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トラウマ

7月30日(月)

前日、新幹線と私鉄電車を乗り継いで、約3時間半ほどかけて西の町に行く。

今日は朝からこの町で半日ほど仕事をして、再び私鉄電車と新幹線を乗り継いで帰ってきた。

新幹線の中で、つらつらと考えたこと。

新潟県の長岡市では、毎年8月2日と3日に花火大会が行われる。

花火大会の前日、8月1日の夜10時半に、「白菊」という花火が一発だけ空に咲く。

1945年8月1日に、長岡で米軍による大規模な空襲があった。

午後10時30分から1時間40分もの間、米軍は長岡の市街地を爆撃した。旧市街地の8割が焼け野原と化し、1,486名が犠牲となった。

このことを忘れないために、長岡では、毎年8月1日の午後10時半に、「白菊」という花火を、1発だけ空に上げるのである。

それは、慰霊の花火である。

しかし、この花火が、必ずしもすべての人の心を安らかにするわけではない。

空襲を体験した人の中には、この花火の音を聞くと、あのときの爆撃の音を思い出し、いまでも耳をふさいでしまう、という人がいるそうだ。

大林宣彦監督の映画「この空の花 長岡花火物語」には、そういう場面がある。

大林監督は、その事実を知り、「この映画を作ったことで、誰かを傷つけたかも知れない」と語っていた。

みんなを幸福にするはずの花火なのに、つらい記憶を呼び覚ましたり、みんなを幸福にするはずの映画なのに、誰かを傷つけたりすることに、僕自身は、これまで無頓着だったかも知れない。

無邪気に放った言葉が、人を傷つけたり、トラウマを呼び覚ましたりする場合があることに、僕はもっと自覚的であるべきなのだろう。

このたびの本が完成したあとになって、気づいたことである。

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