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スミス都へ行く

まったく赤ん坊というのは予測のつかない生き物ゆえ、なかなかまとまった時間がとれない。

が、ようやく、以前から見たいと思っていた映画「スミス都へ行く」(フランク・キャンプラ監督、ジェームス・スチュアート主演)を見た。

急死した上院議員の空席を埋めるために、一人の男が担ぎ出される。

担ぎ出したのは、利権にまみれた上院議員たちである。彼らが目論んでいるダム建設に賛成する「イエスマン」の議員として、田舎者のジェフ・スミスに白羽の矢を立てた。

利権にまみれた上院議員たちは、スミスが「田舎のボンクラ」ゆえに、何も考えずにダム建設を支持してくれるだろうと踏んだのである。

かくして田舎者のスミスは、上院議員としてアメリカの都・ワシントンの土を踏んだ。

田舎者の青年が上院議員になったとのことで、マスコミは彼を面白おかしく書き立てる。これに対して理想に燃えるスミスは、ある法案を提出しようと思い立つ。それは、国立のキャンプ場を作るという法案である。

スミスは田舎の「少年団」の団長として、子どもたちに絶大な人気を誇っていた。自然を愛し、動物を愛し、子どもを愛する純朴な若者である。ワシントンやリンカーンなど、アメリカの建国の父を尊敬し、アメリカの建国の理念を体現することを自らの信条としていた。

彼の夢は自分の故郷に国立のキャンプ場を作ることだった。都会の子どもたちに自然の美しさや大切さを学んでほしい、さらには、アメリカの建国の理念を学んでほしいという願いからである。

ところが彼の故郷には、ダム建設の話が進んでいたのである。その話を進めていたのが、スミスを担ぎ出した上院議員たちであった。

そのことを知ったスミスは、利権にまみれた議員たちの汚職を告発するために、議会において孤独で愚直な戦いを試みる。

これに対し、ダム建設を進める議員たちは、圧倒的な金と権力と数の力でスミスに対する徹底的な「印象操作」を行う。

彼らは、マスコミを統制し、スミスを悪人に仕立てあげたのだ。

この、権力者がマスコミを統制して印象操作を企てるくだりは、まさにいま、この国で起こっていることとそっくり同じではないか!

映画では、スミスに対する抗議の投書を組織的に行わせ、あたかも世論がスミスを糾弾しているように思わせるという手法をとっている。

これは、いまこの国の権力者たちが、ネットの工作員を雇って、SNSなどを使って印象操作を行わせていることと、何ら変わらない。

この映画は、権力者による印象操作をかなり誇張して描写しているのだが、いまのこの国の現実は、それ以上である。現実が映画を越えてしまっているのである。

いまこそ、この映画を見るべきである。

この映画を見て、「カリカチュアされているなあ」という印象をもったとしたら、いまのこの国の現実がそれ以上であることに、思いをいたすべきである。

さて、この映画は1939年に公開された。

1939年といえば、アメリカの映画史にとって記念すべき年である。

「駅馬車」「風と共に去りぬ」「チップス先生さようなら」「オズの魔法使」など、後世に名画として語り継がれる映画が数多く公開された、豊作の年なのである。

アメリカ映画が、最も勢いのあった年に作られた映画なのだ。

それからもう一つ。

「スミス都へ行く」が公開されてから50年後の1989年、日本で、ある連続テレビドラマが放送された。

「ラッキー天使都へ行く」(フジテレビ)である!

北海道の原野で育ち、動物と会話ができる主人公(斉藤由貴)が、父の遺言で東京に姉(小林聡美)が居ると知り、アライグマのラッキーとともに上京する。彼女は姉の家に居候することになるのだが、ある大企業の社長(宇都宮隆)が彼女に目をつけ、北海道に一大リゾートランドを建設する候補地として、彼女が所有する土地を買収しようと動き始める…。

…という内容で、僕も大学生の時にリアルタイムで見ていたドラマなのだが、放送当時はとても地味なドラマで、このドラマを見ていたのは、斉藤由貴ファンか、小林聡美ファンか、宇都宮隆ファンくらいなものだったろう。

おそらく諸事情により、再放送やソフト化もされないものと思われる。

しかし、30年経って、ようやくわかった。

このドラマの元ネタは、「スミス都へ行く」だったのだ!

当時あのドラマを見て、この元ネタが「スミス都へ行く」だと気づいた人は、どれくらいいたのだろう?

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