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名曲喫茶

9月4日(火)

打ち合わせのため、母校の大学に行く。

母校の大学には、できるだけ近づきたくない。だからなるべく行かないように避けているのだが、今日は仕事なので仕方がない。

打ち合わせが終わり、どっと疲れたので、どこか喫茶店で休もうと思った。

最近は、大学のまわりにチェーン店のコーヒーショップが次々とできているようだ。私が学生の頃は、そういったたぐいのコーヒーショップはほとんどなかった。

大学の最寄りの駅の目の前に、名曲喫茶があることを思い出す。

学生時代、クラシック音楽が好きな友人にたまに連れていかれたところだが、もう四半世紀も前のことである。

久しぶりに、その名曲喫茶に入ることにした。

看板に「珈琲300円」と書いてある。

珈琲の値段、こんなに安かったっけなあ。むかしはもっと高かったような記憶があるが。

まわりのチェーン店のコーヒーショップが安価な珈琲を提供しているので、それに対抗しているのだろうか。

そのお店は地下1階にあるのだが、狭い階段を降りていくと、なんとなくタイムスリップしたような気分になる。

階段を降りるというよりも、地下に潜り込む、といった感覚である。

「いらっしゃい」

白髪のおばあさんが出迎えてくれた。

階段を降りたところがいちばん狭く、その両側に、テーブルと椅子を置いた空間が広がっていた。

四半世紀ぶりに来たので、お店の構造をすっかり忘れてしまっていた。

右の部屋に行くべきか?左の部屋に行くべきか?

「あのう…どちらに行けばいいでしょう?」と白髪のおばあさんに聞くと、

「どっちでも同じですよ」

という。

とくに、どちらかが禁煙で、どちらかが喫煙というわけでもないようだ。

ということで、左の部屋に入った。

うーむ。たぶん学生時代に通ったときと、ひとっつも変わっていないテーブルと椅子。

月並みな言い方だが、レトロな雰囲気のお店である。

お客さんは、数人。全員が、おひとり様である。

しかも、半分くらいの人が、テーブルに突っ伏して眠っている。

たしかに、この雰囲気で、クラシック音楽を流されたら、眠りたくなるだろうな。

とくに、クラシック音楽のレコードを聴きたくてこの店に来たというよりも、現実逃避のためにやってきた、という感じのお客さんばかりである。

かくいう私も、その一人なのだが。

コーヒーを注文し、ほどなくして白髪のおばあさんがコーヒーを運んできてくれた。

「ごゆっくり」

…どうもこれは、原稿を書くとか、本を読むとか、そういうよけいなことをするような雰囲気のお店ではない。

ひたすらぼんやりとするためのお店である。

喫茶店、というよりも、「窟」である。

うーむ。こんなところに長居していたら、抜け出せなくなってしまうぞ。

いや、抜け出せなくなってもいいのだが、今日はほら、今年最大の台風が来ているから、電車が動いているうちに帰らなくてはならない。

コーヒーを飲み干して、心を鬼にして席を立った。

レジのところに行くと、今度は白髪のおじいさんが、

「300円です」

と会計をしてくれた。

たぶん私が学生時代の時も、このご夫婦がこのお店を切り盛りしていたと思うんだけど、全然記憶がない。

階段を上がって地上に出ると、現実に戻ったような気がした。

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