私の母は、ごくふつうの人なのだが、やたらと知り合いが多い。
全然関係のない町を歩いていても、むかしの友人にばったり会う、なんてことがザラにある。
私はその場面を、何度も目撃した。
私の母以上に、引きの強い人を、私は知らない。
先日、実家で本の整理をしていたら、『セーヌはどっちに流れているの』というタイトルの本を見つけた。母が買った本である。
著者のKさんは、母の友人である。
あんまり詳しいことは聞いたことがないのだが、Kさんは、むかし勤めていた職場時代の、かなり親しかった友人らしい。なにしろ母は、中学時代の友人、高校時代の友人、むかしの職場の友人など、実にさまざまなレベルの友人がいるのだ。
Kさんは20代の後半に新聞記者の方と結婚し、仕事を辞めて専業主婦になった。
同じ頃、母も結婚し、その職場を辞めた。
そこから二人は別々の道を歩み始めた。
Kさんは結婚してまもなく、夫が特派員としてフランスのパリに滞在することになり、Kさんもパリに住むことになった。
パリ滞在中に、娘さんを生んだ。
出産してほどなくして、日本に帰国した。
その後、Kさんは児童文学の作家として、本を何冊か出した。
…というのが、以前私が母からなんとなく聞いた、kさんに関するお話である。
さてここからは、「第九のスズキさん」のときと同じように、親子二代にわたる物語へと展開する。
Kさんがフランス滞在中に生んだ娘さんというのが、私の高校時代の部活の、1年先輩なのである。
もちろん、これはまったくの偶然であり、部活に入部した時点では、そんな因縁があるなど、知るよしもなかった。
Kさんの娘さん、僕はその人の名前をとって「M先輩」と呼んでいたが、M先輩は、実に個性的で、センスがよくて、おもしろい先輩だった。
ちょっと独特の感性を持っていて、
(どうしてこんな個性的な人が、こんなつまらない吹奏楽団なんぞに埋もれているのだろう?もっと活躍の場はいっぱいあるだろうに)
と常々思っていた。
高校時代は、1学年違うだけで、ものすごい大人に見えたものである。それに加えて、高校時代特有の感情のようなものがはたらいたせいもあって、M先輩は、ちょっと憧れの先輩であった。
部活に入部してしばらくして、母が言った。
「おまえの1年先輩に、Kさんという人がいるでしょう」
「うん」
「むかし、職場で働いていたときに知り合った親友の娘さんなのよ」
「えええぇぇぇ!!」
このとき初めて、母とKさんの関係を知ったのである。
おそらく、何かのおりに、母とKさんがお喋りをする機会があって、そのときに判明したのだろう。
「Kさんの娘さんの名前、Mちゃんっていうでしょう?」
「うん」
「あの名前は、パリで生まれたことにちなんで付けた名前なんだってよ」
「なるほど!」
いわれてみれば、M先輩の名前は、パリを連想させるような、とても美しい名前である。
そうか。M先輩のあのセンスのよさは、パリで生まれたことに由来しているのかも知れないな。
と、高校生の僕は、そんな幼稚な仮説を立てていたのである。
ふつうならばこれは運命的な出会いとなるのだろうが、ま、そんなことにはならない。
そのときの僕は、反抗期だったこともあり、母親どうしが知り合いだということがわかると、どうもM先輩とは顔を合わせづらくなってしまった。
結局あまり話す機会もなく、M先輩は高校を卒業し、それ以来、まったく会っていない。
母からの情報では、大学の仏文科に入ったのだという。
なるほど、やはりパリで生まれたことが、大きく影響しているのだろう、と思った。
それからだいぶ経って、M先輩がフランス人と結婚し、フランスに移住したという話を聞いた。
M先輩は、その美しい名前の通り、パリに引き寄せられるように旅立っていったのだな。
ひょっとしてM先輩は、生まれた時点で、フランスで人生を過ごすことを運命づけられているのかも知れない、などと、例によって運命論が頭をもたげたのである。
…と、そんなことも長い間すっかり忘れていたのだが、実家の本の中から『セーヌはどっちを流れているの』を見つけたときに、以上のようなことを思い出したのである。
さてこの本。
書店のカバーがしてあるので、母が書店に注文して買ったものらしい。
本には、Kさんが母に宛てたハガキがはさまっていた。
本を宣伝するために作った手作りのダイレクトメールだが、余白の部分に、Kさんから母へのメッセージが書き添えてあった。
「このような本を出版しました。M(娘)が序文を書きました。1カ月来ていて、今朝フランスへ帰ったの。
この本はとても好評で、増刷になるかもしれません。
○○センター××××館5Fの本やさんで売っていて、「ベストセラーです」と店長笑っているの。
もしよければ送りますが、押しつけても悪いと思って…。読んでほしいわ」
なるほど。母は本を送ってもらわずに、自分で本を買ったということなのだろう。
このハガキを読んで、Kさんが母のことをすごく慕っていたことが、よくわかる。
本を開くと、「母の巴里ノート」と題する、M先輩の序文が載っていた。
そうか。M先輩のセンスのよさは、パリで生まれたからではなく、母親譲りだったのだな。
序文を読んで、そう感じたのである。
本の内容はといえば、1960年代後半に、フランス語もわからないままフランスで生活をはじめたKさんが、フランス語を学びつつ、いろいろな人たちの助けを得ながら、出産を経験し、次第にフランスの生活に慣れていくという、「フランス生活奮闘物語」である。それは同時に、kさん一家のファミリーヒストリーでもある。決して武勇伝として語ることはなく、日々の生活をありのままに語った心地よい内容だった。
そういえばM先輩は、いまどうしているのだろう?
こういうときに便利なのは、SNSである。
しかしこっちのことなど、すっかり忘れられているかもな、なにしろ高校卒業以来会っていないんだから。
と逡巡しながらも、なんとか探しあてて、ダメ元でダイレクトメッセージを送ってみた。
「実家の本を整理していたら『セーヌはどっちに流れているの』を見つけて、懐かしくなりました」
するとほどなくして、返事が来た。
「鬼瓦君、ごぶさたです!元気ですか?
思い出してくれて、嬉しいです。お母さま、セーヌを持っていらっしゃるんですねえ。ファミリーネタで、恥ずかしいです。
フランスはRという田舎にいるので、もし、パリに遊びに来たら、呼んでください」
R?初めて聞く地名である。おそらくフランスの地方都市なのだろう。
パリに遊びに来たら声をかけてくださいなんて気軽に言ってるけども、パリに行く機会なんて、そうそうないだろうな…。
しかしフランスに知り合いがいるというだけで、何となく心が豊かになる。
いや、知り合いというより、親戚のお姉ちゃん、という感覚に近い。
もう30年も会っていないのに、不思議な感覚である。
やはり母の代からの、因縁なのだろうか。
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