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10年ぶりの消息

「鬼瓦先生、こんにちは。突然のメール、大変失礼いたします。卒業生の××です。

鬼瓦先生には大変お世話になりましたのに、ご無沙汰しておりまして誠に申し訳ありませんでした。

社会人として、先生に立派に顔向けできるようになったらご挨拶しようと思っておりましたが、なかなか自分で納得できる成果を出せずにおりました。

まさか10年も経ってしまうとは思わず、もしかしたら一生このままなのでは…と危惧しておりましたところ、たまたま先生の最新刊を拝読しまして、矢も楯もたまらずメールを出させていただいた次第です。

最新刊、大変楽しく読ませていただきました。

大学時代を過ごした懐かしい土地のことや、大学の雰囲気、先生の授業など、昨日のことのように思い描くことができ、涙が出てきました。

1年生の前期に先生の授業を受講したときのワクワク感がよみがえりました。

それとともに、私は歴史とどう向き合っていけるだろうかと、考えました。

またいつか鬼瓦先生にお会いできたとき、このあたりのことにつきましてご教示いただければありがたいと思っております。

近くにいらっしゃる折には、ぜひお声がけいただければ幸いです。

私もいつか関東に赴くことがありましたら、先生のお仕事場に遊びに行かせていただければありがたく存じます。

寒くなってまいりましたので、どうかご自愛くださいませ」

10年ぶりに卒業生から来たメールには、10年分の近況報告も書き添えられていた。

卒業生の多くは地元に戻り、連絡が取れなくなってしまった人たちも多かったが、ひょっとしたらこの国のどこかで、卒業生たちがこの本を手にとってくれることもあるだろう、と思いながら、僕はこの本を書いた。

で、実際にそういうことがあるというのは、うれしいことである。

僕なんて簡単に忘れられてしまう存在だし、人はいとも簡単に離れてしまう、ということを、これまでの経験からよくわかっているのだが、それでもごくまれに、何かのきっかけで思い出してくれることもある。逆に僕自身が、たまたま手にとった本から懐かしい人を思い出したりすることもあったりする。

「前の職場」を離れるとき、「ここでお世話になった人たちに、せめて恥じない生き方をしよう」と誓ったが、実際のところ、いまの私は、恥じ入ることばかりである。

懐かしい人たちに顔向けできないのは、むしろ僕のほうではないかと思うことがしばしばである。

でも、僕は思うのだ。

どんな状況にあったとしても、顔向けできないなんてことはないのだ、と。

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