韓国留学の遺産
ちょうど僕が、卒業生二人と会っていた9月23日(日)、妻は、韓国留学時代の語学学校のクラスメートに会っていた。ミャンマー人のジュンさんである。
僕らが韓国に留学していたのは2009年である。
僕は韓国の大学の語学院で、1級(初級)から4級まで上がるので精一杯だったが、妻はその上の5級まで上がり、そこに、ミャンマー人のジュンさんがいたのである。4級までは、中国人留学生がほとんどだったが、5級になると、ロシア人、ミャンマー人、モンゴル人など、国籍は実に多彩であった。もちろん韓国語の能力がものすごく高い人ばかりだった。
そういう能力の高い人たちばかりだから、早くからSNSを始めたりして、世界中に友だちを作っていた。妻はほとんどSNSをやらないのだが、5級のクラスメートたちに誘われて、SNSのアカウントを作成したようである。だからクラスメートたちのその後の動向も、SNSによってなんとなく把握することができたようなのだ。
ちなみに僕は、韓国留学時代の1級から4級までのクラスメートの連絡先を、誰一人知らない。まったくの音信不通である。このあたりが、僕の不義理な性格たる所以である。
で、そのミャンマーのジュンさんが、この時期日本に旅行に来ていて、東京に滞在していることをSNSで知り、妻が連絡を取ってみたところ、ぜひ会いましょうということになって、実に9年ぶりに再会したのであった(ちなみに僕は、ジュンさんとは面識がない)。
そのときの様子を妻から聞いたのだが。
ジュンさんは、韓国の語学学校で学んだ後、韓国の大学で化学を専攻し、卒業後も韓国で働くことになった。いまは、ある大企業に勤めているという。
ジュンさんにはお兄さんがいて、お兄さんは今、東京に住んでいる。韓国はこの時期、日本でいうお盆休みにあたる「チュソク」なので、この連休を利用して、お兄さんのいる東京に遊びに来た、というわけである。
ジュンさんは、韓国語がとても上手なのだそうだ。そりゃあそうだ。韓国に大企業で働いているくらいだもの。もちろん、英語も堪能である。
もう都合10年も韓国で暮らしていることになる。外国で暮らしつづけるのは、相当なエネルギーが必要だろう。僕にはちょっとできないなあ。
あと数年は韓国で暮らして、その後はまたどこに行くかわからないと言っていたという。まことにたくましい。
いずれにしても、韓国の語学学校で、3カ月ほど一緒だったミャンマーのジュンさんと、一期一会にはならず、9年ぶりに再会できたというのは、とてもうらやましい。
俺のクラスメートだった連中は、今どうしているんだろう?
そんなことを考えていたら、語学学校の3級のときの先生だったナム先生から、安否を訪ねるメッセージが来た。
そういえば、語学学校時代の関係者で、唯一連絡が取れるのが、ナム先生なのである。
ナム先生からは、年に数回、盆と正月などの季節の変わり目に、安否をたずねるメッセージが届く。チュソクだったこともあって、連絡をくれたのだろう。
返信に、ミャンマーのジュンさんのことを書いた。
「妻が、語学学校5級のクラスメートだったミャンマーのジュンさんに東京で久しぶりに再会したそうです。ジュンさんは、語学学校の先生、とくにナム先生のことを懐かしがっていましたよ」
「うわー、ほんとうですか?ジュンさん、覚えてますよ。とても賢い学生さんだったんですよね。ミャンマーに帰ったんでしょうか?」
「ジュンさんは、いま韓国の大企業に勤めているそうです」
「やっぱり…。すごいですねえ」
僕が驚いたのは、ナム先生が9年前の学生であるジュンさんのことを覚えていたということである。
べつに、覚えていないのに覚えていると嘘をついたわけではないだろう。
毎年、100名からの学生を教えているであろうはずなのに、覚えているというのがすごい。それだけ印象深い学生だったんだろう。
ジュンさんが聞いたら、喜ぶだろうな。
さて、僕にも、懐かしい人からメールが来た。
韓国留学中に知り合った、当時大学院生だったドンジュさんである。
ドンジュさんとは、実はほとんど話したことがない。大学院生たちが企画するタプサ(踏査。遠足みたいなもの)などで何回かご一緒した程度である。まじめで寡黙な人なので、ほとんどお話ししたことがないのだ。
だが不思議なことに、彼は3年に1度くらい、僕にメールをくれるのである。
内容はもっぱら、難解な質問である。
いつも僕は、その難解な質問に答えられないのだ。
今回もまた、
「ようやく博士論文を本にまとめることができまして、今年中には刊行される予定なんですが、鬼瓦先生に、ご意見を聞きたいことがあります」
と、例によって、難解な質問が書かれていた。
うーむ。困った。ただでさえ難しい内容の質問に対して、韓国語で答えるのは、かなり難しい。
それにしても、毎回僕は、彼の難解な質問に答えられないのに、どうして、性懲りもなく僕にメールをくれるのだろう。
でもまあ、いまだに覚えてくれていることは、ありがたい。
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