○○魂
7月23日(月)
前日は、職場で終日会合があった。
会合が5時に終わり、急いで東京駅に向かう。
東京駅から北へ向かう新幹線に乗って3時間45分。終着駅に着いた。
今朝から、調査である。
同業の仲間から依頼を受けて、急遽この町に訪れることになったのである。
調査の合間に、最近開館した、港町の歴史伝承館を案内していただいた。
恥ずかしながら初めて知ったのだが、この港町は、太平洋戦争敗戦直前の1945年8月14日夜から15日未明にかけて、米軍による大規模な空襲を受けたという。つまり最後の空襲がこの港町だった。
あと一日終戦が早ければ、空襲に遭うこともなかったはずなのだが、不運にも、空襲により多くの犠牲者が出てしまったのである。
曳山祭りが有名な港町で、歴史伝承館には、かつての曳山のひとつが展示されていた。
「ずいぶん大きな曳山ですね」
「いまの曳山はそれほど大きくないんですが、戦前くらいまではこれくらい大きな曳山が作られていました」
曳山には、メッセージが書かれていた。
「戦火にも屈せず曳き継ぐ港魂」
「戦火」とは、この港町が受けた空襲のことを意味するのだろう。おそらくこの曳山は、戦後間もないころのものを復元したものと思われる。
私の目を引いたのは、「港魂」という言葉である。
この言葉を見て思い出した。
ある本を作るために、映画作家の大林宣彦さんにインタビューしたという話は、このブログで何度も書いているが、そのときのインタビューの中で、大林監督は次のようなことをおっしゃっていた。かいつまんで書くと、
「東北地方の六つのお祭りが集まった六魂祭。ここに「魂」という言葉が出てくるが、「魂」という言葉は、西日本はほとんど使わない。
僕は西の方の人間だから。僕の友人の新聞記者さんに、おい、魂って僕達言ったけってたずねたら、戦争中に大和魂という言葉があったことは僕も知識で知っていますが、敗戦後は魂と言った人間はいないでしょうと答えが返ってきた。
僕は長岡の映画で初めて雪の里の長岡を知って、そこで「長岡魂」という言葉を聞いて、この言葉がとても印象に残った」
戦災や自然災害、さらには過酷な自然環境を克服してきた地域の人びとだからこそ、この魂という言葉が響くのだろうと、大林監督は仮説を立てる。
なるほど、そういえば東日本大震災から復興するために、「東北魂」という言葉がよく使われるようになった。
そしてこの港町でも、戦災から復興するために、かつて「港魂」という言葉が使われていたのである。
東日本、とくに雪の多い地域で「魂」という言葉が精神的支柱となるという仮説は、検証してみる価値がありそうだ。
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コメント
実に興味深いお話です。
東日本大震災の後、被災地各地で心霊現象が相次ぎました。
始めはオカルトなタブーとされていましたが、内容が具体的で単なるオカルト話ではないのではととある大学のゼミが研究を開始。ついには書籍として世に出ました。
幽霊は怖いのが普通なのに、東北の人は怖がらない。むしろ家に帰りたいんだなと、空のタクシーを海辺まで走らせる運転手までいる。
震災後の心霊現象の捉え方に魂を考えるヒントがあるかもなんて思いました。
投稿: 江戸川 | 2018年7月24日 (火) 08時01分
その研究、以前新聞で読んだことがあって、とても興味深いなあと思っていましたが、書籍になったんですね。
土地の名前を冠した「○○魂」って、地縛霊的なもの(つまりその土地に根ざしているスピリチュアルなもの)に近いのかな、と思ったりしています。
投稿: onigawaragonzou | 2018年7月25日 (水) 01時37分