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クラス会とタバコに関する考察

僕は最近になって喘息と診断されたので、タバコの煙はいちばんの天敵である。

高校時代の担任だった恩師が以前に作っていたホームページの中に、嫌煙に関するコーナーがあって、タバコに対する憎悪に満ちた、とても過激な文章を書いておられたことを思い出した。溜飲を下げるためにもう一度読んでみたいと思ったのだが、すでに閉鎖されてしまっているらしい。

高校時代に同じクラスだった人たちによるLINEグループを通じて送られてきた写真を見た私が、衝撃を受けたことは、前に書いた。

狭い個室の中で、一部の人間が平然とタバコを吸っていて、タバコを吸わない人間と一緒に所狭しと座っている。それどころか、その場にいる全員が、そのことに何の疑問も持っていないような、にこやかな集合写真なのである。

うーむ。世間一般の感覚って、そうなのか?こんなことにこだわる僕の感覚のほうがおかしいのか?

ちょっと自分の感覚に自信がなくなり、Twitterで誰かそんな感じのことをつぶやいていないか、いろいろと探してみたところ(俺もヒマだなあ)、けっこう出てきた。

「やだな…タバコ臭いクラス会やだなあ…タバコ吸うのは自由だと思うけど…臭いがほんとに苦手でな…具合悪くなるなあ…やだなあ…」

「飲み会も、親しい人ってほとんど非喫煙者だからいいけど、クラス会とかになると喫煙者がちらほらと…。だから年に一回くらいでいい…」

「禁煙なら行きますと答えて毎度欠席。だってマジであの煙こもる空間で飲食や話させられると鼻炎の具合悪くなるもんよ。数時間くらい我慢できないの?言われたけど、どうしても出席させたいなら我慢するのは喫煙側だぞー。何で具合悪くなるから行かないというのにケチつけんだ」

「例えばクラス会とか二次会とかで、隣の旧友がプカプカタバコを吸い出すとき、お店自体が禁煙だったら良いのに…と思ってしまいます。自分が幹事で予約する立場だったら良いのですが…」

「30数年ぶりに中学校のクラス会があった。当時の担任が挨拶に立ち「2年前に心筋梗塞で死にかけたが生きてみんなに会えて嬉しい」乾杯後すぐにタバコを吸いだす奴を見て本気で最低な人間だと思った。実話」

「そいや前にクラス会で小さい子供連れて来てる人たちの前でタバコ吸う人たちがいたんだけど、「少し遠慮しようよww」みたいに言ったら「ちゃんと(親に)許可もらったから大丈夫!」とか言い出してコイツらスゲーな!ガチ昭和だぜ!と思いました」

「昨日は高校の時のクラス会。今回は昼間に開催。皆も年取ってきたから、身体は楽と思う。でも、昼下がりの2次会とかの雰囲気は?そもそもやめとけばいいじゃん。それからタバコはやめて」

「クラス会のお知らせが来ていた。土日やたらと知らない番号からの着信があったのはその件か。タバコ止めてから苦痛なんだよねああいう場所。前回懲りたから多分もう行かない」

「クラス会に移行!とりあえず隣でタバコつけやがった奴に「私喘息持ちだから…」って言ってやった。嘘はついてない」

「マスクしてのど飴舐めながらタバコ吸うのっていろんな矛盾を内包した現代社会の闇みたいなところある」

いずれも全然知らない人のつぶやきだが、僕と同じことを思っている人が多いのだなあと、ひとまず安心した。

ところで不思議なのは、どうやらクラス会とタバコとは、かなり関連性が高いのではないかと思われることである。

先ほど引用したつぶやきの中に、「飲み会も、親しい人ってほとんど非喫煙者だからいいけど、クラス会とかになると喫煙者がちらほらと」というのがあったが、まさに僕の場合も、その通りなのである。

つまり一般的に、クラス会となると、同席している喫煙者が平然と煙草を吸っても許される、という雰囲気がどうもあるようなのである。

これはいったいどういうわけだろう?

まず喫煙者の気持ちを考えてみると。

高校時代の同じクラスのメンバーの集まりであるという気安さから、横でタバコを吸っても当然許されるという思いで、タバコを吸っているのだろう。

一方で、非喫煙者の気持ちを考えてみると。

クラス会といっても、参加している全員と親しいわけではない。言いたいことが言い合える友人なんて、ごくわずかで、あまり親しくない友人が横でタバコを吸っていた場合に、「ちょっとタバコやめてくれない?」とは言いにくい。

これが本当に親しい間柄だけの集まりであれば、そういうことが言い合えるわけだが、これがクラス会ということになると、もしそんなことを言い出そうものなら、雰囲気がぶちこわしになるのではないか、という思いがはたらくのである。

ちょうどこれは、セクハラやパワハラの問題と似ている。僕は、公共の場におけるタバコのマナーの問題と、セクハラの問題とは、根本のところで通底しているとみている。

それはまた別に論じるとして、ここでは次のことを指摘するにとどめたい。

それは、この問題の根底には、「同調圧力」という、高校時代以来、私たちを悩ませてきた人間関係の問題がひそんでいるということである。

映画「桐島、部活やめるってよ」を見たときに心がザワザワした、あの感じである。

高校を卒業して30年もたったいまもなお、僕たちはあの「同調圧力」の呪縛から逃れることができていないのだ。

クラス会の写真を見た僕は、そんなことを感じたのである。

もしあなたが幸運にも、同席の場での喫煙行為がまったくないというクラス会に出席できたとしたら、それは、高校時代の関係性を越えて、真の意味で大人の関係になったことを意味する。

もし不幸にも、受動喫煙に悩まされる恐れがあるクラス会に呼ばれたとしたら、非喫煙者がとるべき方法はただひとつである。

それは、クラス会をボイコットすることである。

ただボイコットするだけではダメである。

「タバコの煙が体に害を与えるので」という理由を、はっきりと述べてボイコットするのである。

物わかりのよい幹事ならば、全面禁煙のお店を予約する、という方針転換をはかってくれるだろう。

そうでない場合は、そのクラス会は自分にとってまったく必要のないものである。

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