えるんですね!」

感激もそこそこに、解読作業を始める。

鉛筆の文字が映し出されたといっても、独特の書き癖や言い回しがあって、それを読み解くのはなかなか難しい。

1文字読めては喜び、1文字読めなくては悔しがり、の連続である。

だが、次第に目が慣れてきて、その兵士の字の特徴がわかってきた。

だんだんと、読める文字が増えてきた。

そこに書かれているのは、飢えに苦しみ、空襲におびえる兵士たちの姿だった。

しかし、どうしても読めないところがある。

「…こんなにはっきり見えているのになあ…。何という字が書いてあるのか…」

問題となったのは、昭和19年8月31日の日記である。

翌日から、「離島管理作業」なる重労働に従事しなければならなかった彼は、友人から椰子の実を5個もらい、それを分隊員一同で分けて食べた。おかげで元気になったのだという。その最後の行に、

「□□友人ハ有難い」

と書いている。

「…友人ハ有難い、と読めますけれども、その上に2文字ありますね」

「そうですね」

「ハッキリと字が見えるんだけれど、なんて書いてあるのかわからない」

4人はしばらく考え込んだ。

ああでもない、こうでもない、と試行錯誤が続いた。

一瞬の静寂のあと、4人は同時に叫んだ。

「郷里の友!」

4人は顔を見合わせて大笑いした。「友人」の上の2字は「郷里」だったのだ。

不思議である。それまで、どうがんばってもまったく読めなかった字が、ある瞬間、4人同時に読めたのである!

まるで神が降りてきたようであった。

うーむ。この感激、伝わりにくいなあ。

あのときのしびれるような体験は、あの場にいた4人にしかわかるまい。

調査のあと、日記を持ってきた方からメールが来た。

「「郷里の友!」とみんなで叫んだ瞬間は、映画のワンシーンのようでしたね。」

そう。映画のワンシーンというのがふさわしい。

日記を書いたSさんが解読の後押ししてくれたのか、あるいはSさんの日記をかたみとして持ち帰り、遺族にとどけた戦友のHさんが後押しをしてくれたのか。

いずれにしても、不思議な力に後押しされながら、解読が進んでいったとしか思えない。

生きていると、映画以上に映画的な体験をすることが、稀にあるのだ。

| | コメント (0)

クラス会とタバコに関する考察

僕は最近になって喘息と診断されたので、タバコの煙はいちばんの天敵である。

高校時代の担任だった恩師が以前に作っていたホームページの中に、嫌煙に関するコーナーがあって、タバコに対する憎悪に満ちた、とても過激な文章を書いておられたことを思い出した。溜飲を下げるためにもう一度読んでみたいと思ったのだが、すでに閉鎖されてしまっているらしい。

高校時代に同じクラスだった人たちによるLINEグループを通じて送られてきた写真を見た私が、衝撃を受けたことは、前に書いた。

狭い個室の中で、一部の人間が平然とタバコを吸っていて、タバコを吸わない人間と一緒に所狭しと座っている。それどころか、その場にいる全員が、そのことに何の疑問も持っていないような、にこやかな集合写真なのである。

うーむ。世間一般の感覚って、そうなのか?こんなことにこだわる僕の感覚のほうがおかしいのか?

ちょっと自分の感覚に自信がなくなり、Twitterで誰かそんな感じのことをつぶやいていないか、いろいろと探してみたところ(俺もヒマだなあ)、けっこう出てきた。

「やだな…タバコ臭いクラス会やだなあ…タバコ吸うのは自由だと思うけど…臭いがほんとに苦手でな…具合悪くなるなあ…やだなあ…」

「飲み会も、親しい人ってほとんど非喫煙者だからいいけど、クラス会とかになると喫煙者がちらほらと…。だから年に一回くらいでいい…」

「禁煙なら行きますと答えて毎度欠席。だってマジであの煙こもる空間で飲食や話させられると鼻炎の具合悪くなるもんよ。数時間くらい我慢できないの?言われたけど、どうしても出席させたいなら我慢するのは喫煙側だぞー。何で具合悪くなるから行かないというのにケチつけんだ」

「例えばクラス会とか二次会とかで、隣の旧友がプカプカタバコを吸い出すとき、お店自体が禁煙だったら良いのに…と思ってしまいます。自分が幹事で予約する立場だったら良いのですが…」

「30数年ぶりに中学校のクラス会があった。当時の担任が挨拶に立ち「2年前に心筋梗塞で死にかけたが生きてみんなに会えて嬉しい」乾杯後すぐにタバコを吸いだす奴を見て本気で最低な人間だと思った。実話」

「そいや前にクラス会で小さい子供連れて来てる人たちの前でタバコ吸う人たちがいたんだけど、「少し遠慮しようよww」みたいに言ったら「ちゃんと(親に)許可もらったから大丈夫!」とか言い出してコイツらスゲーな!ガチ昭和だぜ!と思いました」

「昨日は高校の時のクラス会。今回は昼間に開催。皆も年取ってきたから、身体は楽と思う。でも、昼下がりの2次会とかの雰囲気は?そもそもやめとけばいいじゃん。それからタバコはやめて」

「クラス会のお知らせが来ていた。土日やたらと知らない番号からの着信があったのはその件か。タバコ止めてから苦痛なんだよねああいう場所。前回懲りたから多分もう行かない」

「クラス会に移行!とりあえず隣でタバコつけやがった奴に「私喘息持ちだから…」って言ってやった。嘘はついてない」

「マスクしてのど飴舐めながらタバコ吸うのっていろんな矛盾を内包した現代社会の闇みたいなところある」

いずれも全然知らない人のつぶやきだが、僕と同じことを思っている人が多いのだなあと、ひとまず安心した。

ところで不思議なのは、どうやらクラス会とタバコとは、かなり関連性が高いのではないかと思われることである。

先ほど引用したつぶやきの中に、「飲み会も、親しい人ってほとんど非喫煙者だからいいけど、クラス会とかになると喫煙者がちらほらと」というのがあったが、まさに僕の場合も、その通りなのである。

つまり一般的に、クラス会となると、同席している喫煙者が平然と煙草を吸っても許される、という雰囲気がどうもあるようなのである。

これはいったいどういうわけだろう?

まず喫煙者の気持ちを考えてみると。

高校時代の同じクラスのメンバーの集まりであるという気安さから、横でタバコを吸っても当然許されるという思いで、タバコを吸っているのだろう。

一方で、非喫煙者の気持ちを考えてみると。

クラス会といっても、参加している全員と親しいわけではない。言いたいことが言い合える友人なんて、ごくわずかで、あまり親しくない友人が横でタバコを吸っていた場合に、「ちょっとタバコやめてくれない?」とは言いにくい。

これが本当に親しい間柄だけの集まりであれば、そういうことが言い合えるわけだが、これがクラス会ということになると、もしそんなことを言い出そうものなら、雰囲気がぶちこわしになるのではないか、という思いがはたらくのである。

ちょうどこれは、セクハラやパワハラの問題と似ている。僕は、公共の場におけるタバコのマナーの問題と、セクハラの問題とは、根本のところで通底しているとみている。

それはまた別に論じるとして、ここでは次のことを指摘するにとどめたい。

それは、この問題の根底には、「同調圧力」という、高校時代以来、私たちを悩ませてきた人間関係の問題がひそんでいるということである。

映画「桐島、部活やめるってよ」を見たときに心がザワザワした、あの感じである。

高校を卒業して30年もたったいまもなお、僕たちはあの「同調圧力」の呪縛から逃れることができていないのだ。

クラス会の写真を見た僕は、そんなことを感じたのである。

もしあなたが幸運にも、同席の場での喫煙行為がまったくないというクラス会に出席できたとしたら、それは、高校時代の関係性を越えて、真の意味で大人の関係になったことを意味する。

もし不幸にも、受動喫煙に悩まされる恐れがあるクラス会に呼ばれたとしたら、非喫煙者がとるべき方法はただひとつである。

それは、クラス会をボイコットすることである。

ただボイコットするだけではダメである。

「タバコの煙が体に害を与えるので」という理由を、はっきりと述べてボイコットするのである。

物わかりのよい幹事ならば、全面禁煙のお店を予約する、という方針転換をはかってくれるだろう。

そうでない場合は、そのクラス会は自分にとってまったく必要のないものである。

| | コメント (0)

長い1日

1月15日(月)

午前中に職場で仕事をしたあと、午後、会議のため、都内にある出版社に向かう。

この会議は、数カ月に1回おこなわれているもので、大学時代の恩師の1人が主宰されている。

厳密に言えば僕はその恩師のゼミを受けたわけではなく、教えを受けたわけでもないのだが、なぜかメンバーの1人に指名されたのであった。

僕のほかにメンバーは2人。いずれもその恩師の薫陶を直接受けた、いわば愛弟子である。

僕ひとりだけ、外野の人間なのだ。

その恩師はとても厳しい先生だった。

学生に対してあまりに厳しすぎて、まわりの評判は、とても悪かった。

その先生をよくいう人は、あんまりいない。

あまりに厳しいという評判だったためか、先生のゼミには日本の学生がほとんどおらず、海外、とくに韓国の留学生が多かった、と聞いた。

僕はゼミに出たことはなかったが、先生の厳しさを何度か目の当たりにしたことがあったので、こわい先生だ、というイメージがあった。

なので、お仕事をご一緒させていただく、ということになったとき、とてもではないが、自分の荷が重い仕事だ、と思った。

実際、会議中の私は、全く愚鈍で、ほとんど発言をしていない。

(うーん。あんまり役に立ってないなあ…)

自分のふがいなさに、反省することしきりである。

会議中の恩師は、あいかわらず厳しいのだが、見ていて、楽しそうでもある。

恩師はもう古稀を越えたお歳だが、実にお元気である。

会議はほとんど休みなく、4時間ほど続いた。

会議が終わると、近くのお店で打ち上げである。

前回の会議のあとは、体調が悪かったので懇親会は欠席したのだが、今回は、出席することにした。

毎回、打ち上げの席の恩師は、すこぶるご機嫌がよい。

実に話題の豊富な先生で、私に向かって、森羅万象、いろいろなお話を機嫌よくなさるのだが、私はひたすら相づちを打つだけで、気の利いた受け答えが、全くできない。

ここでもまた、自分のふがいなさに、反省することしきりである。

打ち上げが3時間ほど続いて、時計は午後10時をまわっていた。

結局、7時間ぶっ続けで、恩師のお話を聞いていたことになる。

お店を出てから、恩師が私に言った。

「今年の秋に、私のところで勉強していた韓国の教え子が、ゼミの大同窓会を計画してくれてね。日本からも教え子たちが参加してくれるのだが、あなたも出席してくれるかい?」

いえいえ、先生、僕はゼミの同窓生ではないですよ!

と、喉元まででかかったが、それをグッとこらえて、

「ちょっとその時期は行けそうにありません。すみません」

と丁重にお断りした。

「そうか…。残念だが、仕方がない」

地下鉄の駅のホームで、愛弟子さんと私が、恩師と反対方向の電車に乗り込んだ。電車が発車すると、恩師は見えなくなるまで私たちのほうに向かって、ニコニコしながら手を振っていた。

世間的な評判とは裏腹の、恩師のあんなご機嫌な姿、誰にも想像はつくまいな。

それにしても、不思議な恩師である。

| | コメント (0)

ベンチの怪獣

1月11日(木)

夕方、駅に着くと、明日の会議でお世話になる事務局の方が迎えに来てくれた。

車に乗せてもらい、ホテルに向かう。

「お泊まりになるホテルに夕食はついていないので、もしよろしければ、食事でもいかがですか」

「はあ」

体調のこともあるので、ちょっと逡巡した。

「もう一人、前泊される先生がいて、一緒に食事をとることになっているので、よろしければご一緒に」

「わかりました。ただ、体調がアレなもんで、お酒はちょっと…」

「もちろん、無理強いはしません」

ホテルにチェックインして、ロビーのある2階に降り、お二人と合流した。

「このホテルの1階が食事処ですから、そこで食事をしましょう」

ということで、3人で食事をする。

何度かこの町に来て、会議に出ているのだが、いつもトンボ返りで、メンバーの方とじっくりお話しする機会がなかった。

しかしお話をしてみると、実にいろいろな接点があることがわかり、なかなか愉快だった。

やはり人間、話してみるものだなあ。

同じ方向を向いている人とお話しするのは、実に心地よい。

7時から始まり、「少しだけ…」と言っていたつもりが、10時をまわっていた。

「では、明日、よろしくお願いします」

といって別れた。

少し外の風に当たろうと、ホテルの外に出る。

20180111_224126するとホテルの目の前の、歩道のところに置かれているベンチに、怪獣が座っていた。

もちろん、ここまで読んだ読者諸賢は、この町がどこなのか、すぐにおわかりだろう。

この写真を見れば、泊まったホテルがどこなのかも、すぐにわかるはずである。

| | コメント (2)

灰皿探偵

ラジオの友は真の友。

「問わず語りの権之丞」、はじまりでございま~す。

はい、こんばんは、講談師の鬼瓦権之丞でございます。そして目の前に座っているのは、笑い屋のシゲフジ君、ということでね。

僕が出てくるということは、決まって愚痴か被害妄想を口にすることになっていまして。最近その比率が高いんですけれども。

(シゲフジ君の笑い声)

あのー、つくづく思うんですけど、俺、やっぱりSNSとか、LINEとかに向いてねえな、と。

基本、LINEは家族との連絡用にしか使ってませんしね。

つらつら考えてみると、自分が本当に気が合う友人とか、信頼している友人って、SNSとかLINEでつながってないんですよ。2,3の例外を除いて。

だいたい、本当に連絡をとりたいと思う友人と連絡をとるときは、基本、メールですしね。思い立ったときにメールするくらいですよ。ふだんはほとんど連絡をとらなかったりします。

ま、それで十分なんですよね。

先日お話ししましたが、ふとしたきっかけから、高校で同じクラスだった人たちのLINEグループに登録してしまいまして、そこで交わされる会話というか、ノリというか、社交辞令というか、それが自分にはとても苦手なものだってお話をしましたね。

その苦手意識をなんとか克服できるかな、と思ってがんばってみたのですが、やはり克服できませんでした。

(シゲフジ君の笑い声)

自分には「LINEリテラシー」がないことを思い知りました。

(シゲフジ君の笑い声)

もともとは、近々クラス会をやるからという名目で、そのグループに登録することになったのですが、結局、仕事の都合でクラス会には出席できないことになったんです。

で、「ごめんなさい。仕事の都合で今回は欠席ということにさせてください。盛会をお祈りします」とLINEのグループにメッセージを送ったんですよ。

…すると、誰からも反応がない。

(シゲフジ君の笑い声)

いやいや、正確にいえば幹事の人が気を使って「残念だね。この次はよろしくね」という返信をくれたのですが、他の人からは一切反応がない。

(シゲフジ君の笑い声)

よくわかんないけど、LINEグループって、社交辞令の場でしょ?

(シゲフジ君の笑い声)

もはや社交辞令としてすらも声をかけられないという…。

(シゲフジ君の笑い声)

ま、別にそれはそれでいいんですけどね。だったら何で俺は、このグループに呼ばれたんだろうっていう…。

(シゲフジ君の笑い声)

くり返しますけど、グループの中で「冴えない文化系」は僕だけなんですよ!

(シゲフジ君の笑い声)

それはそうと、ってなもんで、すぐあとに何枚か写真が送られてきたんです。昨年9月と11月にみんなで集まったときの写真を送りますって書いてありました。

おいおい、知らねーよ!2カ月にいっぺん集まっていたのかよ!

(シゲフジ君の笑い声)

どうやら毎回、10人くらいの仲よしの人たちが集まっているようなんですね。男女含めて。

もともとの仲よしグループに、部外者である僕が途中から入るのって、むかしっから苦手なんですよ。

「おまえ、何でここにいるの?」って言われそうな気がして…。完全な被害妄想ですけどね。

(シゲフジ君の笑い声)

で、何枚か送られてきたその写真を見ると、居酒屋の半個室みたいなところで、みんなが所狭しと楽しそうに座っているわけです。

で、僕は探偵癖がありますから、

(シゲフジ君の笑い声)

その写真を1枚1枚、くまなく観察するわけです。趣味が悪いですよね。

(シゲフジ君の笑い声)

どの写真を見ても、テーブルの上に灰皿が置いてあって、煙草の吸い殻が何本も入っているんです。

おいおい、この狭い半個室みたいなところで、煙草吸ってるやつがいるのかよ!煙草を吸わないやつも混じっているのに!

…って、僕は驚いたんですよ。

しかも何枚かあるうちの一枚は、参加者の一人がまさに煙草を吸っているときの写真なんですが、その煙草を吸っている人が、なぜか一番奥のど真ん中に座っているんです。

おいおい、煙草を吸う人間が一番奥のど真ん中に座っちゃダメだろ!

というか、煙草を吸わない他の人は誰もそのことに何とも思わなかったのか?

僕はその写真を見て、ちょっとこわくなってしまいました。

もちろん煙草を吸う自由は保証すべきだと思いますし、その居酒屋は煙草を吸っても問題ないお店なんだと思いますよ。僕の友人にも煙草を吸う人はいます。そのこと自体は責めません。

でもこっちとしては、「おいおい、こっちは副流煙を吸って死にたくないぜ」って思ってしまうわけですよ。だって自分の命にかかわることですから。

高校でたまたま同じクラスだった人たちと、自分の命と、どっちが大事かって言ったら、当然、自分の命でしょう。

それに僕は食事を美味しく食べたいと思う人間ですから、そこで少しでも煙草の煙が感じられると、すげー気持ちが萎えるわけです。

気持ちよく食事しようとしているときに、どうして他人の煙草の煙で不快にならなきゃイケないんだ?と。

周りにいた、煙草を吸わない人たちは、なんとも思わなかったんだろうか?

なんかその一点だけで、価値観の違う人たちなのかもなーと思っちゃったわけです。

高校の時の担任だった恩師は、ものすごく過激な嫌煙家でした。まだ、分煙という考え方のない時代から、分煙、ひいては禁煙の必要性をことあるごとに主張していたんです。僕もその恩師の影響を受けました。

その恩師が見たら、どう思うんだろう、と。

ちょっと悲しくなってきました。

…あれ、シゲフジ君、全然笑わなくなりましたねえ。どうしちゃったの?

ということで、ひとっつもオモシロ要素のない、本当の愚痴になってしまいましたけれども。

(シゲフジ君の笑い声)

今日も無事じゃなく終わりましたけれどもね。

今回も、被害妄想全開でしたね。誤解のないように言っておきますが、悪いのはこんなことを考える僕のほうなんです。

(シゲフジ君の笑い声)

番組ではあなたからのメッセージをお待ちしております。お相手は、鬼瓦権之丞でした。ありがとうございま~す。

| | コメント (2)

ミドリムシこわい

三吉 いいかい、人間ってのはねえ、誰でも怖いものってぇものがあるんだ。ちょうど時間をもてあましていたところだ。おもしれえ、端から怖いものを言ってみな。

八五郎 何だい藪から棒に。

三吉 いいから言ってみなってんだよ。

八五郎 よし!…お、おれは、毛虫が怖えぇ。

三吉 ほう、毛虫が怖えぇのか。じゃ、半ちゃんは何が怖えぇ?

半介 俺はオケラだ。 オケラのやつはゴミだめをほじくるってぇと出てきやがって、あれが気にくわねぇ。俺はオケラが大嫌えだ。三ちゃんは何が怖えぇ?

三吉 俺かい?俺はムカデがいやだねえ。 俺に、あんなに足が沢山あったらどうしようと考えると、むしょうに怖くなるんだ。わらじを買ったっていくらおあしがかかるか分からねぇしな。ムカデにだけはなりたくねぇ。ところで、正ちゃん、お前、さっきから黙っているけど、お前ぇの怖いものはなんだい?

正一 怖いもの?そんなものはこの俺様にはねぇ!この俺様に怖いものがあってたまるかい!

三吉 しゃくにさわる野郎だねぇどうも。怖えぇものがひとつもねぇだとよ。何かあるだろうよ!たとえば蛇なんかどうだい?

正一 へび?蛇なんか怖くねぇ。蛇なんか、俺は頭の痛いときには頭に巻いて寝るんだ。あいつは向こうで締め付けてくれるからとっても気持ちがいいんだぃ。

三吉 じゃ、トカゲとか、ヤモリなんかどうだい?

正一 トカゲ?ヤモリ?あんなもの俺はさんばいにして食っちゃうんだ。蟻なんかも、ごま塩にして食べちまうぞ。

三吉 本当にしゃくにさわるやつだな。じゃ、いいよ、虫やなんかじゃなくてもいいから、嫌いなものはねえのか?

正一 そうかい、それまで聞いてくれるかい?それなら言うよ。俺はねぇ、ミドリムシが怖いんだ!。

三吉 なに、ミドリムシ?なんだい、やっぱり虫がこわいんじゃねえか!

正一 ちがうやい!虫といったってなあ、昆虫とはワケが違うんだ!5億年以上前に誕生したミドリムシは、学名をユーグレナといって、植物と動物両方の性質を持った微細藻類なんだ。ワカメやコンブの仲間なんだぜ。 植物のように光合成を行い栄養分を体内に溜め、動物のように細胞を変形させて動くという、植物と動物両方の性質をもつ不思議な微生物なんだ!顕微鏡でしか見えないほどの小さな体に、「植物の栄養素」と「動物の栄養素」両方を備えていて、ミドリムシは人間が必要とする栄養素のほとんどをその体に秘めているんだい!…どうだ、こわいだろ!

三吉 おいおい、どうでもいいけどいきなり説明口調になったねえ。まるでステマだ。

正一 とにかく俺はねえ、情けねぇ人間なんだ。ミドリムシが怖くて、見ただけで心の臓が震えだすんだよ。そのままいるときっと死んでしまうと思うんだ。だから、ミドリムシを飲むと足がすくんでしまって歩けなくなっちまうんだ。ああ、こうやってミドリムシのことを思い出したら、もうだめだ、立っていられねぇ。そこへ寝かしておくれよ。

(長屋を出る三吉たち)

三吉 聞いたかよおい。

八五郎 聞いたぜ。ミドリムシだとよ。。

半介 なんだかわかんねえけど、あんなものが怖いとはなあ。

三吉 いいことを思いついたぜ。あいつに「飲むミドリムシ」をプレゼントしてやるってのはどうだい?

八五郎 なんだい「飲むミドリムシ」って。

三吉 実は俺も飲んでみたのよ。

半介 おまえさん、飲んでみたのかい?

三吉 ああ、死ぬほど不味かった。おまえらも飲んでみるか?

八五郎 冗談じゃねえよ。そんなもの飲めるかよ。

三吉 そうだろう。あんな不味いもの、誰が飲めるかってんだ。そんなものをプレゼントしたら、きっとあいつ、ブルブル震えだしてどうかしちゃうと思うぜ。

かくして三吉、八五郎、半介の三人は、正一が寝ているあいだに、紀伊國屋で買った「飲むミドリムシ」を、正一の枕元に置いたのでした。

三吉 おい、奥でごそごそいい出したぜ。野郎起きたんじゃねぇか?障子に穴を開けてそっと見てみようじゃねえかい。

八五郎 おい、大変だ!野郎泣きながら、「飲むミドリムシ」を飲み始めたぜ!野郎、ミドリムシが怖いってのは、嘘なんじゃぁねえか?。

(障子を開けて)

三人 おい、正ちゃんよぉ!おめえ、俺たちにミドリムシが怖いって嘘をついたな!太てぇ野郎だ。おめえ、本当は何が怖いんだい?

正一 今度は乳酸菌が怖い。

| | コメント (2)

LINEで被害妄想

1月5日(金)

ラジオの友は真の友。

「問わず語りの権之丞」、はじまりでございま~す。

はい、こんばんは、講談師の鬼瓦権之丞でございます。そして目の前に座っているのは、笑い屋のシゲフジ君、ということでね。

高校時代に同じクラスだった人からメッセージが来ましてね。

どうやら近々クラス会をするらしいんです。卒業してから30年ということでね。

僕の通っていた高校は、3年間クラス替えがないんですよ。だから、3年間同じ人たちと過ごす。

ただ僕は、部活のほうに入り浸ってましたからねえ。というかもっぱら、この番組によく出てくるコバヤシ君とばかりつるんでましたから、あんまりクラスの友だちっていないんですよ。

地学部のO君と生物部のK君くらいですかね。友人と呼べるのは。

(シゲフジ君の笑い声)

言っときますけど僕は、地学部と生物部の幽霊部員だったんです!

(シゲフジ君の笑い声)

天体観測?そんなもの行きません。もっぱら地学部の部誌に、寺田寅彦に関するエッセイを書いていました。

(シゲフジ君の笑い声)

生物部も、さして生物を観察することもなく…。でも「香川照之の昆虫すごいぜ!」を見て、久々に生物部の血が騒ぎましたね。

(シゲフジ君の笑い声)

そんなことはどうでもいいんです。ま、クラス会に誘ってくれた人からすれば、「あいつの連絡先を知っちゃってるから、連絡しないわけにはいくまい」って感じで、仕方なく僕に連絡をくれたんでしょう。

(シゲフジ君の笑い声)

そしたらその人が、

「LINEやってる?」

と聞いてきたので、

「一応やってるけど、詳しいやり方はわからない」

と答えたんです。

そしたら、グループに招待っていうんですか?同じクラスのメンバーで、連絡先のわかる人たちでLINEのグループを作っているみたいなんですね。メールとかなんだとかはめんどうだからLINEでクラス会に関する情報交換をしようっていうんでしょう。

で、いわれるがままにスマホを操作してそこに登録したんです。

そしたら次から次に、

「おお!久しぶり!」

って、あの吹き出しみたいなメッセージが来るんですけど、あまりに突然すぎて、

(ええっと、どちら様でしたっけ)

と、わからなくなる人も出てくるわけです。なにしろ30年ぶりですからね。

で、よくよくそのLINEのグループのメンバーというのを見てみると…。

僕以外、テニス部、バスケ部、サッカー部…全員体育会系の人たちなんですよ。

うちのクラス、べつに仲が悪いわけではなかったんですが、どうしても体育会系と文化部系に分かれますよね。

で、体育会系の人たちというのは、みんなイケてる人たちなんですよ。さわやかな人たちです!

それにくらべて文化部系は、というか俺は、全くイケてない。

なにしろ地学部と生物部を掛け持ちしているくらいですから。文系なのに。

(シゲフジ君の笑い声)

なので高校時代は、コンプレックスの塊だったわけです。

で、気がついたんですけど。

やっぱりイケてる人たちってのは、LINEを使いこなしているわけですよ!

(シゲフジ君の笑い声)

受け答えがサラッとしていたり、絵文字を適切に使ったりと。

それにくらべれば僕は、いまだに文中で「(笑)」なんてのを使っていますからね。

(シゲフジ君の笑い声)

イケてる人ってのは、いくつになってもイケてるんですね。

それと、LINEってのは、話題の切り上げ方がわかりませんね。

「既読スルー」ってのは、絶対やっちゃイケないんでしょ?

(シゲフジ君の笑い声)

だから、どこで話を切り上げていいのかわからない。

こちらも言葉のプロですから、むこうが何気なく聞いてきたことに対して、真剣に答えなければ、と思ってしまうんです。そうすると、しつこくなってしまうんですよ。

(シゲフジ君の笑い声)

たとえば、テニス部だったゴロウ君から、こんなメッセージが来るわけです。

「そういえば、高校時代、ゴルゴって呼ばれてたよね。何でだろ?でも久しぶりだね」

ま、ゴルゴって呼ばれていたってことくらいしか、さして印象のない人間でしたのでね。

(シゲフジ君の笑い声)

僕はこれに対して、

「不思議なことに、部活でも先輩にゴルゴって呼ばれてた。同時多発的に呼ばれていたんだろうか…。不思議なことだ」

と返すわけですね。すると、

「へ~、面白いね!誰が言い始めたんだろ~。やはり、みんなそう思っていたのかな?」

と、気を使って返してくれるわけです。

さらに僕はまじめに分析しはじめる。

「クラスではクサカリ君が言い始めたんだと思う。たぶんその言い方が面白かったので広まったのではないかと。お前、ゴルゴって言いたいだけちゃうんか、と(笑)」

ここで「(笑)」を投入ですよ!

(シゲフジ君の笑い声)

ゴロウ君も、だんだん話題に困ってきたんでしょうね。

「ゴルゴって呼ばれることはどんな感じだった?」

と聞いてきた。それに対して僕は、やはりまじめに答える。

「ちょっと恥ずかしかったね。しばらくの間、ゴルゴ13の漫画が読めなかったもの。万が一読んでいるところを見つかったらバカにされると思ったから。自意識過剰だね」

このあたりで、もうゴロウ君はギブアップしたらしい。

「なんか面白いね~。今度、そんな話を聞かせてほしいね!クラス会、ぜひお待ちしています!」

なるほど、ここで話を切り上げろってことだな、と、さすがの僕も思いましたよ。

(シゲフジ君の笑い声)

こいつとつきあってるとキリがない、と思ったんでしょうな。

(シゲフジ君の笑い声)

厄介なやつが来たってな感じで、「既読」の数も、目に見えて減っていきました。

(シゲフジ君の笑い声)

他の人からのレスポンスもまったくなく…。

(シゲフジ君の笑い声)

あ~、俺はやっぱりイケてないんだと。

(シゲフジ君の笑い声)

こんな感じでクラス会に出たら、絶対、打ちのめされて帰ってくるに決まってます。

(シゲフジ君の笑い声)

…というわけで、今回も無事じゃなく終わりましたけれどもね。

今回も被害妄想全開でしたね。

(シゲフジ君の笑い声)

番組ではあなたからのメッセージ、お待ちしております。

お相手は鬼瓦権之丞でした。ありがとうございま~す。

| | コメント (0)

もう1つのおみやげ

そういえば、昨日のオフ会で、こぶぎさんからもう1つおみやげをいただいたんだった。

「これもどうぞ」

「ありがとうございます。…これは?」

「ゆべしです」

「ゆべしですか」

こぶぎさんが、車で帰省する途中のサービスエリアで買ったもののようである。

「いいんですか?」

「ええ。4つ入っています。ご家族にもどうぞ」

家に持って帰った。

家族の1人が、あることに気がついた。

「あれ?6個入りって書いてあるけど、4つしか入っていない」

「そういえば、なんとなく袋の中がスカスカだねえ」

家族の目が、いっせいに僕の方に向いた。

「い、い、いや、食べてません食べてません」

「帰りのバスの中で、待ちきれなくなって食べちゃったとか?」

「そ、そんな…違います!」

完全に容疑者扱いである。しかし本当に僕は食べてないのだ。

「いや、これは…!」

僕は反論した。

「こぶぎさんが、おみやげを買って持ってくる途中に、耐えきれずに食べてしまったのです!きっと長時間の運転で、お腹が空いたに違いありません!」

「そんな、おみやげをくれた人のせいにするなんて…」

ますます立場が悪くなった。

この場合、こぶぎさんも僕も「よく食うタイプ」なので、どちらもありそうな話なのである。

真相はたぶん、こぶぎさんが食べたくて買ったゆべしを、お裾分けしてくれた、ということだろう。

ちなみに飲むミドリムシは、まだ飲んでいない。

| | コメント (4)

飲むミドリムシ

1月3日(水)

体調もアレな感じだし、父のこともあったので、この年末年始はひっそりと過ごそうと思っていたが、昨日、こぶぎさんからすごく久しぶりにメールが来た。

「いま帰省中なんで、オフ会をしませんか?探偵助手の小林君さんも一緒に」

こぶぎさんも探偵助手の小林君さんも、こちらに戻ってきているという。

こぶぎさんと探偵助手の小林君さんとは、たぶん2年以上も会っていないし、ありがたいことにわざわざ声をかけてくれたので、短い時間ならOKですということで、オフ会をすることにした。

ガストに入ろうとしたが、とても混んでいたので、ルノアールに入ることにした。

3人がそれぞれの近況を話したが、文字通りのオフ会なので、その内容をここに書くことはできない。

気がついたら、ルノアールで4時間も話していた。

「これ、おみやげです」とこぶぎさんは缶コーヒーのような形のものを2本、カバンから取り出した。

「何ですそれ?」

「人類の栄養問題を解決するといわれている、飲むミドリムシです」

「飲むミドリムシ?」

なんとなく聞いたことがあるが、実物を見たのは初めてである。ミドリムシを飲む、という語感から、ちょっとグロテスクなイメージである。

「これは健康にいいですから、ぜひ飲んでください」

「味はどうなんです?」

「死ぬほど不味いです」

「こぶぎさんからは、今までいろいろな不味いおみやげをいただいてますけれど…」

「今まででいちばん不味いです」

「そうですか…」

並べられた2つの缶は、微妙に内容が異なるようである。

Photo「右側のほうは、オリジナルのもので、ミドリムシが5億個入っている、純度の高いものです。いわば純水です」

「はあ」

「で、左側のほうは、乳酸菌入りで、その分、ミドリムシが少ないです。3億6000万個しか入ってません」

「ということは、不純物が混じっているということですね」

「そういうことです。ですから、こちらの方が幾分飲みやすいかも知れません。ただ、オリジナルのほうがミドリムシの数が多いですから、より健康にいいはずです」

「こぶぎさんは試してみたんですか?」

「オリジナルのほうは飲んでみて、死ぬほど不味いことはわかりましたが、乳酸菌入りのほうは、最近発売されたばかりなので、まだ飲んでいません」

うーむ。とすると、オリジナルにくらべて飲みやすいかどうかは、飲んでみないとわからないということか…。

「さあ、どっちにしますか?オリジナルにするか、乳酸菌入りにするか?」

「どうも決めかねますなあ」

本音を言えば、どちらも飲む勇気がない。

「じゃあ2つとも持って帰ってください」

「いいんですか?」

「どうぞ」

ということで、またしてもこぶぎさんから「不味いおみやげ」をいただいてしまった。

帰宅して飲もうと思ったが、ラベルをよく見ると

「冷やしてお飲みください」

と書いてある。

冷やさないと、とても飲むに堪えないものなのか?

あぶないあぶない、うっかりすぐに飲むところだった。

ここは慌てず、一晩冷やしてから飲むことにしよう。

| | コメント (2)

問わず語りの権之丞

1月2日(火)

ラジオの友は真の友。

「問わず語りの権之丞」、はじまりでございま~す。

はい、こんばんは、講談師の鬼瓦権之丞でございます。そして目の前に座っているのは、笑い屋のシゲフジ君、ということでね。

以前、この番組でも言ったんですが、ある番組の取材を受けましてね。そのオンエアが、今日、1月2日だったんですよ。

ほら、言ってたでしょう。市川なんとかという歌舞伎役者さんが司会の番組。

ご覧にになりましたか?

そう!「香川照之の昆虫すごいぜ!」

(シゲフジ君の笑い声)

いやあ、今回も香川照之さん、飛ばしまくってましたよねえ。

(シゲフジ君「…………」)

え?何ですか?私、その番組には出ていませんよ。ただたんに私が大好きな番組だってことを言いたかっただけですから。

べつに「タガメ先生」役で出ていたわけでもありませんよ。あれはラッセル・クロウさんの役ですから。

(シゲフジ君の笑い声)

香川照之さんのいとこの猿之助さんが司会の番組に出たわけですよ!

最初に取材の依頼が来たときにですね、断ろうかと思ったんですけれども、過去の放送リストを調べてみたら、猿之助さんが司会の番組だっていうじゃありませんか。

私、猿之助さんのファンなのでね。猿之助さんと同じ番組に出られるんだったら、思い出づくりに、恥を忍んで出演しようと、まあこう思ったわけです。

で、取材を受けたんですが、当然、猿之助さんには会えず、担当ディレクター1人だけに話しかけるっていう…。

(シゲフジ君の笑い声)

2時間くらいでしたかね。挨拶をするシーンとか、パソコンで画面をのぞき込むシーンとか、いろいろ撮影したんですがね。

オンエアを見てみたら、出演時間が5秒っていう…。

(シゲフジ君の大笑いの声)

あんなのね、まばたきしたら見逃しちゃいますよ!

苦労して演技したシーンが、ほとんどカットですからね。

ご覧になった方はわかると思いますけれど、50分の番組の中で、いくつかのエピソードを盛り込んでいて、どのエピソードも、だいたいはレポーターのタレントさんと専門家が絡んでいるんですが、僕だけは別撮りの取材っていう…。

(シゲフジ君の笑い声)

何が恥ずかしいって、うちの職場の広報用のTwitterで、「鬼瓦権之丞さんが1月2日のテレビ番組に出演します!」って、大々的に全世界に宣伝しちゃったんですよね。

それでいざオンエアを見たら、「え?これだけ?」って、絶対なるでしょう!

(シゲフジ君の笑い声)

僕の同僚とか同業者なんか、もう何度もテレビ出演している人がたくさんいるのに、

「お前、この程度でテレビに出演しましたって宣伝してるの?」

って、いま完全にバカにされてますよ!

(シゲフジ君の笑い声)

あと、オンエアを見て気づいたんですけどね。

「ははあ~ん。この番組の視聴者は、ほとんどが乃木坂46を目当てで見ているな。ということは、お前なんか早く引っ込めってことだろうな」

ってことと、

「ははあ~ん、さては猿之助さん、取材VTRを全く見ずに司会をしているな」

ってことがまるわかりでしたね。

もう、こんなことなら出なきゃよかったですよ!

(シゲフジ君の笑い声)

…というわけで、今回も無事じゃなく終わりましたけれどもね。

今回も最初から最後まで愚痴でしたね。

(シゲフジ君の笑い声)

番組ではあなたからのメッセージ、お待ちしております。

お相手は鬼瓦権之丞でした。ありがとうございま~す。

| | コメント (1)

最後のジェダイ、さらば反乱軍

1月1日(月)

ここ数年、元日に劇場で映画鑑賞をすることにしている。

Photo今年は「スターウォーズ 最後のジェダイ」を見ることにした。

前作の「スターウォーズ フォースの覚醒」にくらべると、なんとなく盛り上がりに欠けるなあとその理由を考えてみたら、「フォースの覚醒」の時は、ライムスター宇多丸さんのラジオ番組で、公開前からかなり煽っていたのを聴いていたからだった。

前作はベタ褒めだった宇多丸さんが、今作に対してはどうも苦言を呈しているらしいということを風のうわさで知った。

あんなに前作の時にはスターウォーズにどっぷりつかっていたのに、どうしちゃったんだろう。

映画評論家の町山智浩さんの解説で、その理由がわかった。

今作は、評価が二分しているらしい。アメリカの映画評論家たちは絶賛しているのだが、スターウォーズマニアは、酷評しているというのである。

まさに国論を二分する問題作というわけだ。

どうしてそんなことになったのか?

それは、今作が、これまでのスターウォーズの「型を破る」作品になっているからだという。

町山さんの言葉を借りれば、「これも含めて8作品の『スター・ウォーズ』を聖書と考えると、その聖書を焼き捨てろ!っていう映画」なのだそうである。

だから映画評論家には絶賛されるが、スターウォーズ信奉者には酷評されるのだそうである。

スターウォーズの世界観にどっぷりハマっていた宇多丸さんからすれば、噴飯物なのだろう。

私は、スターウォーズマニアではないので、そもそもスターウォーズの「型」というのがよくわからず、そのおかげで普通に楽しめた。というより、かなりおもしろい映画である。

ただなんとなく、既視感があるなあという感じがした。

はたと気づいたのだが、映画のなかで、映画「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」を思わせる場面が出てくるのである。

その点が少し気になった。

映画を見終わってから、宇多丸さんのラジオでの発言をチェックしてみると、脚本のずさんさやグダグダさを指摘するとともに、「いつからこんな『宇宙戦艦ヤマト』みたいな話になったの?」と言っていて、やはりあの場面を見て宇多丸さんも同じことを思ったらしい。

町山さんは、「映画の作りとして時々ぎこちないところがたしかにあるけれど、型を壊した時にはどうしてもそうなってしまうものだ」と述べているが、この発言は、脚本がずさんだという批判を念頭においた発言だろう。

たしかに、あらためて考えてみれば宇多丸さんの言うようなこともわからなくもないのだが、それでも、私には十分に楽しめたのである。

ストーリーが隙だらけであっても、それを凌ぐ映画表現を楽しもうとするか、それとも、スターウォーズの世界観に徹底的にこだわってストーリーのあらを探していくか。

どちらの立場で見るかが、この映画に対する真逆の評価を生み出しているのだと思う。

| | コメント (0)

« 2017年12月 | トップページ | 2018年2月 »