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人は軽率に出会ったりしてはいけない

久々に私に訪れた大林宣彦ブームは、まだ続いている。

立川談志『観なきゃよかった 立川談志映画時評』(アスペクト、2015年)に、立川談志と大林宣彦の対談が掲載されている。2002年4月におけるラジオ番組での対談を文字化したもののようである。

とくに冒頭の会話がしびれるねえ。

「談志 番組をやっていることのプラスのひとつにね、今日のようなことがある。普段は会えない人に、番組という場において、会うことが出来るでしょう。つまり、大林監督に久しぶりに会えたといううれしさ。

大林 ぼくたちはね、間に仕事がなきゃ古い友達なんだよ、きっと。でも、本当の友達っていうのは、みだりに会えないものなんだよね。本当に大事なときにしか会えないんだよ。ということはね、ひょっとすると生涯、会わない方がよいもの。みだりに会うと下品になるからね(笑)。だから仕事ということにしてようやく会うのね。われわれにとって、仕事っていうのは友情の場なんだよ。生きてりゃ、こうして会えるもんなぁ。

談志 いいねえ。」

「みだりに会うと下品になるからね」という表現が、なんともよい。

『大林宣彦の体験的仕事論』(PHP新書、2015年)でも同様のことを述べている。パーティーに誘われても、「はいはい」と出かけるのが嫌なんです、という言葉に続けて、

「人はみだりに出会ってはならない」というフィロソフィーを僕は持っているから。人と人とにはやっぱり、出会うという旬がある。映画もみだりに作っちゃいかんし、人もみだりに出会っちゃいけない。みだりに会うと下品になるからね。」

と述べている。

「人に出会うのにも旬がある」というのも、よい。

そういえば、大林監督のカルト的映画として知られる「麗猫伝説」(1983年)の中に、

「人は軽率に、出会ったりしてはいけない」(峰岸徹)

という台詞がある。

これまたカルト的映画として知られる「日本殉情伝 おかしなふたり ものくるほしきひとびとの群」(1986年)にも、

「人はむやみに出会うもんじゃない」(三浦友和)

という台詞がある。

大林映画にたびたび出てくる台詞なのだが(といっても、どちらもカルト的映画なので観たことのある人はいないと思うのだが)、これは、監督自身のフィロソフィーだったんだな。

1983年の映画にこの台詞が登場するということは、監督が少なくとも45歳の時点で、この境地に達していたことがわかる。

僕はアラフィフといわれるこの年齢になって、ようやくこの境地がわかるようになってきた。

「人は軽率に出会ったりしてはいけない」

「みだりに会うと下品になるからね」

と考えるだけで、ずいぶんと心が軽くなるような気がするのだ。

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