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お彼岸

9月22日(土)

9月2回目の3連休だが、例によって原稿が1文字も進まない。

今月末までに出すと言ってしまったが、もうだめかもわからんね。

今月末締め切りの原稿がもう1本あり、当然のことながら、そちらも進んでいない。

10月以降の忙しさを考えると、いささかパニック状態に陥ってしまい、いっそ割腹してしまおうかと何度も思うのだが、ま、そんなわけにはいかない。

世間の人たちは、3連休を満喫しているんだろうか。

今日はお彼岸だったので、お墓参りに行った。

昨年11月に父が死んでから、母と妹は、月に1度、お墓参りに行っている。

だが僕は、正月休みやお彼岸やお盆くらいしか、お墓参りに行っていない。まことに親不孝な息子である。

「お彼岸くらい、お墓参りに行きなさいよ」と言われ、母と妹と、お墓のところで待ち合わせることにした。

お墓参りが終わり、帰りの車の中でラジオを付けると、大沢悠里さんのラジオでジェーン・スーがゲストで出演していた。

たまたまそこで話していたのが、お墓参りの話。

ジェーン・スーは、若いころに母親を亡くし、それからの人生は、自分にとっての家族が父親だけになってしまった。

母親が亡くなってから、父親との間で確執が表面化し、愛憎入り交じるさまざまな出来事が襲いかかる。

そのあたりのことは、ジェーン・スー『生きるとか死ぬとか父親とか』(新潮社、2018年)に詳しい。

そうそう、さくらももこ以後の、希代のエッセイストは、ジェーン・スーである。

まあそれはともかく。

ジェーン・スーもまた、月に1度、父と一緒に母の墓参りをするのだという。

「お墓で待ち合わせるというのは、父と私が会うのに、もっともうまい方法だ」というニュアンスのことを言っていた。

なるほど、お墓というのは、待ち合わせの場所、というか、約束の場所という意味もあるのか。死者と生者の。あるいは、生者と生者の。

そういえば私の友人にも、年に一度、何月の第何週めの週末、というふうに日を決めて、兄弟そろって遠い場所にある父親のお墓参りに泊まりがけで行く、という人がいた。

ふだん兄弟どうしじっくりと話す機会もないが、1年のうちこの時だけは、兄弟水入らずでいろいろな話をするのだと言っていた。

ジェーン・スーのラジオ番組「生活は踊る」(TBSラジオ)は、ふだんあまり聴かないが、それでも金曜日の回は、アシスタントが堀井美香アナウンサーなので、たまに聴いたりすることがある。

金曜日の回のオープニングでジェーン・スーがお決まりのセリフとして言う、

「さあ、お仕事中の方、家事育児、病気療養、はたまた介護中のみなみな様、よくぞ、よくぞ金曜日までたどり着きました!」

という言葉に、励まされることがある。

…暗い話になってしまった。お彼岸だから、ま、いいか。

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