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2018年7月

トラウマ

7月30日(月)

前日、新幹線と私鉄電車を乗り継いで、約3時間半ほどかけて西の町に行く。

今日は朝からこの町で半日ほど仕事をして、再び私鉄電車と新幹線を乗り継いで帰ってきた。

新幹線の中で、つらつらと考えたこと。

新潟県の長岡市では、毎年8月2日と3日に花火大会が行われる。

花火大会の前日、8月1日の夜10時半に、「白菊」という花火が一発だけ空に咲く。

1945年8月1日に、長岡で米軍による大規模な空襲があった。

午後10時30分から1時間40分もの間、米軍は長岡の市街地を爆撃した。旧市街地の8割が焼け野原と化し、1,486名が犠牲となった。

このことを忘れないために、長岡では、毎年8月1日の午後10時半に、「白菊」という花火を、1発だけ空に上げるのである。

それは、慰霊の花火である。

しかし、この花火が、必ずしもすべての人の心を安らかにするわけではない。

空襲を体験した人の中には、この花火の音を聞くと、あのときの爆撃の音を思い出し、いまでも耳をふさいでしまう、という人がいるそうだ。

大林宣彦監督の映画「この空の花 長岡花火物語」には、そういう場面がある。

大林監督は、その事実を知り、「この映画を作ったことで、誰かを傷つけたかも知れない」と語っていた。

みんなを幸福にするはずの花火なのに、つらい記憶を呼び覚ましたり、みんなを幸福にするはずの映画なのに、誰かを傷つけたりすることに、僕自身は、これまで無頓着だったかも知れない。

無邪気に放った言葉が、人を傷つけたり、トラウマを呼び覚ましたりする場合があることに、僕はもっと自覚的であるべきなのだろう。

このたびの本が完成したあとになって、気づいたことである。

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冥利に尽きる

昨日に行われた出版記念の会に、ある映画監督も来ていた。僕よりもおそらく一回りぐらい下の年齢の方である。

見た目がちょっと気難しそうというか、独特の雰囲気を持っている方だったので、ちょっとお話ししづらいかなあと思って、1次会と2次会の時にはまったくお話しすることができなかった。

2次会が終わったあと、3次会に向かう道すがら、少しお話しをした。

「大林さんのファンなんですってね」とその監督が言った。1次会の時の僕の挨拶を聞いていたのだろう。

その監督にとって、大林監督の映画はどう映っているのだろう。大林監督の映画は、賛否が分かれるで、こちらからはなかなか話題に出しづらかった。

「ええ」

「どの映画が好きなんですか?」

少し考えて、

「『廃市』です」

と答えた。

「ハイシ?ハウスではなくて、ハイシですか?」

「ハイシです」

どうも、彼は「廃市」という作品を知らないらしい。僕よりもひとまわりくらい若いので、無理もないだろう。

「ハウス」は、大林監督の商業映画デビュー作なので有名なのだが、「廃市」は、大林映画のファン以外にはほとんど知られていない。

「16ミリで撮影した、個人映画のようなものです」

と答えると、

「そうですか。そういう映画を好きな映画としてあげてくれるっていうのは、映画監督としてはうれしいものですよ。商業映画よりも、作家性がいちばんよくあらわれている個人映画を評価してくれるっていうのは、ありがたいことです」

と彼は言った。

「そういうものですか」

「ええ、そういうものです。…で、『廃市』のどういうところが好きなんですか?」

さらに突っ込んだ質問である。

どういうところがと言われても…と答えに窮したのだが、少し考えて、

「うーん。あの映画を見たときに、『これは俺のために作られた映画だ』と、感じちゃったんですよね」

と答えた。

むかし大林監督が、思春期に福永武彦の小説『草の花』を読んで「これは僕のために書かれた小説だ」と思った、と話していたことがあったのだが、僕にとっての「廃市」が、まさにそういう存在だったのである。

「そうですか。それはすごいなあ。そういうふうに見てくれるファンがいるっていうのは、監督にとっては幸せですよね」

「そういうものですか」

「そういうものです」

僕はてっきり、大林監督のファンであると公言したことに対して、同業者の監督として揶揄するつもりでこういう質問をしてきたのだろうかと、かなり歪んだ見方をしてしまっていた。だが、そうではなかった。彼はなぜ僕が大林監督のファンとなったのかを、自分も映画監督という立場にある者として、知りたかったのではないだろうか。

ちょうど僕が、読者のことを気にするように、である。

考えてみれば、僕の書いた文章や本なんてものを、ちゃんと読んでくれる人なんて、ほとんどいない。ときに絶望することすらある。

彼もまた、同じような経験を何度もしているのかもしれない。

だが、世の中には、きっといるはずである。

「これは自分のために作られた作品だ」と思ってくれるファンが。

現に僕自身がそうなのだから。

…そんな話をしているうちに、3次会会場に到着した。

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長い打ち上げ

7月28日(土)

今日は、私が少しだけお手伝いした本の、完成記念パーティーである。

この本では、いままで体験したことのなかったようなことを体験させていただき、ほんの少しのお手伝いだったにもかかわらず、自分にとっては思い入れのある本になった。

この本に関わった多くの方のうち、20人くらいの方たちが集まったのだが、私にとっては初対面の方ばかりである。

お話ししてみると、どなたもいい方ばかりで、雰囲気もとてもアットホームな会だった。

その意味で、楽しい会だったのだが、ただ私は一方で、大勢の集まり、というのが、とても苦手である。

どんなに雰囲気のいい会でも、大勢の人がいると、居たたまれない気持ちになってしまうのである。

年々この苦手意識がひどくなっている。

これは病気なのか?

今回の場合、ほとんどの人が私よりも10~20歳くらい年下で、しかも私以外の人たちがすでにかなり結束の固い方々だったようで、私はなんというか、ほかの方たちの若さと熱量にすっかり圧倒されてしまい、他人様(ひとさま)の同窓会に居合わせた人、みたいな感じになってしまった。

しかも今日は、お昼から2時間の出版記念関連イベント、2時から5時まで3時間の1次会、5時から8時まで3時間の2次会、そして8時過ぎからエンドレスの3次会(私は電車の都合で途中で帰ってきたが)という、超長丁場である。

もともと体調がアレなので、2次会あたりからくたびれてしまい、気の利いたことも言えなくなってしまった。

くり返すが、会じたいはとてもよい雰囲気で、ひとりひとりとお話しするととても楽しかったのである。

だが、大勢の集まりとなると居たたまれなくなるのだ。

まったく、めんどうな性格である。

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販促イベント

7月27日(金)

職場を出て、下北沢に向かう。

夜8時から、私も少しお手伝いした本の、販促イベントが行われるのである。

編者のOさんと、女性タレントのFさんによるトークショーである。

編者、といっても、Oさんはまだ若く、ちょうど私にとっては卒業生くらいのイメージである。

Oさんと女性タレントのFさんとは、高校時代の同級生だったらしい。

前日にOさんから来たメールに、

「明日のイベントでは、鬼瓦先生にマイクをふりますのでよろしくお願いします」

と書かれていて、恥ずかしいから行くのやめよっかなあと思ったのだが、ドタキャンするのも大人げないので参加することにした。

10数年ぶりに下北沢駅を降りて、ブラブラと歩いていると、あるライブハウスの前に、

「ザ・ショッキングLIVE」

という看板を見つけた。

ザ・ショッキングとは、高校時代の二つ下の後輩・ジローが所属するバンドである。

そうだった!今日はジローのライブが下北沢であるんだった!

しかし開演時間を見ると、販促イベントとまるかぶりである。

うーむ。残念だが仕方がない。ジローのライブはあきらめて、販促イベントの会場に向かった。

会場は、あるビルの地下にある本屋さんで、その本屋さんにはイベントスペースがあり、そこではほぼ毎晩、いろいろな本についてのトークイベントを行っているようであった。

地下に降りると、すでに多くのお客さんが集まっていた。

「鬼瓦先生、どうもありがとうございます」

見ると、編集者のOさんだった。

「本の完成、どうもお疲れ様でした」と私はOさんに言った。

本に関わった人たちが何人か来ていて、編集者のOさんが私に紹介してくれるのだが、すでに会場は熱気に溢れていて、私はたちまち汗だくになり、顔から汗がしたたり落ちた。

そうなるともう、自分の汗が気になっちゃって、挨拶もそこそこになる。

私は汗が止まらなくなると、他人との会話がおざなりになるという悪い癖があるのだ。

まことに不自由な体である。

小さなスペースに、お客さんは40人くらいはいただろうか。かなりのぎゅうぎゅう詰めである。

後ろのほうは、どうやら本に関わった人たちらしいというのがわかるのだが、前に陣取っている人たちというのがよくわからない。30代~40代くらいの、サラリーマン風の男性が多い。

「前のほうの方たちは、おそらくタレントのFさんめあてで来た人たちでしょうな」

と誰かが言っていた。なるほど、そうなのかも知れない。

2時間にわたるトークショーじたいは、微笑ましいものであった。最後は時間がなくなり、私にマイクをふられることもなく、安堵した。

トークイベントが終わり、引き続き本のサイン会がその場で始まった。

編者のOさんの前には、本にサインをしてもらおうと、長蛇の列ができていた。

帰り際、編者のOさんに挨拶してから帰ろうかとも思ったが、なにしろ汗が噴き出ていてそれどころではなかったので、挨拶もせずにそのまま会場を出ることにした。失礼なヤツだと思われたかも知れない。

まことに不自由な体である。

再びジローのライブハウスに向かったが、こちらもどうも終わっているっぽかった。

なかなかうまくいかないものだ。

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「青い虫」の正体

先月、私が「詰めがあまい学年」と呼んでいる卒業生3人が、娘を見にわが家を訪れたという話を書いた。

そのとき、3人のうちのOさんが、

「赤ちゃんが絶対に眠れる動画を私知ってます!たしか『青い虫』が出てくるやつでした!」

と、非常にぼんやりした情報を自信満々に教えてくれたのだが、それがどんな動画なのか、結局よくわからなかった。

相変わらず、詰めがあまい学年だなあとそのときは大笑いしたのだが、先日、そのOさんから、「『青い虫』の正体がわかりました!」と連絡が来た。

「鬼瓦先生!こんにちは。

毎日猛暑が続いておりますが、みなさん体調は大丈夫でしょうか?

先日はありがとうございました!ブログ読みました笑

そして、やっと思い出しました!虫の正体を!

むしむしくんという動画でした!

しかも、青い虫ではなく緑の虫でした。

さらに、どんな赤ちゃんも眠るのではなく、どんな赤ちゃんも笑ってしまうものでした!

何もかも合ってなかったでしたね笑失礼しました」

つまり、「赤ちゃんが絶対に眠れる青い虫の動画」ではなく、「赤ちゃんが絶対に笑ってしまう緑の虫の動画」だったのである。

これじゃあ、さすがのこぶぎさんも正解しないわけだ。もっとも、こぶぎさんの紹介してくれた動画のおかげで、娘ではなく私の寝付きがよくなったのだが。

それはさておき、この情報を教えてもらったところで、こっちが困っているのは娘がなかなか眠ってくれないことなのだから、結局役に立たない情報であることに変わりはない。

「娘さんがもう少し大きくなったら見せてあげてください」と書いてあったので、そうすることにしよう。

あの日Oさんは、もう一つ、やらかした。

卒業生3人が帰ったあと、リビングのソファーのくぼみの部分に、女性もののアクセサリーが落ちていた。腕とかに巻く金属製の紐のようなものだと思うんだけど、あれ、なんていうの?ブレスレット?

妻のものではない。

私も身に覚えがない。

しばらく考えたあげく、ひょっとして、「詰めがあまい学年」が家に来た時に誰かが落っこどしたものか?と思い、CさんとOさんに連絡したところ、Oさんから、

「私が落としたものです!」

と返信が来た。

おいおい、ややっこしいもの落とすなよ!妻のものではない女性もののアクセサリーが部屋に落ちてるなんてのは、やましいことがなくったって、ドキッとするんだから!

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○○魂

7月23日(月)

前日は、職場で終日会合があった。

会合が5時に終わり、急いで東京駅に向かう。

東京駅から北へ向かう新幹線に乗って3時間45分。終着駅に着いた。

今朝から、調査である。

同業の仲間から依頼を受けて、急遽この町に訪れることになったのである。

調査の合間に、最近開館した、港町の歴史伝承館を案内していただいた。

恥ずかしながら初めて知ったのだが、この港町は、太平洋戦争敗戦直前の1945年8月14日夜から15日未明にかけて、米軍による大規模な空襲を受けたという。つまり最後の空襲がこの港町だった。

あと一日終戦が早ければ、空襲に遭うこともなかったはずなのだが、不運にも、空襲により多くの犠牲者が出てしまったのである。

曳山祭りが有名な港町で、歴史伝承館には、かつての曳山のひとつが展示されていた。

「ずいぶん大きな曳山ですね」

「いまの曳山はそれほど大きくないんですが、戦前くらいまではこれくらい大きな曳山が作られていました」

曳山には、メッセージが書かれていた。

「戦火にも屈せず曳き継ぐ港魂」

「戦火」とは、この港町が受けた空襲のことを意味するのだろう。おそらくこの曳山は、戦後間もないころのものを復元したものと思われる。

私の目を引いたのは、「港魂」という言葉である。

この言葉を見て思い出した。

ある本を作るために、映画作家の大林宣彦さんにインタビューしたという話は、このブログで何度も書いているが、そのときのインタビューの中で、大林監督は次のようなことをおっしゃっていた。かいつまんで書くと、

「東北地方の六つのお祭りが集まった六魂祭。ここに「魂」という言葉が出てくるが、「魂」という言葉は、西日本はほとんど使わない。

僕は西の方の人間だから。僕の友人の新聞記者さんに、おい、魂って僕達言ったけってたずねたら、戦争中に大和魂という言葉があったことは僕も知識で知っていますが、敗戦後は魂と言った人間はいないでしょうと答えが返ってきた。

僕は長岡の映画で初めて雪の里の長岡を知って、そこで「長岡魂」という言葉を聞いて、この言葉がとても印象に残った」

戦災や自然災害、さらには過酷な自然環境を克服してきた地域の人びとだからこそ、この魂という言葉が響くのだろうと、大林監督は仮説を立てる。

なるほど、そういえば東日本大震災から復興するために、「東北魂」という言葉がよく使われるようになった。

そしてこの港町でも、戦災から復興するために、かつて「港魂」という言葉が使われていたのである。

東日本、とくに雪の多い地域で「魂」という言葉が精神的支柱となるという仮説は、検証してみる価値がありそうだ。

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ポーとボードレール

前回までのあらすじ

大林宣彦監督の超マイナー作品「麗猫伝説」の中に、

「すべて我らが見たるもの、また見たりと思いしものは、夢の中の夢にほかならず」

「ボードレールですな!」

「ハッハッハッ!」

という台詞があって、この「すべて我らが見たるもの、また見たりと思いしものは、夢の中の夢にほかならず」の出典となったボードレールの詩は何だろう?ということを書いたら、このブログのメインコメンテーターのこぶぎさんが、これはボードレールの詩ではなく、エドガー・アラン・ポーの詩であると教えてくれた。

じゃあ、「麗猫伝説」の脚本を書いた桂千穂か、あるいは撮影台本を書いた大林監督が、ポーの詩をボードレールの詩だと勘違いのかな?と書いたのだが…。

ここからが本題。

このブログの準レギュラー、「高校時代の友人・元福岡のコバヤシ」からメールが来た。

「さて、貴君のブログにポーの言葉をボードレールの言葉のように語っていた云々というのが有りましたが、貴君も既にご存知でしたら失礼しますが、ボードレールとポーは切っても切れない関係に有ります。

ボードレールはポーの文章を読んで、これぞ自分が求めていた世界だと感激し、フランス語に翻訳しています。それは今でも名訳として通っており、19世紀末のヨーロッパにはボードレールを通してポーは広まり、ついにはアメリカで再評価するに至ったのです。

そういう意味では、ポーの言葉をボードレールの言葉として語るのは、あながち間違えとは言えないような気がします。

私も大学時代、フランス語が出来ないのに血迷って、フランス語原点購読という授業を取って、ボードレール訳のポーを読まされました。何でフランス語でポーなのか?と思ったいたのですが、前述の理由を知り、なるほどと思った次第です。

ちなみに、この時の授業は、澁澤龍彦の盟友、出口裕弘というジョルジュ・バタイユを日本に紹介したことでも有名な先生に習ったのですが、当時は全く有り難みを感じずに授業を受けていました。勿体ないことをしたものです。

もっとも、ボードレールとポーの関係は、出口先生の授業で教わったのではなく、ボードレールの専門家である横張先生という先生に教えてもらいました。

その先生の家に遊びに行った時に、何故、ポーをわざわざボードレールのフランス語訳で読むのでしょうか?と聞いたことがあり、教えて貰ったような気がします」

なるほど。

不勉強でまったく知らなかった。

ポーとボードレールには、そういう関係があったのか!

実に面白いではないか。

私がたまたま「麗猫伝説」という、まったく無名の作品に出てくるボードレールの詩に疑問を持ったことがきっかけで、こぶぎさんがポーの詩であることをつきとめてくれ、さらに高校時代の友人・元福岡のコバヤシが、ポーとボードレールの関係を説明してくれる。

何というか、不思議な連係だ。

コバヤシにしても、まさか学生時代に疑問に思って先生に聞いたポーとボードレールの関係が、今になって役に立つとは、思っていなかっただろう。

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季節のお便り・人形流し

7月20日(金)

母乳なし生活、2日目もなんとか終了。

その詳細を書きたいが、書く気力が起きないので、今日は、季節のお便りを紹介したいと思います。

東京都谷中にお住まいの、「高校時代の友人・元福岡のコバヤシさん」からのお便りです。

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鬼瓦殿

高校時代の友人・元福岡のコバヤシです。こんばんは。 少しご無沙汰しておりますが、体調はいかがでしょうか?ブログを読む限りでは、復職後はそこそこ元気そうに思えますが。

ところで、先週末は北海道に出張だったのですが、気温は15度ぐらいで寒くて死にそうでした。しかも、土曜はストーブを焚く寒さの中、嫌いなゴルフをさせられ、その上雨にも降られ、ゴルフ場で草を食む鹿にも馬鹿にされたような気分で、散々な週末でした。

そんな中でも、一晩泊まった札幌では、浅草のバーで紹介して貰ったバーに行き、独り二時近くまでお酒を呑ませて頂き、それなりに楽しませて貰いました。翌日は眠くて死にそうでしたが。

その帰りの飛行機で、ふと目が覚めると富士山が遠くに見えました。貴君が富士山を好きだったというのを思い出し写真を撮りました。添付しますのでご覧下さい。

ついでに思い出しましたが、先月末に、最近たまに行く台東区小島(昔は浅草区)のお鮨屋さんで、7月1日はお休みと店内に張り紙がしてあったので、日曜なのにお休みですか?と、大将に聞いて見ました。

大将は鳥越神社の氏子さんで、6月に行われる鳥越神社のお祭りの役員もしている方なのですが、大将曰く、1日はお祭りの後の行事で、人形流しというのがあるんです、鳥越神社の氏子の20ちょっとの町毎に柳橋から舟を出し、無病息災を祈って人形を川に流します、10時頃に出発して、少し舟の中で呑み食いをして1時ごろに帰ってきます、お祭りの日は休日次第で変わりますが、人形流しの日だけは今も昔も7月1日なんです、とのことでした。

昔ながらの行事は、東京でも変わらないものがあるのだなあ、と感心した次第です。

それでは、またそのうち。

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「人形流し」。むかしは各地でよく見られた風習ですが、今も東京に残っているのですな。

東京都谷中にお住まいの、高校時代の友人・元福岡のコバヤシさんからのお便りでございました。

ではごきげんよう。

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未知の世界

7月19日(木)

妻が2泊3日ほど、不在である。

さあ困った。

初めての「母乳なし生活」である。

幸い、ふだんの練習が功を奏して、ミルクは飲んでもらえた。

そして今、ようやく寝かしつけた。

さて、無事に夜を越えることができるか?

ここから先は、未知の世界である。

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ポーでした!

前々回の話の続き

「すべて我らが見たるもの、また見たりと思いしものは、夢の中の夢にほかならず」

大林宣彦監督の「麗猫伝説」という作品に出てくる詩のフレーズ。劇中ではこれをボードレールの詩の一節だと述べていて、僕は長い間その出典がわからず悩まされていたのだが、こぶぎさんが見事に出典を見つけてくれた

なんと、エドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe)の「夢の中の夢(A dream within a dream)」という詩の一節だったのである!

All that we see or seem

Is but a dream within a dream.

うーむ。たしかにこれを訳すと、

「すべて我らが見たるもの、また見たりと思いしものは、夢の中の夢にほかならず」

になる。

つまりこれをボードレールの詩の一節だとする「麗猫伝説」のセリフは、まったくの誤りだった、ということになる。

どおりで、ボードレールの詩をいくら探しても、このフレーズが見つからないわけだ。

というか、フランス人ではなく、アメリカ人じゃん!

この作品の脚本を担当した桂千穂が、単純に間違えたのか?

あるいは撮影台本を書いた大林監督が間違えたのか?

それとも、たんにボードレールの名前を出したいために、ボードレールの詩ということにしてしまったのか?

どうしてこんな間違え方をしたのか、まったく謎である。

ただ、たとえ間違えがわかったところで、この「麗猫伝説」という作品自体、ほとんど無名の作品なので、鬼の首を取ったように指摘したとしても、とくにどうということはない。

さて、この「麗猫伝説」には、もう1箇所、ボードレールの詩が引用されている。

「『君よただ美しくあれ もだしてあれ(…と聞き取れる)』」

「……」

「ボードレールです」

はたしてこの詩の一節も、ボードレールなのか、怪しくなってきた。

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猛暑の日に

暑くて、何も書く気が起こらない。

6年ほど前だったか。

知り合いの息子さんの友だちが、夏の暑い日、高校の部活の練習中に熱中症で亡くなった、という話を聞いて、知り合いでもなんでもないはずの僕も、ひどくショックを受けた。

葬儀に出た知り合いは、同い年の子どもを持つ親として、とても悲しくて言葉もなかった、とそのとき言っていた。

もともと僕は野球とかサッカーとかラグビーとかに興味がないのだが、この一件があって以来、真夏に高校生が行うスポーツ―その代表的なものは高校野球だが―を、まったく楽しむことができなくなってしまった。

用心すれば死なずにすむような熱中症で、若い命が失われるなんて、実にやりきれない。

残された家族はもちろんだが、一緒に部活をしてきたメンバーたちにとっても、そう簡単に心の整理がつかないのではないだろうか。

で、そのときの気持ちを、僕自身の別の思い出に仮託して、このブログに書いたことがある。

命を繋ぐ、ということ

今年もまた、命の危険を感じるようなこの暑い時期に、全国で夏の高校野球の予選大会が行われていると聞いて、僕は複雑な気持ちである。

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ボードレールですな

ずっとむかしから気になっていることがあるのだが。

大林宣彦監督の作品に「麗猫伝説」というのがあり、これは日本テレビの「火曜サスペンス劇場」で放映されたドラマなのだが、これについては、以前書いたことがあるので、内容についてはそちらを参照のこと。

この中で、芸能ルポライター(峰岸徹)が、引退した老映画監督(薩谷和夫)のもとを訪れて、ある女優についての思い出話をするという場面がある。なかなか味わい深い場面なのだが、その中で、こんなやりとりがある。

「すべて我らが見たるもの、また見たりと思いしものは、夢の中の夢にほかならず」

「ボードレールですな!」

「ハッハッハッ!」

これがずっと気になっていた。

「すべて我らが見たるもの、また見たりと思いしものは、夢の中の夢にほかならず」

の出典が知りたくて、ボードレールの詩集を読んだりしたのだが、該当する表現が見つからない。

ボードレールの詩については、福永武彦が訳詩を作っている。大林宣彦監督は、福永武彦の作品を愛読していたから、福永武彦の訳詩を通じて、このフレーズを台詞の中に取り入れたのか?

はたまた、桂千穂の書いたこのドラマの脚本にもともとあった台詞なのか。

そのあたりもよくわからない。

「すべて我らが見たるもの、また見たりと思いしものは、夢の中の夢にほかならず」

これは、ボードレールの愛読者にとっては、よく知られた言葉なのだろうか?

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年に1度の会議

7月13日(金)

新幹線と高速バスを乗り継いで、年に1度の会議に出席する。

なんだかんだで、片道5時間ほどかかる。

で、会議じたいは、1時間半程度である。

外部の有識者、みたいな立場で会議に参加させていただいているのだが、毎回、俺みたいな者でいいんだろうかと、反省することしきりである。

せっかく呼んでいただいたのだから、毎回、何かしら発言することにしているのだが、結局は、全部自分に返ってくる発言になる。

会議が終わり、今日から始まった企画展をみせてもらうことにした。

今流行の「刀剣」である。

刀剣は奥が深すぎて、どうも敬遠しがちな分野なのだが、昨今の刀剣ブームもあり、ずいぶんと敷居が低くなったのではないかとも思う。

「これは、日野のS家に伝わる刀です」

「S家というと、幕末の有名な幕臣の姉が嫁いだ家ではありませんか」

「そうです。この刀は、当時のこの藩の藩主がその幕臣に贈った刀とされ、さらに戊辰戦争の時に、その幕臣が姉の嫁ぎ先であるS家に贈ったものです。今回、特別にS家からお借りして展示することができました」

「いわば里帰りした、というわけですね」

「そうです」

「マニアにはたまりませんねえ」

「そうなんです。Twitterなんかで情報が拡散されたおかげで、反響がすごいです」

今日は初日だから、明日からはマニアがどっと押し寄せることだろう。

ほかにも、私が目を引いたものがあった。

「これは仕込み杖です」

「仕込み杖、ですか」

「これは県内のM町が持っていたもので、明治の廃刀令の後、M町を中心に自由民権運動が起こったときに、いわば護身用にこうした仕込み杖が使われたようです」

「なるほど」

座頭市でしか見たことがなかったので、本物を見たのは初めてである。

「こちらは、なんですか?」

「これは、S市に住んでいた方が、刀の鍔などの装飾品ばかりをコレクションしていたものです」

「刀身ではなく、鍔ばかりを集めていたんですか?」

「そうです」

なるほど、刀剣マニアの中には、鍔マニアもいるというわけか。

やはり奥が深い。

この町での滞在時間は3時間半ほどだった。高速バスと新幹線を乗り継いで、5時間かけて帰宅した。

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備忘録

備忘録1

「(1944年)11月4日、岩本隊長以下5名の将校は、マニラに来るように命令を受けた。ネグロス島にいた富永司令官がようやくマニラに戻ることになり、儀式好きの司令官は、陸軍最初の特攻隊員と宴会をしようと決めたのだ。(中略)

翌5日、午前8時。岩本隊長は、午前中は飛行機の整備、午後は飛行訓練を実施するようにという訓示を佐々木達に与えた後、将校4名と共に九九双軽に乗り込みマニラに向けて出発した。

ルソン島は快晴だった。太陽はすでに高くなり、陽差しは皮膚に痛いほど強かった。アメリカ軍の空襲が、毎朝、定期便のように始まる時刻だった。岩本隊長達が乗っている九九双軽は、一門の機関砲もなく、一機の護衛もつかない状態で、単独でマニラを目指した。岩本隊長の離陸からしばらくして、リバ飛行場は二度、アメリカ軍の空襲を受けた。佐々木が経験する、初めての激しい攻撃だった。爆弾が空気を切り裂いて落下する音が聞こえ、続いて凄まじい爆発が連続して起こり、地面が揺れた。

佐々木は、椰子の根元にしがみつくようにして伏せるしかなかった。機銃掃射が椰子に当たる音がして、大きな葉が佐々木達の上にばさばさと落ちた。万朶隊の民間整備員1名が死亡し、操縦者1名と通信員1名が重傷を負った。

午前11時過ぎ、第四航空軍司令部から、万朶隊宛てに無電が送られてきた。

「岩本隊長は出発せしや。状況によりては、地上、自動車にてこられたし」

リバとマニラの直線距離は約90キロ、九九双軽なら、20分足らずで到着する予定だった。午前8時に出発したのだ。

午後になって、もう一度、「岩本隊長は出発せしや」という無電が届いた。

万朶隊全員が暗い予感に怯えた。ただ、岩本隊長は操縦の名手であり、もし、アメリカ軍と遭遇しても、どこかに逃げきったに違いないと思い込もうとした。

夜9時過ぎ、万朶隊、岩本隊長の乗った九九双軽がグラマン戦闘機に襲われて墜落、岩本隊長以下4名の将校が戦死したという知らせが届いた。(中略)

すぐに、救助隊が編成され、急行した。そして、マニラ近く、バイ湖のほとりで岩本隊長以下4名の遺体は発見、回収された。通信担当の中川克己少尉だけは重傷だった。4名の将校操縦者はグラマンの機銃掃射を受けて、即死状態だった。

万朶隊員達は、祭壇を作って、その前で通夜をした。

誰もが泣いた。そして、マニラに呼び寄せた命令の理不尽さを罵った。岩本隊長達は、富永司令官の宴会のために死んだのだ。

陸軍最初の特攻隊は、隊長だけではなく、将校の操縦者を一気に失ってしまった。

前夜、集会室で岩本隊長はこう言っていた。

「飛行機乗りは、初めっから死ぬことを覚悟している。同じ死ぬなら、できるだけ有意義に死にたいだけさ。敵の船が一隻も沈むかどうかも分からんのに、ただ体当たりをやれ、『と』号機(特攻用飛行機)を作ったから乗って行け、というのは、頭が足りないよ」

佐々木は、歯噛みしながら岩本隊長の無念を思った。涙が溢れて止まらなかった。」

備忘録2

「ここでこの例を出すと、反発する人もいるだろうと分かっていますが、書きます。

僕は毎年、夏になると、『いったいいつまで、真夏の炎天下で甲子園の高校野球は続くんだろう』と思います。地方予選の時から、熱中症で何人も倒れ、脱水症状で救急搬送されても、真夏の試合は続きます。

10代の後半の若者に、真夏の炎天下、組織として強制的に運動を命令しているのは、世界中で見ても、日本の高校野球だけだと思います。

好きでやっている人は別です。組織として公式に命令しているケースです。重篤な熱中症によって、何人が死ねば、この真夏の大会は変わるのだろうかと僕は思います。

こう書くと、『純真な高校球児の努力をバカにするのか!』とか『大切な甲子園大会を冒涜するのか!』と叫ぶ人がいます。

僕は『命令された側』の高校球児を尊敬し、感動します。もちろん、大変だなあと同情しますが、けなしたり悪口を言うつもりはまったくありません。

問題にしたいのは『命令した側』です。

ですが、怒る人は、『命令した側』と『命令された側』を混同するのです。『命令した側』への批判を、、『命令された側』への攻撃だと思うのです。

その構図は、『特攻隊』の時とまったく同じです。

僕が問題にしているのは、徹底して『命令した側です』

毎年、日本の夏が厳しさを増していることはみんな気づいています。亜熱帯と呼んでもいい気候になっていることをみんな知っています。大人達の記憶の中の夏は、こんなに暴力的に暑くはなかったのです。

けれど、いつものように、炎天下の試合は続きます。甲子園大会は所与のものだからです。

昼の12時から3時までは試合を休止しようとか、ナイターをスケジュールに入れようとか、そもそも真夏をはずして秋にしようとか、そういう提案を主催者側がしているという話を僕は聞いたことがありません。大人達は、誰も言い出さないまま、若者達に命令するのです。それもまた、とても、特攻隊の構図と似ていると感じます。

そして、高校野球だけが問題なのではなく、みんななんとなく問題だと思っているのに、誰も言い出さないから、『ただ続けることが目的』となっていることが、この国ではとても多いのじゃないかと僕は思っているのです」

(以上、鴻上尚史『不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか』講談社現代新書、2017年)

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酒宴断捨離

先日、ある自治体につとめている方とお話をした。私より7歳くらい上の方である。

仕事もできて、人当たりもいいので、役所ではひどく重宝されているらしい。

所属部署の関係で、建設業とか商工会議所関係の人たちと一緒に仕事をする機会が多いそうなのだが、仕事柄といってよいのか、飲み会の数が多いらしい。

「月に8回くらい、つきあいの飲み会があるんですよ」

「月に8回、ということは、週に2回ということですね」

「ええ。それもほとんどすべて自腹ですから、月に4万円~5万円は飛んでいきます」

「いやあ、それはたいへんですね」

「俺なんかがいても、とくに何も話すことなんかないんですけどね。でもそこにいなきゃいけないんです」

「たいへんですね」

その方は明るい方なので、飲み会が苦にならないタイプかと思っていたら、実はそうではなかったと知り、その方を気の毒に思った。

さほど出たいとも思わない宴会のために、ひと月に4万円も使うというのは、腑に落ちない。

私は昨年夏に体調を崩して以来、お酒を飲むことはなくなり、飲み会にもほとんど参加しないことにしているのだが、不要不急な飲み会に参加しなくなったことで、ずいぶんと気が楽になった。

しかしどうも世の中には、酒宴文化というのが、まだかなり根強く残っているらしい。

最近、高校時代のクラスや部活の有志が、グループLINEなどで、飲み会の連絡を取り合っているようで、私も一応そのグループに入れてもらっていたりするのだが、そのやりとりを見ていると、実に驚くことばかりである。

たとえば、飲み会の日程調整をするときに、

「あ、その日は別の飲み会が入っているんでNGです」

みたいなコメントを書く人が、けっこういるのである。

ふだん、どんだけ飲み会が開かれているんだ?

また、飲み会の当日に、みんながグループLINEのやりとりをしていたりすることがあるのだが、そのやりとりを見ていると、

「まだ飲み会やってる?今、こっちの飲み会が終わったんで、今から合流します!」

みたいなメッセージを書く人がけっこういたりして、これもまた、ビックリである。

飲み会にどんだけ命を燃やしてるんだ???

…というか、みんな元気だなあ。

私はもう、そういうスタイルのコミュニケーションがすっかり苦手になってしまったので、酒宴だけは、断捨離につとめようと思っている。

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借りてきた猫

熱中症になりそうな暑さである。

娘を、近所のコミュニティーセンターに連れていく。午前中、「ひよこランド」といって、1歳児までの子どもが遊べるスペースがあるのだ。

小体育館みたいなところに、子どもが自由に遊べるスペースを作ってあるのだが、遊ぶっていったって、1歳児未満の子どもたちばかりなので、ほとんどが寝っ転がっている。

そういうところに連れていくと、娘はほとんど何も喋らない。家では、派手に寝返りを打ったり、明石家さんまのような「引き笑い」を繰り返したり、お腹を太鼓代わりにして両腕でポンポン叩いたりするのだが、周りに他人がいると、すっかりと黙りを決め込んでしまうようなのである。

よくあること、と言ってしまえばそれまでなのだが、この性格、誰かに似ているなあと考えていたら、思い出した。

死んだばあさんだ!

子どもの頃に同居していた父方の祖母は、僕が二十歳のときに90歳くらいでこの世を去ったのだが、晩年はうちの地区の「文化センター」の老人クラブみたいなところに、毎日通っていた。ま、「ひよこランド」の高齢者バージョン、いった感じの寄合といったらよいか。

うちのばあさんは、老人クラブに毎日通っているにもかかわらず、借りてきた猫のように、ひと言も喋らなかったらしい。

「おたくのおばあさん、おとなしいわねえ。老人クラブでは、ずっと黙っているのよ」と、子どもの頃、言われたことがある。

僕はそのことが信じられなかった。

だって、家ではものすごい気性が激しいばあさんだったんだぜ。すごい剣幕で、僕を怒ったりするのだ。

なんてったって、趣味はプロレス観戦だもん。金曜日と土曜日の夜8時は、ばあさんがチャンネル権を独占していて、まるで自分がプロレスをしているがごとく、叫ぶのである。

だから、外に出るとおとなしい、というのが信じられなかったのだ。

…娘を見て、そのことを思い出した。

ひょっとして娘も、死んだばあさんのように「外では借りてきた猫、家では気性の激しい内弁慶」という性格になるのだろうか。

うーむ。要注意である。

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再会講演会

7月7日(土)

2月以来、5カ月ぶりに新幹線に乗って、北に向かう。

講演会場に着くと、懐かしい人に再会した。

「ご無沙汰しています」Oさんである。

今から20年ほど前、僕がまだ駆け出しの頃、Oさんから調査の依頼を受けて、Oさんの職場を訪れた。

Oさんは私よりずっと年上の方で、見た目も、厳格そうな方だった。

それまでは、師匠にくっついて調査に行くことがもっぱらだったので、僕一人で調査に呼んでいただく、なんてことは、ほとんど初めてのことだった。そんなこともあり、僕はひどく緊張した。Oさんはベテランだし、僕は駆け出しなので、試されてるのかなあ、と思ったりもしたのである。シニカルな語り口が特徴的な方だった。

それでも、調査の成果はなんとか形になり、ひとまず責任を果たすことができた。

その後、Oさんにお会いする機会があまりなくなってしまったのだが、数年経って、Oさんが職場をお辞めになったとうかがった。

もう一緒に仕事をする機会はないのが残念だった。この業界からも離れてしまったのだろうか、と思っていたが、4年前、ある会合でNさんという方に久しぶりにお会いしたとき

「この前、Oさんに会って、あなたのことが話題に出ましたよ。ひょっとしたら、今日、あなたに会えると思ってね。Oさんがあなたによろしくと言ってましたよ」

と言われ、とてもびっくりした。Oさんは僕のことを覚えていてくださったのだ。と同時に、15年ぶりにお会いしたNさんも、僕のことを覚えてくださっていたことに驚いたのである。

そして今日、講演会場でOさんに再会したのである。

久しぶりにお会いしたOさんは、さすがにお年を召した印象だったが、それでもかつての印象と変わらなかった。

「今日はあなたに一目会いたいと思ってね、やってきました」

「お会いできてうれしいです」わざわざ僕に会いに来てくれたことに、僕は感激した。

「職場、変わったんだね」

「ええ」

「フフフッ、前の職場を見捨てた?」

「いえ、後ろ髪を引かれる思いでしたよ」

「なるほど、フフフッ」

Oさんのシニカルな語り口は健在で、僕はなぜか安心した。

20年前は駆け出しだった僕が、いま、エラそーに講演だなどといって、多くの先輩方の前でお話しをすることを思うと、いささか緊張した。

2時間近くの講演を終え、演壇を降りると、Oさんが、

「今日は会えてよかった」

といって帰って行かれた。

今回の講演では、ほかにも、かつて調査依頼をいただいたY村のKさんなど、懐かしい方々にたくさん再会した。

懇親会の席で僕は、

「今日は懐かしい方々にたくさん再会できて、とてもうれしい一日でした。また、仕事を通じてお会いできる日を楽しみにしています」

と挨拶した。

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エキストラ

大林宣彦監督の新作映画が、尾道でクランクインしたという。

先日の大林監督のインタビューをご一緒したお二人から、「エキストラの募集をしていますよ!応募してみませんか?」と、半ば冗談、半ば本気でお誘いいただいたのだが、エキストラの条件を見ると、衣装の関係からだと思うが、

「普通の体型の人に限ります」

とあって、日ごろビッグサイズ専門店のお世話になっている自分にはとても無理だと思い、応募を断念した。

お二人はエキストラに応募したらしく、「抽選に落ちたとしても、尾道に陣中見舞いに行ってきます」と、尾道行きを計画しているらしい。

今の僕にはとてもそんな余裕がないので、残念ながら行けないのだが、そもそも僕には、エキストラとして映画に出演したい、という強い思いそのものがないようである。

僕は大林監督の30年来のファンであっても、「追っかけ」ではない。だから、少しでも監督に近づきたい、というような感覚は、ないのかも知れない。

僕にとっては、先月にお会いして4時間にわたるお話をうかがっただけでもう十分なのである。何より、仕事として対等な形でお会いできたことがうれしかったのだ。

そこで聞いたお話を反芻し、そのとき話題に出た名画を自分自身で鑑賞する、というかたちで、自分の血や肉にしていく、どいうのが、どうも僕の「ファン道」らしい。

立川志らくさんが、師匠の立川談志の好きな古い映画を見まくり、古い歌謡曲を聴きまくる感覚に、近いのかも知れない。

もちろん、憧れの人とできるだけ同じ場にいたいと思う心理もまた、正統な「ファン道」であると思う。

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リスケ

和尚さんのもとに、SNS経由で一斉送信のメッセージが来た。

「今週末開催予定の同窓会、リスケをお願いします」

和尚さん、この「リスケ」がよくわかんない。

和尚「珍念や!」

珍念「へーい」

和尚「リスケじゃがのう。うちにあったかのう?」

珍念「リスケって、いったい何です?」

和尚「おまえ、寺方にいてリスケを知らんやつがあるか!俺はお前に教えたはずだぞ」

珍念「へえ、すんません。忘れました」

和尚「なぜ忘れる?いいことがある。近所に物知りのご隠居がいるから、そこへ行って聞いてみなさい」

珍念「何て言って行くんです?」

和尚「リスケがおありですか、と」

珍念「あるって言いましたら?」

和尚「あると言うたら必要だからと言ってちょっと借りてきなさい」

珍念「借りに行くんでも品物を知らないで行っちゃおかしいんですけど…何のことなんです?」

和尚「先方へ行ってそう言ってみれば向こうの返事であらかた様子がわかるで。行ってみなさい!」

珍念「へーい。…こんにちは」

ご隠居「おや、誰かと思えば御小僧さんじゃないか?まあまあこっちへお上がりよ」

珍念「どうもすいませんです、ごちそうになりましてね」

ご隠居「なんだい、その「ごちそうになりまして」てえのは」

珍念「「まんまおあがり」といいますから、御膳をご馳走になるんでがしょ?」

ご隠居「いや、おまんまじゃないよ。まあまあこっちにお上がり、と言ったんだ」

珍念「あー、そうですか。「まあまあおあがり」か。なんだ、メシじゃねえのか。なんだがっかりさせやがって」

ご隠居「なんだよ。飯を食うつもりで来てんのかい?ヘンなやつだな。お上がり」

珍念「へい、どうも」

ご隠居「今日はどうした」

珍念「へえ、今日は物知りのご隠居さんに、聞きたいことがございましてね」

ご隠居「何だ?」

珍念「あのう…リスケがおありですか?」

ご隠居「何だって?」

珍念「ですから、リスケがおありですか、とこう言ったんです」

ご隠居「リスケ…あるぞ!」

珍念「ありますか!?」

ご隠居「到来物のリスケだがね。

珍念「弔いもんですか?」

ご隠居「「弔いもん」じゃねえ、「到来物」だよ。よそから頂いた…」

珍念「そうだろうねえ。買うわきゃねえからね」

ご隠居「口が悪いねどうも。…えー、リスケを切っておくれ、ばあさんや。薄く切るとまたぐずぐず言うからな。了見なんぞ見られるといけないから厚く切った方がいいよ。お茶入れかえておくれ、ばあさん」

珍念「おう!ばあさん、そうだよ。薄く切っちゃいけねえよ。リスケの薄いのは痛々しいからな、ばあさん。厚く切った方がいいよ、ばあさん。お茶入れかえてね、ばあさん。ね、ばあさん」

ご隠居「この野郎、ばあさんばあさん言いやがって。てめえがばあさんばあさんということがあるか!」

珍念「妬くな」

ご隠居「妬いてやしねえよ、まったく。どうもしょうがねえなあ。どうだい、リスケの味は」

珍念「これがリスケですかい?」

ご隠居「そうだ。これが正真正銘のリスケだ」

珍念「ずいぶんと美味しいんですなあ、リスケは」

ご隠居「舶来ものだからなあ」

珍念「薄情者ですか?」

ご隠居「薄情者じゃない、舶来ものだよ。外国からわたってきた」

珍念「なるほど、どうりでうめえわけだ。で、ご隠居、お願いなんですが」

ご隠居「何だ」

珍念「うちの和尚さんが、リスケが必要だからぜひ借りてきなさいって言ってましてね」

ご隠居「貸すなんて野暮なことは言わんよ。もう一つあるから持って行きなさい」

珍念「ありがとうございます」

(帰り道)

珍念「ご隠居さんもバカだねえ。どう考えたってこれはビスケットじゃないか。さてはご隠居さん、ビスケットを知らないな。よし、こうなったらヤホーで調べてみよう」

ピッピッピ…

珍念「なになに、リスケとは、リスケジュールのことで、日程再調整のことだって?しかしこんなマヌケなビジネス用語みたいな言葉、得意げになって本当に使っている人がいるんだねえ。…それはそうと、待てよ、ということは、うちの和尚さんもリスケを知らないんじゃないか?そうだ、試しにこのビスケットをリスケだと言って渡してみようか。違うって言ったら知ってるということだし、そうだって言ったら知らないってことになるな」

和尚「戻ってきたか。リスケはあったか?」

珍念「ありました」

和尚「どれ、見せてみなさい」

珍念「でも和尚さま、リスケをご存じなんでしょ?」

和尚「もちろんそうだ」

珍念「じゃあもったいぶらなくて教えてくれてもいいじゃありませんか」

和尚「ばかもん!お前が持ってきたものがリスケなのかどうか、確かめねばいかんだろ!見せてみなさい」

珍念「へぇ」(…と、おそるおそる差し出す)

和尚「なるほど、これがリスケか…。いや、リスケが洋菓子であることくらい、俺はお前に教えたはずだぞ!」

珍念「フフフッ」

和尚「何が可笑しい!」

珍念「いえ…」

和尚「よし、リスケを、同窓会に持っていこう」

珍念「どうして持っていくんです?」

和尚「どうしてってお前、幹事が「リスケをお願いします」と言ってたんだぞ。ここはひとつ、上等なリスケを持って行ってみんなを驚かしてやろう」

珍念「みなさん、驚くと思いますよ、フフフッ」

和尚「何が可笑しい!」

和尚さん、奮発して上等なビスケットを買って同窓会場に行ってみたが、人っ子一人いない。

それもそのはず、同窓会の日程は変更されていたんですから。和尚さん、それを知らなかった。

和尚「うむ。誰もいない。どういうことじゃ。おかし(お菓子)な話だ」

鬼瓦亭権三(ごんざ)でございました。

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怪しい封書

7月2日(月)

3カ月ぶりの職場復帰である。

この3カ月間、いちども職場に顔を出していなかったので、郵便物がたまっていた。

郵便物を一つ一つ確認していくと、一通、とても怪しい封書を見つけた。

いらなくなったカレンダーの紙を使って封筒を作り、そこにあてさきと差し出しが殴り書きされている。

差出人のところをみたが、住所は書いたおらず、なにやら長ったらしいメッセージのようなものが書かれている。

ははーん、とうとう俺の言動に対して、ネトウヨが嫌がらせの手紙を送ってきたな。

差し出しのところをよーく読んでみた。

「JUNIEL JUNIEL 五少女のすりきれず 

KARA ギュリ スンヨンの ニコル待つ グ・ハラ待つ ジョン待つ

食う寝る一緒に住むTwice ぺたら工事のジア グァンヒ

ベビボベビボ ベビボの10人いない 10人いないの5人だい

5人になっても解散しない 少女時代を

チョー急に辞めたチョン・スヨンちゃんの生誕を祝う

K-POP落語友の会 代表 こ・ぶ・ぎ」

なんだい!こぶぎさんか!

しかしまいったねえどうも。K-POPアイドルの情報を落語の「寿限無」に乗せて書いてくるんだから。

どれどれ、消印を見てみよう。

4月18日!

するってえと、2カ月半前に投函して、ずーっとツッコミ待ちだったってことか!

ずいぶんと気の長い話だねえどうも。

さてさて、封書の中を見てみるか。

…なんだいこりゃ。

「はっぴいばあすでい」のメッセージが書かれた鯛の絵だ。

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こりゃまためでたいねえどうも。

おや、ひょっとしておいらの娘の誕生を祝ったのかな?うれしいねえどうも。

…いや、ちょっと待てよ。差出人のところに「チョン・スヨンちゃんの生誕を祝う」とあったぞ。

…ってことは、なんだい、スヨンちゃんおめでとうって意味か!

しかしこの絵、ずいぶんと個性的だねえ。

「TSURUTARO」とあるぞ。片岡鶴太郎!鶴ちゃんの絵かい!

なぜに片岡鶴太郎…?

ん?まだ何か入っているぞ。

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なになに、「福島片岡鶴太郎美術庭園」?

福島に鶴ちゃんの美術館があるのか!!??知らなかった。

チケットに付箋が貼ってあって、殴り書きでなんか書いてあるぞ。

「この券で入場無料になります」

招待券か?

いや、違う!半券がもぎられている!

1回使っているチケットだ!

このチケットを持参すると、2回目は無料で入館できるらしい。

たしかに無料では入れるチケットだが、要は使い古しのチケットということだな!

鶴ちゃんの美術館に行って、面白くなっちゃったんで、使い古しのチケットを送ってくれたのだな。

「せっかくタダのチケットをもらったんだから、見に行ってくればいいじゃん」

「イヤだ」

「どうして?」

「往復の交通費で、鯛がたらふく食える」

(お囃子、鬼瓦亭権三退場)

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さてここでクイズです。ここに登場するKーPOPグループの合計人数を足すと、何人になるでしょうか!

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結局、役に立ちませんでした

7月1日(日)

3カ月の育児休暇が、とうとう終わってしまった。

いま思うのは、「結局俺は、何の役にも立っていなかったな」ということである。

ミルクを飲ませる作戦も、いまだに失敗が続いている。

おむつを替えるとか、お風呂に入れるとか、そういう簡易なことしかできず、イクメンなんて、ちゃんちゃらおかしい。

だいたい、イクメンを標榜しているタレントに、ロクな奴はいないのだ。

…話が逸れた。

私について言えば、たいしたこともしていないのに、ヘトヘトになってしまう。

ちょうど1年前に大病を患って以来、思った以上に気力と体力が落ちてしまった。ちょっとしたことでもしんどくなる。これでは、イクメンどころか、仕事に復帰するのも不安である。おそらく周りの人から見れば、やる気のない人間に見られるだろう。

これから片道2時間半かけて通勤する日が続くとなると、それはそれで、憂鬱である。

というわけで、パワーダウンして仕事復帰をすることになりそうだ。

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