真の友
前にも書いたかもしれないが、立川談志師匠と大林宣彦監督は、親友だったという。
ふたりの語り口はまるで正反対なだけに、この関係は不思議である。
「談志さんとは滅多に会わない。敢て会わない。でも二人は「親友」だ。真の友は濫りに会う可きではない、と互いに考えている。だからこそ会った時には大切なことだけを語り合う」(大林宣彦『五風十雨日記 日日世は好日 巻1』(たちばな出版、2002年)
真の友とはなるべく多くの時間を共有すべきだ、と少し前までは思っていたのだが、最近は、この「真の友は濫りに会うべきではない」という言葉が気に入っている。
そういう目で周りを見渡すと、なるほど、と思われる事象がある。
高校時代に同じクラスだった人たちが、30年経ったいま、頻繁に集まって飲み会をしているらしい。
僕もそのLINEグループに入れてもらっていて、飲み会の誘いが2,3カ月に1度くらい来るのだが、残念なことに、僕は都合がつかない。
LINE上でのやりとりを見ていると、最初は、かなり多くの人たちが集まって盛り上がっていたようなのだが、次第に、飲み会に参加する人が減ってきているようである。
これが、10年に1度といった会であれば、何が何でも都合をつけよう、という気になるのかも知れないが、2,3カ月に1度だと、何が何でも都合をつけよう、という感覚はなくなり、ちょっと今回は勘弁、次の機会に、ということになるのである。つまり、次第に「そのていど」の集まりにすぎなくなってしまうのである。
なるほどここで、「真の友は濫りに会う可きではない。だからこそ会った時には大切なことだけを語り合う」という教訓が生きてくるわけである。
残りの人生は、できればそんなふうに過ごしたい。
「真の友」と仕事の相手として会えるならば、なおよい。
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