SNS映えしない集まり
6月3日(日)
娘が生まれたお祝いに、高校時代の部活の同じパートの連中が家に遊びに来てくれた。
同期の「元福岡のコバヤシ」。
1学年下のアサカワ、オオキ、モリカワさん。
2学年下のジロー、サカクラさん。
計6名である。
あと一人、1学年下にエーシマがいるのだが、この4月から関西に転勤になったため、今回は会えなかった。
このうちの、コバヤシとサカクラさん以外は、いわゆるFacebookのアカウントを持っている。
とくにミュージシャンであるアサカワやジローにとっては、営業活動の一環としてSNSは必須であり、つまり仕事上の必要から、頻繁に更新をしている。
かくいう私も、2年ほど前から、お試しで始めてみたのだが、私が始めた理由は、ただひとつ、「人間観察」のためである。
SNSには、どんな内容のものを記事にするか、どんなコメントをするかによって、その人の性格が出る。その性格を見極めるために、始めたのである。
つまりSNSで何を語るか、どう語るかは、僕にとっては価値観の共有に属する問題なのである。
今日、久しぶりに高校時代の同じ部活、同じパートの仲間が再会した。一般的には、それだけで十分にFacebookのネタになるはずなのだろうが、今日集まったメンバーには、それをネタにしないという「奥ゆかしさ」がある。
それが、私がこのメンバーと長年つきあえている、最も大きな理由である。
これが、このメンバー以外の部活のメンバーが集まると、臆面もなくFacebookのネタにするヤツがいたりするから不思議である。
今日は1枚だけ、ジローが、自分のスマホで集合写真を撮ってくれた。
「どうします?これ、Facebookにアップします?」とジロー。
「高校時代の部活の他の連中がどんな反応をするのか、ちょっとみてみたい気もするね」と私が少しけしかけた。
「いえ、やっぱりやめましょう。面倒なことになるのもいやだから」とジロー。
「そうだな。やっぱりやめよう」
ジローは、今いる7人とエーシマだけに、メールで写真を送った。
高校時代以来の僕たちのつながりを、SNSなんかで無邪気にアピールしない彼らだからこそ、僕は長年このメンバーと居心地よくつきあえたのだろう、と、僕はしみじみと思った。
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コメント
只今、「高原にいらっしゃいの向こう側」で旅の空。
今回は得意先周りでなくご新規開拓だ。
全域担当なので、広すぎて運転してばかりでくたくた。
しかも宿屋を温泉ばかりにしたら、かえって湯疲れだが、吹きだまり聖地もなりゆきで巡礼中。
ま、SNSしなくてもコメント欄があれば、このように、ことたりるかも。
投稿: 旅の空こぶぎ | 2018年6月 7日 (木) 08時36分