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2018年9月

なんとかソーリ

「ラングドシャへの道・後編」を書こうと思ったが、とりあえずほかの話。

9月29日(土)

来年4月から娘を保育園に入れないといけないので、そのための説明会やら見学会が、これからしばらく続く。

待機児童問題は、ほんと、シャレにならないくらい切実だからね。そのことを考えるとひどく鬱になる。

今日の午前中は、ある保育所の説明会である。

不思議なのは、「説明会にはお子さんを連れてこないでください」とあった。

いやいや、子どもを預けるところがないから保育所に預けるんでしょう?説明会に出るために、子どもを誰かに預けなければならない、というのは本末転倒である。

仕方がないので実家の母に来てもらい、娘の面倒をみてもらうことにして、保育所に出かけた。

説明会を聞きに来た人は、ざっと5~60名くらいいただろうか。保育園に入園できるのかが、かなり切実であることがよくわかる。競争率、高そうだなあ。

僕らのように夫婦で来ている人たちもいれば、どちらかが来ているという場合もある。おそらく、どちらかが説明会に参加して、もう一人が子どもの面倒をみているのだろう。

さて、説明会が始まった。

この保育所は、「なんとかソーリ」教育を基盤に置く保育所だ、と最初に説明があった。

「なんとかソーリ」?初めて聞く言葉である。

あとから調べてみると、イタリアの女性医学者の名前だそうで、その人が開発した教育法らしい。

園長先生が、2時間近く、保育所での教育の実例をパワポで示しながら、この保育所の教育方針などを説明していた。

その間、私たちは、ひたすらそのお話しを聞く。

「なんとかソーリ教育は、あの天才将棋少年も受けていたんですよ」とか。

その教育法が、いかにすばらしいかという説明が続いた。

「私たちは、2020年の政府の教育改革に方針に沿った教育を考えております」

2020年の教育改革?そんな改革があるとは、知らなかった。何でもかんでも、2020年なんだな。

「まずは、アクティブラーニングです」

そう言って、この保育所でのアクティブラーニングの実例を説明した。

写真に映し出された園児たちは、実ににこやかに、そして積極的に、先生の与えられた課題に取り組んでいた。

「続いて、キャリア教育です」

キャリア教育?

「給食などを当番制にして、仕事に対する意識を高めるようにしています」

なるほど、キャリア教育ねえ。

「アクティブラーニング」だとか「キャリア教育」だとかは、「前の職場」にいたころにさんざん聞かされた単語で、僕のような頭の古い人間は、「しゃらくせえ。お上の考えることなんて、ほんと、上っ面だけだよな」と思いながら、職場の方針に心の中で反発をしていた。

それが、すでに保育所にまで浸透していたとは、驚きである。

小学校に上がる前から「アクティブラーニング」「キャリア教育」かよ。ちょっとかわいそうだよなあ。

その保育所では、漢字や、簡単な英会話なんかも教えているらしい。

むかし、上岡龍太郎が、

「僕なんか、小学校に上がる前に、ひらがな、カタカナ、漢字、ローマ字、簡単な英会話ができてましたから」

と、得意の「インテリギャグ」をかまして、鶴瓶に「ホンマでっか?師匠!」と突っ込まれていたもんだが、いまやギャグなんかではなく、本当に保育所では、

ひらがな、カタカナ、漢字、ローマ字、簡単な英会話

を教えているんだな。

パワポのスライドに映し出されてる子どもたちは、みんな行儀正しく、楽しそうに笑っている。だれ一人、取り乱す者がいない。

僕はそれに違和感を覚えた。

暴れる自由がないではないか。

落ち着きのない子は、きっと、居心地が悪いだろう。ドロップアウトしてしまうかも知れない。

そういえば、タモリがこんなことを言っていた。

幼いころ、幼稚園に行けと言われて、幼稚園ってどういうところだろうかと思って見学しに行った。

すると、

「♪ギンギンギラギラ 夕日が沈む」

と、みんなでお遊戯をしていた。

俺はああいうことはできない。 なんであれが楽しいんだ?それで、なんで俺があれをやんなきゃいけないんだ?となって、親に「幼稚園は絶対に行きたくない。お遊戯なんか絶対にやりたくない」と言って、幼稚園に行くのをやめた。

スライドを見ながら、この話を思い出したのである。

ここから先は、僕のヒネクレ根性から出た妄想なのだが。

何とかソーリ教育、それ自体は、本来とてもいい教育なのかも知れない。

しかし、それをこの国の幼児教育に翻案する際に、問題は起きないのだろうか。

「同調圧力」という、この国特有の悪しき社会規範に、あてはめてはいないだろうか?

説明会を大人たちだけに限定したのはなぜなのか?

まずは親にこの教育法のすばらしさを洗脳することにあったのではないだろうか?

なんとなく、自己啓発セミナーと同じにおいを感じたのは、僕の心が病んでいるからだろうか?

午後は、すっかりグッタリしてしまった。

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ラングドシャへの道・前編

職場の同僚が、京都の出張みやげにラングドシャを買ってきた。

いまや、京都みやげは、八ッ橋ではなくラングドシャである。

それで思い出した。

僕がいかに無知な人間であるかを示すエピソード

数年前だったか。

京都みやげに、ラングドシャを買ってきた。

ところで、ラングドシャって、何だ???

ラングドシャの意味がわからない。

和尚「珍念や!」

珍念「へーい」

和尚「ラングドシャじゃがのう。うちにあったかのう?」

珍念「ラングドシャって、いったい何です?」

和尚「おまえ、寺方にいてラングドシャを知らんやつがあるか!俺はお前に教えたはずだぞ」

珍念「へえ、すんません。忘れました」

和尚「なぜ忘れる?いいことがある。近所に物知りのご隠居がいるから、そこへ行って聞いてみなさい」

珍念「何て言って行くんです?」

和尚「ラングドシャがおありですか、と」

珍念「あるって言いましたら?」

和尚「あると言うたら必要だからと言ってちょっと借りてきなさい」

珍念「借りに行くんでも品物を知らないで行っちゃおかしいんですけど…何のことなんです?」

和尚「先方へ行ってそう言ってみれば向こうの返事であらかた様子がわかるで。行ってみなさい!」

…また始まった。

何でもかんでも、わからない言葉を落語の「転失気(てんしき)」で煮しめるのは、やめれ!

とにかく恥ずかしいことに、ラングドシャの意味がわからないのだ。

物知りの妻に聞いてみると、

「そんなこともわからないの?」

と言われた。

「有名なお店の名前?」

僕はてっきり、ラングドシャを「ラングド社」もしくは「ラングド舎」というフランスあたりの有名なお菓子店の名前かな?と思ったのだ。「ぴょんぴょん舎」みたいに。マジな話である。

「まさか、『ラング土砂』という意味でもないよねえ」

妻は呆れた様子だった。

「ラングドシャ」の「シャ」の意味、わからないの?」

「わからない」

妻は少し考えて言った。

「じゃあ、『シャノアール』ってあるでしょう」

「ああ、喫茶店の」

「シャノアールって、どういう意味?」

そういえば、シャノアールの意味がわからない。ルノアールと同じ、画家の名前かなんかかな、と思っていたのだ。

「画家の名前?」

「それはルノアール。ラングドシャのシャと、シャノアールのシャは、同じ意味」

ますます混乱してきた。

シャノアール、シャノアール、シャノアール…。

シャノアールという言葉を聞いて、30年以上の思い出が、鮮やかによみがえってきた。

高校1年のときのことである。

吹奏楽団に入っていた僕は、部活が終わると、みんなと一緒によく喫茶店のシャノアールに行った。

1つ上の学年の先輩たちがよくいっていたお店で、そこについていったのである。

高校生になって喫茶店に入るなんてのは、大人になった気分がしたものだ。

1つ上の学年に、O先輩という人がいた。

まことに独特な感性の持ち主で、いまは有名な漫画家である

高校時代は、頼まれもしないのに、毎日回文を考えて、音楽室の前の黒板にその回文を披露していた。ほら、よくモスバーガーのお店の前に置いてある季節のおたよりを書いた黒板みたいな感じで。

「猪木の胃」とか、そんな回文である。

ちょっと独特の感性を持っていた人なんだが、その先輩が、喫茶店シャノアールに行くと、必ずすることがあった。

喫茶店に行くと、注文を聞く前に、店員さんがまずおしぼりとお水を持ってくるでしょう。

で、そのあと、コーヒーなんかを注文して、コーヒーを飲みながら、べちゃくちゃお喋りした。

問題はそのあとである。帰り際、O先輩はとんでもないことをするのが日課だった。

O先輩は、お水の入ったコップの上に、おしぼりが入っていたビニール袋を使って、まるでラップで蓋をするかのようにしてコップの口をふさぎ、それを手で押さえる。

で、そのコップを、水がこぼれないように蓋にしたおしぼりのビニール袋を押さえながら、ひっくり返してテーブルに置く。

つまり、コップの飲み口の部分が下に、コップの底が上になるように逆さまにするのである。

ここまで、わかるかな?

で、最後にコップの飲み口に蓋をしていた、おしぼりのビニール袋を、マチャアキが新春かくし芸大会でよくやっていた、「テーブルクロス引き」さながらに、サッと引くのである。

するとどうなるか?

テーブルの上に、水の入ったコップが、逆さまに置いてある格好になるのである!

で、テーブルをその状態のままにして、レジで会計を済ませ、みんなでお店を出る。

困るのは、店員さんである。

テーブルに、水の入ったコップが、逆さまに置いてあるのだ!

これをこぼさないように、片付けなければならない。

ひどいイタズラである!!!

いいですか。よい子のみなさんは絶対にマネをしてはいけませんよ!

僕たちは、そそくさとお店を出るわけだから、テーブルを片付けるときの店員さんの反応を見たことがない。

だから、実際、そのあとどのようなことになったのか、まったくわからないのだが、たぶん、さぞかし怒っていることだろうと、予想した。

いま思えば、性懲りもなくそんなイタズラを何回もしたのに、よく出入り禁止にならなかったもんだ。

いまでもたまに、シャノアールの系列店に入ると、何とも言えない罪悪感にさいなまれることがある。

それもこれも、O先輩がすべて悪いのだ!!!

…と、ここまで思い出して、

アレ?俺はいま、何について考えていたのか?

とわからなくなってしまった。

そうそう、「シャノアール」の意味だ!

というか、そもそもは「ラングドシャ」の意味だ!

はたして「ラングドシャ」は解明されるのか??

ラングドシャまでの道のりは遠いなあ。

(次回に続く)

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恒例行事

相変わらず、憂鬱な日々である。

「前の職場」にいたころ、この時期がとても憂鬱だった。

理由は、「新学期が始まるから」である。

いまは新学期が始まる心配がなくなったが、憂鬱であることには変わりない。

昨日のことである。

職場の仕事部屋で仕事をしていたとき、ふとズボンに目をやると、ズボンのベルトが外れていた。

ん??

よく見ると、外れているのではない。ちぎれているではないか!!!

どういうわけか、ズボンのベルトが、ちぎれているのである。

びっくり!!

だって、ちぎれるようなベルトじゃないんだよ!!

手でいくら引っ張ったってちぎれない、丈夫なベルトなんだから!

それがどういうわけか、ベルトが引きちぎられているのだ!!

誰だ俺のベルトを引きちぎったのは???

…どうも俺の出っ張ったお腹が、ベルトを引きちぎったようである。

どんな腹をしてるんだ!

そういえば思い出した。

1年に1度ていどの割合で、ズボンのベルトがちぎれるんだった!

昨年は、6月1日(木)にズボンのベルトがちぎれたので、慌ててベルトを買ったのだった。そのときのことは、よく覚えている。

で、いまはそのとき買ったベルトが、ちぎれてしまったのである。

うーむ困った。

このまま歩くと、ズボンがずり落ちてしまう。

仕方がないので、片手でズボンを押さえながら歩くしかない。

片手でずーっとズボンの前を押さえながら歩くのは、いかにもアヤシい。ちょっと変態チックである。

そこで、もう一方の手に書類を持ち、その書類で、押さえている片手を隠す。

…すると、ますますアヤシい(汗)。

なんとか午後の仕事を乗り切り、帰宅することにした。

ここからがまた、大変である。

なにしろ2時間半かけて、電車を乗り継いで帰宅しなければならない。

このままだと、帰宅したころにはズボンがすっかりずり落ちて、完全に変態だと思われてしまうぞ。

とにかく、どこか途中で、間に合わせでもいいからベルトを買わなければならない。

で、乗換駅で途中下車して、ズボンの前を片手で押さえながら、ベルトを売ってる店を探すことにした。

そこで気がついたのだが、駅ビルとか、駅の近くにあるお店って、レディース用のお店しかないんだね。

紳士用の店が、全然見当たらないのだ!

どういうことだ?

だいたい紳士服のお店って、幹線道路沿いにあって、車でないと行けなかったりすることが多い。

つまり、男性は車を運転するから、車で行くのに便利な立地の所にお店があり、女性は電車を使うから、駅の近くにお店が多い、ということなのか???

うーむ。ジェンダー研究の対象になり得るネタかも知れない。

…そんなことを考えている場合ではない。

ようやく、「激安の殿堂」というお店に、紳士服売り場があるのを見つけ出した。

あったあった!ベルトがあったぞ!

しかし、である。

ベルトの長さがどれも短すぎる!!!

俺のお腹を1周しないではないか!これではベルトを締められないぞ!

うーむ。困った。

紳士服売り場で、ベルトを1本1本取り出しては、俺の腹周りにあててみて、ベルトがしめられるかどうかをチェックした。

まことに情けない。

ようやく、かろうじてしめられるベルトが1本見つかった。

レジに行き、会計を済ませ、すぐにトイレに駆け込み、ベルトをズボンに装着した。

(よかった…。これでなんとか帰宅できるぞ)

めっきり涼しい季節になったはずなのに、なぜか大汗をかいていた。

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ツトムさん

ドキュメンタリー映画の主人公、ツトムさんは、昭和16年生まれ。

昨年死んだ、僕の父と同じ年の生まれである。

父の死後、ツトムさんと出会ったというのも、何かの縁だろう。

僕はツトムさんに「スベリヒユ」の情報を伝え、ツトムさんがそれを買い占めたという話を、このブログに書いた。ツトムさんは映画上映後のトークイベントで、このスベリヒユをお客さん全員におみやげとして配るのだという。

そのあと、僕はまたツトムさんにメールを書いた。僕の高校時代の恩師が、実はマーシャル諸島と福島を繋ぐプロジェクトを立ち上げていたんですよ、と。

そのホームページも紹介した。

そしたら今日、ツトムさんから、メールが来た。

「鬼瓦先生、先日はメールありがとうございました。

お陰でさまで「スベリヒユ」124ケ準備できました。

トークショーの後、皆さんに配布します。

鬼瓦先生の高校時代の恩師が立ち上げたプロジェクトに加入しましたら、昨日「会報第27-28-29便」が届きました。

見てびっくり、マーシヤルで経験・体感・したことが、身近に感じ感動・感激しました。

実際に親睦を体験した学校・マーシヤル諸島短大(CMI)・アレレ博物館等々の文字が確認され凄く懐かしさを覚えました。

先生には、奇跡的な日記解読から始まり、連鎖的な繋がりに、ただただ驚いております。

ほんとうにありがとうございます。」

なんと!

「スベリヒユ」を124人分も用意したのか!!!

それと、

福島とマーシャルを繋ぐプロジェクトにも、いつのまにか入会していた!!!

おそるべき行動力である!!

…と思っていたら、こんどは、「編集者のO さん」からメールが来た。

「先日、N先生からお電話をいただきました。 映画のチラシをご所望でしたので、お送りしております。 先生の高校時代のご担任ということで、驚きました」

「N先生」とは、Keiさんのことである

なんと!Keiさんもまた、わざわざ(監督のOさんではなく)「編者のOさん」に電話をかけて、映画のチラシを入手していたとは!!!

映画の宣伝に、一役買ってくれるということなのだろう。

わが恩師もまた、行動力の人である。

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韓国留学の遺産

ちょうど僕が、卒業生二人と会っていた9月23日(日)、妻は、韓国留学時代の語学学校のクラスメートに会っていた。ミャンマー人のジュンさんである。

僕らが韓国に留学していたのは2009年である。

僕は韓国の大学の語学院で、1級(初級)から4級まで上がるので精一杯だったが、妻はその上の5級まで上がり、そこに、ミャンマー人のジュンさんがいたのである。4級までは、中国人留学生がほとんどだったが、5級になると、ロシア人、ミャンマー人、モンゴル人など、国籍は実に多彩であった。もちろん韓国語の能力がものすごく高い人ばかりだった。

そういう能力の高い人たちばかりだから、早くからSNSを始めたりして、世界中に友だちを作っていた。妻はほとんどSNSをやらないのだが、5級のクラスメートたちに誘われて、SNSのアカウントを作成したようである。だからクラスメートたちのその後の動向も、SNSによってなんとなく把握することができたようなのだ。

ちなみに僕は、韓国留学時代の1級から4級までのクラスメートの連絡先を、誰一人知らない。まったくの音信不通である。このあたりが、僕の不義理な性格たる所以である。

で、そのミャンマーのジュンさんが、この時期日本に旅行に来ていて、東京に滞在していることをSNSで知り、妻が連絡を取ってみたところ、ぜひ会いましょうということになって、実に9年ぶりに再会したのであった(ちなみに僕は、ジュンさんとは面識がない)。

そのときの様子を妻から聞いたのだが。

ジュンさんは、韓国の語学学校で学んだ後、韓国の大学で化学を専攻し、卒業後も韓国で働くことになった。いまは、ある大企業に勤めているという。

ジュンさんにはお兄さんがいて、お兄さんは今、東京に住んでいる。韓国はこの時期、日本でいうお盆休みにあたる「チュソク」なので、この連休を利用して、お兄さんのいる東京に遊びに来た、というわけである。

ジュンさんは、韓国語がとても上手なのだそうだ。そりゃあそうだ。韓国に大企業で働いているくらいだもの。もちろん、英語も堪能である。

もう都合10年も韓国で暮らしていることになる。外国で暮らしつづけるのは、相当なエネルギーが必要だろう。僕にはちょっとできないなあ。

あと数年は韓国で暮らして、その後はまたどこに行くかわからないと言っていたという。まことにたくましい。

いずれにしても、韓国の語学学校で、3カ月ほど一緒だったミャンマーのジュンさんと、一期一会にはならず、9年ぶりに再会できたというのは、とてもうらやましい。

俺のクラスメートだった連中は、今どうしているんだろう?

そんなことを考えていたら、語学学校の3級のときの先生だったナム先生から、安否を訪ねるメッセージが来た。

そういえば、語学学校時代の関係者で、唯一連絡が取れるのが、ナム先生なのである。

ナム先生からは、年に数回、盆と正月などの季節の変わり目に、安否をたずねるメッセージが届く。チュソクだったこともあって、連絡をくれたのだろう。

返信に、ミャンマーのジュンさんのことを書いた。

「妻が、語学学校5級のクラスメートだったミャンマーのジュンさんに東京で久しぶりに再会したそうです。ジュンさんは、語学学校の先生、とくにナム先生のことを懐かしがっていましたよ」

「うわー、ほんとうですか?ジュンさん、覚えてますよ。とても賢い学生さんだったんですよね。ミャンマーに帰ったんでしょうか?」

「ジュンさんは、いま韓国の大企業に勤めているそうです」

「やっぱり…。すごいですねえ」

僕が驚いたのは、ナム先生が9年前の学生であるジュンさんのことを覚えていたということである。

べつに、覚えていないのに覚えていると嘘をついたわけではないだろう。

毎年、100名からの学生を教えているであろうはずなのに、覚えているというのがすごい。それだけ印象深い学生だったんだろう。

ジュンさんが聞いたら、喜ぶだろうな。

さて、僕にも、懐かしい人からメールが来た。

韓国留学中に知り合った、当時大学院生だったドンジュさんである。

ドンジュさんとは、実はほとんど話したことがない。大学院生たちが企画するタプサ(踏査。遠足みたいなもの)などで何回かご一緒した程度である。まじめで寡黙な人なので、ほとんどお話ししたことがないのだ。

だが不思議なことに、彼は3年に1度くらい、僕にメールをくれるのである。

内容はもっぱら、難解な質問である。

いつも僕は、その難解な質問に答えられないのだ。

今回もまた、

「ようやく博士論文を本にまとめることができまして、今年中には刊行される予定なんですが、鬼瓦先生に、ご意見を聞きたいことがあります」

と、例によって、難解な質問が書かれていた。

うーむ。困った。ただでさえ難しい内容の質問に対して、韓国語で答えるのは、かなり難しい。

それにしても、毎回僕は、彼の難解な質問に答えられないのに、どうして、性懲りもなく僕にメールをくれるのだろう。

でもまあ、いまだに覚えてくれていることは、ありがたい。

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優雅な生活

もう1年以上、お酒を飲んでいない。

できるだけ飲み会には参加しないことにして、やむを得ず参加する場合でも、ソフトドリンクで対応する。

ま、それでとくに不自由しているわけではないので、おそらくしばらくは、このままお酒を飲まずに過ごすことになるだろう。

家に置いてある古い日本酒は、酢になるまで置いておくつもりである。

ごくたまーに、グループLINEとか、グループMessengerみたいなところから、高校時代に同じクラスだった人たちや、同じ部活だった人たちから、飲み会の誘いを受けることがある。

で、そこには近況報告が書かれていたりするのだが、

「単身赴任先でも、毎日グダグダ飲んでます!」

とか、

「今日も明日も飲み会です!」

みたいなことが書かれていて、サラリーマンって、すげえなあって、思ってしまう。もちろん、サラリーマンということで、一括してとらえてはいけないことはわかっているのだが、まあここは、辛抱して聞いてください。

僕はサラリーマンの経験がないので、いったいサラリーマンというのは、ふだんどういう日々を過ごしているのかについて、非常に関心がある。

僕の父はしがないサラリーマンだったが、友だちがいなかったせいで、仕事が終わるとまっすぐ家に帰り、家で一人で晩酌していた。

だから父の事例は参考にならない。

山口瞳原作・岡本喜八監督の映画「江分利満氏の優雅な生活」、ずいぶんむかしの映画だけれども、主人公のサラリーマン(小林桂樹)は、毎日毎日、外でぐでんぐでんになるまでお酒を飲んでいる。してみると、いまのサラリーマンも、江分利満氏のころとまったく変わらず、毎日毎日、外で酒を飲むという、優雅な生活を送っているのだろうか。

素朴な疑問だが、よく、お金と体力が持つよなあ、と思う。

「サラリーマンの日常なんて、つまんないものだよ」

と、サラリーマンの友人は言うが、仕事が終わってから、羽根を伸ばしてお酒を飲みに行けるんだから、うらやましいといえば、うらやましい。

それに、一緒に飲みに行く相手がいる、ということでもあるのだ。

僕のように偏屈で友達のいない人間には、とうていできないことである。

「つきあいで飲みに行かされることも多いのだから、楽しく飲める日ばかりではない」

と、サラリーマンの友人は言うが、それもたしかにそうなのだろう。

サラリーマンの優雅な生活に関心がある、と書いたが、といって、そういう人たちとお酒の席をともにしたい、とは思わない。

なんとか、酒席をともにせずして、サラリーマンの毎日のアフターファイブ(死語)を知る方法はないものか。

バーチャル・サラリーマン・アフターファイブを、いちど、体験してみたいのである。

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続・著者近影

このブログで正式に書いたかどうか忘れてしまったが(過去の記事を確かめる気力もなし)、

あのドキュメンタリー映画が、いよいよ今週末の土曜日から、都内の映画館でロードショー公開される。

映画は撮ってみたものの、公開館がなかなか決まらなかったそうだから、公開が決まってよかったよかったと思っていたら、映画監督のOさんから、

「上映期間中、毎日トークイベントをおこなうので、トークイベントのゲストとして登壇してください」

と依頼された!

僕は、本作りの最後の最後に少しだけお手伝いしただけで、映画のほうはまったく関わっていなかったので、分不相応だから断ろうと思っていたのだが、どうも僕のような職種の人間が登壇する回が、バランスをとるうえで必要だとのことで、それならば仕方がないと受けることにした。

ついては、ホームページだとかSNSだとかにトークゲストの紹介を載せたいので、プロフィール写真と、プロフィール紹介文を送ってくれと言われたのであった。

プロフィール写真、と言われて困った。そんなもの、ないからである。

もともと僕は、写真に写るのがとても苦手なのだ。だから、まともな写真なんぞ、ないのである。

以前、インターネットでエッセイを連載していたとき、編集者から、

「プロフィール写真を送ってください」

といわれ、パソコンのハードディスク中を探しまわり、ようやく一枚、韓国の食堂で料理が来るのを待っているときに妻が撮った私の写真が、それらしく写っていたので、それをプロフィー-ル写真として送った。

しばらくはそれを使っていたのだが、さすがにそれではダメだ、と編集者が思ったのだろう。

「弊社のカメラマンを用意しますから、都内の公園で先生のプロフィール写真を撮影しましょう」

と提案された。

つまり、

「おまえは写真写りが悪い」

ということである(被害妄想)。

で、そのときの詳細なエピソードは、

著者近影

という回に書いた。

ま、そういう苦い経験があったもんだから、「プロフィール写真を送ってほしい」と言われると、とても憂鬱になってしまうのである。

本当は、そのときにプロのカメラマンに撮ってもらった写真を再利用できればいいのだが、たぶん、著作権とか何とか、難しい権利関係があるに違いない。

ということで、先日、あらためてプロフィール写真を撮ることにした。

だが時間がないので、自宅の外でどこか適当な場所を見つけて、妻に撮ってもらうことにした。

何カ所かロケハンをして、背景としてふさわしい場所を探す。

で、妻の持っているフツーのデジカメで撮ってもらったんだが、シャッターを押すたんびに、

「うーむ」

と首をかしげている。

どうもあまりうまくいかないらしい。

「まあ仕方がないよ。被写体が悪いんだから」と私。

「それもあるんだけど、人物だけにピントが合って背景がぼやける感じの写真を撮りたいんだけど、それができない」

どうもそこにこだわっているらしい。

何度試みても、「人物だけにピントが合って背景がぼやけるような写真」が撮れないのだ。

アレって、どうやったら撮れるんだろう???やり方がわからん。

まあ仕方がない。時間もなかったので、この時に撮った写真のうちの1枚を送った。

数日経って、ホームページやSNSに、そのプロフィール写真が公開された。

そのとき同時に、ほかの回のトークゲストが誰かなのかが、初めてわかったのだが…。

それを見て、ビックリした。

俺以外、みんなオサレな人ばかりではないか!!!

しかも、写真も凝ったものばかりである。

トークゲストの一人である、ある写真家さんのプロフィール写真なんぞは、俺が思い描いていた、「人物にピントが合って背景がぼやけている写真」になっていて、それがとてもオサレにみえたのである。

(さすが写真家だな。どうやったら、こんなふうに撮れるんだろう…)

やっぱり、フツーのデジカメではダメなのかな…。

というか、被写体自体がダメなんだな。

そもそも、この映画の主人公のツトムさんは最重要のトークゲストだから別格としても、そのほかの人たちは、私を除いて、みんなオサレさんなのである!!!

一気に意気消沈して、ショボーン(´ω`)となった。

意気消沈、というよりも、すっかり気後れしてしまった、と言った方が正しい。テンションがダダ落ちである。

ま、本番に強い人間だから、最終的には面白いトークになるとは思うんだけどね。

…と言っておこう。

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続・卒業生が卒業生を呼ぶ

「卒業生が卒業生を呼ぶ」

9月23日(日)

4年半前に卒業したAさんが、僕の職場をいちど見学したいというので、職場を案内することにした。

休日、しかも3連休の中日に、片道2時間半かけて職場に行くのはかなりツライものがあるが、Aさんには、僕にとっての恩人なので、恩返しをしなくてはならない。

どういう恩を受けたかというと、大学の学園祭で、バンドを組んでライブをするという夢を叶えてくれたのである。

バンド名は「キョスニムと呼ばないで!」

Aさんがメンバー集めをしてくれたおかげで、ライブが実現したのだ!

あと、「父の鍋」というエピソードにも、Aさんは登場している。

近況報告を聞いてみると、バンドに参加してくれた当時の学生たちも、Aさんのご両親も、息災に過ごしておられるようで、安心した。

夕方、職場見学が終わり、Aさんとともに東京駅に向かう。

今日はもう一人の卒業生も、東京に来ていたのだった。2005年卒業のH君である。

地元で高校の教師をしているH君は、何年かにいちど、携帯のアドレスにメールを送ってよこして、「こんど東京で研修があるんですけど、先生、その日空いてますか?」と聞いてくる。

今年の2月に連絡が来たときは、予定が合わなかった。そしてこんどは、Aさんが訪ねてくるのと同じ日に、H君は研修のため上京するというメールが来たのである。

ええぃ、面倒だ、まとめて会ってしまえ!ということで、夕方からはH君も合流して、3人で食事をすることにした。

そもそも、僕は知らない人どうしを紹介する、というのが、ひどく苦手なのである。

なぜなら、自分がそれをやられると困惑してしまうからである。

たとえば、そうねえ。

「こんど、久しぶりに食事でもしよう」と気の置けない仲間で盛り上がったとする。

その仲間の一人が、

「俺の友達を連れてきてもいい?」

「友達?俺の知らない人?」

「うん。そいつ、とってもいいやつで、絶対気が合うと思うから」

という状況が、僕はひどく苦手なのである。

同じ仕打ちを、こんどは僕が他の人に対して、したくはないのである。

しかし、今回ばかりは仕方がない。

それに、いちおう俺の教え子という共通体験があるから、まあなんとかなるんじゃねえか?と思い、二人に了解をとったのであった。

かくして、「前の職場」で最初に教えた教え子のH君と、最後に送り出した教え子Aさんの、歴史的な初対面が実現したのである。

H君で思い出すのは、「鍋を囲んだ夜」というエピソードである。

H君はむかしから、私にズケズケといろいろな質問をしてくる。学生時代は、恋愛相談なんぞをストレートにしてきたものである。

俺に恋愛相談なんて、聞く相手を間違ってるだろ!!!

結婚したいまは、さすがに恋愛相談をしなくなったが、その代わりにこんどは、仕事のことについてズケズケといろいろな質問を投げかけてくる。

こっちも必死で答えるが、それが役に立つ答えになっているかどうかは、わからない。

きっと役に立っていないのだと思うが、それでもH君は、何年かにいちど、僕の答えを確かめに、会いに来るのである。

僕の答えがどうであろうと、H君の胸のつかえがストンと落ちたのであれば、それはH君自身が答えを見つけたということである。

きっとまた数年後、自分が壁にぶつかったとき、僕に会いに来るのだろう。

そしてそのときもまた、僕は答えに窮するだろう。でも彼は、自分で答えを見つけるだろう。

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お彼岸

9月22日(土)

9月2回目の3連休だが、例によって原稿が1文字も進まない。

今月末までに出すと言ってしまったが、もうだめかもわからんね。

今月末締め切りの原稿がもう1本あり、当然のことながら、そちらも進んでいない。

10月以降の忙しさを考えると、いささかパニック状態に陥ってしまい、いっそ割腹してしまおうかと何度も思うのだが、ま、そんなわけにはいかない。

世間の人たちは、3連休を満喫しているんだろうか。

今日はお彼岸だったので、お墓参りに行った。

昨年11月に父が死んでから、母と妹は、月に1度、お墓参りに行っている。

だが僕は、正月休みやお彼岸やお盆くらいしか、お墓参りに行っていない。まことに親不孝な息子である。

「お彼岸くらい、お墓参りに行きなさいよ」と言われ、母と妹と、お墓のところで待ち合わせることにした。

お墓参りが終わり、帰りの車の中でラジオを付けると、大沢悠里さんのラジオでジェーン・スーがゲストで出演していた。

たまたまそこで話していたのが、お墓参りの話。

ジェーン・スーは、若いころに母親を亡くし、それからの人生は、自分にとっての家族が父親だけになってしまった。

母親が亡くなってから、父親との間で確執が表面化し、愛憎入り交じるさまざまな出来事が襲いかかる。

そのあたりのことは、ジェーン・スー『生きるとか死ぬとか父親とか』(新潮社、2018年)に詳しい。

そうそう、さくらももこ以後の、希代のエッセイストは、ジェーン・スーである。

まあそれはともかく。

ジェーン・スーもまた、月に1度、父と一緒に母の墓参りをするのだという。

「お墓で待ち合わせるというのは、父と私が会うのに、もっともうまい方法だ」というニュアンスのことを言っていた。

なるほど、お墓というのは、待ち合わせの場所、というか、約束の場所という意味もあるのか。死者と生者の。あるいは、生者と生者の。

そういえば私の友人にも、年に一度、何月の第何週めの週末、というふうに日を決めて、兄弟そろって遠い場所にある父親のお墓参りに泊まりがけで行く、という人がいた。

ふだん兄弟どうしじっくりと話す機会もないが、1年のうちこの時だけは、兄弟水入らずでいろいろな話をするのだと言っていた。

ジェーン・スーのラジオ番組「生活は踊る」(TBSラジオ)は、ふだんあまり聴かないが、それでも金曜日の回は、アシスタントが堀井美香アナウンサーなので、たまに聴いたりすることがある。

金曜日の回のオープニングでジェーン・スーがお決まりのセリフとして言う、

「さあ、お仕事中の方、家事育児、病気療養、はたまた介護中のみなみな様、よくぞ、よくぞ金曜日までたどり着きました!」

という言葉に、励まされることがある。

…暗い話になってしまった。お彼岸だから、ま、いいか。

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声をかけるべきだったか

9月19日(水)~9月20日(木)に、新幹線で片道4時間かかる町まで、1泊2日の出張である。

直前に、旅行予約サイトでホテルを予約しようとしたが、平日にもかかわらず、満室のホテルが多い。

駅前の老舗のビジネスホテルが、かろうじて空いていたので、そこに泊まることにした。全国展開しているビジネスホテルチェーンである。

僕は、その老舗のビジネスホテルチェーンには、できればあまり泊まりたくなかった。

というのも、「前の前の勤務地」に住んでいたころ、やはりその町にも、その老舗のビジネスホテルチェーンがあったのだが、以前そのホテルで殺人事件があった、という噂を聞いて、それからというもの、出張で各地に行っても、なんとなくその老舗のビジネスホテルチェーンを避けていたのである。

しかし、背に腹は代えられず、今回はその老舗のビジネスホテルチェーンに泊まることにした。

びっくりしたのは、施設が古いのか、部屋にWi-Fiの設備がなく、有線LANしかないとのことだった。

しかもその有線LANも、ちょっとしたことで通信が途切れてしまう。

うーむ。今時のビジネスには、まったく向いていないビジネスホテルなんじゃないだろうか。

ただまあ、とくに不満があるようなことはなかった。

よかったのは、朝食バイキングである。

地元の食材を使った、地元の名物がたくさんあって、朝ご飯には満足したのである。

さて、その朝食会場でのこと。

美味しい美味しいと食べていたら、目の前に、少し背の高い、アンチャンが座った。

ホテルがホテルだけに、朝食会場はワイシャツを着たサラリーマンふうのオッサンで溢れていたのだが、そのアンチャンは、それらとは一線を画していた。黒っぽい服を着て、雪駄のようなものを履いた、ちょっと冴えない感じのアンチャンだった。

(どっかで見た顔だなあ…)

思い出したぞ!

俳優だ!

この人のお父さんは、小劇団出身で、いまや超ベテランとなった個性派の役者さん。お母さんもたしか同じ小劇団出身の、これまた個性派の役者さんである。

で、その息子二人が、いま、テレビや映画で活躍する俳優なのだ。

つまり、役者一家。サラブレッドである。

その兄弟は、とてもよく似ていて、見慣れないと、なかなか区別がつかない。

えーっと。で、目の前に座っているのは、お兄ちゃんのほうだろうか?それとも弟のほうだろうか?

以前に出演したドラマのことを思い出すことにした。

たしか弟のほうは、刑事ドラマ「相棒」で、鬱屈した心理学専攻の大学院生を演じていたな。

で、兄のほうは、名作ドラマのリメイク版で、鬱屈したコック見習いを演じていた。

…どっちも鬱屈した役だったので、さらに頭の中は混乱したが、思い出すにしたがって兄弟の顔の違いが鮮明になり、目の前に座っている人は、兄のほうだと確信した。

しかし、待てよ。

目の前の人が、その役者本人とは限らないぞ。その役者によく似た一般人という可能性もある。だって、はっきり言ってよくある顔だもの。

しかも、まわりにマネージャーらしき関係者もおらず、一人で黙々と朝飯を食べている。

どっからどう見ても、普通のアンチャンじゃねえか!

うーん。やっぱり俺の思い過ごしかな。

…と、そのとき、そのアンチャンは、いったん朝食の手をとめ、ズボンのお尻のポケットから、くるくるっと丸めていた本のようなものを取り出して、それを眺めはじめた。

…台本だ!!!

どっからどう見ても、映画かドラマの台本である。

そのアンチャンは、台本を少し見たあと、またそれをズボンのポケットにしまい、引き続き朝飯を食べ始めた。

やっぱりこのアンチャンは、あの個性派俳優なのだ!

それにしても、この俳優さんは、この老舗のビジネスホテルに、一人で泊まっているのだろうか。俳優さんなんて、そんなものなのかなあ。

こういうときって、声をかけていいものなの???

「あのう…デビュー作の映画、見ました。あのときはまだ高校生でしたよね」

と声をかけようと思ったが、失礼なんじゃねえかと、思いとどまった。

朝食を食べ終わって、部屋に戻ってから思い直す。

あのとき、朝食の途中でおもむろに台本を出して眺めていたが、あれって、声をかけてほしいという周囲へのアピールだったんじゃないだろうか???

慌てて朝食会場に戻ったが、もういなかった。

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ボンカレーゴールド商法

9月19日(水)

急遽決まった出張。

新幹線で4時間の長旅は、やはりきつい。

何がきついって、乗り物酔いである。

新幹線に乗ると酔うのである。

せっかく4時間もあるのに、新幹線で原稿が書けない。

ノートパソコンの画面を見ると、気持ち悪くなるのである。

ま、それ以前に、原稿が書けないってのもあるんだけどね。

乗り物酔いするから、本もなかなか読めない。

かといって、眠れない。

そこで、4時間ひたすら、何もせず、つまらないことばかり考えて、鬱になるのだ。

ということで、新幹線の中で考えたどうでもいい話を書くことにする。

ひとつ気づいたのだが。

新幹線で、指定席をとるでしょう。

で、僕が指定席に座ると、その隣の座席に座るのが、必ずと言っていいほど、

汗っかきの太ったおじさん

なのだ!

びっくり!

毎回そうなんだよ!!!

僕もまた、ご承知のように、

汗っかきの太ったおじさん

なので、つまり、

汗っかきの太ったおじさん

が二人並んで座ることになるのだ。

これってどういうこと??

指定席をとるときに、「汗っかきの太ったおじさん」が隣同士に座らせるように、AIかなんかが操作してるわけ???

しかし、モバイルSuicaの入会時に、自分が「汗っかきの太ったおじさん」であると自己申告したことはないぞ!!

おかげで、いつも座席が狭く感じるのだ。隣からのアツがすごくって。

…と、隣のおじさんも僕を見てそう思っているかも知れないのだが。

あとさー。

「グランクラス」って、あるでしょう?

アレって何なの?

僕らの常識からいえば、新幹線は「グリーン車」と「普通車」があって、グリーン車は高級、「普通車」は文字通り普通、ってことなんだけど。

その上にまた「グランクラス」ってのができちゃった。

だからといってグリーン車がなくなったわけじゃない。グリーン車はグリーン車として残っているわけ。

つまりどういうことかというと、「グランクラス」ってのができたおかげで、「普通車」の座席数が圧迫されてしまった、ということなのだ!

これって、金持ち優遇ってことじゃないのか???

というか、こうなると、グリーン車の意味がわからない。

この先、

グランクラスは高級。

グリーン車は普通。

普通車は劣悪。

という位置づけにされてしまうのではないかと、不安でタマラナイのだ。

それで思い出した。

よい子の若い読者のみなさんはわからないと思うけど、僕らの子どものころは、東海道新幹線は「ひかり」と「こだま」しかなかった。

「ひかり」は、東京を出発すると、名古屋、京都、新大阪しかとまらない(新横浜にとまるようになったのは少し後になってからのような記憶があるが、鉄道にくわしくないのでわからない)。

つまりいまの「のぞみ」と同じである。

で、「こだま」は、いまと同じ、各駅停車だった。

それが、いつのころからか、「ひかり」の上に「のぞみ」ができた。

で、その「のぞみ」が、それまでの「ひかり」の役割を果たすようになった。「ひかり」は、ちょっとグレードダウンして、ちょこちょこいろいろな駅にとまるようになったのである。

「ひかり」に慣れてきた僕らからすれば、最初は、なんとなく抵抗があったのだが、いまや「のぞみ」が東海道新幹線の主流となった。

その当時、大学の先輩が、

「これって、ボンカレーゴールドと同じだよね」

と言った。

「どういうことですか?」

と聞くと、

「もともと、ボンカレーってのが普通だったじゃない。それがある時期から、ボンカレーよりもグレードの高いボンカレーゴールドが出だして、いつのまにか、ボンカレーゴールドが主流になって、もともとのボンカレーがどっか行っちゃった」

「なるほど。つまり、「ひかり」がボンカレーで、「のぞみ」がボンカレーゴールドってことですね」

「そういうこと。俺なんか、ボンカレーで十分なのに、いつのまにか価格の高いボンカレーゴールドしか買えないようになっちゃってる。誰も頼んだわけでもないのに」

「そういえば、「ひかり」には自由席があるのに、「のぞみ」には指定席しかありませんね(注:「のぞみ」は当初、全席指定でした)」

「そうだろ!自由席に乗る権利が奪われたんだよ」

いつのまにかグレードの高いものが設定され、それが普通のものとして慣らされる。

世の中には、意外とそういうものが多いのではないだろうか。

これを「ボンカレーゴールド商法」と呼ぼう。

新幹線に乗って4時間考えたことは、だいたい以上のようなことである。

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3連休

9月17日(月)

この3連休は、結局ほとんど外に出ることなく過ごした。

原稿を書かなければいけないのだが、ピタリと筆が止まっている。

つまり、この3連休を呆然と過ごしていたというわけだ。

原稿の神が、早く降りてこないかなあ。

近頃はほとんどスランプ状態で、もうダメかもわからない。

ブログを書くのも、なかなかしんどい。

今後は、一つ一つの記事をTwitterのような超短文で終わらせるか、あるいはよほどのことがないかぎり更新しないか、どっちかにしようかとも思案しているのだが、どうなるかはわからない。

ま、自分の性分からみて、前者はあり得ないだろうな。

書こうとしても、愚痴と弱音しか思い浮かばないので、全然わからない話を書く。

ずっと以前に、「絶対に薦められない大林映画」として、「日本殉情伝 おかしなふたり ものくるほしきひとびとの群」という映画のことを書いた

たぶん、このブログの読者でこの映画を観たことのある人は誰もいないと思う。

舞台は、瀬戸内のある小さな町。

室田幸男(三浦友和)と成田和美(永島敏行)の二人は、幼なじみのやくざである。

もう一人、やはり幼なじみの夕子(南果歩)がいて、3人はいわば、三角関係にあった。その後、室田と夕子は結婚する。成田は、つまらない事件を起こして刑務所に入る。

あるとき、その町に一人の男が訪れる。山倉という旅人である。

心臓に持病を持つ山倉(竹内力)は、旅をしながら、持ち前のアイデアで次々といろいろな発明を試みるが、いつも失敗ばかりしている。

…とここでちょっと解説。このころの竹内力は、Vシネマ以降のものすごい強面の役ではない。いまでは考えられないような、病弱で薄幸の美青年といった役回りである。

その山倉は、この町で室田と親しくなり、奇妙な友情が芽生える。

旅先で友達のいない山倉は、がさつながら心優しい室田を慕うようになる。

同じころ、成田が出所する。

そこからふたたび、室田、成田、夕子の三人の関係は揺らぎ始める。

過去の出来事が、三人を苦しめるのである。

物語の最後で、室田と成田は、殴り合いのけんかを始める。

友情と憎しみが入り交じった、誰も止めることのできないけんかである。

二人のけんかを目撃した夕子は、慌てて山倉のもとを訪れる。

「山倉さん、助けてください!(室田)幸男さんと(成田)和美さんが、殺し合っています!」

夕子は泣きながら、山倉の胸に飛び込む。

そのとき、山倉はにっこり笑って、寂しげに言う。

「…僕だって、殺し合いたい」

…とここでまた解説。Vシネマ以降の竹内力がこのセリフを言ったとすれば、

「俺だってその殺し合いに加わって大暴れしたいぜ!」

という意味に聞こえてしまうのだが、ここは、そうではない。なにしろこの時の竹内力は、病弱で薄幸の美青年の役なのである。

「僕だって殺し合うくらいの友情がほしい」

という意味なのだ。

そのことに気づいた夕子は、山倉もまた、寂しい人間なのだということを悟るのである。

山倉は、いくら室田と親しくなったとはいっても、彼の人生に直接関わるような当事者にはなれなかった。

「…僕だって、殺し合いたい」というセリフは、自分が当事者になれない寂しさを語っている。

大林監督の映画は、物語の当事者になれない人の寂しさをきっちり描くところが、好きである。

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Keiさん・その2

高校時代は、3年間クラス替えがなかった。

担任の先生も3年間同じだった。うちのクラスは、N先生で、僕たちはN先生の名前をとって、「Keiさん」と呼んでいた。教師を「先生」と呼ばず、「さん」で呼ぶのが、自由な校風であるこの高校の習わしだったのである。

Keiさんについては、以前、長い思い出話を書いたことがある。

Keiさん

Keiさんは、僕にとって、教師のお手本のような人で、教員稼業をしていたとき、Keiさんのような教師でありたいと思い続けた。

…という話は、前に書いた。

いまではとんとお目にかかる機会がなく、年賀状のやりとりだけを続けている。

先日僕が出した本を、出版社を通じてKeiさんにお送りしたら、今日、メールで返信をいただいた。

「鬼瓦くん、面白いよ、この本!!、ありがとう、本当にありがとうございます」

という書き出しではじまり、本にまつわる感想と、Keiさんの近況が綴られていた。

僕にとっては、Keiさんに面白いと言ってもらえれば、あとは誰に何と言われようと関係ない。少し気持ちが軽くなった。

で、調子に乗った僕は、Keiさんへの返信に、もう一つの本のことを書いた。

「実はもう1冊、最近出した本があります。短い文章を寄せただけですが。

戦時中、マーシャル諸島で餓死した一人の日本兵が、死の直前まで日記を書き残しており、その日記が奇跡的に戦後、遺族のもとに届けられました。その日記をめぐるさまざまな人の関わりを本にしたものです。私も、日記の解読を少しだけお手伝いして、そのときの様子を文章に書きました。

とても面白い本です。もしご関心があれば、お送りしたいと思います。

またそれに関連して、ドキュメンタリー映画が、9月29日(土)より都内でロードショー公開されます。

戦場で餓死した父の最期の地・マーシャル諸島を、74歳になる息子さんが訪ねるというドキュメンタリー映画です。

私もコメントを寄せています。お時間があればぜひ見に来てください。私も、上映期間中の10月3日(水)、上映後のトークイベントに出演することになりました!」

すると、それからほどなくして、Keiさんから返信が来た。

「鬼瓦くん

刺激がいっぱいで興奮してしまうよ、嬉しい!

本、是非読みたい!送ってくれますか。

2011年3月東北地震と福島原発事故のあと、友人たちと話していた時、40年ほど前からの友人である写真家のSさんがそばにいたので、「なあみんな、ここにいるSさんの体験を活用して、マーシャルの人たちとの交流をやろうよ」と呼びかけたところ、全員が賛同してくれて、さっそくプロジェクトを立ち上げ、マーシャル諸島の人たちと情報交換をやっています。残念ながら私は耳が悪くて飛行機には乗れないので現地には行ってないのですが、マーシャルの人たち(ロンゲラップにいて被爆し、アメリカの言いなりになって移動し、今はマジュロに住んでいる)は貧しい生活の中から福島の人たちにと言ってかなりの額の寄付金を我々に託してくれた。

映画はもちろん見に行きます。プロジェクトの仲間たちもたくさん行くと思います。

私は10月3日に行きます。これはワクワクの楽しみです。」

なんと!こんなことって、あるんだねえ。

まさか、自分が高校時代に尊敬していた担任の先生が、マーシャル諸島に関わる活動をしていたとは、驚きである。

この国ではほとんど注目されることのない「マーシャル諸島」が、ふたたび、僕とKeiさんを結びつけたのである。

人間、どこでどうつながっているか、わからない。

こういうことがあるから、生きることがやめられないのだ。

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ひな壇芸人

出版不況といいながら、出版される本の数だけは多い。

うちの業界では、いろいろな出版社が「シリーズもの」というのを企画したりすることが多い。

一つの大きなテーマで、数巻ぐらいの本を出版する、というものである。

読者の対象は、一般向けというよりも、どちらかといえば業界人向けの内容と難易度である。

1巻あたり、業界人10名以上が執筆をする。

仮に全6巻だとすれば、60人以上の執筆者がこのシリーズに関わることになる。

そういう企画を、いろいろな出版社で行っている。

そういったシリーズものが1年にいくつも企画され、そのたびに原稿が業界人に依頼される。

そうすると、いくつもの原稿依頼が、一人の執筆者のところにほぼ同時に来る、なんてことがある。

依頼される執筆者には、一定の傾向がある。

それは、「確実に原稿のとれる執筆者」に依頼される、という傾向である。

遅筆であったり、原稿を落とす(この場合の「落とす」は、「なくす」とか「置き忘れる」という意味ではなく、「ギブアップする」という意味)ような人は、あまり依頼されることはない。

で、僕は、「確実に原稿をとれる」と思われているのか、シリーズものの原稿依頼が、よくくる。

最近の僕の大半の原稿は、そうした「シリーズもの」「企画もの」ばかりで、これが、けっこうツライ。

まず、書いていて、苦痛である。

それに、「シリーズもの」の原稿は、多くの場合、ノーギャラである。

自分が書いた原稿の載った巻が1冊送られてきて終わり、とか、そんな感じである。

で、読者も業界人を想定しなければならないから、あるていど業界に気を遣って書かなければならない。

そんなこんなで、僕の書く原稿の大半は、「書いていてしんどい」原稿なのである。

もちろん、僕以外の人たちは、すごく前向きに取り組んでいて、嫌々書いている、というわけではない。こんなことを考えるのは、僕ぐらいなものである。

だったら断ればいいじゃん!ということなのだが、なかなかそういうわけにもいかない。

断ると、その仕事は他の人のところに行っちゃうし。そうすると、次から仕事が来なくなるんじゃないか?と不安になり、つい、引き受けてしまう。

そんなことの繰り返しである。

テレビのバラエティー番組で、よく「ひな壇芸人」という言葉があるでしょう。

「シリーズもの」の執筆者は、まさに「ひな壇芸人」なのだ。

どの番組を見ても、同じ芸人が出ていたりする。そつのない受け答えのできる芸人が重宝されるからである。

「ひな壇芸人」は、いくつもの番組を掛け持ちしているから、金太郎飴みたいに、どの番組も同じ感じになってしまう。

でも、「ひな壇芸人」をやめられないのは、「テレビに出ていないと忘れられてしまう」という不安があるからである。

で、ひな壇芸人が出ている番組が、面白いかっていうと、決してそうではない。どれも同じ感じになってしまうので、結局、飽きられたりする。

「ひな壇芸人」化しているいまの状況をなんとかしないと、業界はどんどんつまんなくなっていくのではないか、と不安になってしまうのだが、そんなことを不安に思っているのは、僕くらいなものかも知れない。

いま僕は、3年前にとっくに締め切りが来ていた、ある「シリーズもの」の1万6000字ほどの原稿が、全然書けないのは、たぶん、そのことに気づいちゃったからではないだろうか、と言い訳しておく。

「8月末までには出します!」と返事をしたのだが、9月末までには出します!

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卒業生が卒業生を呼ぶ

いままで2回ほど、「卒業生が卒業生を呼ぶ」という話を書いた。

同窓会なしよ

有楽町で会いましょう

かいつまんでいえば、「前の職場」の教え子だった卒業生から連絡が来たり、会ったりすると、なぜか同じタイミングで別の年に卒業した教え子から久しぶりに連絡をもらう、という偶然の現象のことをいう。

ま、なかなかわかりにくい現象なのだが。

8月のことだが、2015年3月に卒業した3人の教え子と、久しぶりに会って有楽町で食事をしていたら、そこへたまたま2014年3月に卒業したAさんから、卒業以来、ほんとに久しぶりに連絡が来た。、それについては、「有楽町で会いましょう」に書いた。

「こんど上京するので、先生の職場に遊びに行きます」

日程を聞いてみると、9月23日(日)だという。

3連休の中日に、職場に行かなきゃならんのか…。しかしまあ来てくれるのはありがたいことである。

ということで、9月23日(日)に約束をした。

するとこんどはつい先日、2005年3月に卒業したH君からメールが来た。

「9月23日に東京で研修があるんで上京するんですが、夜はあいてますか?」

H君は、今年の2月にも、同じようにメールで連絡が来た。そのときのことについては、「同窓会なしよ」に詳しい。

なんと!Aさんに会うのと同じ日に、H君も上京して、俺に会いたいって言ってる…?

ええい、まとめて面倒みてやれ!

ということで、卒業年に10年ほどの開きがある教え子二人と、夕食を一緒にとることになった。

はたしてどうなることやら。

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コラムとエッセイ

コラムニストの小田嶋隆さんが、コラムとエッセイの違いについて語っていた。

簡単に言えば、コラムは「対象に寄せて文章を書く」、エッセイは「自分に寄せて文章を書く」という違いがあるのだそうだ。

たとえば、「ラーメン」というテーマで文章を書くとする。

「ラーメンには、なんのためにメンマが入っているのか?」

とか、

「ラーメン屋の店主って、どうして写真に写るときに腕を組むのか?」

的な文章を書く場合は、これはコラムである。

「私と一緒にラーメンを食べた男たち」

的な文章を書く場合は、これはエッセイである。

だから、コラムとエッセイ、どっちが難しいかといえば、エッセイを書く方が難しいのだという。

なぜなら、エッセイは、自分のことを書くので、最終的にはどうしても、自慢話か、愚痴になってしまうからである。

ちょっと自慢話をしたり、愚痴を言ったりしてもなお、かわいげがあったり、人格の麗しさが漂うためには、人間ができてないといけない。

要するに、品格がないとエッセイは書けない、というのだ。

僕が言ってるんじゃないですよ。小田嶋さんがそう言ってるんだ。

小田嶋さん自身は、自分がエッセイを書くとイヤミったらしくなるので、自分はエッセイを書かず、コラムを書いているのだという。

では、名エッセイストとは誰か?

小田嶋さんは、さくらももこさんの名前をあげた。

さくらももこさんは、自分語りをしても、そのへんがまったくイヤミにならない。

「これはなかなかできるもんじゃありません。林真理子あたりがやると五月蠅いです」

と、例によって毒舌が炸裂するのだが、まあそれは置いといて。

そういえば思い出した。

20代後半のころ、将来がみえず、エッセイストにでもなるかなあと、いろいろな人のエッセイを読みまくったことがある。

その中で、ダントツに面白かったのは、さくらももこさんのエッセイだった。

それを読んで、

「こりゃあ、エッセイストになるのは、無理だな」

と、諦めたのであった。

ずいぶん前に読んだので、どんな話が書かれていたかはすっかり忘れてしまったが、面白かったことだけは、鮮明に覚えているのである。

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理想の図書館

「前の職場」の教え子だった卒業生のMさんから、実に久しぶりにメールが来た。

メールが来たっていうか、私の本の宣伝するために、久しぶりにこちらからMさんにメールしたら、返信をいただいたというわけである。

Mさんは本が大好きで、いまは司書としてある地方都市の図書館に勤めている。その図書館に、私の本を入れてもらおうと思い、厚かましくもお願いのメールを出したのである。

いただいた返信には、次のようにあった。

「先生のブログで、図書館の記事を拝見しました。私の勤務する図書館の書架をぜひ見ていただきたいです。毎週、尊敬する先輩方と一緒にしっかり検討して購入している本たちです。

そして、私自身司書として日々利用者の方々に育てていただいているという実感があります。自動貸出機も自動返却ボックスもありませんが、これからも血の通ったサービスに努めていきます。 (レファレンスでは、特に郷土資料担当の頃には先生に教えていただいたことを生かせる場面もあり嬉しくなりました。)

先生のおっしゃることがまさに私の思いと一緒だったのでつい、メールさせていただいてしまいました。とはいえまだまだ未熟者です。精進します!」

はて、図書館の記事って、何か書いたっけな?と思って必死に思い出したら、

未来図書館

という記事のことだった。

自分が体験したことを、深く考えずに書いた文章だったが、図書館に勤めるMさんは、このなんでもない文章を心にとめてくれたようである。

僕にとっての理想の図書館は、本のソムリエみたいな人たちが、吟味に吟味を重ねた「読みたくなる本」を選んで、それを図書館に配架する。

本のソムリエ、といっても、「この本がおすすめです!」とかなんとか、上から目線でピンポイントに本を薦めるのではなく、自分たちが自信を持って薦められる本をできるだけ数多く選んで、それをさりげなく、本棚に並べてもらう。

で、その図書館を訪れた人たちが、その本棚を見渡しながら、自分の読みたい本を決めていく。

「へえ~、こんな本があるのか~」

「この本もいいなあ~」

とかなんとか言いながら、いままでに出会ったことのない本に出会う。

そんな図書館があったら、時間を忘れて過ごせるだろう。

そんなの、どこの図書館でもやってることじゃん、と思われるかも知れないが、さにあらず。

時間を忘れて過ごしたいと思う図書館もあれば、早く立ち去りたいと思ってしまう図書館もあるのだ。

もっといえば、同じ本でも、借りたくなるように並んでいる図書館もあれば、借りたいと思わないような並び方をしている図書館もあったりするのだ。

本屋さんも同じである。

ベストセラーとか新刊本ばかり並んでいる本屋さんは、僕にとってはあんまり魅力がない。あまり買う気も起こらない。

その一方で、時間を忘れて入り浸ってしまうような本屋さんもある。

京都にある、K社I店が、まさにそうである。

また、最近訪れた、下北沢のとあるビルの地下にある本屋さん。

すごく狭い店なのだが、ここもまた本の品揃えがとても面白くて、

「へえ、こんな本が出てるのか~」

と、時間を忘れて本を見入ってしまうほどである。

同じ本でも、買う気にさせる本屋さんと、買う気にならない本屋さんがあるから不思議である。

もっとも、これは僕の個人的な趣味にすぎないが。

まあそんなことはともかく、いつか出張の機会があったら、時間を見つけて、Mさんの勤める図書館を訪れてみよう。

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映画チラシデビュー

9月11日(火)

今日はいいニュースと悪いニュースがあったのだが、いいニュースの方だけ書く。

どこまで情報公開していいのかわからないが、ま、いいか。

「編者のOさん」が初監督したドキュメンタリー映画が、ついに9月末から都内の小さな映画館でロードショー公開されることになった。

今日、その映画チラシが郵送されてきた。

見ると、なんと僕のコメントが、1行だけだが紹介されているではないか!

映画チラシデビューである!

それだけではない。

漫画家の武田一義さん、お笑い芸人の矢部太郎さんに挟まれて、俺のコメントが載ってるぞ!

武田一義さんは、漫画『ペリリュー』が話題になっているし、矢部太郎さんは、漫画『大家さんと僕』がすげー売れていて、手塚治虫文化賞を受賞したのだ!

その間に挟まれた、無名のアタクシ(汗)。

書いた本がまったく売れないことでおなじみのアタクシですよ!

なかなかできない体験である。

さらに、である。

上映される映画館で、上映後のトークゲストとして出演することになったのである!

映画に出演しているわけでもないのに、なんで俺が???という感じだが、まあそれはともかく。

映画のトークイベントに出演する、というのもめったにない体験である。

ただし一つ問題が。

僕がトークゲストとして出演する日は、平日のお昼なのである。

午前中に上映があり、その上映が終わったお昼頃に、30分ほどトークイベントをおこなうそうなのだ。

…お客さん、来てくれるのだろうか。

少なくとも、僕の名前を出したからといって、お客さんが来ることは、まずない。

5d3f1b56いちばん恐れているのは、星飛雄馬のクリスマスパーティーみたいな感じになってしまわないか、ということである。

なんとか、映画の力で、お客さんを呼び込むしかない。

さて、別の上映日には、この映画の主人公である、ツトムさん(76歳)もトークゲストとしておいでになる。というか、映画の主人公のツトムさんこそが、トークイベントのメインゲストなのである。

「編者のOさん」からいただいたメールによれば、ツトムさんは、こぶぎさんが僕に送るために「スベリヒユ」を買ってくれたお店で、「スベリヒユ」を買い占めたらしい。

「スベリヒユ」は、戦場で亡くなったツトムさんのお父さんが、日記の中で「赤草」と書いているもので、ツトムさんのお父さんが戦地で食べていた雑草である。

そういえば僕は、ツトムさんに宛てたメールに、「友人(こぶぎさん)が○○町の道の駅で買ったスベリヒユを送ってくれました」と書いたんだった!

それを読んだツトムさんが、そのお店にあるスベリヒユを買い占め、さらにはお店の人が気を利かせて、サンプルとして置いてあったものまで送ってくれたというのだからすごい。

こぶぎさんがスベリヒユを買ったお店では、いまスベリヒユが品切れになっているはずだぞ。

こぶぎさんこそが、この映画に貢献している人じゃないだろうか。

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わかりやすくてまねできない

全然知らない人のつぶやきに、

「わかりやすい授業をする大学教員の多くが、実は学生のことが嫌いで信用しておらず、彼らが学問など理解できるようになるとは全く思っていない教員である可能性が高い。誠実な教員の授業は面白くない」

というようなことが書かれていた。

僕は、授業をしたり本を書いたりするときに、できるだけわかりやすくするように心がけていたつもりだが、ということは僕は、実は学生のことが嫌いで、信用していなかったということなのだろうか?

たしかに、上のつぶやきにあるような人もいるのだろうが、どうもそれだけが真実ではないような気がする。

で、思い出した。

少し前に、「学生時代に自主映画を撮っていた」という方と、お話しする機会があった。

その方もまた、映画作家の大林宣彦さんのファンだった方で、とくに、映画「青春デンデケデケデケ」が、自分にとってのバイブルだ、とおっしゃっていた。

映画「青春デンデケデケデケ」は、16ミリフィルムを使って、自主映画風に撮った作品で、大林監督にしてはめずらしくわかりやすく、万人受けする映画だった。「めずらしく」といったのは、大林監督の映画のほとんどはカルト的な作品ばかりだからである。そんな中にあって、この映画は一般受けする映画として高く評価されたのである。僕も大好きな作品である。

で、当時自主映画を撮っていたその人は、

「これなら、俺も面白い映画が撮れそうだぞ!」

と思い、「青春デンデケデケデケ」のまねをして映画の撮影を試みたのだが、これが全然うまくいかない。

簡単に撮れると思っていたら、全然簡単に撮れなかったというのである。つまりそれだけ、高度で面倒な撮影や編集がおこなわれていたのだということを、そのときに知ったのだという。

これはどういうことかというと。

本当のプロというのは、わかりにくいものをわかりにくく語ることではなく、わかりにくいことをわかりやすく語ることである。

で、ここからが重要なのだが、たんにわかりやすいだけでなく、他の人にはまねのできないような豊富な経験や高度な技能に裏打ちされていなければダメだということである。

「俺にもできそうだ」と思って、簡単に真似されるようなものではなく、「俺にもできそうだ」と思わせておいて、いざやってみると全然できない、みたいな。

僕自身は全然できてないけど、それがプロなんじゃねえかと、思うわけです。

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アイムア北海道マン

9月9日(日)のつづき。

で、TBSラジオ「安住紳一郎 日曜天国」の中でかかっていた1曲目が、三橋美智也の

「アイムア北海道マン」

である。

そういえば、安住アナも、北海道出身だもんなあ。

三橋美智也なんて、このブログのメイン読者層である若い人はわからないかも知れないな。

春日八郎、村田英雄とならぶ、「昭和演歌三人衆」の一人。

三橋美智也もまた、北海道出身である。

子どもの頃から、三橋美智也の歌が好きだった。たぶん、父の影響かも知れない。

三橋美智也の最大の魅力は、「のびやかな中高音の美声」である。

もともと民謡歌手だったこともあり、民謡の歌い方を基本にしたのびやかな美声を武器にしていた。

演歌といっても、ちょっと軽妙な感じの歌も得意とした。「カールおじさんの歌」とか。

「のびやかな中高音の美声」を武器にした歌手は、おそらく三橋美智也がそのパイオニアである。本人も、どこかのインタビューでそう答えていたことを、子どものころに聞いた記憶がある。

で、その後、松山千春とか、さだまさしとか、「のびやかな中高音の美声」を武器にする歌手があらわれた、というのである(本人談)。

そういう意味でいえば、三橋美智也は、ニューミュージックの世界にも大きな影響を与えたのである。

だから僕の中では、「三橋美智也→松山千春」であり、「三橋美智也→さだまさし」という系譜なんですからね。そこんとこ間違えないよーに。

で、この「アイムア北海道マン」を、恥ずかしながら今日のラジオで初めてフルバージョンを聴いた。

どことなく「カールおじさんの歌」を彷彿とさせる曲調と、のびやかな歌声。

「北海道賛歌」の名曲である。

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ジャンボカボチャ大会

9月9日(日)

TBSラジオ「安住紳一郎 日曜天国」が好きで、たまに時間が合うとリアルタイムで聴いているのだが。

今日の「にちてんおでかけリサーチ」は、千葉県の鴨川市だった。

なんでも、9月に香川県の小豆島で「日本一どでカボチャ大会」の全国大会がおこなわれるそうで、いま、各地で地区予選が開かれているそうなのである。

そんな全国大会があるなんて、ちっとも知らなかった。しかも地区予選まであるとは…。まるで高校野球さながらである。

高校野球よりも、こちらの方を応援したくなってしまう。

で、千葉県鴨川市は、全国大会で何度も優勝する、いわゆる「強豪校」なのだそうだ。

ラジオの中継先は、鴨川市の地区予選の様子を伝えていた。

ジャンボカボチャの地区予選をラジオで中継されてもなあ、と思うかも知れないけれど、これが「にちてん」の醍醐味。映像がない分、インタビューに集中して聴くことができる。映像があったら、ジャンボカボチャのほうに目が行っちゃって、話が入ってこないもんね。

ジャンボカボチャの栽培に挑戦しているのは、プロの農家の方よりも、アマチュアの方が多いのだそうだ。

中継先でインタビューに答えていたのは、プロの農家の方ではなく、ふだんは自動車整備工をしておられる方だった。

つまり余暇に、ジャンボカボチャ作りに精を出しているというのである。

どうして、ジャンボカボチャ栽培に魅せられたのですか?という質問に、

「自分が手塩にかけて育てたカボチャが、こんなに大きくなることに、喜びを感じて」

というようなことを答えていた。

ジャンボカボチャは、どのくらいのペースで大きくなるのですか?という質問に、

「1日に10㎏くらい増えることがあります。1週間で100㎏近く増えます」

と答えていた。

安住「じゃあ、ちょっと目を離している隙に、カボチャが大きくなってる、なんてこともあるんですか?」

カボチャおじさん「ええ。タバコを一服吸って戻ってみると、1~2㎏増えているなんてことがあります」

なんと!まるで俺の体重の増え方みたいやんけ!!!

小豆島の全国大会の際には、4トントラックで小豆島まで運ぶのだそうだ。

今年は異常気象のために、あまり仕上がりがよくないそうだが、はたして、ジャンボカボチャの全国大会を制するのはどこか!?

かなり気になるところである。

ところで、ジャンボカボチャって、美味しいものなのだろうか?

ただ大きいだけで、あまり食用というイメージがないような気がする。

ジャンボカボチャを作る人たちは、人類を救うために作っているわけではないような、勝手なイメージがある。

「意味のないこと」「役に立たないこと」「なかなか理解されないこと」に真剣に取り組む生き方は、嫌いじゃない。

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こじらせ新書のコーナー

…というわけで、ラジオネーム・こぶぎさんから「鬼瓦さんが次に新書を出すとしたら、どんなタイトルがいいか」略して「こじらせ新書のコーナー」にネタをいただきましたけれども。

まだまだ、「こじらせ新書」のタイトルを募集しております!

そうそう、それで思い出したんですが。

僕が尊敬する映画作家の大林宣彦さんの本に、

『なぜ若者は老人に席を譲らなくなったのか』(幻冬舎新書、2008年)

というタイトルの新書があって、これは書き下ろしではなくて、語り下ろしなんだけれども、このタイトルがまさに「こじらせ新書」と呼ぶにふさわしいタイトルなんです。

この本が出た当時、あの大林監督が、なんでこんなタイトルの本を出しちゃったんだろう?と訝しんで、実際に読んでみると、タイトルと関わりのある内容はごく一部で、あとは別の話だった、ような気がする。

で、僕はこの本を買ったかどうか、よく覚えていない。

タイトルがアレだったので、大林監督の本を集めていた私も、さすがに買わなかったのかも知れない。あるいは買ったんだけれども、引っ越しの時に売っちゃったのかな。

それくらい、「タイトル」が逆効果になって、真のファンである僕は、この本から離れていったのである。

いまから思えばですよ。たぶん、このタイトルを付けたのは、著者ではなく、出版社の編集者だってことが、よくわかります。

当時、こういう新書のタイトルが流行ったんですね。

…とここまで書いて、急に恐くなっちゃった。

このたび僕が出した本のタイトルが、まさにこれと同じパターン。

尊敬する大林監督と同じ経験、というか同じ辛酸を舐めたんだな、ということは光栄なんですけれども。

このタイトルのセンスって、10年前のものなんですよね。

いや、「なぜ若者は老人に席を譲らなくなったのか」というタイトルを見た2008年の時点で、

タイトルのセンス、古っ!!!

って思っちゃったんですから、10年以上前のセンスかも知れませんね。

あと、「なぜ若者は老人に席を譲らなくなったのか」というタイトルを見て、真の大林監督ファンである僕が本を買うのをためらった、という事実から考えるとですよ。このタイトルを見て、

俺の真のファンが離れていく!!

ということになると思うんですよ。

まあ、実際にはファンがいるわけではないんですけどね。

そんなことを考えると気に病む毎日なんですが。

まあそれでも、うれしいことがないわけではありません。

「前の職場」の教え子だった卒業生から連絡が来て、

「購入いたしました!冒頭の前口上を読みましたが、大学の時に初めて先生の講義を受けて感動したことを思い出しました」

「先生の講義を受けているみたいでした!面白かったです!」

とメッセージをくれました。

ありがたいねえ。持つべきものは卒業生。タイトルにためらうことなく読んでくれた。

それで思い出したんですが、このたびの本は、いままで僕が教えた卒業生のために書いた本だったってことです。

本文の語り口は、たぶん講義の語り口と同じだからね。

なるべく多く卒業生たちに読んでほしい。

で、読んでいる時間は、大学の頃のことを思い出してほしい。

…なんてね。

いつか出したいと夢見ている、韓国留学顛末記もまた、同じようなテイストのタイトルになったら、イヤだなあ。

本当は、

『キョスニムと呼ばないで!』

というタイトルがいいんだけれども、

『韓国の語学学校にはなぜ中国人留学生が多いのか』

とかになったら、イヤだなあ。

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踊り子

とくに書くことがない。

村下孝蔵の「踊り子」という歌が好きで、どういうところが好きかというと、テンポが速いこと。

ああいう情感のこもった歌は、ともすればスローになったり、ためて歌ったりする傾向になりがちなのだけれど、「踊り子」は、アップテンポを維持し続けているのがよい。

スターダストレビューの「木蓮の涙」は名曲なのだが、やはりなんといってもオリジナルのロックな感じがよくて、最近のアコースティックバージョンは、テンポが遅すぎてよくない。

年齢を重ねると、情感を込めすぎてスローテンポになったりすることがあって、僕はそれがイヤなのだ。情感のこもった歌ほど、テンポが速いほうがよい、というのが僕の持論。

ジャン・コクトーに「踊り子」という詩があって、堀口大學先生が訳している。

「爪先で歩みながら蟹が這ひ出る

両腕を花籠のやうに捧げて

耳元まで微笑する。

オペラの踊り子も

蟹に似て

きらびやかな楽屋廊下へ

腕を輪にして出てまゐる。」

この詩を読んだとき、

(ひょっとして、村下孝蔵はこの詩の影響を受けて「踊り子」を作詞したんじゃないだろうか)

とくに、

「爪先で歩みながら蟹が這ひ出る」

から、

「爪先で立ったまま君を愛してきた」

という歌詞を発想したのではないか、と思ったのだが、よく考えてみると、「爪先で」しか合っていない。

小椋佳が、北原白秋の詩の影響を受けて「シクラメンのかほり」を作詞するほどには、影響関係は認められないのだが、僕の中では、村下孝蔵の「踊り子」を思い出すとき、同時にジャン・コクトーの「踊り子」も思い出すのである。

ま、どうでもいい話なのだが。

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忍法メガネ残し

さて、壊れたメガネですが。

まだセロテープはとれずに頑張っています。

新しいメガネができるまで、あと三日!

娘が、私の顔を見てやたらニコニコする。

その理由が、メガネにあることに気づいた。

メガネを娘の見えるところに置くと、ものすごい勢いでメガネに向けて突進してくる。

アブナイアブナイ。また壊されるぞ、と思い、慌ててメガネを取って自分の顔にかけると、娘は私の顔のほうを見るのである。

うーむ。これは、俺ではなく、メガネに興味があるということだな。

ためしに、飯尾(ずん)のギャグである、

「忍法メガネ残し!」

をやってみた。

すると、娘の目線は私の顔ではなくメガネのほうをとらえていた。

やっぱり、メガネを見ていたのだ。

俺のことをメガネだと思っているのか?

そうか、俺はメガネなのか!

たしかにメガネは俺だが、メガネをはずした俺は誰だろう?

(「粗忽長屋」風のオチ)

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名曲喫茶

9月4日(火)

打ち合わせのため、母校の大学に行く。

母校の大学には、できるだけ近づきたくない。だからなるべく行かないように避けているのだが、今日は仕事なので仕方がない。

打ち合わせが終わり、どっと疲れたので、どこか喫茶店で休もうと思った。

最近は、大学のまわりにチェーン店のコーヒーショップが次々とできているようだ。私が学生の頃は、そういったたぐいのコーヒーショップはほとんどなかった。

大学の最寄りの駅の目の前に、名曲喫茶があることを思い出す。

学生時代、クラシック音楽が好きな友人にたまに連れていかれたところだが、もう四半世紀も前のことである。

久しぶりに、その名曲喫茶に入ることにした。

看板に「珈琲300円」と書いてある。

珈琲の値段、こんなに安かったっけなあ。むかしはもっと高かったような記憶があるが。

まわりのチェーン店のコーヒーショップが安価な珈琲を提供しているので、それに対抗しているのだろうか。

そのお店は地下1階にあるのだが、狭い階段を降りていくと、なんとなくタイムスリップしたような気分になる。

階段を降りるというよりも、地下に潜り込む、といった感覚である。

「いらっしゃい」

白髪のおばあさんが出迎えてくれた。

階段を降りたところがいちばん狭く、その両側に、テーブルと椅子を置いた空間が広がっていた。

四半世紀ぶりに来たので、お店の構造をすっかり忘れてしまっていた。

右の部屋に行くべきか?左の部屋に行くべきか?

「あのう…どちらに行けばいいでしょう?」と白髪のおばあさんに聞くと、

「どっちでも同じですよ」

という。

とくに、どちらかが禁煙で、どちらかが喫煙というわけでもないようだ。

ということで、左の部屋に入った。

うーむ。たぶん学生時代に通ったときと、ひとっつも変わっていないテーブルと椅子。

月並みな言い方だが、レトロな雰囲気のお店である。

お客さんは、数人。全員が、おひとり様である。

しかも、半分くらいの人が、テーブルに突っ伏して眠っている。

たしかに、この雰囲気で、クラシック音楽を流されたら、眠りたくなるだろうな。

とくに、クラシック音楽のレコードを聴きたくてこの店に来たというよりも、現実逃避のためにやってきた、という感じのお客さんばかりである。

かくいう私も、その一人なのだが。

コーヒーを注文し、ほどなくして白髪のおばあさんがコーヒーを運んできてくれた。

「ごゆっくり」

…どうもこれは、原稿を書くとか、本を読むとか、そういうよけいなことをするような雰囲気のお店ではない。

ひたすらぼんやりとするためのお店である。

喫茶店、というよりも、「窟」である。

うーむ。こんなところに長居していたら、抜け出せなくなってしまうぞ。

いや、抜け出せなくなってもいいのだが、今日はほら、今年最大の台風が来ているから、電車が動いているうちに帰らなくてはならない。

コーヒーを飲み干して、心を鬼にして席を立った。

レジのところに行くと、今度は白髪のおじいさんが、

「300円です」

と会計をしてくれた。

たぶん私が学生時代の時も、このご夫婦がこのお店を切り盛りしていたと思うんだけど、全然記憶がない。

階段を上がって地上に出ると、現実に戻ったような気がした。

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9月になっちゃった

9月になっちゃった。

例年、この時期から年度末までが、怒濤の展開になる。

年度の前半は、問題をすべて先送りにしていて、8月あたりなんかは、「暑いですねえ」かなんかいいながら、のらりくらりと過ごしていたわけだが、そのツケが、9月以降になってあらわれるのだ。

10月11月12月あたりのことを考えると、かなり憂鬱になる。

まずは、こまごまとした原稿を、少しずつ仕上げていかなければならないのだが、通勤の疲労でなかなか進まない。

困ったもんやなあ。

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メガネを買いに行く

9月2日(日)

メガネが壊れたので、メガネを買いに行くことにした。

いま私がかけている眼鏡は、左側の柄の部分がぼっきり折れていて、セロテープで留めている状態である。

いつ、このセロテープがはがれて柄がとれてしまうとも限らない。

一刻も早く、新しいメガネを手に入れなければならない。

しかし、調べてみると、メガネ屋さんは近くにあるわけではなく、車やバスを使わなければ行けないようである。

候補は2箇所。

ひとつは、私鉄のS駅にある2軒のメガネ屋さんである。ひとつは、Mというお店で、もうひとつは、Jというお店。S駅付近は、最近とみにオサレになった場所である。

Jというお店は、安いのだが、フレームがちょっと脆弱なので、壊れやすいのではないかとのアドバイス。行くなら、Mというお店の方がいいだろうと。

もう一つは、JRと私鉄が集まるK駅にあるMというメガネ屋さん。S駅にあるお店と同じチェーン店である。K駅のあたりは、むかしからオサレな町である。

さて、どっちにするか。

迷ったあげく、S駅の方面に行くことにした。

休日のせいか、道路が渋滞して、やっとのことでS駅周辺に着いた。

目的のMというメガネ屋さんに行くと、なななななんと!!!お店が閉まっているではないか!!!

「ただいま改装中。9月14日(金)に新装オープン!」

なんだよー。というか、あらかじめ調べておくべきだった。

さて、どうしよう。

選択肢は3つである。

1.9月14日(金)以降に、あらためてメガネを買いに来る。

2.同じS駅近くのJというメガネ屋さんで買うことにする。

3.いまからK駅に移動して、Mという同じチェーン店に買いに行く。

さあ、どうする???

1は、ありえない。メガネの柄はかろうじてセロハンテープでつながっており、今にもとれそうなのだ!

では、2がいいかというと、やはり躊躇される。メガネはそう頻繁に変えるものではないから、やはりフレームは丈夫な方がいい。

…ということで、3の選択肢を選ぶことにした。

S駅からバスに乗り、K駅に向かう。

K駅は、この界隈ではオサレな町で有名であり、たくさんの人びとでごった返している。

駅の近くに、Mというメガネ屋さんがあった。

「あのう…メガネを作りたいのですが…」

「では、目の検査から始めましょう。こちらへどうぞ」

メガネ屋さんの目の検査ってのは、日々進歩しているのかね。前にメガネを作ったときにおこなった検査とくらべると、ずいぶんと検査プログラムが豊富である。

一通り検査が終わって、店員さんが言った。

「あのう、…あちらの方はどうです?」

「……?」

「近くのものが見えにくいとか…」

ああ、老眼のことね。もうバリバリ老眼ですが、なにか?

「それもあります。ですので、遠近両用ってのを考えているんですが」

「そうですか。ではそちらの方も検査してみましょう」

ということで、いよいよ、遠近両用メガネに挑戦することになった!

「最初は慣れないかと思いますが、だんだん慣れていきますから」

「そうですか」

「とくに階段の上り下りは気をつけてください」

「わかりました」

次に、フレーム選びである。

遠近両用メガネということになると、レンズの縦の長さが3センチ以上あった方がいいと言われたので、その条件に合ったフレームで、かつ自分の気に入ったものを選んだ。

さあ、レンズもフレームも選んだぞ!

「で、いつ頃受け取れるんでしょうか」

「1週間後です」

ええええぇぇぇぇぇっ!!!1週間後ぉぉー???

それまでセロテープがもつだろうか???

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メガネが壊れる

9月1日(土)

職場での2日間の集会が終わり、ヘトヘトになって帰ってきた。

かなり長丁場の集会だったので、昨日は職場のゲストハウスに泊まったのであった。

5カ月の娘が、布団の上で寝返りを打ったりして遊んでいるので、その横で寝っ転がっているうちに、ちょっとうとうとしてしまった。

娘に背を向けてウトウトしていると、後ろの方で、カタカタという音が聞こえた。

ポキッ!!

なんだなんだ、と思って振り返ると、娘の手には私のメガネが握られていて、メガネの柄が折られていたのである!

私は寝っ転がったときに、メガネを外して、枕元の上のほうに置いたのだった。

どうやら娘は手を伸ばして、メガネを手にとり、遊んでいるうちに折れてしまったらしい。

私がビックリしてメガネのほうを見ると、

ウェーン!

と泣いてしまった。

なんか悪いことをしたという自覚があったのかね。

泣きたいのはこっちだよ!

そういえば、娘は私のメガネに異常な関心を示していた。

メガネを外したり付けたりする動作が、不思議なのだろうか。

そのたびにメガネに触ろうとするのだが、壊されてはいけないと思い、メガネには決して触らせなかったのである。

で、たまりにたまったメガネに対する思いが、今日、爆発したのだろう。

私がメガネを外して枕元の上のほうに置き、背を向けているあいだ、娘は必死に手を伸ばし、ついにメガネを手にして、それをいじっているうちに、柄を

ポキッ!

と折ってしまったのである。

まあ、最近は柄がぷらんぷらんになっていたから、折れるのは時間の問題だったんだけどね。

いまはセロテープで柄を留めています。

気に入っていたメガネだったのだが、仕方がない。長年使っていてレンズもボロボロだから、明日、新しいのを買いに行こう。

お尻で踏んでも壊れないようなメガネ、ないかなあ。

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