まる10年
考えてみたら、韓国留学をきっかけに始めたこのブログも、まる10年がたった。
記事の数は、2770本ほどになる。
誰に宣伝するつもりもないので、ひっそりと、書きたいことを書いてきた。
以前、このブログの記事が1000回を迎えたときに、こんなことを書いた。
「毎回、かなり長い文章を書いている。本業とはまったく関係のない、どうでもいい文章をこれだけ書き続ける、という人間も、そうはいないだろう。このエネルギーを本業に傾ければ、もっといい仕事ができるだろうに、という意見もあるかもしれないが、自分にとっては精神のバランスを保つための拠り所みたいなものであり、こればかりは仕方がない。
毎回長い文章を書いているのは、なるべくこの世界観に共鳴してくれる人にだけ読んでもらいたい、と思うからである。共感できない人はすぐに飽きてしまうという仕組みになっている。
「文章を読んでいると、どこに連れていかれるかわからない」と感想を言ってくれた読者がいたが、まさにそう。「この話、読者をどこに連れていくんだろう?」というのが、この日記の筆法である。それに辛抱強くつきあってくれる人が、真の読者である。一見、無駄ともいえる文章も、実はひとつひとつ、私にとっては深い意味のあるもので、そのあたりをすべて理解できる人は、たぶん誰もいない」
この思いは、いまも変わっていない。
僕の本が全然売れない理由は、たぶんこういう筆法にあるのだと思う。
このブログも、読者にすっかり飽きられてしまい、限界集落ならぬ限界ブログになってしまった。
最近はブログよりもSNSの時代だ、ということで、ものの試しに、2年くらい前からFacebookを始めてみたのだが、愉快でないことが多く、そろそろ潮時かなと思い始めている。
やはり、勝手にカテゴライズされるコミュニティーの中で着飾ったお喋りをするよりも、荒野に向かってトラメガで叫ぶようにこのブログで書きたいことを書いている方が、気持ちのバランスが保てるのである。
まる10年ということで、2つの企画を考えてみた。
「祝・まる10年!ベストオブベストエピソード大賞!」
「真のダマラーは誰だ?吹きだまりカルトQ」
前者は、以前にも同様の企画を考えたことがあるのだが、まったく盛り上がらなかった、というか、そもそも誰の関心も呼ばなかったので、やっても意味がないだろう。
後者は、たぶん優勝者は、このままだとこぶぎさんになると思うので、やる意味があるかどうか…。クイズの問題を作る時間もないし…。
いちおう、あなたが選ぶ、この10年の「ベストオブベストエピソード」を募集します!
そうそう、僕の本が売れない、ということについてなんだが。
謙遜ではなく、まったく売れていないのである。
いつのまにか、書店からも姿を消してしまったようである。これだけ話題にならなかった本もめずらしい。
まあそれはそれでかまわないのだが、最近、ネトウヨに支持されている作家が、小説だけでは飽き足らず、僕の分野にも進出したみたいで、近頃、そのテの本を出した。
先日本屋に行ってみたら、その本がものすげー平積みされていて、
(こんなバカみたいな本が書店で大量に平積みにされて、それにひきかえ俺の本は誰にも読まれずにひっそりと本屋から姿を消すなんて、理不尽な世の中だなあ)
と、軽く死にたい気持ちになった。
で、その「バカみたいな本」は、どうやら、ウィキペディアあたりからコピペした文章をつなぎ合わせて載せていたらしく、それがネットのSNSで指摘されて、炎上していた。ま、炎上しても売れるんだろうから、まさに炎上商法なんだろうけど。
本屋で立ち読みしてみたが、おそろしくレベルの低い本で、こんな本が売れるいまの世の中って、小説『1984年』が描いた世の中よりも滑稽だなあと、まさに「事実は小説よりも奇なり」を実感しないわけにはいかなかった。
あとになって冷静に考えてみたんだが。
外食チェーンって、あるでしょう。
そこで提供される料理って、厨房でいちから作ったものではなく、どこかで作ったものを持ってきて、それを加熱して出しているにすぎないことが多いって聞いたことがある。
つまり厨房で料理を作っているわけではないのだ、というのである。
それに対して、個人で営業している、町の食堂とかに行ってみると、当然のことながら、いちから料理を作っている。
そういえば、そういうお店に行くと、よく、
「当店は1品1品を手作りで作っていますので、時間がかかる場合がございます」
といった貼り紙をみることがある。
で、外食チェーンと個人営業の食堂と、どちらが儲かるかといえば、当然、前者である。外食チェーンの方が口当たりがよいせいか、お客さんもよく入っていて、個人営業の食堂のほうは、手間がかかるわりに利益は少ないし、お客さんが外食産業にとられるということで、店じまいするところも多いと聞く。もちろん、個人営業の食堂を愛してくれる常連さんがいるにはいるのだが、常連さんだけでその食堂が支えられるわけではない。
何が言いたいかというと、僕の書いた本というのは、いわば個人営業の食堂のような本なのである。自分の厨房で、手間をかけて料理を作る。一般ウケはせず、利益も少ないが、その味がいいと言ってくれる常連さんが半径数メートル以内(比喩)にはいる。
それに対して、その「バカみたいな本」は、外食チェーンである(外食チェーンにお勤めの方、ごめんなさい)。自分で書いたのではなく、どこかの文章を適当にコピペして出すというのは、あたかもすでに調理された料理をレンジでチンして出すがごとくである。
で、どっちが売れ行きがいいかといえば、個人営業の食堂ではなく、外食チェーンのほうである。
そう考えれば、なぜ、あの「バカみたいな本」が平積みされ、多くの人々が手にとるのかという理由が、よくわかる。
人々がそのように飼い慣らされた社会になってしまったからである。
レンジでチンしたものがレストランで提供されても、コピペした文章をつなぎ合わせたものが本になっても、人々がそれを受け入れてしまう社会に、である。
ま、負け惜しみを言ってるだけなんですけどね。
…どうです?これが僕の筆法です。
これからも、こんな感じのことを書き続けていきます。
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