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桜の季節

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これは、僕の実家の近くにあるお寺の枝垂桜だ。

このお寺の山門が、僕の「前の前の勤務地」出身の著名な建築家による設計であることを、ずいぶん後になって知った。

なんのゆかりもないと思われた、僕の実家の町と、「前の前の勤務地」が、こんなところでつながっているとは思わず、それ以来、つとめてこのお寺の桜を見に行くようにしていた。

3月25日(日)に、運よく訪れることができ、満開の桜を目の当たりにした。

今年の桜は、満開になる時期が例年よりも早いのだ。

しかも天気がよかったこともあり、余計に桜が美しく見える。

今年の桜が美しいのは、冬がとりわけ寒かったからではないか、とも思う。

この桜を見た日の翌日、僕は娘を授かった。

熟考の末、桜の季節にふさわしい名前をつけた(といっても、僕がいくら寅さんファンだからといって、「さくら」と名付けたわけではない)。

昨年の秋には父の死を看取り、今年の春には新しい生命の誕生に立ち会った。

自分自身についていえば、昨年の夏に大病を患い、今までにない体験をした。

去年の夏から始まり、この半年ほど生・病・死について考えたことはない。

ある後輩からのメールに、

「伺う限りこの1年はこれでもかと言うくらいのイベントが詰め込まれた年だったようですね。死と生…両極端な出来事ですが繋がり合うこの二つの事柄を短い時間で迎えたと言うことは何かあるのでしょう」

とあった。まさにその通りである。

ひとつ欲を言えば、父に初孫の顔を見せたかった。

昨年11月、父が入院し、もう父の命も時間の問題だと言われていたときのことである。

病室を出た廊下のところで、母が僕に言った。

「あんたが来ていないときにね、お父さんとこんな話をしたのよ。

『俺、あと3カ月くらい生きられるよな』

『大丈夫よ。生きられるわよ。でもどうして?』

『そうしたら、孫の顔を見ることができるよな』

『きっと見られるわよ』

ってね。お父さん、やっぱり喜んでいたのよ。あんたには何も言わないけれど」

3カ月生きたとしても、予定日はまだ先なのだ。

でも父の中では、あと3カ月生きられれば、孫の顔を見ることができる、と信じて疑わなかったのだろう。

生まれてきた娘は、あくびをしたり、眉間にしわを寄せた時の表情が、僕の父にそっくりである。

「人は常に誰かの代わりに生まれ、誰かの代わりに死んでゆく」

という、大林宣彦監督の映画「野のなななのか」の冒頭のフレーズを思い出した。

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