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2018年6月

ミルク作戦第一号

いま、私の頭を悩ませているのは、例の「ミルク問題」である。

もうすぐ3カ月になろうとする娘が、ここ最近、哺乳瓶からミルクを飲むことをひどく拒絶するようになった。

母乳にすっかり慣れてしまったために、ミルクを飲むのを嫌がるようになったらしいのである。

だが、それでは、母親不在のときに母乳に代わるミルクを与えることができなくなってしまう。

そんなわけで、ミルクを飲ませるにはどうしたらいいか、ここ数日、試行錯誤が続いている。

粉ミルクの銘柄を変えてみたり、哺乳瓶の先端部を付け替えてみたり、さらには哺乳瓶自体を変えてみたりしたのだが、いずれもうまくいかない。

しかし、ある保育士さんから聞いた方法が功を奏した。

それは、抱っこして歩きながら、哺乳瓶を口にくわえさせるという方法である。

妻が試してみたところ、これがうまくいったのである。

順を追って説明しよう。

お腹がすいて、ぐずり出す。あるいは泣き出したりすることもある。

そのときは抱っこをして、少し部屋の中を歩き回りながら、あやしていく。

そうすると、だんだん心地よくなってくるのか、うつらうつらとしてくる。

この「うつらうつら」している瞬間を見はからって、哺乳瓶の乳首を口の中に入れるのである。

そうすると、あら不思議、チュパチュパと吸い出した。

つまり、意識がうつらうつらしている状態でミルクを飲ませると、すんなりと受け入れるのである。

我に返るとまた泣き出してしまうので、うつらうつらしている状態をキープしなければならない。

逆に熟睡してしまうと、やはりミルクを全然飲まなくなるので、熟睡させてはならない。

あくまでも、うつらうつらしている状態をキープすることが大切なのである。

しかし、これがなかなか大変である。

まず、ぐずり出した娘を抱き上げ、歩き回りながら、うつらうつらするのを待つ。このタイミングを間違えて、うつらうつらする前にうっかり哺乳瓶を口にくわえさせようとすると、大泣きして元の木阿弥になってしまう。この時点で私は、心が折れてしまうのだ。

うつらうつらしたところを見はからって、左手で娘を抱きかかえたまま、用意した哺乳瓶を右手に持ち、口に近づける。角度を間違えると、我に返って大泣きされてしまうので、慎重に口に持っていく。

さらにこのとき、あらかじめミルクをちょうどよい温度に作っておかなければならないので、ミルクを作るタイミングと、うつらうつらするタイミングがうまく呼応しなければならない。このへんの塩梅が難しい。

「相撲の立ち会い」がごとく、「その瞬間」を見はからって、意を決して哺乳瓶の乳首を口に入れる。

口がもぐもぐ動き出した!飲み始めたぞ!

しかし、うつらうつらしているため、どうしても口の動きが止まりがちである。

引き続き飲ませるにはどうしたらいいか。

これは、歩き続けるしかないのである。

つまり、左手で娘をかかえ、右手に哺乳瓶を持ち、歩き回りながら、ミルクを与えるのである。

それでも口の動きが止まることがある。

試みに、歩くステップを変えてみた。そう、たとえば、フォークダンスを踊るようなステップである。

すると、ゴクゴクゴク、と再び口が動き出したではないか!

そういえば、この「ミルク問題」の解決策をインターネットのQ&Aサイトで調べてみたときに、

「ワルツのステップを踏みながら哺乳瓶を口にくわえさせると、ミルクを飲むようになりました。嘘みたいな話ですが、本当です」

という回答があって、半信半疑だったのだが、まんざらこれは嘘ではないようだ。

今日はこの方法で3回ほど挑戦して、途中苦戦したが、なんとか飲んでもらえるようになった。

ただ、この方法には、一つ大きな問題がある。

それは、大汗っかきの私がこの方法でミルクを与えていると、終わる頃には滝のような汗が出て、親子共々ずぶ濡れになる、ということである。

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映画の学校

まだ、風邪が治らない。一日何もできずに終わる。

先日、2013年3月に卒業した教え子たちが家に遊びに来たという話は書いた。そのときに、映画談義に花を咲かせたのである。

なかなか、映画談義に花を咲かせる、などという機会はない。

例えば、高校時代の友人と、映画談義をする、といったこともない。たとえば飲み会などで、私が映画の話をしはじめたら、興ざめだと思われてしまうだろう。

あの、高校時代の友人・元福岡のコバヤシですら、「おまえのブログ、映画の話になると読み飛ばすぞ」というのである。

まあコバヤシの場合は、映画の話なんぞしなくても話題はいくらでもあるのだが、そうでない連中とは、話してもあんまり楽しくない、ということになりかねない。

そんな中で、先日の3人は、貴重な存在なのである。

3人は、大学時代に映画をよく見たそうである。その中のOさんが、

「大学時代に、授業で『スミス都へ行く』という映画を見て、それがすごく印象に残っているんですよ」という。

私はそれを聞いてびっくりした。つい最近、私もその映画を見たからである。

「その映画、大学の授業で見たの?」

「ええ」

「前の職場」もなかなか捨てたもんじゃない。

「その映画、同僚だったA先生に勧められて、つい最近見てみたんだ。」

「A先生もお好きな映画だったんですね」

私は、見ていない二人に、浜村淳よろしく、映画の説明をした。

「まるで今のこの国の政治状況と変わらないだろう」

「そうですね」

「でも、見ると勇気が出る映画だよ」

「なるほど」

CさんはCさんで、「ラストエンペラー」と「アマデウス」の話をした。

この二つは、私が10代のころに見た映画である。両方とも鮮烈な印象を残した映画であった。

Cさんは、二つの映画の細かい場面に注目し、その場面が、どういう意味を持つかを熱心に説明した。その話を聞いて、久しぶりに見てみたい、と思ったほどである。

N君とは、「スターウォーズ」の話で盛り上がった。逆にCさんは、「スターウォーズは一作も見たことがない」という。そう、誰にでも、映画の得意・不得意分野があるのだ。

それから数日経って、Cさんから連絡が来た。「スミス都へ行く」を見た、というのである。

「最初はベタな人間ドラマだなーと思いながら見ていましたが、最後の演説に引き込まれました。この作品が出来て80年経っているのに政治の根本は何も変わらないんだなあと思いました。スミスの演説をニヤニヤしながら見守る議長が素敵でした~!」

「なんか小学生の作文みたいな文章ですね」と謙遜していたが、そんなことはない。映画の感想を的確に表しているではないか。

私は返信に「あの議長、いいでしょう!1940~50年代のハリウッド映画はアメリカの良心や正義がストレートに描かれているようです。「山河遥かなり」には泣きました。名作です」

と書いた。すると、

「では次は「山河遥かなり」を見てみます」

と返信が来た。

そう、このやりとりはまさしく、淀川長治さんのいう「映画の学校」ではないか!

さて、その次は「紳士協定」をすすめようか、「オール・ザ・キングスメン」をすすめようか。

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イクメンノイローゼ

数日前から、風邪を引いた。

のどが痛くなり、熱が出て、全身がだるい。

気候の変化のせいだと思うが、原因はどうもそれだけではない。

先日、久しぶりに哺乳瓶を使ってミルクを与えようとしたところ、娘がひどく泣きわめき、ミルクを飲むことを拒否したのである。

ここ1カ月ほど、母乳のみでミルクを与えなかったこともあり、いつのまにか、ミルクを飲むのを嫌がるようになったらしい。

哺乳瓶を口にくわえさせようとすると、「この世の終わり」であるかのように、ものすごい形相で泣き出すのである。

これはいったいどういうことか?

試しに義妹が哺乳瓶を口にくわえさせると、チュパチュパと飲んだというのである。

うーむ。やはり俺に原因があるのか?

今度は実家の母にお願いすると、哺乳瓶を激しく拒絶して、大泣きした。

いったん大泣きすると、そのあとの修復までに、かなり時間がかかる。

だから、何度も試みるのは、気が引けるのである。

つい1カ月ほど前までは、ふつうに飲んでいたミルクが、なぜ飲まなくなるのか?

インターネットで調べてみると、生後3カ月くらいになると、そういうケースがよくあるらしく、同じように悩んでいる人たちがいることを知った。

しかし、具体的な解決策はないようである。

試みに、いろいろな人に相談してみたのだが、

「ミルクをあげるだけがお父さんの役割ではありませんから、気にする必要はありません。他のところでお父さんの役割を果たしましょう」

とか、

「母乳を飲んでいるのだから、ミルクを飲まなくても心配ありませんよ」

とか、まことに頓珍漢な答えしか返ってこない。

母親が不在のときには、ミルクに頼らざるを得ないのである。別に「お父さんの役割」云々の話ではない。母乳が近くにないときに、ハンストを起こされてはたまらないから、ミルクを飲むことに慣れさせなければいけないのである。それができないことを、気に病んでいるのだ。

間もなく3カ月になろうとする時期には、母乳とミルクの違いがわかるようになり、母乳が好きな赤ちゃんはミルクを拒絶するようになる、というのは、よくある話のようだ。その意味で、「赤ちゃんはママがいいに決まっている」のだ。これは私の、敗北である。

そんなことをうじうじと悩み、体が弱ったのだろう。

しかしそんな結論は、なんの解決にもならないので、どのようにしたらミルクを飲んでくれるのか、少しずつ試行錯誤している段階である。

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青い虫

1年10カ月めの贈り物

4度目の正直

詰めがあまい学年

送別会ではなく、壮行会

卒業旅行に合流する

コインロッカーが封鎖された日

ディスる

2013年3月に卒業したCさん、N君、Oさんが、生まれた娘を見に、わが家にやってきた。

この3人とは、なんだかんだで、2年に1回くらい再会している。

久しぶりに会っても、昨日の続きのように話ができるところがよい。

とくに3人は映画好きなので、映画談義に花を咲かせた。この世代で、映画の話で盛り上がれるというのは、貴重である。

3人については、上の記事にあるように、たびたびこのブログに登場する。

3人のキャラクターは、在学中の頃から、まったく変わっていない。

Oさんもまた、相変わらずである。

「先生に会ったら、絶対に言おうと思っていたことがあったんです」

「何?」

「どんな赤ちゃんでも、眠りにつくことができる音楽…、音楽っていうか、動画かなあ、…っていうのがあるんですよ」

「へえ、聞きたいね。それはどんなもの?」

「たしか、青い虫が出てくる動画なんですけど…」

「青い虫…?」

そこから、とたんに話がボンヤリとしてくる。

「すごい有名な音楽、…いや、動画だったかなあ、なんですけど、青い虫が出てくるやつで…」

「なんだよ。青い虫しか情報がないじゃないの」

「よく確信を持ってその話題を出したなあ」とN君。たしかにOさんは、「私、知ってます!」みたいな得意げな表情でこの話題を出したのだ。

「いや、有名なんですよ。青い虫…。ちょっと待ってください。いまスマホで調べますから」

そういうと、Oさんはスマホを取り出して、検索を始めた。

しばらくの時間、Oさんは画面をスクロールしているが、なかなかその動画が見つからないようである。

「見つからないなあ」

「『青い』もしくは『虫』が勘違いなんじゃないの?だから検索に引っかからないんだよ」とN君。

「そんなことはないよ。絶対『青い虫』だよ!」

さらに画面をスクロールしていく。

「すみません。わかりませんでした」

「確信を持ってから言えよ!」

「気になるなあ」

結局、もやもやしたままこの話題は終わった。「赤ちゃんがよく眠れる青い虫の動画」とは、いったい何だったんだろう?

「詰めがあまい学年」は健在である。

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博多の夜

鬼瓦殿

こんばんは。高校時代の友人・元福岡のコバヤシです。福岡滞在中です。

今日は仕事のゴルフでヘトヘトになった後、福岡に住んでいた頃たまに行っていた家族経営の和食屋に行って死ぬほど食べさせられた後、中洲の行きつけだったバーに行きました。

バーはいつもより混んでいて、マスターに挨拶しつつ席に着いたのですが、暫くすると他のお客さんと入れ替わりで、四人ですが入れますか?と、渋い感じの少しお歳を召した紳士が2人、若い女性連れで入って来ました。

バーのカウンターは席が少ないので、マスターから詰めて貰っても良いですか、と言われたので席を詰めたのですが、4人の団体で来られると煩そうでちょっといやだなぁと最初は思っていました。

私の横に座った上品な感じの紳士が、申し訳ありませんね、と非常にスマートな感じで言ってくれたので、いやまあ大丈夫ですなどと返して、耳に入ってくるその人達の話を聞くともなく聞いていたのですが、私の横に座った方とは別の紳士が、非常によく通る渋い声で、私の横の紳士に対して、兄さん兄さんと話かけます。最初は、博多のお金持ちの兄弟が久しぶりに会ってバーに来たのだろうぐらいに思っていたのですが、その兄さんと呼ばれる方はもう一人の紳士に対して、善次郎さん(だったと思う)だったか二座衛門さんだったかと、およそ普通の人とは思えない名前で呼びます。

暫くつい聞き耳を立てて聞いていると、名古屋の公演では若い子達がどうだこうだとか、この間の京都公演はどうのこうのという話になって来ました。そこで、ちょっと待てよ、今は博多は六月の歌舞伎公演の時期だと思い当たったのですが、横の紳士は、自分は役が嫌で15まで公演には出なかったとか、自分は昭和17年生まれでもう77だけど、誰誰も同級生だったっけとか、60年前ぐらいには先斗町の女の子のところに通ったもんだとか、だんだん凄い話になってきます。

そのうち連れの女の子が与一さんはどうだこうだと、私の横の紳士に話かけます。与一さんてどっかで聞いたなあなどと思っていたら、その女性達がせっかくだから記念写真を撮りたいのだけどとマスターにお願いしています。マスターは快く引き受け、我々の方から四人連れの写真を撮ったので、まじまじと私の横の紳士の顔を見たのですが、77とは思えない上品な顔立ちで、昔はさぞやカッコ良かったんだろうなあと思わせる風貌です。そういえば話の中に、松竹との契約更新が毎年あるだのと言っていたのを思い出し、そこで初めて、そうか、この人はもしかしたら林与一ではないか、と思い当たりました。

その後、与一さんは最近、孫やお弟子さんに連絡を取る時にラインとか使うんだけど、なかなかこういうのには慣れなくて大変なんですよ、などと私の方を見てたまたま話してくれたので、私も、いや〜スマホとか私も全然使いこなせませんよ、などと少し言葉を交わさせていただきました。

暫くして、与一さんはスマートにお会計を済ませ、我々に対してまた、お騒がせして申し訳ありませんでした、と言って去って行きました。

与一さん御一行が帰った後、店に残った私ともう一人のお客さんとマスターは、やはり往年の大スターは周りへの気遣いもスマートだし、歳をとっても美男子だなあなどと、少し盛り上がった次第です。

ということで、林与一とたまたま博多のバーで隣り合ったという話でした。

どうも夜分失礼しました。

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映画の推薦コメントを依頼される

あるドキュメンタリー映画に、コメントを寄せてほしい、という依頼が来た。

若き新人映画監督の第一回作品なのだが、その監督とは、ある本の企画で知り合い、以前に書いた大林宣彦監督のインタビューでご一緒した方である。

「今度、この映画に関するホームページを立ち上げますので、ぜひ、コメントをひと言お願いしたいのです」

よく映画の公開時に、著名人がその映画について短い推薦コメントを寄せたりするでしょう。あんな感じのコメントである。

「僕は映画の専門家でもないし、なんの力にもなれませんよ」

「そんなことはありません。ぜひお願いします」

と言われ、引き受けることにした。

アジア・太平洋戦争中に、ある南の島に配属された一人の兵士が、空襲と飢えにおびえながら、死の直前まで日記を書き残した。その日記は戦後、息子の手に渡った。戦後70年たって、息子はその日記を携えて、父が最後を迎えた南の島を訪れた。このドキュメンタリー映画は、息子が父の戦場を訪れる旅に密着したものである。

映画は完成したのだが、なにしろ無名の新人監督ということもあり、なかなか公開先が見つからない。

そこで、来月の関連本の出版に合わせて、映画の宣伝キャンペーンを行うことになったのである。7月末には、下北沢にある「ビールが飲める本屋」で出版記念と映画の宣伝を兼ねたトークイベントをするそうである。

少しでも力になれればと、200字ほどの推薦コメントを書いてみたが、なにしろ映画のド素人なので、説得力があるのかどうかも、よくわからない。

できあがったホームページを見ると、大林宣彦監督を筆頭に、4人がコメントを寄せていて、そのうちの一人が僕である。

なんとも気恥ずかしいが、大林監督と同じページに、自分のコメントが載っているというのは、実に感慨深いものがある。

この映画が有名になって、一人でも多くの人に見てもらえれば、と思う。

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修学旅行のしおり

実家を片付けていたら、高校3年の時の「修学旅行のしおり」が出てきた。

Photo_2「修学旅行のしおり」は、当時10クラスあった僕の学年全員を対象にしたもので、各クラスから2人ずつ選ばれた「旅行委員」が中心となって編集したものである。

表紙から始まり、宿舎の地図、全体の集合時間や日程、自由行動の詳細な計画、など、たった3泊4日の旅行なのに、実に力を入れた作りになっている。とくに表紙なんかは、美術部の生徒が描いたのか、ずいぶんとクオリティーが高い。

目次は、以下のようになっている。

宿舎地図(吉田屋旅館本館)(表紙裏)
集合場所地図(東京駅)

(一般編)
行動日程表
参加人員(1)生徒数(2)引率職員(3)旅行業者
職員係担当者(1)職員分担(2)日直職員
生徒の係と任務
生活日程表・宿舎入浴順
生徒心得

(班コース編)
班員名簿
班別見学行程
部屋割一覧・クラス別部屋割・宿舎平面図

(資料編)
資料
メモ・記録欄
健康保険証はりつけ欄・旅行中緊急連絡先
夜間外出届
座席表
名列表
修学旅行を迎えるにあたって
宿舎地図(日昇別荘)(裏表紙裏)

なんだなんだ?入隊のしおりか?というくらい、実に緻密に、そして整然と編集されている。

なかでも圧巻は、「班別見学日程」である。

修学旅行が行われたのは、1986年4月9日(水)~4月12日(土)の3泊4日である。このうち、初日と最終日はクラスごとの見学だが、2日目と3日目は、4人から8人程度で一つの班を作り、それぞれの班が、あらかじめ見学コースを届け出て、それにもとづいて見学をすることになっていた。「修学旅行のしおり」には、すべての班の「見学コース」が、事前の届け出にもとづき事細かに記されているのである。

ひとクラスあたり7~10ていどの班が作られ、各班が2日目と3日目の2回の自由行動について詳細な計画を届け出ているから、実に170種類の自由行動計画がここに掲載されているのである。

ちなみに、僕の班(5組3班、全6名)の自由行動計画は、以下の通りである。

1日目(4月10日)

宿舎(8:00)…(徒歩)…(8:30)東大寺(9:30)…(徒歩)…(9:50)興福寺(10:45)…(徒歩)…近鉄奈良(11:00)…(近鉄)…(11:45)橿原神宮前・昼食(12:30)…(自転車)…甘橿丘(13:30)…(自転車)…飛鳥寺(14:00)…高松塚(15:00)…(自転車)…橿原神宮前(15:10)…(近鉄)…(16:17)京都駅…(地下鉄)…御池(16:45)…(徒歩)…(17:00)宿舎

2日目(4月11日)

宿舎(8:00)…(徒歩)…河原町三条(8:20)…(バス)…東寺南門前…(9:00)東寺…(徒歩)…東寺南門前(10:20)…(バス)…京都駅…(京阪または京都バス)…比叡山頂(11:44)…(昼食)…比叡山…(徒歩)…比叡山頂(13:55)…(京阪バス)…醍醐寺三宝院(15:00)…醍醐寺…醍醐寺三宝院(15:50)…(京阪バス)…(17:00)宿舎

見よ!この完璧な、寸分の隙もない計画を!

…というか、完全な「机上の空論」計画である。

こんなコース、絶対にまわれっこないのだ。否、まわれたとしても見学する時間などないのだ!

しかし、面白いことに、こんな感じの「机上の空論」計画が、この「修学旅行のしおり」には170種類もあるのだ!!!

それを一つ一つ見ていくだけで、時のたつのを忘れるほどの、面白さである。

で、僕はひとつ、ゲームを考えた。

この「修学旅行のしおり」に書かれた170種類の「机上の空論」コースを、書かれている通りにまわる、というゲームである。

170種類ある「机上の空論」コースの中から、くじ引きで、コースを決める。

くじで引いたコースを、有無を言わさずまわらなければならない。

宿舎を8:00に出発し、すべての地点を見学して、17:00までに戻らなければならない。

これを、高校の同窓会の企画として行う、ってのはどうだ。

すげえ盛り上がると思うんだが、…とSNSで提案したら、誰からも無反応であった。

というより、「修学旅行なんてまったく覚えてない」という反応がほとんどだった。

高校時代の思い出なんて、そんなものだ。

そうそう、思い出した。

僕たちが修学旅行に出発する前の日に、僕たちにとって衝撃的な、ある事件が起きた。その事件はもちろん全国ニュースになり、出発当日、僕たちはそのニュースにショックを受け、修学旅行どころではなかったのである。

修学旅行よりも、その事件のほうが、みんなは覚えているのかも知れない。

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アラタ君のお父さん

6月9日(土)

午前中、児童館で「お父さんも一緒わくわくランド」という時間があるというので、参加することにした。

行ってみると、体育館に、トランポリンだの、すべり台だのが設置されていて、さながらちょっとした遊園地である。

(やっぱり、まだ2カ月の娘にはまだ早かったかな…)

15組くらいの親子が来ていて、さすがに土曜日だけあって、お父さんの顔も、ちらほら見える。

とくに遊具など仕えるものがなかったので、体育館の端っこに敷いてあったマットに娘を寝かせていたら、同じくらいの年齢の子どもを抱えたお父さんが、近づいてきた。

「何カ月ですか?」

「2カ月とちょっとです」

「じゃあうちとほとんど同じですね。うちは3カ月ちょっとです。…こういう場所に参加すると、いつもうちが最年少だったんですが、負けましたなあ」

「やはりそうですか。私のところも、こういうイベントに参加すると、いつも最年少で、どうしたらいいかわからなくなるのです」

同志を得た、という感じである。

「今日はお休みですね」と聞かれたので、

「実は3カ月ほど育児休暇をもらっていて、いま育休中なのです」

と答えると、

「そうでしたか。実は私も育休中なのです」

という。

「どのくらいですか?」

「私の場合は5カ月です。7月いっぱいまでです」

「そうですか」

「いやあ、私と同じように長期間育休をとっているお父さんに、初めてお会いしました」

「私も、いままでそういう方にお会いしていませんでした。なかなか、いないものですなあ」

「そうですなあ」

「お名前はなんというんですか?」

「アラタです。新しいの、アラタ」

「いいお名前ですなあ」

聞いてみると、一人目のお子さんのときは1カ月の育休をとっていたというから、育休の先輩である。

私はいろいろと聞いてみた。

「あのう、母乳が出ればいいなと思ったことありませんか」

「それは思いますねえ。いちど、自分の乳首を吸わせてみたことがあります」

「そうでしたか。お気持ちはよくわかります」

「こっちは母乳が出ない分、技術でカバーしないとね。私は「子どもが眠りにつく音楽」というのをすぐに見つけることができました」

「なるほど、母乳が出なくても音楽でカバーしたわけですね。私もそういう音楽を探しているのですが、私が聴かせる音楽は、どれも泣いてしまうのです」

「やはり好みがあるようですよ。それをいちはやく見つければこっちのもんです」

「なるほど」

「こっちは資源がない分、『ものづくり』で勝負しないとね」

「まるでどこかの国のようですね」

アラタ君のお父さんは、抱っこひもをスムーズに装着し、アラタ君を抱っこして児童館をあとにした。

ちなみに私はいまだに、抱っこひもを一人で装着できない。

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お疲れのようですね

鬼瓦殿

高校時代の友人・元福岡のコバヤシです。こんばんは。

大分お疲れのようですね。

そりゃあ、久しぶりに我々に会って気を遣えば疲れるでしょうし、知らない人達に混じって
何かをすれば気疲れもあるでしょう、ましてや寝不足なんてのはてきめんに疲れを呼ぶことでしょう。

残念ながら我々は、もう若くは有りません。そういったストレスでダメージを受けないような気力も体力も無いのです。

かくいう私も最近は比較的早く会社を出るにもかかわらず、疲れが溜まるばかりです。

今は会社の目標を立てる人事面接の季節で、昨日もいつも話題に出す後輩(仕事は出来るが自己主張が強すぎて煙たがられて評価されない、 更にそれが不満で更なる自己主張を呼ぶという負のスパイラルから脱却出来ない希に見る残念なサラリーマン)の面接をして散々話を聞かされ、更にその後の部長面接の後、昼休みに呼び出しを喰らい、部長にあんなことこんなこと言われたとリターンマッチを受け、もう身も心もヘトヘトです。

更に廻りを見ずにまっしぐらな若者(バカもの?)、不合理な仕事内容(サラリーマンなんてそんなのばっかりです)から逃げたくてしょうがない往生際の悪いアラフォーを相手にコンコンと語る自分がアホらしくも有り、そうは言っても彼らの行く先を考えるとほっとく訳にもいかないというジレンマで更にどっと疲れるという今日この頃です。高校時代に貴君にに散々言ったように、だったら辞めたら!なんて言う訳にも行かず、歳を取ると疲れることばかりです。

ということで少々愚痴が長くなり失礼しましたが、まあ話は変わって先日の貴君のブログで私のメールを殆どまんま載せているのはいかがなものか?と言いたかったところですが、今回は疲れ切った貴君が私のメールへの共感を伝えたかったのだろう、と勝手に解釈して止めておくことにします。

ということで、お互いもう歳ですからあまり無理はしないようにしましょう。

では、またそのうち。

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疲労の原因

この2,3日、ひどく疲れている。

とにかく眠たくて仕方がないのだ。

夕食後、娘をお風呂に入れたあと、グッタリしていつのまにか寝てしまっている。

これはどういうことだろう。

病院で検査してもらっても、とくに何か異常があるというわけでもない。

ひょっとして、検査で使用した薬剤の副作用によるものか?

まれにその薬剤を体内に注入すると副作用が起こることがあるとのことで、毎回、誓約書を書かされているほどなのだ。

看護師さんに聞いてみた。

「あのう…、この薬剤の副作用というのは、どういうものですか?」

「おもに、体が痒くなったり、ブツブツができたりといったことです。あと、吐き気とか…」

「ブツブツ、ですか…」

ブツブツも吐き気も、心当たりがない。

「ひどく体が疲れるといった副作用はないでしょうか」

「それはありませんね」

「そうですか…」

どうやら副作用ではないらしい。

とすれば、あれか。

日曜日に、高校時代の部活の仲間が家に遊びに来たとき、コーヒーを大量に飲んだのが原因か?

この1年ほど、僕はまったくといっていいほどコーヒーを飲まなかった。

それが、高校時代の部活の仲間が遊びに来るというので、お茶の一杯も出さないわけにはいかないだろうということになり、実に久しぶりに、コーヒー豆を買って、コーヒーを出すことにしたのである。

手持ち無沙汰ということもあって、数時間の間に4~5杯はコーヒーを飲んだ。

それによりカフェインを取り過ぎて、その反動で、数日後に疲れが出る、なんてことがあるだろうか?

…ちょっと考えにくいか。

では、これはどうだ。

一昨日、近所の児童館で行われる「親子コンサート」に行ってきた。

児童館に行くと、すでに30組以上の親子が陣取っていた。

いちばん後ろの席に座ると、ほどなくして、ピアノのお兄さんらしき人と、オペラ歌手らしき3人が入場した。

子どもたちが音楽に関係なく騒ぎ出し、なかなかカオスな状況だったのだが、それにつけても驚いたのは、オペラ歌手のみなさんのクオリティーの高さである!

子ども向けの歌ももちろん歌うのだが、オペラの楽曲の一節をホンイキで歌ってくれたのには感動した。

ホンイキの「私のお父さん」を聞いたときには、映画「異人たちとの夏」を思い出して思わず泣いてしまった。

おそらく、すごいプロの方々なんだろうな。でも、こういう児童館で、カオスな子どもたちを前に歌うこともまた、仕事なのだと思うと、音楽家も大変だなあと思ったのであった。

かくして親子コンサートを楽しんだわけだが、まわりの親子のカオスぶりにすっかりあてられてしまい、ひどく疲れたのであった。

昨日(6日)は、保育園見学である。

家から30分ほど歩いて、とある有名な作家が入水した場所のすぐ近くの保育園で、保育園見学があるというので、行ってみたのである。

ここにも数組の親子が参加している。

こういうときに、どんなふうにコミュニケーションをとったらいいのかわからず、ただただ、わが子を見つめるだけである。

次第に居たたまれなくなり、1時間半ほどして保育園を出て、家に着いたころにはすでにグッタリしていた。

親子もののイベントに出るというのは、妙な気を遣ったりして、思いのほか疲労する。

ひょっとして、この二日間の出来事が、僕をグッタリさせたのだろうか?

うーむ。これも違うか…。

あとは、慢性的な寝不足ということも疲労の原因かなとも思うのだが、これも違うか…。

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昨日はお騒がせしました

鬼瓦殿

元福岡のコバヤシです。こんばんは。

先程、ブログを読みました。

奥様には少し申し訳なかったですが、貴殿は楽しいひと時を過ごしてくれたようで良かったです。後半、あまり喋らなかったので、調子が悪いのかなあと、ちょっと心配ではありましたが。

フェイスブックの話を書いていましたが、あれは自分の生活が如何に充実しているのか他人に見せたい、言い換えると、人に示すことで自分も充実していることを実感したい、ということなのだと思います。

恐らく我々はそんなことをしなくても、それなりに充足していることを実感しているのだと思います。

アサカワや私などが、良い意味でも悪い意味でもそれが顕著で、独り生活がそれなりに充実しているので、独身生活をこじらせてしまっているような気がします。

まあそんなどうでもいい話はさておき、時間が取れるようでしたら、谷根千でも浅草でもご案内しますので、また連絡ください。

暑くなって来たので、くれぐれも体調にはお気を付けください。

では、またそのうち。

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SNS映えしない集まり

6月3日(日)

娘が生まれたお祝いに、高校時代の部活の同じパートの連中が家に遊びに来てくれた。

同期の「元福岡のコバヤシ」。

1学年下のアサカワ、オオキ、モリカワさん。

2学年下のジロー、サカクラさん。

計6名である。

あと一人、1学年下にエーシマがいるのだが、この4月から関西に転勤になったため、今回は会えなかった。

このうちの、コバヤシとサカクラさん以外は、いわゆるFacebookのアカウントを持っている。

とくにミュージシャンであるアサカワやジローにとっては、営業活動の一環としてSNSは必須であり、つまり仕事上の必要から、頻繁に更新をしている。

かくいう私も、2年ほど前から、お試しで始めてみたのだが、私が始めた理由は、ただひとつ、「人間観察」のためである。

SNSには、どんな内容のものを記事にするか、どんなコメントをするかによって、その人の性格が出る。その性格を見極めるために、始めたのである。

つまりSNSで何を語るか、どう語るかは、僕にとっては価値観の共有に属する問題なのである。

今日、久しぶりに高校時代の同じ部活、同じパートの仲間が再会した。一般的には、それだけで十分にFacebookのネタになるはずなのだろうが、今日集まったメンバーには、それをネタにしないという「奥ゆかしさ」がある。

それが、私がこのメンバーと長年つきあえている、最も大きな理由である。

これが、このメンバー以外の部活のメンバーが集まると、臆面もなくFacebookのネタにするヤツがいたりするから不思議である。

今日は1枚だけ、ジローが、自分のスマホで集合写真を撮ってくれた。

「どうします?これ、Facebookにアップします?」とジロー。

「高校時代の部活の他の連中がどんな反応をするのか、ちょっとみてみたい気もするね」と私が少しけしかけた。

「いえ、やっぱりやめましょう。面倒なことになるのもいやだから」とジロー。

「そうだな。やっぱりやめよう」

ジローは、今いる7人とエーシマだけに、メールで写真を送った。

高校時代以来の僕たちのつながりを、SNSなんかで無邪気にアピールしない彼らだからこそ、僕は長年このメンバーと居心地よくつきあえたのだろう、と、僕はしみじみと思った。

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涙の訴え

小学校6年のとき、学習塾に通いはじめた。

その塾は、駅前のビルのワンフロアを使っていて、クラスの中でも通っている人がけっこういたので、僕もその学習塾に通わされることになったのである。

授業の補習というよりも、私立中学への進学などを意識していて、この町の界隈ではものすごく勢いのある新興の塾として頭角を現していた。母もその噂を聞きつけ、僕を通わせることにしたのだろう。

初めて塾に行くと、教室は熱気に溢れていた。学校のひとクラス分くらいの児童が、ひとつの教室にいた。

僕はその授業を受けて、衝撃を受けた。

問題をあてられて、誤った解答をすると、塾の先生は大声で怒鳴りつけ、その児童の頭をバンバン殴るのである。

さらに出来が悪いと、逆立ちをさせたりするのだ。

いまから思えば、体罰が横行していた塾だったのだ。

もちろん僕も、塾の先生に何度も頭を殴られた。

(なんてひどいところなんだ…)

僕は授業が終わったあと、悔しくてたまらなかった。

しかし不思議なことに、僕より前にいる人たちは、慣れているからなのか、授業が終わると、何ごともなかったかのように、みんなで談笑しながら帰るのである。

しかし僕はそれどころではない。

翌日もまた、同じことの繰り返しである。

母親に「通いなさい」といわれ、授業料を払ってもらっている手前、我慢して通わなければならないのかなあと思いながらも、やはりこれには我慢できない。

3日目、ついに僕は塾をやめる決心をした。

もう、誰がなんといおうと、やめてやるぞ!

僕はひとりで、塾長のところに向かった。

塾長は、小学6年生の僕からみれば、かなりのおじいちゃんに思えた。俳優の伊藤雄之助みたいな顔をした人だったが、年齢は、いまから思えば、日大アメフト部の内田前監督くらいの年齢だったのだろう。

僕が塾長のところに行って、この塾を辞めたいですと言うと、塾長はビックリした様子で、

「君の話だけではわからないから、明日、お母さんと一緒に来なさい」

と言われた。

僕は家に帰ってから、この塾でいかに酷い仕打ちを受けたかを母親に話した。

翌日、母親と一緒に、その塾を訪れた。

塾長室に行くと、僕の話を聞くために、塾長と、授業を担当していた先生が並んでいた。授業を担当していた先生は、日大アメフト部の井上前コーチくらいの年齢だったと思う。

僕は、授業を担当をした先生がいかに酷い仕打ちを私だけでなくみんなにしていたかを、泣きながら訴えた。

塾長はそれを聞いて驚いた様子で、横にいた先生に事実関係を確認した。先生は、大筋で事実は認めたものの、「でもいままでこういう形で訴えられたことはない。だからよかれと思ってやっていたのです」と言った。

暴力をふるう先生はこの先生だけではなく、他の先生もそうだったから、いまから思えば、体罰を加えるというのは塾長の方針だったのだろう。

塾長は、「あなたにとってはちょっと指導が厳しすぎたのかも知れないね」と言った。

僕には、「厳しい指導に耐えられない君の心の弱さに原因がある」と言われているような気がした。

たしかに、現象的にみればそうである。他の児童たちは、頭を何度も殴られても、逆立ちを強要されても、塾をやめようとは思わないのだ。

同じ仕打ちを受けていた僕だけが塾をやめたいと言い出したのだ。

しかし、本当に心が弱いのは、どっちなんだろう?

僕はすっぱり塾をやめた。「あいつ、3日であの塾をやめたんだぜ」とクラスの友達に言われても、僕は意に介さなかった。

この一件があってから、母親は僕に塾をすすめることはなかった。僕も、「絶対に塾なんか行くものか」と思った。

塾なんかに行くより、自分でやりたいように勉強する方がはるかに面白かった。

逃げるという選択肢は、決して弱いことを意味しない。

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