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ポーとボードレール

前回までのあらすじ

大林宣彦監督の超マイナー作品「麗猫伝説」の中に、

「すべて我らが見たるもの、また見たりと思いしものは、夢の中の夢にほかならず」

「ボードレールですな!」

「ハッハッハッ!」

という台詞があって、この「すべて我らが見たるもの、また見たりと思いしものは、夢の中の夢にほかならず」の出典となったボードレールの詩は何だろう?ということを書いたら、このブログのメインコメンテーターのこぶぎさんが、これはボードレールの詩ではなく、エドガー・アラン・ポーの詩であると教えてくれた。

じゃあ、「麗猫伝説」の脚本を書いた桂千穂か、あるいは撮影台本を書いた大林監督が、ポーの詩をボードレールの詩だと勘違いのかな?と書いたのだが…。

ここからが本題。

このブログの準レギュラー、「高校時代の友人・元福岡のコバヤシ」からメールが来た。

「さて、貴君のブログにポーの言葉をボードレールの言葉のように語っていた云々というのが有りましたが、貴君も既にご存知でしたら失礼しますが、ボードレールとポーは切っても切れない関係に有ります。

ボードレールはポーの文章を読んで、これぞ自分が求めていた世界だと感激し、フランス語に翻訳しています。それは今でも名訳として通っており、19世紀末のヨーロッパにはボードレールを通してポーは広まり、ついにはアメリカで再評価するに至ったのです。

そういう意味では、ポーの言葉をボードレールの言葉として語るのは、あながち間違えとは言えないような気がします。

私も大学時代、フランス語が出来ないのに血迷って、フランス語原点購読という授業を取って、ボードレール訳のポーを読まされました。何でフランス語でポーなのか?と思ったいたのですが、前述の理由を知り、なるほどと思った次第です。

ちなみに、この時の授業は、澁澤龍彦の盟友、出口裕弘というジョルジュ・バタイユを日本に紹介したことでも有名な先生に習ったのですが、当時は全く有り難みを感じずに授業を受けていました。勿体ないことをしたものです。

もっとも、ボードレールとポーの関係は、出口先生の授業で教わったのではなく、ボードレールの専門家である横張先生という先生に教えてもらいました。

その先生の家に遊びに行った時に、何故、ポーをわざわざボードレールのフランス語訳で読むのでしょうか?と聞いたことがあり、教えて貰ったような気がします」

なるほど。

不勉強でまったく知らなかった。

ポーとボードレールには、そういう関係があったのか!

実に面白いではないか。

私がたまたま「麗猫伝説」という、まったく無名の作品に出てくるボードレールの詩に疑問を持ったことがきっかけで、こぶぎさんがポーの詩であることをつきとめてくれ、さらに高校時代の友人・元福岡のコバヤシが、ポーとボードレールの関係を説明してくれる。

何というか、不思議な連係だ。

コバヤシにしても、まさか学生時代に疑問に思って先生に聞いたポーとボードレールの関係が、今になって役に立つとは、思っていなかっただろう。

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