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クールス

ほんとにどーでもいい話なのだが。

インターネットのニュースを見ていたら、岩城滉一と舘ひろしが、友人の葬式に参列して、42年ぶりに和解したとあった。

ね?どーでもいい話でしょう?

二人は若い頃、なんでも「クールス」という不良バイクグループのメンバーだったらしい。

その後クールスは、ロックバンドとしてデビューすることになるそうなのだが、音楽に興味のない岩城滉一は、グループの路線をめぐって舘ひろしと対立し、俳優の道に進んだのだという。

舘ひろしもほぼ同じ頃、結局俳優の道に進むことになる。

その後も二人の気まずい関係が続いたのだと、ニュースにあった。

なんでこんなどーでもいい話に僕が食いついたのかというと、二人が若い頃に出演していた映画を見たときに、ある共通点を見いだしていたからである。

岩城滉一は、映画「人間の証明」(1978年)で、郡恭平という、大物政治家のバカ息子の役を演じていた。

これがどうしようもないダメ人間で、役が見事にはまっていた。

一方舘ひろしは、映画「野性の証明」(1978年)で、大場成明という、地元の有力者のバカ息子の役を演じていた。

これもまたどうしようもないダメ人間で、これまた役が見事にはまっていたのである。

さらに二人はどちらも、劇中で、バイクを乗り回していた。

つまり二人の若い頃は、典型的な、金持ちのボンボンのバカ息子役が似合う俳優だったのである。

むかしこの2つの映画を見た僕は、

「若い頃の岩城滉一と舘ひろしは、キャラ、かぶってるなあ」

と思ったものであった。だってほとんど同じような役だもの。

キャラがかぶってるもなにも、二人は実生活でも同じ不良グループでつるんでいたというわけだな。

二人が当時、お互いに対してどのような気持ちをもっていたのかはわからない。

おそらく、若いときにありがちな、自意識過剰というか、「俺とおまえとは違う」みたいな感情があったのだろう。

しかし大人からみれば、二人は同じ穴のムジナ。

キャスティングした大人のプロデューサーにとっては、若い二人はまったく同じタイプの人間にしか見えなかったに違いない。

なんかそのあたりがおもしろいなあと思ったのだが、結局は、どーでもいい話である。

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