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映画的体験・その3

5月8日(火)

「やあ、待たせてしまって申し訳ない」

ゆっくりとした足取りで、大林監督がいらっしゃった。

まず、「編者のOさん」が監督と握手。

「今日はよろしくお願いいたします」

「Oちゃん、久しぶりだね」

続いて私が監督と握手。

「よ、よろしくお願いいたします」

「はい、よろしく」

最後に「出版社のOさん」が監督と握手。

「○○出版社のOと申します。本日はよろしくお願いいたします」

「はい、よろしく」

…とここで、しまった!と思った。

緊張していて、俺は自分の名前を名乗るのを忘れてしまった!

「編者のOさん」はすでに監督とは面識があるし、「出版社のOさん」は、今回の本の企画者と認識されている。

では、いったい俺は何者だ?

もちろん、事務所のスタッフの方には、あらかじめインタビュアーの一人である私の素性を連絡してあるし、さきほどスタッフの方にお会いした時に名刺を渡してある。だがそれが、監督にどれほど伝えられているか、わからない。

監督からしたら、僕のことを何者かわからないままお話になっている可能性があるのだ。

それでも、自己紹介とか、本の企画の説明をしてから、インタビューを始めるのかな、とのんきに構えていたら、いきなり監督のお話しが始まってしまった。

ほらよく、自分が昔から大ファンだった人を目の前にしたら何も喋れなくなるものだ、なんて言うことがあるでしょう。

あれ、嘘だろう、と思っていたのよ。だって、大ファンだった人に会ったら、自分が如何に大ファンだったかを伝えたいし、聞きたいこともいろいろあるし。

…と思って、自分がいざ、大ファンだった人を前にしたら…。

ぜんっぜん喋れねえ!!!

ひとっことも喋れねえ!!!

インタビュアーであるはずの「編者のOさん」も私も、まったく言葉を発することができなかったのである!

あらかじめ用意していた4つの質問事項なんぞ、もはやまったく関係ない。

ただひたすら、監督のお話をうなずきながら聞くよりほかなかったのである。

監督にお会いしたら、こんなことを聞いてみようとか、こんなことを話してみようといったシュミレーションは、すべて無に帰したのである。これは私だけでなく、「編者のOさん」も、まったく同じだった。

質問ができなかったのは、ただたんに大ファンの監督の前で舞い上がったから、という理由ばかりではない。

監督のお話しが実に興味深く、よどみなく、感動的なのだ。

我々がヘタに口を挟む余地など、どこにもない。

これは、後になって「編者のOさん」や「出版社のOさん」とも話したことなのだが、3人が3人とも、

(これは、こちらからヘタに質問するよりも、監督に存分にお話しいただいて、それを真剣に聞くことに徹するべきだろう)

と、このとき思っていたのである。

監督のお話は、「敗戦少年」としての思いや映画史と戦争の関係、交友録など、実に多岐にわたった。

登場人物は、手塚治虫、黒澤明、立川談志、小津安二郎、高畑勲、岡本喜八、阿久悠…。その一つ一つのエピソードが、すごいものばかりである。

その語り口は、まるで監督の映画を見ているようである。

とにかく僕たち3人は、その語りに、圧倒され続けた。

「…そろそろ、こんなところでいいかな」

監督が、そうおっしゃった。

「貴重なお話しを、ありがとうございます。では、録音を止めます」と「出版社のOさん」。

録音を止めたOさんが、隣にいた私に耳打ちした。

「ぴったり、3時間ですよ」

3時間も経っていたのか!時計をまったく見ていなかったので、わからなかった。

「まさに映画的時間ですね」

と、今度は私が「出版社のOさん」に耳打ちした。

しかし、ここで終わらない。

実はそのあと、1時間ほど、お話しは続いたのである。

いったん録音を止めた「出版社のOさん」は、慌てて録音を再開した。

監督は、お茶も飲まず、お茶菓子も口にせず、4時間ぶっ通しでお話しをされたのである。

もちろん、私たちも飲まず食わずである。というより、ひと言も漏らさず聞くためには、お茶なんぞ飲んでいられない。

「最後に写真を撮りましょう」

席から立ち上がり、監督と一緒に写真を撮った。

それは僕にとって、かけがえのない宝物になるものだが、実はもう一つ、どうしても監督にお願いしたいことがあった。僕は意を決して、あることを監督にお願いすることにした。

(つづく)

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