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2018年10月

教えて!だまらー

10月30日(火)

くっそ忙しい、というか、やるべきことが多すぎて、ちょっとしたパニック状態である。

なので、落ち着いてブログを書く時間がない。

さて、このブログの読者のみなさんのことは、ラジオの「リスナー」になぞらえて「だまらー」と呼んでおりますが、そんな「だまらー」に質問です。

高校時代の同じクラスのグループLINEに入れてもらっていることは、以前に述べましたね。

おもに、飲み会の日程調整などで使っているようなのだが、僕はまったく飲み会に行かないので、ほとんど没交渉で、不義理な状況が続いている。

今日、グループLINEの一人から、

「誰か教えてください!」というメッセージとともに、以下の写真が送られてきた。

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で、この写真に添えて、

「この問題がわかりません。何かしらの規則があると思うのですが、右下に入るのはなんだと思いますか?ちなみに、今選択されているのは間違えていると思います」

というメッセージがあった。

………。

………。

意味がぜんっぜんわからねえ!!!

そもそも、この画面って、いったい何?

なんかのクイズ???

それともシステムエンジニアとか、配線工事とか、そういう工学系の資格試験?

それとも、頭の体操的なクイズ???

というか、なんの前ふりもなく、いきなりこの画面を出してきて、「この問題がわかりません」ってあるけど、これって、よくあるクイズなの???

少なくとも俺はこんな画面、はじめて見たぞ!!!

で、驚いたのは、この疑問に対して、

「縦横の共通以外を無視したら、右上の+かな?」

とか、

「私も、そうかなと思ったけど、確信には至らず」

とか、

「縦横方向は共通部分は消して、斜め方向は共通部分は残すと、いちばん左上の「・」になるような気がします」

といった会話が、俺以外の人たちの間で繰り広げられているのである。

なんか当たり前のように会話してるけども、この会話も、何を言ってるのかサッパリわからねえ!!!

いったい、これはどういうことなの???

ついていけてないのは、俺だけ???

完全に置いてけぼりって感じ。

唯一のヒントは、「アドバンスプログレッシブマトリックスフォーム」と書かれていることである。ググレカスってことで検索してみると、ジャストのワードが見つからないのだが、どうやら知能検査のようなものじゃねえかって感じがする。

知能検査だとしたら、他人に答えを聞いていいのか?

とか、また新たな疑問がわいてくる。

というか、このアドバンスなんとかって、よく知られているものなのか???

知らないのは俺だけか???

そもそもこの画面をこんな形でさらしてもいいのか???

この話題について、こういう形でふれてもいいのか???

次々と疑問がわき起こる。

ちょっといま、取り込んでいるので、こういうことに頭と時間を使いたくないのだ。

だまらーのみなさん、正解はいったい、なんなのでしょう?

そしてこのアドバンスなんとかって、なんなのでしょう?

知らないのは僕だけなのでしょうか???

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東京遅延生活

ちょっとちょっと!ドラマ「相棒 シーズン17」の初回スペシャル、ご覧になりました?

明らかに黒澤明監督の映画「羅生門」にインスパイアーされてましたな。

ああいう脚本、一度は書きたくなるんでしょうな。

まあそれはともかく。

10月29日(月)

通勤に片道2時間半もかかる生活をしていると、数日に一度、必ずと言っていいほど、電車の遅延に巻き込まれる。

今日もそうだった。

KO線のM大前駅で電車を待っていたら、アナウンスが流れた。

「都営地下鉄は、午前3時50分に起きた保安装置の事故のために、運転を見合わせております。その影響で、こちらの路線も遅れて運行しております」

ホームにはものすごい数の人である。

やがて電車が来た。

「電車はすぐに出発します。ご乗車になりましたら立ち止まらずに中にお進みください」

せかされるように電車の中に入る。すでにかなりギューギュー詰めである。

そしたら、次のアナウンス。

「ただいま、前の電車が詰まっております。このまましばらくお待ちください」

ええええぇぇぇっ!!!

早く乗れって言ったじゃん!どないやねん!!

ギューギュー詰めの車内に、閉じ込められてしまった。

車内は熱気で暑くなり、肌寒い天気にもかかわらず汗が出てきた。

待つこと10分。

(このまま、この電車に乗り続けるか?それとも、降りて別のルートで職場に向かうか?)

頭の中で迂回ルートを考えるのだが、どれもすげーめんどくさいルートばかりである。

(ええぃ!このままこの電車と心中しよう)

そうこうしているうちに、ようやく電車が動き出した。

都営地下鉄が運転見合わせだというので、予定を変更し、終点の駅まで行って、そこから「黄緑色の電車」に乗り換える。

都心をぐるりとまわる「黄緑色の電車」に乗ったら、意外とガラガラなのね。

どないなっとんねん!

そんなこんなで、ふだんとは異なるルートを使って、30分遅れくらいでようやく職場に着いた。

もちろん、着いたころにはヘトヘトですよ。

まったく、毎日が冒険のような出勤である。

明日は電車が遅延しませんように。

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課題解決型授業

10月25日(木)~26日(金)

最近の大学では、「課題解決型授業」とか何とかいう形式の授業が、必須になっているらしい。僕がいたころはなかったのだが。

「前の職場」の元同僚のSさんから、「今年度から、課題解決型の授業をやらなければならなくなったので、ついては鬼瓦さんの職場でそういった形の授業ができないだろうか」という相談を、ずいぶん前に受けた。

在京での4日間の実習のうち、2日間ほどを、うちの職場を使って授業をしたいというのである。

その授業の主担当は、やはり元同僚のIさん。相談を持ちかけてきたSさんは副担当である。受講する学生は22名である。

もちろん「前の職場」には恩があるので、引き受けることにした。

さて、僕が企画した2日間の授業というのは、以下の通りである。

まず、1日目の午後にご一行が職場に到着する。

初日は、うちの職場の「裏側」を案内したり、期間限定で開いている「特別店」を解説付きで見てもらったり、ちょっとした座学をやったり。これらには、同僚の助けを借りる。

2日目が本番である。

うちの職場には、6つの常設店舗がある。そのうちの1つは、現在改装中なので、いまは実質5つの店舗が開いている。

学生22人を、5つの班に分けて、分担を決めて、1つの班が1つの常設店舗をじっくりと観察する。

観察に際して、僕がある「課題」を与える。ある視点から、5つの店舗を観察してほしい。観察に際しては、適宜店舗の写真を撮ってもらってかまわない。で、その観察の結果、どのようなことがわかったかとか、どのような点が問題であると考えられるか、といったことを、写真を使いながら、各班でまとめてもらう。

最後に、各班がみんなの前でプレゼンをして、意見交換をする。

10時半から14時半までが、店舗観察と発表準備の時間。14時半までは、時間を自由に使ってよい。

14時半から16時までの1時間半ほどが、発表時間。

「…これでどうでしょう?」

「いいですね。それでいきましょう」

Sさんとの間で話がまとまった。

Sさんとはこれまでいろいろな仕事をしてきているので、気心が知れているのだが、主担当のIさんが、僕の考えた企画をどう思うかがわからない。

副担当のSさんが主担当のIさんに諮ったところ、

「それでいいでしょう」

ということになった。

そうはいうものの、僕は不安だった。なにしろ、僕はかなりぼんやりとした「課題」を投げかけるのである。それに対して学生たちがその趣旨を理解して、「課題」に応えてくれるだろうか。

学生たちに「無駄な2日間だった」と思われたらどうしよう。

何より、この授業の主担当のIさんに、「こんなはずじゃなかった」と思われたらどうしよう。

これは、僕の授業ではなく、Iさんの授業なのだ。僕の授業ならば、失敗したら僕の責任になるが、この授業が失敗したら、Iさんに迷惑をかけてしまう。

まあそんなこんなで、かなり不安を抱えたまま、当日を迎えた。

初日は、職場の同僚たちにお手伝いいただいて、とくに問題なく終えた。

2日目。

朝10時に職場に集合してもらったが、学生たちは、どんな課題を出され、どんな形式で発表させられるのか、知らされていない。

僕が最初に、今日の「課題」について説明した。

「課題の趣旨は理解されましたか?」

学生たちがうなずいた。

「ではさっそく始めましょう」

各班は、それぞれの担当の常設店舗に散らばっていった。

(まことにぼんやりした「課題」を与えてしまったが、学生たちははたしてちゃんとその課題の趣旨を理解してくれただろうか…)

4時間後の午後2時半。

発表が始まった。

Photoどの班も、僕の出した「課題」の趣旨を把握し、写真を適切に用いながら、的確なプレゼンを行っていた。

よくこの短時間で、課題の趣旨を理解して、ここまでまとめられたものだ、と感心した。

僕の心配は、杞憂にすぎなかったのだ。

杞憂どころか、学生たちは、各班ともすげー熱心にプレゼンの準備をしていたばかりでなく、それを楽しんでいたのである。

だから各班のプレゼンも、かなり興味深いものとなった。

やっぱ学生の伸びしろってすげえんだな、と、あらためて思った。

1時間半ほどで、プレゼンは終了した。

なんとか形になった、と、ホッとした。

最後に、主担当のIさんが総評を述べられた。

「僕のふだんの演習では、学生ひとりひとりが発表するということはあっても、グループで何かをまとめて発表してもらうという形の演習は、したことがなかった。それは、僕自身がそういう指導をすることが苦手だったことにもよります。でも今日一日、こうしてグループ単位でプレゼンをする授業を体験してみて、なるほど、こうやってグループワークをすればいいのかと、自分自身がむしろ勉強になりました。ありがとう」

ポーカーフェイスのIさんから、少し笑みがこぼれた。

2日間のプログラムがすべて終わり、解散となった。

学生たちはひとりひとり、「ありがとうございました」と深々と僕に頭を下げて、研修室を出て行った。

今日一日は、決して無駄な時間ではなかったはずだ。何かを感じ取ってくれたなら、それで十分である。

「2日間、ありがとうございました」とIさん。

「いえいえ、こちらこそありがとうございました」

「また、実習をお願いするかも知れません」

「わかりました」

Iさんもまた、何かの手応えを得たのかも知れない、と、不遜ながらそんなことを思った。

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あなたにとって卓球とは?

日本で最も有名な女子卓球選手が引退しましたね。

さて、またもやって来ました、引退会見!

当然気になるのは、「あの質問」が出たのか?ということです!

「あの質問」って?

そう!私が、この世でいちばん愚問だと思う質問のことですよ!

「あなたにとって、卓球とは何ですか?」

ハイ、やっぱり出ました!あの愚問が!

その道を究めた人に対して、マスコミがまるで思考停止したように繰り出す愚問です。

そう!何を隠そう、この私めは、「あなたにとって○○とは?」ウォッチャーなのです

さて、その卓球選手は記者会見でその質問が出たとき、何と答えたか?

「恩人です」

と答えました。

1年半前に、有名な女子フィギアスケート選手が引退会見したとき、その選手は、

「存在……。どんな存在ですかね。難しいですけど(笑)。一言で言うとやはり人生かなというふうに思います。」

と答えました。これについてはすでにこのブログでとりあげましたね

いいですか、このあたり、「だまらー試験」に出ますよ!

さて今回は、回答が「人生」と重ならないように「恩人」にしたのではないかと思います。

想像するにですよ。たぶんその卓球選手は、

「あなたにとって卓球とは?」

という質問への対策を事前にしていたと思う。

過去のデータを調べて、

「そうか、真央ちゃんは『人生』って答えてるのかぁ…。ということは、『人生』は使えないなぁ…」

とかなんとか検討した結果、

「恩人です」

という答えを導き出したのではないでしょうか!

こうなるともうね。

引退会見のときに、誰が何と答えたかをデータベース化する必要があるよね。

で、こんど引退する人は、なるべくカブらないようにしなきゃいけない。

あるいは、ですよ。

マスコミもマスコミで、

「あなたにとって○○とは?」

という質問の答えを、一流アスリートに答えさせるような負担をかけてはいけない。第一、失礼である。

たとえば、選択肢を用意したらどうだろう?

「あなたにとって卓球とは何ですか?次の三つから選んでください。

1.人生

2.恩人

3.自分との闘い」

で、アスリートに選んでもらう。そうすれば、アスリートがこのような愚問に頭を悩ませる必要はなくなります!

つまりいいたいことは、

「もう、『あなたにとって○○とは?』といった不毛な質問は、やめませんか?」

ということなのです。

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ジュリーは談志だ!

まず最初に大前提として確認しておきますけれど、

「沢田研二こそが、史上最高の男性アイドルである」

ということ。これについては、異論を認めません。

なぜなら、以前、ラジオ番組「ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル」の「史上最高のアイドルは誰だ?評議会(男性編)」という企画で、ぶっちぎりで沢田研二が史上最高の男性アイドルと認められたからである!

このラジオの中で、僕と同世代のコンバットRECさんが、

41v7idxaill「僕が初めて買った音楽アルバムは、小学生のときに買った沢田研二の『思いきり気障な人生』だった」

と言っていたが、これを聞いて僕はビックリした。

なぜなら僕も、小学生のときに生まれて初めて買った音楽アルバムが、「思いきり気障な人生」だったからである!

なんという偶然の一致!!!

…というか、コンバットRECって、誰?

つまり「思いきり気障な人生」を買うというのは、当時の小学生男子にとっての「あるあるネタ」だったのである!

当時の小学生男子にとって、沢田研二がいかにすごい存在だったか。それは、映画「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」のエンディングテーマが、沢田研二の「ヤマトより愛をこめて」だったことからもわかる。

あるいはこれは、子どもと一緒に映画を見に来た親の世代へのサービスだったのかも知れないが、当時、このエンディングテーマが、小学生男子たちの心をどれだけ鷲掴みにしたことか!

コンバットRECさんや僕が、「思いきり気障な人生」を買ってしまったのも無理はない。

…だから、コンバットRECって、誰っ!!??

さて、沢田研二の「さいたまスーパーアリーナドタキャン事件」。

9000人収容のさいたまスーパーアリーナで、7000人分のチケットしか売れなかったので、急遽コンサートを中止したという事件のことですよ。

テレビのワイドショーでは大騒ぎしていたようだが、

「沢田研二は、立川談志である」

と考えれば、べつに驚くことではない。

落語家の立川談志は、よく知られるように、気分が乗らないと高座をドタキャンしたり、客席で居眠りをしている客を見つけると、

「おまえ、帰れ!」

と言ったり、まあわがままなことばかりやっていた。

それとおんなじじゃね?

沢田研二も、談志と同じ、プライドの高い、偏屈な人間なのだ。

そういえば、たしか立川談志は、

「人間は、カネで動くか、プライドで動くかの、どちらかだ」

という意味のことを、よく言っていた。

たいていの場合は、この法則にあてはまると思う。

人間は、プライドを捨ててカネに生きるか、カネを捨ててプライドに生きるかの、どちらかなのだ。

もちろん、カネもプライドもほしい人はいるし、カネもプライドもいらないという人もいるだろうが、まあ、たいていの場合、人間を突き動かす原動力となるのは、カネかプライドかのどちらかなのである。

僕自身についていえば、どちらかといえばプライドで動く人間である。

でなければ、いまみたいな仕事はしていない。

理屈のうえでは、できるだけプライドを捨てて生きよう、と思ってはいる。仕事なんかでも、こっちが悪くないのに謝ったりするし、自分の主義を曲げて他人の意見に従うことだってある。

だが、本音のところでは、プライドが高い。

「なんでアイツのつまらねえ本が、俺の本よりも売れてるんだ?」

みたいなことを、年中考えたりしている。

もちろん、「他人と比較したって何の意味もない。自分が満足することをやればいいのだ」という忠告は、いつもありがたく受けとめている。

しかし、

「志ん朝と俺の二人会をするんだったら、俺のギャラを志ん朝よりも100円高くしてくれ」

と言った談志の気持ちも、なんとなくわかるし、

沢田研二が「7000人しか集まらなかったからコンサートはやらない」

と言った気持ちも、なんとなくわかるのだ。

もっとも僕は、お客さんが2人しかいないところで講演をしたことがあるけどね。

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戦場カメラマン

10月22日(月)

今日は、職場の一斉休業日。

午前1件、午後1件の保育園の説明会に行った。

午後に見学した保育園は、ある建物の2階の一室を利用した、こぢんまりしたところだった。

私たちのほかに、もうひと組、見学者がいた。

もうひと組の見学者のほうは、シャレオツというのか、意識高い系というのか、まあそんな感じの夫妻だった。

とくに個性的なのは、旦那さんのほうである。

背がひょろ高くて、ニット帽をかぶり、ひげを生やして、Tシャツにジーンズという出で立ち。そして人懐っこい表情。

なんとなく「戦場カメラマン」といった風貌である。

いや、僕の中では完全に彼は「戦場カメラマン」になってしまった。

若い園長先生がいろいろと説明してくれるのだが、その「戦場カメラマン」は、

「ふむふむ」

「なるほど」

「ほうほう」

「それはすごい」

などと、いちいち説明に感動するのである。

こっちは、いろいろなところで何度も保育園の説明を聞いているものだから、さして新鮮味もない。だから無反応に近いのだが、その「戦場カメラマン」だけは、園長先生の言葉に、

「ふむふむ、なるほど、それはいいなあ」

などといちいち感動しているのである。

そのうち、自分の子どもを抱きかかえて、園児たちの遊んでいるところにズンズンと入っていった。

いつのまにか、園児たちとフランクに会話を始めたのである。

最終的には、園児たちと「ハイタッチ」なんかしてやがる。

なんか、人生をとても楽しんでいる人だなあ。

と思って、またしてもやっかみの感情が芽生えたのであった。

心なしか、月齢6カ月のうちの娘も、その「戦場カメラマン」を苦虫を噛みつぶしたような顔で見ていたように思えたのだが、気のせいかも知れない。

「私たちには絶対できないよね」

「ああ、できないね」

と、帰り道、落ち込んだのであった。

あの人、どんな仕事をしている人なんだろう?

どんな人たちの輪の中にも入っていけるあの感じは、もう「戦場カメラマン」にしかみえない。

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第2会場の悪夢

10月20日(土)

僕にとって今回の講演会がとりわけ感慨深いのは、僕のいまの仕事の方向性を決めた原点の場所だ、ということに尽きる。

初めてこの地を訪れたのが1996年。まだ大学院の博士課程の学生だった。

それから、数年に一度ていどの割合で調査依頼を受けて、この地に呼んでいただいた。

考えてみたら、「この県」で講演会をするのは初めてである。

20年以上通ってきて、ようやく認められた、ということなのかも知れない。そしてその初めての講演会の場所が「この県」の「この地」だというのも、やはり縁なのだろう。

今回の講演会の進行をつとめるのは、調査事務所のYさんである。

Yさんは今年度、この調査事務所に異動になり、僕も先月初めてお会いして一緒に仕事をすることになった。その誠実な人柄に接して、僕はいっぺんで彼のファンになった。

「今日の講演会は、昨年の秋にできたばかりの施設で行います」

「そうですか」

「ところが、その施設がとてもわかりにくい場所にあるんです」

「まだカーナビにも登録されていないんですね」

「ええ。なので地元紙に講演会の告知が出てからというもの、その施設はいったいどこにあるんだ?という問い合わせがひっきりなしに来ているんです」

「そうですか」

わかりにくい場所での講演会か。なかなか面白い。

お客さんはたどり着けるんだろうか。

「今回の講演会は、事前の申し込み制ではなく、当日参加という形をとったので、どのくらいの数の人が来るかわかりません」

「そうですか」

「たぶん、たくさんの方が来ると思われます」

「そんなことないと思いますよ。僕はむかしから集客力のない人間としておなじみなんですから。ちなみに何人くらい入るんです?」

「椅子をギッチギチに詰めて並べまして、108人ほど入るようにしました」

108人って…。煩悩の数だな(笑)

「そんなに来るでしょうか…」

「念のため、講演会場に人が入りきらなくなったときのことを考えて、その隣の部屋を『第2会場』として、先生の講演の様子を生中継してスクリーンで見られるように準備しました。

「第2会場」って…。

僕は恥ずかしくなった。それほどまでに準備していただいて、お客さんが全然来なかったらどうしよう。

それこそ「第四惑星の悪夢」ならぬ「第2会場の悪夢」だ。

なにしろ、地元の人ですらわかりにくい場所にある講演会場なのだ!

午後1時、講演会場のある施設に移動する。

講演開始前、控え室でパワポの手直しなどしていると、

「先生、お久しぶりです」

と、「前の前の職場」のときの教え子だった旧姓Fさんがたずねてきた。

「おお!ひさしぶり!」

旧姓Fさんは、卒業後しばらくの間、私が通ったその調査事務所で働いていた。結婚後はそこを退職したと聞いていた。

「今日は、先生のお話が久しぶりに聞けるというので、やって来ました」

「いまもこの近くに住んでるの?」

「ええ。で、いまは美術館で事務仕事をしています」

「美術館?どこの」

「Y市にある近代美術館です」

「Y市の近代美術館!ひょっとして、Sさんがつとめてる?」

「そうです。よくご存じですね」

「ご存じも何も、『前の職場』で一緒に仕事をしてたんだよ

「そうだったんですね」

「やっぱり、世間は狭いなあ」

「そうですね」

「Sさんによろしくお伝えください」

「先生も、ぜひ一度美術館にいらしてくださいよ」

「必ず行くよ」

ほかにも、以前に一緒に仕事をしたIさんUさん、もわざわざ駆けつけてくれた。

午後1時半、講演会場の部屋に行くと、狭いスペースにたくさんの方々が集まっていた。

まず、主催者代表のTさんから懇切な講師紹介をしていただく。

1996年以来、お世話になりっぱなしのTさんの主導のもとで、講演をさせてもらうというのもまた、感慨深い。

僕はこの講演会を、恩返しのつもりでお受けした。

1996年からいまに至るまで、ここで学んだことのすべてをお話することにしたのだ。

午後3時半、思い出話をまじえながら、2時間喋り倒して、講演会が終わった。

いつも講演が終わると、放心状態になる。

今回の講演会の進行をつとめたYさんが、放心状態になっている僕のところに来た。

「とても面白かったです。僕自身がいちばん勉強になりました」

「そうですか。ありがとうございます」

「学生さんたちが聴いたら、同じ道に進みたいと思う学生がいるんじゃないでしょうか」

「さあ、どうでしょう」

お世辞であるにせよ、今回の講演会の準備に奔走したYさんに面白いと思ってもらえたことで、もう十分だった。

「お客さんは、何人くらいいらしたんでしょうかね」

「第2会場で聞いてもらった人も20人くらいはいましたから、130人くらいは来ていただいたんじゃないでしょうか」

第2会場を用意しておいて、やはり正解だったんだな。

会場に人が入りきらなくて第2会場まで用意してもらうなんて経験、もう2度とないだろう。

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めざせ!予告編大賞

10月19日(金)

職場の会議が終わり、夕方、新幹線で北に向かう。

指定席に座ると、今回は、隣に「すげー体格のいいおじさん」が座っていた

めちゃめちゃ体格のいいおじさんなんだ、それが。

どうしていつも、座席が狭くなるような組み合わせなんだ??

絶対、元プロ野球選手か何かだろうなーと思ったのだが、なんせプロ野球の知識が全くないので、確信が持てない。

たんなる体格のいいおじさんなのかも知れない。

そんなことはともかく。

先日、駅のホームを歩いていたら、

「未完成映画予告編大賞」

というポスターを見つけた。

3分以内の予告編を作り、グランプリを取ったら、3000万円の制作費をくれて、映画を撮らせてもらえる、とかいうものらしい。

これって、ずっとむかし伊集院光さんがラジオで提案してたよね。

予告編を作って、面白そうだったら、制作会社がお金を出して本編を撮影させてもらえるようなしくみを作ったらどうか、と。

あの提案が、現実になったんだな。

何が言いたいかというと、毎年この時期に行われる、この業界の「申請書祭り」。

これって、いってみれば「予告編大賞」なんじゃないだろうか。

面白そうなあらすじを考えて、キャスティングを決めて、ホンのさわりの部分だけ書く。

審査員がそれを読んで、面白そうだったら、資金が提供される。

なあんだ。むかしっからこの業界では、「予告編大賞」をやってたんじゃないか。

ちなみに僕は、目下2連敗中である。

本当のことをいうと、昨年、一昨年は、気乗りしなかったこともあり、あんまりいい予告編ができなかったのだ。

だが、来年こそは、「とりに行く」ぞ!

しかも、話せば長くなるのだが、いろいろな経緯があって、なんと今年は2本の予告編を制作したのだ!

ふつうは、予告編は1年に1本しか作れないことになっているのだが、よくよく制度に目をこらすと、予告編を同じ年に2本作ることのできる場合があるのだ!

そんなこともあって、ここ最近は、例年の倍の労力で、予告編作りに追われていたのである。

おかげで、絶対に遅れてはいけない原稿になかなか取りかかれず、困ったものである。

しばらくは、「チョンシンオプタ」(韓国語で、「心に余裕がない」の意)の状況が続きそうである。

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忙しいので、小ネタをひとつ。

10月18日(木)

しばらくブログを更新しないでいたら、業を煮やしたこぶぎさんが三連投でコメントを書いていた。

しかも、これから出題しようと思っていたクイズの答えを、すでに答えているという始末。

こうなったらもう、クイズの答えというより、予言だね。

ブログを更新しなかったのは、週末ごとに僕がホスト役の会合があり、休日出勤しなければならなかったり、週末の講演会の準備をしなくてはならなかったり、「申請書祭り」改め「予告編大賞」の書類書きをしなければならなかったり、保育園の説明会に行かなければならなかったりと、まったく「チョンシンオプタ」(韓国語で「心に余裕がない」という意味)の状況だったからである。というか、その状況は、いまも続いている。

「ことによるとあいつ、どーかしちゃったんじゃないだろーか」などと勘ぐられては困るので、本当は「予告編大賞」の話を書きたかったのだが、とりあえず小さな話題を書くことにする。

10月13日(土)、14日(日)は、うちの職場で、私がホスト役の寄合があった。その準備やら何やらで、職場に2泊、泊まり込みをした。

まあ何とか、その2日間は乗り切ったのだが、お一人、この寄合を急遽欠席された方がいた。

超有名高等教育機関の部局長をつとめておられる方から、寄合の直前に「詫び」と題するメールが来た。原文のまま引用する。

「風邪を引いてしまいましたので、本日の会合は欠席させていただきます。

直前の連絡となり、ふかくおわv@m4d」

…メールは、ここで終わっていた。

「ふかくおわ」まで書いて、力尽きてしまったのだろうか。

その後、この方からメールが来ることはなかったので、やはり「ふかくおわ」で力尽きてしまったらしい。

なんという壮絶なメール!!!

タフな方だから、週明けには回復されたと思うけど。

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クマ牧場の歴代ボス

10月10日(水)

昨日、今日と、気温が少し高いせいもあるが、汗がとまらない。

それにしても、異常な汗の量である。

原因がなんとなくわかった。寝不足である。

この数日間、3~4時間くらいしか寝てないことが、大汗の原因なのではないだろうか。

べつに仕事に追われて、寝てないというわけではない。もともと夜が遅いうえに、ここ最近早起きしなければならないために、寝る時間が短くなってしまったのである。

うーむ。やっぱり睡眠って大事なんだな。

詰めがあまい学年」でおなじみの卒業生、N君から、本を読み終わった感想が送られてきた。ありがたいことである。

そのついでに、こんなことが書いてあった。

「まったく話が変わりますが、登別のクマ牧場の歴代のボスの紹介が先生のツボにはまりそうな気がしたので、気に入っていただけたらブログのネタがないときに取り上げてみてください笑」

で、リンクが貼ってあった。

https://bearpark.jp/bear/boss/

あのねえ、N君。

このブログはねえ、「自己肯定感のかけらもないおじさんが、妬み・嫉み・僻み・恨み・辛みをひたすら書く」というブログなんです。

そういうほっこりした内容の記事は、このブログの色には合わないんです。

ま、ブログのネタがないんで、今回は紹介しますけど。

「先生のツボにはまりそうな気がしたので」って、どうしてそういう気がしたんだろう?(笑)

まあたしかに、江口絵里さんの「高崎山のベンツ」の話は、大好きだけどね。

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衣替え

10月9日(火)

今日は、年に2回の大イベント、衣替えである!

…といっても、自宅の衣替えではなく、職場の恒例行事のほうの「衣替え」である。

春と秋に行われるこの衣替え行事は、憂鬱で仕方がない。なぜなら、かなりきつい肉体労働だからである。

ま、肉体労働といっても、大きな布をたたんだり、紐で結んだり、脚立に登ったり、飾り付けをしたり、といったくらいなんだけどね。

それでも体力のない僕にはとてもこたえるのである。

…どんだけヘタレなんだ?

しかも空調のない中での作業なので、たちまち大汗をかく。

衣替えが憂鬱である理由はほかにもあって、

まず第一に、段取りが難しい。

年に2回やっているのだが、複雑すぎて、すぐに段取りを忘れてしまう。

しかも、僕は昨年秋は体調を崩し、今年の春は育休だったので、ほぼ2年近くのブランクがあるのだ。

段取りをすっかり忘れてしまった(汗)。

第二に、ぜんぜん達成感がないことである。

衣替えをする前とした後とでは、見た目にはほとんど変化がないのだ。

苦労して衣替えしても、見た目がぜんぜん変わらないんじゃ、苦労が報われない、というものである。

だが、衣替えをしないことには、来たるべき冬が迎えられないのである。

大汗をかきながら、2時間ほどかけて、衣替えが終了した。

さて、午後は、あの「めげない生き方」でおなじみのKさんが職場にやって来て、久しぶりに再会した。

Kさんは、若いながらも、本国で大きなプロジェクトを抱えていて、それを僕に手伝ってくれという相談でやって来たのだった。

うーむ。気が重い。

Kさんのプロジェクトがあまりにも壮大すぎて、僕には手に負えない。

しかも、すげーたいへんな仕事なのにもかかわらず、たぶんボランティアである。

Kさんが強引に話を進めるので、断るタイミングを逸してしまった。

また巻き込まれるのか?巻き込まれてばっかりである。

僕が死んだら誰か、

「あの人は、巻き込まれてビンボーくじばっかりを引く一生でした」

と語ってほしい。

ということで、本日は特筆すべきことなし。

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スワン、大渋滞

10月8日(月)

気候がよくなったので、久しぶりにお散歩に出かけました!

近くの大きな公園は、たくさんの人で溢れています。

Photo

大人気のスワンボートは、もう大渋滞!

Go

公園を歩いていたら、たくさんの人が1カ所に集まって、なにやらスマホの画面を一心不乱に叩いています。

何をしてるんだろう?ちょっと異様な光景です。

「あのう…これは、何をしてるんですか?」

「ポケモンGOです」

「ポケモンGOですか!」

…と言われても、お恥ずかしいことに僕はポケモンGOというのをやったことがないので、どんなものかわかりません。

「何か、陣取り合戦のようなものでしょうか」

「まあそうですね」

なるほど、それでみんな必死に、スマフォの画面を叩いていたわけですな。

同時代に生きる僕ですら、この光景の意味がわかりませんでした。

後世の歴史家がこの様子を見たら、どんなふうに解釈するんでしょうか。

「うむ。公的な空間に多くの人が集まって、一心不乱にスマフォを叩く、ということは、きっと何かの宗教行事に違いない」

「2018年のこの国では、公園に集まってみんなが集まってスマフォを一心不乱に叩く『ええじゃないか』のような民衆運動が行われていた」

みたいな解釈がなされることでしょう。

久しぶりに散歩に出てみると、自分の世間知らずぶりを思い知らされます。

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マニアonマニア

10月7日(日)

平日の長時間通勤がさすがにこたえたのか、かなりしんどい。

もうだめかもわからんね。

それでも今日は、休日出勤である。

といっても、職場ではなく、都内の某所で会合である。

一昨年のこと。

「むかしのマニアの人たちのことを、いまのマニアの人たちが調べたら、おもしれんじゃね?」

ということを思いつき、これを職場のプロジェクトとして提案したら、この企画が通っちゃった。

で、黒澤明監督の映画「七人の侍」の中で百姓を守ってくれる変わり者の侍仲間たちをスカウトする勘兵衛(志村喬)のごとく、各地を行脚して、「むかしのマニアの人たちのことを調べてくれるマニア」をスカウトして、仲間を集めて、昨年4月からこの企画がスタートした。

言い出しっぺの私だったが、昨年夏以降、体調を崩したり、今年の4月から3カ月間、育休をとったりして、ちょっとこのプロジェクトから戦線離脱していた。

で今日、久しぶりに会合に参加したのだが…。

最初は、マニアに対する興味本位でいたずらに立ち上げた企画だったが、集まった人たちがみんなマニアックすぎて、ついていけない!

マニアックにもほどがあるだろ!まったく、手加減ってものを知らない。

そう考えると、俺なんか、凡人も凡人、ド凡人である!

ああ、面白半分にこんなプロジェクトなんかを企画するんじゃなかった。

いちど足を突っ込んだら抜けられなくなる底なし沼のごとく、奥が深く、危険な世界である。

生兵法は怪我のもと!

マニアの人の話を聞けば聞くほど、自分の平凡さを思い知らされ、落ち込む一方である。

だが、マニアックな人の話を聞くこと自体は、とても面白い。

今日、都内のいくつもの場所で、同業者の集まりがあったと聞いているが、他のどこの会合よりもいちばん面白かったのが、うちの会合だったと思う。

マニアックな人って、他人にあんまりわかってもらおうと思ってないところがすごい。

色気や欲がないのだ。

自らの知識欲を満足させることに、無上の喜びを感じるのだ!

俺なんか、自分の調べたことを、すぐに他人にわかってもらおうとするからね。そのへんがイヤラシイ。

だから俺は、マニアでもなんでもない、平凡な俗物人間なのだ。

現代のマニアが、むかしのマニアのスゴさに驚くさまを見るだけでも、凡人の僕には面白い!

面白かったが、ドッと疲れて、打ち上げにも参加せずに帰宅した。

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謎のナトリさん

謎のタカダさん

謎のオカベさん

10月6日(土)

3日前の水曜日、ドキュメンタリー映画のトークイベントで、高校時代の恩師のKeiさんにお会いしたときのことは、すでに書いた。

そのとき、映画の主人公、ツトムさんがトークゲストにいらっしゃる6日(土)にももう一度映画を見に来て、同い年のツトムさんとぜひお話しがしたい、とおっしゃったので、

「僕もぜひご一緒しますよ」

とお約束した。

で、そのとき、Keiさんとこんなやりとりがあった。

「この日(土曜日)の夕方はねえ、俺の古い友人のナトリさんの、出版記念パーティーがあるんだよ」

「ナトリさん、ですか?」

「で、ナトリさんもこの映画を見に来たいと言っていてね」

「そうですか」

「そのあとに、ナトリさんと二人で、出版記念パーティーの会場に移動しようと思う」

「なるほど」

「このナトリさんって人が、とっても面白い人でねえ」

「はあ」

「もし土曜日にあなたが来たら、あなたにも、ナトリさんをぜひ紹介したい」

「それは楽しみです」

で、土曜日を迎えた。

映画館に着くと、すでにKeiさんとツトムさんがいらっしゃった。

「ちょっと早めに来てねえ。おかげで、ツトムさんとじっくりお話しすることができたよ」

「そうでしたか。それはよかった」

初対面の瞬間を、逃してしまった。

「今日はナトリさんも一緒に来てるんだが…。あれ?ナトリさん、どこに行ったんだろう?さっきまでここにいたんだが」

Keiさんはあたりをキョロキョロと見渡すが、ナトリさんが見つからない。

「おかしいなあ。トイレかなあ」

そう言っているうちに、開場の時間になり、座席に着いた。

全席指定だったのだが、Keiさんは同じ列の3つくらい横の席だった。

Keiさんの座席のほうを見てみるが、Keiさんの隣にナトリさんが座っているような気配もない。

(ナトリさんは、どこにいるのだろう…?)

ほどなくして、映画が始まった。

今日は満席である。

1時間半の上映が終わり、その後、映画の主人公、ツトムさんが登壇して30分ほどのトークイベントである。暖かい雰囲気のうちに、トークイベントが終了した。

ホールを出たとこで、ツトムさんが観客のひとりひとりに、「スベリヒユ」を配っていた。

Keiさんも僕も、その列に並んで、「スベリヒユ」を受けとった。

「映画の終わったあとも、ツトムさんとお話ししたかったんだが…、いまはそれどころではないようだね」とKeiさん。

「ちょっとここで待ちましょう」

映画館に併設されている喫茶店で、ツトムさんを待ちながら、Keiさんといろいろとお話しをした。

それにつけても、気になるのはナトリさんである。

「あれ?おかしいなあ。ナトリさん、どこに行っちゃったんだろう?」

ホールを出たところにも、ナトリさんはいなかったのである。

「トイレだ!トイレに行ったんだな」

そういってKeiさんはトイレのほうを見に行ったのだが、ナトリさんはいなかったようである。

「携帯電話とかで、連絡はつかないんですか?」

とたずねたら、

「それがねえ。僕らの仲間の中でも、ナトリさんと僕は携帯電話を持っていないってことで、迷惑がられてるんだ」

「そうですか…」

打つ手なしである。

「先にパーティー会場に行っちゃったのかなあ…」

「ここを何時に出なければならないんです?」

「5時からパーティーが始まるから、4時にはここを出ないといけない」

時計を見ると、まだ少し時間に余裕がある。

スベリヒユを配り終わったツトムさんがやって来てた。

「今日は会えてよかったです」

「こちらこそ、お会いできてよかったです」

「ツトムさんとは初めて会うけれども、いろいろな共通点がありました」とKeiさん。「ツトムさん、生まれて間もなく中耳炎になったって、お父さんが日記に書いておられたでしょう。僕も2歳の時に、左耳が中耳炎でやられてしまってねえ」

「そうですか。不思議な縁ですねえ」

「また、縁があればお会いしましょう」

「ええ」

高校時代の恩師と、ツトムさんが、旧知の間柄のようにお話ししている様子は、見ていて不思議だった。

結局、ナトリさんにはまったく会えないまま、Keiさんは1人で映画館を出て、駅に向かった。

ナトリさんは、どこへ行ったんだろう?

…というか、ナトリさんって、何者なんだ?

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10年ぶりの消息

「鬼瓦先生、こんにちは。突然のメール、大変失礼いたします。卒業生の××です。

鬼瓦先生には大変お世話になりましたのに、ご無沙汰しておりまして誠に申し訳ありませんでした。

社会人として、先生に立派に顔向けできるようになったらご挨拶しようと思っておりましたが、なかなか自分で納得できる成果を出せずにおりました。

まさか10年も経ってしまうとは思わず、もしかしたら一生このままなのでは…と危惧しておりましたところ、たまたま先生の最新刊を拝読しまして、矢も楯もたまらずメールを出させていただいた次第です。

最新刊、大変楽しく読ませていただきました。

大学時代を過ごした懐かしい土地のことや、大学の雰囲気、先生の授業など、昨日のことのように思い描くことができ、涙が出てきました。

1年生の前期に先生の授業を受講したときのワクワク感がよみがえりました。

それとともに、私は歴史とどう向き合っていけるだろうかと、考えました。

またいつか鬼瓦先生にお会いできたとき、このあたりのことにつきましてご教示いただければありがたいと思っております。

近くにいらっしゃる折には、ぜひお声がけいただければ幸いです。

私もいつか関東に赴くことがありましたら、先生のお仕事場に遊びに行かせていただければありがたく存じます。

寒くなってまいりましたので、どうかご自愛くださいませ」

10年ぶりに卒業生から来たメールには、10年分の近況報告も書き添えられていた。

卒業生の多くは地元に戻り、連絡が取れなくなってしまった人たちも多かったが、ひょっとしたらこの国のどこかで、卒業生たちがこの本を手にとってくれることもあるだろう、と思いながら、僕はこの本を書いた。

で、実際にそういうことがあるというのは、うれしいことである。

僕なんて簡単に忘れられてしまう存在だし、人はいとも簡単に離れてしまう、ということを、これまでの経験からよくわかっているのだが、それでもごくまれに、何かのきっかけで思い出してくれることもある。逆に僕自身が、たまたま手にとった本から懐かしい人を思い出したりすることもあったりする。

「前の職場」を離れるとき、「ここでお世話になった人たちに、せめて恥じない生き方をしよう」と誓ったが、実際のところ、いまの私は、恥じ入ることばかりである。

懐かしい人たちに顔向けできないのは、むしろ僕のほうではないかと思うことがしばしばである。

でも、僕は思うのだ。

どんな状況にあったとしても、顔向けできないなんてことはないのだ、と。

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無防備都市

登場する鉄道

A線 おしゃれな町と町を結ぶ私鉄

B線 都内を横断する都営地下鉄

C線 参詣列車に由来する私鉄

D線 スカイツリーを通る都営地下鉄

日ごろの通勤時間は、2時間半である。

A線→B線→C線というルートで職場に通っている。

今日の午前中は、職場で、「未完成予告編」についての会議があり、15分ほどプレゼンをしなければならない。

朝、A線に乗ると、アナウンスがあった。

「B線は、車両点検のため、ただいま運転を見合わせております」

またかよ!

最近、ほんとに多いなあ。

仕方がないので、JRを使ってC線の乗換駅まで行き、そこからC線に乗り換えて職場に行くしかない。

JRとの乗換駅であるS駅を降りると、改札口がすげー混んでいた!僕と同じように、B線に乗れない人たちが、流れ込んできたのだろう。

JRのホームに向かう地下道は、人が多すぎて歩けない。

まるで苦役に赴く奴隷のごとくである。

だれひとり、文句を言わないで、歩いている。

すげえなあ。

ようやくJRに乗り、長い時間かけて、C線との乗換駅に到着した。

C線の駅から電車に乗り、職場の最寄りの駅に向かう。

職場の最寄りの駅の数駅手前で、乗っていた電車が止まった。

「ただいま、塩害による停電が発生した模様です。状況がわかるまで停車します」

数日前の台風の影響で、海水が架線に付着し、停電を起こしたらしい。

たしか昨日もそれでC線が停電になったと思うのだが、引き続き今日も塩害による停電である。

(うーむ。会議に間に合うかなあ)

電車は少しずつ進み、なんとか職場の最寄りの駅に到着した。

ぎりぎり、会議には間に合い、「未完成予告編」のプレゼンも無事に終わった。

さて、夕方からこんどは、都内で打ち合わせである。

目的地は、D線の終点の駅。

午後1時半に職場を出て、職場の最寄り駅から2時前の電車に乗れば、乗り換えなしでD線の終点の駅に着く。

職場の最寄り駅に着くと、

「C線は、全線で運転見合わせ。復旧のめどは立っていない。JRを利用してください」とのこと。

仕方がないので、路線バスに乗って、JRの駅に向かう。

かなり時間のロスだが、仕方がない。

JRに乗り、D線の乗換駅まで向かう。

D線の乗換駅で電車を待つが、なかなか電車が来ない。

D線は、ふだんはC線からの直通運転の電車がけっこう多いのだが、C線が全線で運転見合わせになったために、直通運転はできなくなり、そのせいでダイヤは大混乱となった。

結局、職場から2時間半ほどかけて、D線の終点に到着。約束の時間を、40分も過ぎていた。

もはやこの国の鉄道が定時運行するなどという神話は、崩れてしまったんだな。

打ち合わせが終わり、1時間半ほどかけて帰宅。

今日の移動時間は、7時間である。

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見学は続く

0月4日(木)

本日も、保育園見学会。

午前は、第一希望の保育園の見学会である。たくさんの人たちが見学に来ていた。施設が新しく、交通の便もよいので、競争率がきわめて高い。

いちどに全員が見学することができないので、いくつかのグループに分かれて、流れ作業で施設の中を見学する。1時間ほどで終了。

午後は、少し歩いたところにある保育園を見学する。おそらくここが、第二希望になるかな。

ここは、見学会というものを設定しておらず、随時、見学を受け付けている。ほかに見学者はなく、うちだけだった。

午前の保育園が比較的新しいのにくらべて、こちらは、むかしながらの保育園という感じ。僕が幼いころに通っていた保育園の雰囲気に近い。

園長先生は、たたき上げの先生といった感じである。子どもには優しいが、保育士さんたちには厳しい。こちらも1時間ほどで終了。

今日一日、たいして動いたわけではなかったが、ほかに何もできなくなるほど、どっと疲れてしまった。

いろいろやらなければならないことがあるのだが、気がかりなことばかりでどうにも仕事が進まず、困ったものである。

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トークイベントの日

10月3日(水)

いよいよ、ドキュメンタリー映画のトークイベントに登壇する日である。

平日の昼間ということで、お客さんがほとんど来ないんじゃないかと心配した。

監督のOさんに聞くと、

「事前のWeb購入を見ると、けっこう席が埋まっているみたいです」

という。

「きっと、鬼瓦先生のファンの方が多くいらっしゃるんじゃないでしょうか」

というので、

「ファンなんかいませんよ」

と言った。

映画の上映は13時からで、トークイベントは、上映が終わった14時35分からである。

「終わりは何時までですか?」

「劇場の人に聞いたら、3時には必ず終わるように、とのことでした」

ということは、実質25分か。

これまでの経験だと、25分というのは、あっという間である。

「今日は司会の人が急遽来られなくなったので、私と鬼瓦先生の二人で対談という形式になります」とOさん。

簡単な打ち合わせを済ませたあと、いよいよトークイベントの開始である。

2時35分。映画の上映が終わり、お客さんのいるスクリーンの前に立った。

客席のほうを見て、すぐに目が合ったのは、高校時代の恩師、Keiさんだった。

約束どおり、Keiさんは見に来てくれたのだな。

それから客席を見渡してみたら…

知り合いが、だれもいねえ!!!

だれひとり、知り合いが来てねえ!!!

とーもーだーちーがーいーなーいー♪ことが露呈された!

Oさんが小声で私に言った。

「客席がけっこう埋まってますね。鬼瓦先生のファンの方々ですね」

「いえ、高校の恩師が来ているほかは、知り合いはひとりもいません

「えっ?!そうなんですか…」

もう、完全に意気消沈ですよ。

俺自身に、まったく集客力がないことがあらためて証明された!

気を取り直して、トークイベントを始める。

僕がこの映画に関わった経緯や、映画を見ての感想などを喋ったのだが、気がつくと、自分ばかり喋ってしまっていた。

待てよ、と。

考えてみれば、映画を見に来たお客さんは、毎回トークイベントを聞きに来ているわけではない。初めて来たお客さんばかりなのだから、俺の話なんかより、監督の話を聞きたかったんじゃないだろうか。

そう思うと、自分ばかり喋りすぎてしまったことに、ひどく落ち込んでしまった。

あっという間に25分のトークイベントが終わり、会場の外で、ひさしぶりに高校の恩師・Keiさんとお話しした。

「いやあ、面白かった。本当に面白かった」

Keiさんはかなり興奮した様子で、ニコニコしながら僕に語りかけた。

「不思議なつながりがあるもんだねえ」

Keiさんもまた、映画の舞台となった南の島と関わりを持つ活動をしていたことは、僕にとっても本当に驚きだった。

しばしそのことで盛り上がったあと、Keiさんは言った。

「あなたのお父さんも、昭和16年生まれ?」

「そうです」

「びっくりだなあ。俺も昭和16年生まれなんだよ」

「そうだったんですか!!」

実は高校時代からいままで、Keiさんの年齢を知らなかった。まさか僕の父と同い年だったとは!

昨年、父が死んで喪中のはがきをKeiさんに出したときに、自分と同じ年齢だということがわかったという。

「ツトムさんも昭和16年生まれですよ!」

映画の主人公、ツトムさんも Keiさんや僕の父と同い年なのだ。

「そうなんだってねえ。それもまたビックリしちゃった。それで、ぜひ、ツトムさんにも会いたいと思ってねえ」

「ええ」

「こんどの土曜日にツトムさんがトークイベントのゲストで来るでしょう。そのときにまたここに来ます」

「そうですか。じゃあ、僕もご一緒しますよ」

同い年のツトムさんとKeiさんの初対面の瞬間に、僕も立ち会うことにした。

Keiさんはそのあと、監督のOさんにも、映画を見た感激を興奮した様子でお話しされていた。

最後に、Keiさんから名刺をいただいた。

そこには、「肩書きなし素浪人」と書かれていた。

肩書きなし素浪人、か。Keiさんらしい言い方だ。

いつか自分も、そんなふうに名乗ってみたい。

知り合いはだれひとり来なかったけれど、Keiさんに喜んでもらったから、よしとしよう。

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夏井先生!

10月2日(火)

今日は、僕にとっては2軒目の、保育所説明会。

うちを含めて4組ほどが参加する、こぢんまりした説明会で、もちろん、子どもも一緒である。

前回の、5~60名ほどの、大人だけの座学とは全然違う。

園長先生は、バラエティー番組「プレバト!!」の俳句の先生、夏井いつきさんみたいな感じの人である。

「プレバト!!」の夏井先生の俳句の添削を見ると、俳句って奥が深いなあと思って、つい、見入ってしまうが、園長先生も、そんな感じの人である。

保育所の中を案内しながら、立て板に水のごとく、明快に、保育所のしくみと、保育のポイントを説明された。

実にわかりやすい。前回の2時間の座学はなんだったんだ!?

月並みな言い方だが、子どもの目線に立ったお話しだった。

「教育するのではなく、遊びの中から、いろいろなことを身につけさせる」

とか、

「子どもの興味をそぐようなことをしてはいけない」

とか。

つまりは、大人の都合に子どもを合わせるのではなく、子どもの興味に大人が合わせることが大事、ということなのだろう。

ひとつ、印象的だったのは、離乳食を与えるときの、スプーンの使い方である。

うちも、先日から離乳食でおかゆを与え始めたばかりなので、これは聞いておかねばなるまい。

園長先生こと夏井先生は、こんなことをおっしゃった。

たとえばみなさん、チャーハンなんかで使う、レンゲスプーンってあるでしょう。

チャーハンをレンゲスプーンですくって食べるとき、レンゲスプーンの底の方のチャーハンが食べづらいですよね。そういうとき、どうしますか?

上の歯で底の方のチャーハンをこそいで食べようとしますよね。

そのときに、レンゲスプーンを、どのように動かしますか?

レンゲスプーンの柄の部分を、少し上に持ち上げて、つまり、少し上に傾けてチャーハンをこそぐように食べますよね。

離乳食のおかゆをスプーンに乗せて、子どもに食べさせようとするときも、同じ心理がはたらきます。

スプーンに乗せたおかゆを、残らず子どもに食べさせようとして、スプーンを子どもの口に入れたあと、つい、スプーンの柄の部分を、少し上に傾けて、スプーンを引っ張り出すんじゃないでしょうか?

たしかに、そうすれば、子どもはスプーンに乗ったおかゆを残らず食べることができるでしょうけど、それではダメなんです。

そうやってしまっては、子どもが、自分で工夫して食べ物を口の中に運ぼうとはしなくなる。

だから、スプーンを子どもの口から引き出すときは、柄の部分を上に傾けてはいけない。口に入れたときと同じ状態で引き出すのです。

そうすれば、子どもは自分で、なんとか工夫しておかゆを食べようとします。

スプーンに乗せたおかゆを残らずきれいに食べてほしいというのは、大人の都合なんですよ。

…正確ではないが、たしかこんなお話しだった。

…た、たしかにうちも、スプーンに乗せたおかゆを子どもの口に入れたあと、柄の部分を少し上に傾けながら口から引き出していた(大汗)。

ほかにもいろいろとダメ出しをしてもらい、本当に夏井先生に俳句の添削をしてもらっているような思いにとらわれた。

僕の中では完全に、園長先生は夏井先生である。

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台風一過

10月1日(月)

夜中のうちに台風は去ったようなのだが、今朝の交通機関はさんざんだった。

いつも乗っている私鉄が運休で、唯一、JRの緩行線のみが運転しているというので、急遽JRで通勤することにしたが、これが文字通り緩行線で、とにかく遅い。

ただ、いつもは通勤に2時間半かかるところを、今日はたった1時間半しか遅れず、4時間で職場に着くことができました。さすがこの国の交通網は優秀である。ありがとうございました。

…ということで、ヘトヘトである。

「未完成予告編」というテーマで書こうと思ったのだが、ちょっと疲れているので、またいずれ書く。

いよいよあさって(3日の水曜日)、若者の街にある映画館で、映画上映後のトークショ-に登壇する!

何も準備していない(汗)

映画の公式SNSを見たら、連日盛況みたいで、トークショーの様子もアップされていた。

トークショーのゲストも、若くて純真な方ばかりで、前向きでまっすぐで、ちゃんとしたことをお話ししている様子だった。

今日のトークショーの感想に、「あと1時間くらいは聞いていたかった」と書いてあったそうだ。

どうしよう。こんな薄汚れた心しか持っていないジジイが出てよいものだろうか。

たぶん、ちゃんとしたことは何一つ言えないぞ。

ちょっと前のブログで、「本番に強い人間だから、最終的には面白いトークになるとは思うんだけどね」なんて抜かしていたが、たぶん面白いトークなんて、ひとっつもできないと思う!

「トークが長いし、暑苦しいし、クドいし、つまらない。関係ない話ばっか。もっと短くてよかった」と書かれそうだ!!!

ああ、どうしよう。ガクガクブルブル

頭の中が真っ白になりそうだ。

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ラングドシャへの道・後編

「ラングドシャへの道」、あまりにどーでもいい内容なので書くのをやめようと思ったのだが、あんまり引っ張るほどの内容でもないので、続きを書きます。

シャノアールの意味がわからない。

「じゃあ、シャはいいから、ノアールの意味はわかる?」

ノアール、ノアール、ノアール…。

聞いたことがあるぞ!何だっけな…。

香港ノワールだ!!!

たしか、以前の俺のブログにも、「香港ノワール」という言葉を使ったはずだ。

「ひょっとして、香港ノワールの、ノアール?」

「そうだよ。そのノアール」

はて、香港ノワールまではよかったが、肝心の、香港ノワールの意味がわからない。

映画のジャンル、ということだけはわかるのだが。

香港ノワールといって思い出すのは、香港映画「男たちの挽歌」の、チョウ・ユンファの顔なのだが、はて、「男たちの挽歌」が、香港ノワールといわれる所以は、何だろう?

しかも俺は、「男たちの挽歌」を、ちゃんと見ていない。

やくざ映画みたいなもんかな?

しかし、喫茶店の名前にそんなやくざチックな言葉が入るとも思えない。

「色だよ、色」

「色?」

ノアールは、色の名前か。

なるほど、「北野ブルー」みたいな感じなのね。

何色だろう?

「香港ノワールの映画のイメージだよ」

…そう言われても、香港ノワールをちゃんと見ていないので、よくわからない。

「香港の闇の世界を描いた…」

「…く、黒?」

「そう、黒」

シャノアールのノアールは、黒という意味か。

…って、ノアールの意味がわかったところで、シャの意味がわからない。

「シャは、動物」

動物??

いろんな動物を言い続けて、ようやく正解に行きあたった。

「猫か~」

なるほど、黒猫という意味か。

とすると、ラングドシャのシャも猫ということになる。

「ドは『~の』という意味」

「猫のなんとかってこと?」

「そう。ラングは体の一部」

体の一部???

「お菓子の形を思い浮かべてごらんよ」

…耳、でもないし、額、でもないし…。

「舌!」

「正解」

というわけで、ラングドシャの意味が、ようやくわかったのであった。

…どうです?答えのわかっている人にとっては、どーでもいい話でしょう。

ここで言いたいのは、ラングドシャの意味って何だっけ?って思い出すとき、いったん「シャノアール」を思い浮かべ、O先輩のエピソードを思い出し、その次に「香港ノワール」でチョウ・ユンファの顔を思い出し、そこまで行ってから、ノアール=黒、シャ=猫、ああ、猫の舌ね、と思い出すようになってしまった、ということだけです。

そこでまた思い出した。

また30年以上前の話。

高校1年の時って、部活とはべつに、「クラブ活動」というのが時間割に組まれていた。

授業名は「必修クラブ」と言ったかも知れない。水曜日の午後だったと記憶する。

運動系とか、文化系とか、いろいろなクラブがあったんだけど、僕はなんと、フランス語クラブに入っていたのだ!

たしか、英語のヒロイ先生という先生が顧問で、選択していた生徒は数人だったと記憶する。

フランス語の授業はほとんどなく、もっぱらフランス映画を見ていたような…。

そのとき面白かったのが、ルイ・マル監督の映画「死刑台のエレベーター」。

あれって、いまから思えばフィルム・ノワールだったのかな?映画に詳しくないので、よくわからない。

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