同窓会なしよ
前回の記事は、おでん屋さんの店名を当てるクイズだったのだが、さすがにヒントが少ないためか、答えられないようだ。
ヒントは「ごぼう」。
そんなことはともかく。
2月16日(金)
かなりしんどかったが、2つの会議を乗り切る。
仕事のあと、今日も卒業生2人をまじえて食事をした。
稀にあることなのだが、卒業生と会っているタイミングで、別の卒業生から、久しぶりに連絡が来ることがある。
少しスピリチュアルなことをいえば、卒業生が卒業生を呼ぶ、ということなのだろうか。
この日も、T君とSさんをまじえて食事をしていると、携帯にメールが入った。
東北地方で教員をしているH君からである。私が、前の職場に着任した2年目に受け持った学生。H君は、T君やSさんから見れば、はるか上の先輩にあたる。
「お久しぶりです。
突然ですが、明日の夜はすでに御予定が入っていますよね?
明日、公開授業を見に首都圏に出向くのですが、もし、先生と時間が合えば、東京で一緒にビールを飲めたらなと勝手に考えておりました。
御予定があるのを承知の上で、連絡をさせていただきました」
H君からは、何年かにいちど、こんな感じのメールが来る。
ふと、僕と話をしたい、と思い立つのだろう。思い立ったときに、彼はメールをするのである。
何年か前、やはりそんな感じで彼がメールをしてきて、たまたま時間があったので、一緒にビールを飲みながら話をしたことがあった。
H君はそのときに、自分の抱えている悩みを率直に私に話した。
今回もそんな感じで話がしたいと思ったのだろうが、残念ながら、予定が合わなかった。
(もっと早めに連絡くれよ…)
と思うのだが、彼にとっては思い立ったときに連絡をして、運がよければ会う、というくらいが、ちょうどよいと思っているのかも知れない。
僕自身を振り返ってみると、ふと思い立って、先生に連絡をして、一緒にビールを飲もうなどと、考えたことはない。
どちらかといえば、できるだけ会いたくない存在である。
ふつう、大学時代の先生なんて、会いたくない存在だよな。
してみれば、僕は「先生」らしくない存在、ということか。
最近、自分の教え子たちを集めた同窓会がしたい、と思うようになった。
代々の卒業生が一堂に会するという同窓会を夢想したのである。
卒業生たちにとっても、人脈が広がるいい機会なのではないか。
こっちも卒業生たちと効率よく会えるし。
そんなことを考えたのである。
しかし、自分に置き換えて考えてみると、ちょっとそれは勘弁してほしい、と思うかも知れない。
同窓会の場では、自分以外の人たちがすべて「リア充」に思えて、落ち込むばかりなのではないか、と。
現に僕自身、高校のクラス会に行きたくないので行ってないし。
そう考えると、よかれと思って同窓会を企画することが、卒業生たちに苦痛を与える可能性がある。
やはり、思い立ったときに連絡をして、運がよければ会う、というくらいが、ちょうどよいのかも知れない。
その方が、じっくりと話を聞ける。
そもそも効率よく会うなんて考え方は、僕の主義に反する。非効率であることを大事にしてきたではないか。
そしてそういうことを好む学生たちが、僕のまわりに集まってきたのだ。
この2日間、卒業生たちとじっくりと話をしてきて、そのことを思い出させてくれたのである。
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