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2018年11月

まる10年

考えてみたら、韓国留学をきっかけに始めたこのブログも、まる10年がたった。

記事の数は、2770本ほどになる。

誰に宣伝するつもりもないので、ひっそりと、書きたいことを書いてきた。

以前、このブログの記事が1000回を迎えたときに、こんなことを書いた。

「毎回、かなり長い文章を書いている。本業とはまったく関係のない、どうでもいい文章をこれだけ書き続ける、という人間も、そうはいないだろう。このエネルギーを本業に傾ければ、もっといい仕事ができるだろうに、という意見もあるかもしれないが、自分にとっては精神のバランスを保つための拠り所みたいなものであり、こればかりは仕方がない。

毎回長い文章を書いているのは、なるべくこの世界観に共鳴してくれる人にだけ読んでもらいたい、と思うからである。共感できない人はすぐに飽きてしまうという仕組みになっている。

「文章を読んでいると、どこに連れていかれるかわからない」と感想を言ってくれた読者がいたが、まさにそう。「この話、読者をどこに連れていくんだろう?」というのが、この日記の筆法である。それに辛抱強くつきあってくれる人が、真の読者である。一見、無駄ともいえる文章も、実はひとつひとつ、私にとっては深い意味のあるもので、そのあたりをすべて理解できる人は、たぶん誰もいない」

この思いは、いまも変わっていない。

僕の本が全然売れない理由は、たぶんこういう筆法にあるのだと思う。

このブログも、読者にすっかり飽きられてしまい、限界集落ならぬ限界ブログになってしまった。

最近はブログよりもSNSの時代だ、ということで、ものの試しに、2年くらい前からFacebookを始めてみたのだが、愉快でないことが多く、そろそろ潮時かなと思い始めている。

やはり、勝手にカテゴライズされるコミュニティーの中で着飾ったお喋りをするよりも、荒野に向かってトラメガで叫ぶようにこのブログで書きたいことを書いている方が、気持ちのバランスが保てるのである。

まる10年ということで、2つの企画を考えてみた。

「祝・まる10年!ベストオブベストエピソード大賞!」

「真のダマラーは誰だ?吹きだまりカルトQ」

前者は、以前にも同様の企画を考えたことがあるのだが、まったく盛り上がらなかった、というか、そもそも誰の関心も呼ばなかったので、やっても意味がないだろう。

後者は、たぶん優勝者は、このままだとこぶぎさんになると思うので、やる意味があるかどうか…。クイズの問題を作る時間もないし…。

いちおう、あなたが選ぶ、この10年の「ベストオブベストエピソード」を募集します!

そうそう、僕の本が売れない、ということについてなんだが。

謙遜ではなく、まったく売れていないのである。

いつのまにか、書店からも姿を消してしまったようである。これだけ話題にならなかった本もめずらしい。

まあそれはそれでかまわないのだが、最近、ネトウヨに支持されている作家が、小説だけでは飽き足らず、僕の分野にも進出したみたいで、近頃、そのテの本を出した。

先日本屋に行ってみたら、その本がものすげー平積みされていて、

(こんなバカみたいな本が書店で大量に平積みにされて、それにひきかえ俺の本は誰にも読まれずにひっそりと本屋から姿を消すなんて、理不尽な世の中だなあ)

と、軽く死にたい気持ちになった。

で、その「バカみたいな本」は、どうやら、ウィキペディアあたりからコピペした文章をつなぎ合わせて載せていたらしく、それがネットのSNSで指摘されて、炎上していた。ま、炎上しても売れるんだろうから、まさに炎上商法なんだろうけど。

本屋で立ち読みしてみたが、おそろしくレベルの低い本で、こんな本が売れるいまの世の中って、小説『1984年』が描いた世の中よりも滑稽だなあと、まさに「事実は小説よりも奇なり」を実感しないわけにはいかなかった。

あとになって冷静に考えてみたんだが。

外食チェーンって、あるでしょう。

そこで提供される料理って、厨房でいちから作ったものではなく、どこかで作ったものを持ってきて、それを加熱して出しているにすぎないことが多いって聞いたことがある。

つまり厨房で料理を作っているわけではないのだ、というのである。

それに対して、個人で営業している、町の食堂とかに行ってみると、当然のことながら、いちから料理を作っている。

そういえば、そういうお店に行くと、よく、

「当店は1品1品を手作りで作っていますので、時間がかかる場合がございます」

といった貼り紙をみることがある。

で、外食チェーンと個人営業の食堂と、どちらが儲かるかといえば、当然、前者である。外食チェーンの方が口当たりがよいせいか、お客さんもよく入っていて、個人営業の食堂のほうは、手間がかかるわりに利益は少ないし、お客さんが外食産業にとられるということで、店じまいするところも多いと聞く。もちろん、個人営業の食堂を愛してくれる常連さんがいるにはいるのだが、常連さんだけでその食堂が支えられるわけではない。

何が言いたいかというと、僕の書いた本というのは、いわば個人営業の食堂のような本なのである。自分の厨房で、手間をかけて料理を作る。一般ウケはせず、利益も少ないが、その味がいいと言ってくれる常連さんが半径数メートル以内(比喩)にはいる。

それに対して、その「バカみたいな本」は、外食チェーンである(外食チェーンにお勤めの方、ごめんなさい)。自分で書いたのではなく、どこかの文章を適当にコピペして出すというのは、あたかもすでに調理された料理をレンジでチンして出すがごとくである。

で、どっちが売れ行きがいいかといえば、個人営業の食堂ではなく、外食チェーンのほうである。

そう考えれば、なぜ、あの「バカみたいな本」が平積みされ、多くの人々が手にとるのかという理由が、よくわかる。

人々がそのように飼い慣らされた社会になってしまったからである。

レンジでチンしたものがレストランで提供されても、コピペした文章をつなぎ合わせたものが本になっても、人々がそれを受け入れてしまう社会に、である。

ま、負け惜しみを言ってるだけなんですけどね。

…どうです?これが僕の筆法です。

これからも、こんな感じのことを書き続けていきます。

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やんごとない場所へ

11月26日(月)

前日の夕方、職場での休日出勤を終えて、その足で東京駅に向かい、西に向かう新幹線に乗った。翌日は1日、調査なのである。

三連休の最終日ということもあって、夕方に東京駅に着くと、バッカみたいに混んでいて、新幹線ものきなみ満席である。

やっとのことで切符を買い、目的の町に着いたのは午後10時近くになっていた。

まったく、疲れるねえ。

翌朝9時。研究仲間のFさん、Oさんと待ち合わせて、午前中の調査場所に行く。

そもそも今回の調査は、FさんとOさんがすべて調整してくれたもので、僕はただ、2人にくっついていくだけである。

僕がいたところで、何の役にも立たないのだが、いちおう先様に対しては僕がいた方が形になるから、という理由で、同行することになったのである。

今日はまる1日、「古い乗り物」について調査することになっている。

鉄ヲタどころではないぞ。もっとマニアックな乗り物である!

午前中の調査先は、「やんごとない場所」である。

Fさんが段取りを組んでくれて、「やんごとない場所」で調査できる運びとなった。

「やんごとない場所」なので、とくに失礼がないように、気を遣わなければならない。

調査場所として案内されたのは、ふだんならば絶対に入ることができない「やんごとない建物」だった。特別のご配慮をいただいて入らせてもらうことができたのである。古くて大きな建物である。

「やんごとない場所」にある「やんごとない建物」には、蛍光灯といった照明器具はないのがふつうである。だから昼間でも薄暗い。だがこの建物のみは、なぜか蛍光灯がついている。

「この建物は、ときおり『やんごとないお方』が調べごとにいらっしゃるので、そのときのために特別に蛍光灯をつけているのです」

「なるほど、そうなんですか」

その話を聞いて、さらに緊張感が高まる。

朝9時から12時までの3時間、「やんごとない建物」の中で「やんごとない乗り物」の調査をさせていただいた。超マニアックな調査のために、これほどの時間をいただけたのは、ありがたいことであった。僕たちは先様に御礼を申し上げて、「やんごとない場所」をあとにした。

気がつくと、冷え冷えとした建物の中で、休みもとらず、立ちっぱなしで調査をしていたこともあって、体がガッチガチである。しかし、午後には別の場所での調査がある。

慌ただしく昼食をとった後、今度は地下鉄を乗り継いで、町の東のはずれにある「大きなお寺」に向かう。

ここにも「古い乗り物」が現存している、ということで、Oさんが段取りを組んでくれた。

ここもふつうは、とても敷居の高い場所なのだが、偶然にもOさんのお知り合いの方がいるということで、その方を通じて、間近で見せていただくことが可能になったのであった。

再び、超マニアックな調査がはじまる。先様にご配慮いただき、間近でじっくりと観察することができた。

「これを、こんなにじっくりご覧いただいたお方は、初めてですわ」

「そうですか」

「これと似たようなものなら、ほかにもおますよ」

「そうなんですか?!」

先様に案内され、別の建物に入れてもらった。

「こちらです」

天井のほうを見上げると、目的の「古い乗り物」があった。

「なるほど、これはすごい」

しばらくの間、天井のほうを見上げて、じっくりと観察した。

「ほかにもどこかにあったと思うなあ…。ちょっと聞いてみますわ」

しばらくして、

「うちの敷地に、建物の部材の簡単な修理なんかをするための作業場があるんですが、そこにも何台かあるようです」

という情報が入ったので、作業場にいって見せてもらうことにした。

やはり天井からつり下げられた状態で、何台かあった。

「なるほど。こちらにあるものは、特別なときに使う乗り物というよりは、日常的な乗り物のようですね」

「そうですか。たしかに、さっき見ていただいたものとは違いますね」

そんな会話をしていると、この作業場をとりしきる棟梁?みたいな方が丁寧に説明してくれた。

「あそこに、竹で編んだ駕籠がぶら下がっているでしょう?」

「ええ」

「あれ、ミヤコ蝶々さんがお乗りになった駕籠です」

「そうなんですか?」

「ええ。先代の棟梁が担ぎはったそうです」

「なるほど…。僕らがさがしている乗り物とは違いますが、これはこれですごく価値がありますね」

本来目的としている調査よりも、横道にそれたおかげで全然関係のない事実がわかったりすることが、こうした調査の醍醐味でもあるのだ。

そうこうしているうちに、夕方になってしまった。

先様のご配慮に感謝申し上げ、「大きなお寺」をあとにした。

「今日はずいぶんと多くの『古い乗り物』を観察できましたね」

「1日でこれだけの数の『古い乗り物』を見たのは、世界で我々だけではないですか?きっとギネスブックに登録されますよ」

たしかに、すげー地味で、すげーマニアックな調査だった。

たぶん、こんな地味でこんなマニアックな調査をしているのは、世界でも我々だけだろうと思うと、それもまたゾクゾクする。

その代わり、午後も立ちっぱなしで調査をしたので、体がガッチガチである。

帰りの新幹線では、爆睡した。

ガッチガチになった体をほぐす方法は、ないものか。

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続・クラウドファンディングがどうした

クラウドファンディングがどうした

11月23日(金)、25日(日)

3連休のうちのこの2日は、「クラウドファンディングのリターンイベント」のために、職場に休日出勤である。

おかげさまで予想を上回る支援をいただき、その支援でもって無事に目的の「成果物」を納品することができた。

そのお披露目をするのが、今回の「リターンイベント」である。

で、僕は、その「成果物」を前にして、支援くださった方々に1時間強の解説をする、という仕事を仰せつかった。

1日目は、僕を含めたスタッフ3人、2日目は、僕を含めたスタッフ2人が解説を担当する。解説者1人あたり、およそ5,6名の支援者(出資者)がつく。つまり、5,6名の方の前で、解説を行う。解説といっても、一方的にこちらが喋るばかりではなく、出資者の方々に自由に質問してもらい、それに答えるという形式も適宜取り入れたりする、ざっくばらんな解説会である。

出資者の全員が来るわけではなく、1日目と2日目のどちらかに来られる人だけが来ているので、実際にはそれほど人数が多いわけではなかった。

イメージとしては、「絵画」を目の前にして、5,6人の方々に対して1時間ほど解説をする、と思ってもらえればよい。

いわば出資者に対して御礼として行うイベントなので、出資者が満足するイベントにしなければならない。

クラウドファンディングの出資者って、どんな感じの人なんだろう?最初はまったく予想がつかなかった。むしろ、前に述べたように、僕自身が酷い偏見を持っていたかも知れない。

1日目、実際に出資者の方々の前で解説をしてみると、みなさん実に熱心で、誠実な方ばかりであることがわかった。質問も的確である。説明をしていても、打てば響く感じがして、とても心地がよい。

年齢層も、僕と同じくらいの世代やその少し下の世代あたりの方が意外と多くて、ふだん高齢者の方々ばかりを相手にお話ししている感じとはまた違って、新鮮だった。本来はこういう年齢層の人たちをもっと取り込まなければならないのだ。

打てば響く客層だということがわかったので、そうなるとこちらも、1時間飽きさせないような話をしなければならない。通り一遍の話ではダメで、さまざまな例え話やエピソードを挟みながら、あらゆる話術を駆使して、あっという間に1時間が終わった。

2日目の出資者の方々も、前回と同じような雰囲気の方たちばかりで、とてもやりやすかった。目の前の「成果物」は前回と同じだが、前回とは全然違う質問が出るので、話は意外な方向へと広がったりする。僕自身、前回とはまた違う話ができて、喋っていてまったく飽きることがなかった。

あっという間に1時間がたち、出資者の方々は次のプログラムの場所へと移動した。

「なかなかおもしろかったで」横でずっと解説を聞いていた上司が僕に言った。「はじめてわかったわ」

いままでわからなかったんかい!

これからも辛抱強く、「語り部」としてこの事業の重要性を訴えていくしかない。

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心の中を流れる音楽

10代のころからずっと、心の中を流れる音楽がある。

その音楽は、心が穏やかな時、とか、心を穏やかにしたい時、とかに、決まって流れる音楽なのである。

そうねえ。たとえば夕暮れ時。

自転車をこいで家路を急ぐ時なんかに、よく心の中を流れていた。ま、最近は久しく自転車に乗ってないんだけれども。

心がホッとして、ちょっと前向きになれるような曲。

「たーらーらーたららーたららー、たらららたららーたららー、たらららた~ら、たららた~ら、たらららた~らら、ポンポンポンポンポンポンポン」

といった感じの曲なんだが、何の音楽だったのか、まったく思い出せない。

何かのCMで流れていた音楽だったような気がする。

まったく思い出せないまま、いまも、何かの折にずっとこの音楽が心の中を流れることがあった。この音楽が流れると、ホッとするのである。

で昨日、ふとしたことで、この音楽の正体がわかった。

きっかけは、高倉健の「不器用ですから」というCMを動画サイトでさがしたことにはじまる。

このCMの音楽を担当したのが、YMOのホソノさん(細野晴臣)だった。

ちょうどYMOが散開することだったと思う。

このCMの音楽、YMOの散開記念アルバムの中で教授(坂本龍一)が作曲した、「Perspective」という曲と、とてもよく似ているということで、当時、ひそかな話題になっていた。

聴いてみてわかるように、冒頭部分の旋律は完全に同じである。

ホソノさんが教授の曲をパクったのではないか?とささやかれたりもした。

真偽のほどは定かではないのだが、こんな話も聞いたことがある。

あるとき、ホソノさんがCM音楽の依頼を受けた。

依頼主はこともあろうに、ホソノさんに

「坂本龍一さんの『戦メリ』のような曲をお願いします」

という依頼の仕方をしたというのである。

ふつうならば、こんな依頼のされ方をしたら、怒るはずである。

少なくとも僕だったら、怒るだろうなあ。

でもホソノさんは、飄々とその仕事の依頼を受けて、教授の作風の曲を作った、というのである。

ほんとかどうかはわからない。

僕はこの「不器用ですから」の高倉健のCMを、久しぶりにある感慨をもって見たのである。

で、立て続けに高倉健の出演したCMを見ていたら、なんと、ついに!というか、偶然にも「心の中を流れる音楽」を、見つけたのである!

これこれ!この音楽ですよ!

ネスカフェのゴールドブレンドの高倉健バージョンのCMだったのかぁ!

この音楽について調べてみても、このCMで流れていた以上のことはわからない。

つまり、この音楽は、このCMだけに使われたオリジナル曲のようである。

しかも不思議なのは、ネスカフェゴールドブレンドといえば、

ダバダ~♪

という歌ではじまる「違いがわかる男」シリーズのCMがお決まりではないか?

高倉健のCMは、それとはまったく異なるのである。

「珈琲が好きです」

という、実にシンプルなCMである(実際、高倉健が大の珈琲好きだったことは有名である)

これはいったい、どういうわけだろう???

ここからは僕のまったくの妄想。

あるとき、高倉健のもとに、ネスカフェゴールドブレンドのCMの出演依頼が来た。

高倉健は、1つの条件を出した。

出演するに際して、「違いがわかる男」のパターンは、こっぱずかしいんで、やめてほしい。

見ていて、ホッとするようなCMにしてほしい。なぜなら、自分もコーヒーを飲んでいるときが、いちばんホッとするから。その気持ちが伝わるようなCMにしてほしい。

…そういったわけでできあがったのが、上のようなシンプルなCMだったのではないだろうか???

だから音楽も、ダバダ~♪ではなく、ホッとする感じの曲に変わったのである。

…もちろん、これはまったくの僕の妄想。

ただ、ひとつ間違いなく言えることは、30年以上経ったいまもなお、このCMで流れていた音楽が僕の心の中に流れていて、この曲が流れるたびにホッとする、ということなのである。

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懐かしい時代からの手紙

今日は、久しぶりにメールを1通ご紹介します。

「高校時代の友人・元福岡のコバヤシ」さんからいただいたメールです。

「鬼瓦殿

こんばんは。コバヤシです。

かめい先生の話、懐かしいですね。雑誌にのった貴君の文章を読んで電話をくれたんでしたっけ。友達のことなのに、なんだか自分も誇らしくて、雑誌を買いに行ったのも懐かしく思い出されます。あれからもう30年以上経ってしまったんですね。

それはさておき、ちょっとした小噺を。

私はデイブ・ブルーベックと言うジャズ・ピアニストが好きなのですが、福岡から東京に戻って間もなく、御茶ノ水のレコード屋に行ったら、中学生の頃に買ったレコードのオリジナル盤が売っているではないですか。思わず買ってしまいました。そのレコードは1957年に録音されたもので、60年も前のものです。それが3千円もしない値段で売っていたのです。思わず小躍りしてしまいました。

家に帰って懐かしさと共にレコードを聴いたのですが、ジャケットの中を見ると何やら小さい紙片が入っているではないですか。取り出して見ると、元の持ち主がこのレコードを貰った時に書かれた手紙が入っていたのです。このレコードをあげた方は、この人にたいそう感謝していたらしく、こんなことが書かれていました。

「ディック殿 貴君の忍耐と助力にはただひたすら感謝します。  サムより」

恐らく60年前に、このレコードを送った方が自分のお気に入りのレコードと共に感謝の気持ちを送ったのでしょう。

自分がこの手紙を送った訳ではないのに、なんだかとても懐かしい気持ちにさせられました。

ちょっと酔っ払っているので感傷的な気持ちになって変なメールをして失礼しました。

大分寒くなって来たのでくれぐれもお身体には気をつけてください。

それでは、またそのうち!」

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シュガー・ベイブの血

寺尾紗穂さん、という名前を知ったのは、大林宣彦監督の映画『転校生 さよならあなた』のエンディング曲「さよならの歌」を聴いた時がはじめてである。

歌い方が大貫妙子に似ているなあ、と思っていたら、何かのレビューに「声が大貫妙子、歌い方が吉田美奈子、ピアノが矢野顕子」と書いてあって、なるほどなあと思った。

大貫妙子、吉田美奈子、矢野顕子は、いずれも僕が10代の時にかなり熱心に聴いていたミュージシャンで、言ってみれば体に染みついているのだ。

寺尾さんの歌を、世代が違うにもかかわらず違和感なく聴くことができたのも、そのせいなのだろう。

今年の夏、僕はある本に短い文章を寄せたのだが、同じ本に寺尾さんも文章を寄せていた。後で知ったのだが、寺尾さんはノンフィクション作家としてすでに何冊も本を出しているという。

その本に寄せている文章がとてもいい文章で、同じ本の中で並べられると、僕の文章の稚拙さばかりが目立って、恥ずかしくなってしまった。

「同じ本の中で文章を並べられた俺は、たまったもんじゃないなあ」

と落ち込んだのである。

寺尾さんはいわゆる「南洋諸島」に関するルポルタージュの本を2冊出している。いずれも文章がとてもよく、「味読」というにふさわしい読み方ができるのだが、そのうちの1冊『あのころのパラオをさがして』の帯に、ある社会学者がこんなコメントを寄せている。

「著者は、大きなものと小さなものとを区別しない、文学と音楽を区別しないのと同じように」

なるほど、たしかに、音楽と文学の垣根をポンッと跳び越えながら、それぞれの表現手段を追求しているように思える。だから音楽も文章も心地よいのだろう。

つい最近、大竹まことのラジオに寺尾さんがゲスト出演していて、それを聴いて初めて知ったのだが、寺尾さんのお父さんは、寺尾次郎さんといって、むかしシュガー・ベイブというバンドに属していて、その後、バンド活動をやめて、フランス映画の字幕翻訳家として活躍されたのだという。ゴダールの映画の字幕なんかをつけていたっていうから、僕が若いころ背伸びをして見ていたゴダールの映画の字幕は、寺尾次郎さんによるものかも知れない。

シュガー・ベイブといったら、山下達郎や大貫妙子がいたバンドである。

寺尾さんの歌が、大貫妙子の雰囲気に似ているとさきに書いたが、その大貫妙子が所属していたシュガー・ベイブに、お父さんも所属していた、というのは、何か因縁めいたものを感じずにはいられない。

ラジオ番組の中で大竹まことが、お父さんのめざしていた方向性と、近いものがありますね、みたいなことを言っていた。たしかに、音楽と文筆の2つの世界に身を投じていた父親と、生きる姿勢みたいなものが同じように思えた。

しかしここで不思議なのは、寺尾紗穂さんとお父さんの次郎さんとは、30年の間、実はほとんど交流がなかったということである。このあたりの話は、おそらく最新刊のエッセイ集『彗星の孤独』に書いてあるのかも知れないので、まずはこれを読まなければならない。

父親の影響を直接に受けたわけでもないのに、結果的に、父親と同じような方向性の生き方をするようになる、というのは、いったいどういうメカニズムなのだろう。「血」とか「DNA」といってしまえばそれまでなのだが、なるべくならそういう理屈で考えたくはない。

ちなみに寺尾さんとは、今年出した本の中だけのご縁で、お会いしたことはなく、今後もお会いする可能性は低い。ただひとつ望みをいうならば、今後は同じ本の中で文章を並べられたくない。僕の文章の稚拙さが目立つから(笑)

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ことばの森

高校生の時、ちょっとした短い文章が雑誌に載ったことがあって、それから少し経ったある日、ある「おじいちゃん」から、電話をもらった。

「かめいたかし」と名乗るそのおじいちゃんは、雑誌に載った僕の短い文章を読んだらしく、どこで聞いたのか僕の家の電話を調べてかけてきたのである。

君の書いた文章はすばらしい、君の文章を読んで、そのことを言いたくて電話をかけた、これからもこの調子でがんばりなさい、といった趣旨の電話だった。

自分は言語学を専攻していた人間だが、いまはすっかりおじいちゃんになって隠居の身だ、とその老人は言っていたが、ある人にこの話をすると、それは有名な言語学者の先生だと教えてくれた。

「かめいたかし」といえば、日本を代表する言語学者で、言ってみればレジェンドともいうべき学者である。頭脳が明晰で、論文が難解なことでも有名だという。

その後、その先生の著作集が出ていることを知り、図書館で探して読んでみたのだが、たしかに難解であった。もちろん、クソガキの僕からしたら難解なのはあたりまえのことなのだけれど、それにしても、難しい文章だとそのとき思ったものである。

そして僕は大学院に進み、言語学ではなかったが、別の学問を志した。

ある日、書店に行くと、かめいたかし先生の『ことばの森』というエッセイ集が出ているのを見つけた。僕は何年かぶりに、この先生のことを思い出し、その本を手にとった。

その本は、かめい先生が亡くなったあとに編まれたエッセイ集だった。僕は、かめい先生が亡くなったことをこの本を手にとって初めて知ったのであった。

当時の僕は、やはり先生のこのエッセイ集を難解だと感じた。言語学の先生は、斯くもことばに対して厳格なものかと、そのとき思ったものである。

だが、いまこの本を読み返してみると、実に味わい深い。ことばを吟味した文章とは、これほど美しいものなのかと感嘆せずにはいられない。重厚で、ずしりと心に響く。

このエッセイには、ある親友への弔辞が載っている。この文章がまた、すばらしい。

「ことばのことを職とする者として、ことばというものゝ虚しさに日ごろからとらわれつゞけている、このペシミストの私がいまこゝに弔辞を述べようとすることはそれ自体において矛盾であるけれども、積年の友情にかんがみるならば、またあえていなむべきではないことを思い、まず謹んで故人に宥恕を乞いたい」

ではじまり、

「あゝなぜかくも忽焉として君は逝ってしまったのだ。残された者のこの憾みは我々一同にとって生きるかぎり消えぬ。安らかにお休みなさいと別れのことばを述べるのが礼儀に協ってはいることだろうけれども、たとえ逝ってしまっても君は我々のこゝろに生きているんだ。どうか十万億土の向こうからいつまでも私達を見守ってください。これが涙を抑えてのおねがいです」

で終わるこの弔辞には、親友に対するひとかたならぬ友情が語られているのだが、僕がとくに感銘を受けたのはこの弔辞の冒頭部分である。

言語学の道を究めた先生が、「ことばというものの虚しさに日ごろからとらわれ続けている」と述べていることは、僕にある種の勇気を与えるものであった。

言語学と道連れだった先生は、けっしてことばの力を過信していたわけではなかった。先生もまた、苦悩し、絶望しながら、言語学を続けていたのではないだろうか。

ちょうどいまの僕と同じように、である。

今さらながら、そんなことに気づいたのである。

「僕はもうおじいちゃんだから、引退したようなものだけど、君はこれからの人だ」

高校生のときに受話器越しに聞いた先生の声を、いまもときおり思い出しながら、

(あのとき僕は、かめいたかし先生に褒めてもらったのだ)

と、そのことだけをひそかな誇りに、心が折れそうになる自分を励ましているのである。

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代打講話

11月18日(日)

うちの職場に、50人ほどの団体が来るので、30~40分ほど喋ってほしいとの依頼が来た。

もともとは、その団体の代表をつとめている先生と懇意の同僚に来た依頼だったのだが、その同僚が、この日は別のイベントで忙しいということで、僕が引き受けることになった。

また、代打だ(笑)。

どういう団体かというと、書道を趣味にしている人たちの団体らしい。

「訪問日は11月18日(日)、人員は52名です。

当日は、昼前にうかがって少し見学ののち、食堂で昼食、そして13時30分から鬼瓦先生のお話を聞き、その後またしばらく見学して帰途に就くという予定です。

先生のお話は30-40分程度のお時間と予定しましたが、終わりの方は先生にお任せします。

お話の内容ですが、先だってもお伝えしましたように、大部分が家庭の主婦で老境に入る人たちですので、専門知識は皆無です。しかし、字を書く趣味を長く続けてきておりますので、そのあたりのお話しをいただき、現在開催中のイベントについてのお話につなげていただければ、一同大いに学ぶところがあり、喜びは大きいと思います」

うーむ、困った。

専門知識が皆無の人に、30~40分程度、書を趣味とする人の心をくすぐるような少し専門的なお話しをする、というのは、なかなか難しいお題である。

昨日までは、国際シンポジウムのことで頭がいっぱいだったので、この日のことについてはずっと先送りにしてきた。

これはマズいと思い、今日の午前中かかって、パワポや配付資料を作成して、講話の組み立てを考えた。ちょっとワークショップ的なことをやることも思いついた。

午後1時過ぎ、昼食を終えたその団体の人たちが、三々五々、会場に集まってきた。

団体の代表の先生と、その下にいる幹事長のご婦人が挨拶に来た。

幹事長のご婦人が僕に言った。

「本日はよろしくお願いいたします」

「よろしくお願いいたします」

「みなさん、先生の講話を楽しみにしております」

「そうですか」

「先生のお話の前に、私が簡単な司会をいたします、そのときに先生のことをご紹介したいのですが、…何とご紹介したらよいでしょうか」

僕は代打なもんだから、代表の先生も、その下の幹事長のご婦人も、僕のことをまったく知らない様子だった。

「立派な先生、とご紹介すればよろしいでしょうか」

幹事長のご婦人は、大まじめな顔をして言った。

「いえ、それは勘弁してください。ここのスタッフだと言ってくだされば十分です」

先方も僕のことを知らなければ、僕も先方の団体のことを知らない。

こうした関係性の中で行われる講演は、実は嫌いではない。

これこそ、一期一会の講演である。

「たまたま聞いた話がおもしろかった」

という講演が、僕にとっての理想の講演なのである。

さて、52人の団体客さんは、書を嗜んでおられるだけあって、とても上品な方ばかりだった。

凝りに凝ったプログラムを考えたため、30~40分の予定が、50分かかって講話を終えた。

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久々に軽く死にたくなった日

グッタリ疲れた。

11月16日(金)

朝9時から職場で研究会。

ややこしい話なのだが、土曜日に職場で行う国際シンポジウムとはべつに、韓国からお客さんが3人いらっしゃって、金曜日の午前中に研究会をすることになった。

僕はそっちの方にも関わっていたので、研究会に出ることにした。

通訳は同僚がやるのだが、いちおう僕はその補佐。だから、日本人2人、韓国人2人の合計4人の研究発表を、気を張って聞いていなければならない。

脳内で、日本語を韓国語に置き換えたり、韓国語を日本語に置き換えたりしていただけで、ヘトヘトになった。

研究会は休みなく午後1時半まで続いた。

その後、ちょっとした打ち合わせがあり、3時過ぎからは、明日の国際シンポジウムに関する仕事。

そんなこんなで夕方になってしまい、妻と娘、そして私の母が職場のゲストハウスに到着。

夕食後、娘を寝かしつけ、明日の予習をしていたら、午前0時になってしまったので就寝、。

11月17日(土)

午前8時半に職場に行き、娘の待機部屋を設営する。。

9時に、助っ人の叔母が到着。娘は母と叔母の2人体制でみてもらうことになった。

9時半、国際シンポジウム開始。ここからはノンストップである。

客席を見渡すと、玄人衆が多く、ひどく落ち込む。

(どうせ俺のことを馬鹿にしに来ているんだな…)

僕の出番は、午前の部の発表と、夕方の部の討論。

自分の勉強不足を痛感して、軽く死にたくなる。

午後5時半、シンポジウムが終了し、家族を帰宅させるために最寄りの駅まで車で送り、職場に戻ってレセプションに参加した。

レセプションとは、つまり打ち上げのことだが、何が苦手といって、立食形式のレセプションほど苦手なものはない。

ここでも、自分のコミュニケーション能力のなさに、軽く死にたくなる。

午後8時、ようやくレセプションが終わり、解放された。

明日も職場で、団体客の対応をしなければならないので、職場にもう1泊する。

疲れた。

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職場に3泊泊まり込み

11月15日(木)

今週の土曜日、職場で大がかりなイベントがある。

このイベントは、いろいろな意味でたいへんである。

まず、イベントの当事者として、このイベントが滞りなく、しかも実りあるものとして成功させなくてはならない。

もうひとつ。これがもっと重大なことなのだが。

このイベントには、僕と妻の2人が関わることになっていて、そのために7カ月の娘も一緒に職場に連れてくることになる。

そして土曜日は、まる1日、僕と妻はそのイベントに忙殺されるのだ。

その間、7カ月の娘は、無事に過ごせるか???

これが最大の難関である。

なので、イベント本体よりも、実はそっちの方が心配なのだ。

今日は、中国や韓国から、イベントに出席する外国人の方が入国し、夕方に職場の近くで会食がある。

僕はホスト側の人間なので、そのアテンドをしなければならない。

翌朝も、朝9時から予定がビッシリと詰まっているので、今日から日曜まで、職場に泊まり込みなのだ。

ということで、僕と妻と娘の荷物を車に積んで、片道2時間ほどの久しぶりの車通勤である。

妻と娘、そして、ベビーシッターをお願いする実家の母とは、明日の夕方に合流して、職場のゲストハウスに泊まってもらうことになっている。

そして、明後日の土曜日が本番である。

中国と韓国からのお客様との今日の会食は、相変わらずコミュニケーション能力のなさと勉強不足に落ち込みながらも、何とかつつがなく終えることができた。

僕は韓国語の通訳要員として参加したのだが、すっかり韓国語が喋れなくなっていて、これにもまた落ち込んだ。まあ、いちおう通訳の役目は果たしたのでよしとしよう。

明日からもまた、ハードな日々である。

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1周忌

11月14日(水)

父の命日は11月15日なのだが、この日はどうしても仕事があるので、14日に1周忌の法事を行うことになった。

毎年この時期、妹は「遅い夏休み」をとる。

この夏休みを利用して、妹と両親は国内旅行に出かけていたのが年中行事になっていたのだが、昨年は父の死によりそれが叶わなくなった。そして今年は、妹と母の2人で、法事の前に1泊2日の旅行に出かけた。

今年の旅行先は、函館だったという。

「函館空港でね、すしざんまいの社長を見かけたのよ」

と母が言った。

「すしざんまいの社長?」

「知らないの?」

「いや、知ってるよ。知ってるけども、いつもマグロと一緒に写真に写っているオジサンだろ?」

「そう」

「よくすしざんまいの社長だってわかったね。マグロと一緒にいればわかるかも知れないけど、オジサン単体だったら、社長だなんてわかんないよ!」

「でも、顔が明らかにすしざんまいの社長だったよ。あれは、買いつけに来たんだね、おそらく」

何というか、母らしい。

母は、そういう「微妙な有名人」を見つけるのが、得意なのである。

「いつだったかもほら、旅行先で、崔洋一監督を見かけたのよ」

これもまた「微妙な有名人」である。

これを聞いていた妻が僕に言った。

「やっぱり血筋だね」

「なんで?」

「だって、前に出張先のホテルで俳優の柄本佑を見たって言ったでしょう?」

「そうだよ」

「ふつう、わかんないよ。柄本佑って言われて、すぐに顔が思い浮かばないもん」

「そんなもんだろうか」

なるほど、僕が旅先で「微妙な有名人」を見かけるのは、母親譲りということなんだな。

そうそう、それで思い出した。

先日のこぶぎさんたちとのオフ会で、そのことが話題になった。

「あのホテルにいたのは、柄本佑ではなく、どっかの番組のADだよ」

とこぶぎさんが言う。

「だいたい、柄本佑クラスの中堅どころの俳優が、ホテルの朝食の時に、台本を読み直すなんてあり得ない。あのクラスの俳優になると、もう台本なんて頭の中に入っているもんだ」

「そういうもんだろうか」

「そうだよ。SNSを駆使して、その日の柄本佑の動向を調べてみたが、鬼瓦さんの出張先でロケをしているという事実は、ついにつかめなかった。その代わりに、同じ日に、さまーずがその地でロケをしていることがわかった」

「そうだったの?」

「そう。ということは、そのホテルにいた人は、さまーずの番組のADだった可能性が高い」

「うーん。でも、顔は明らかに柄本佑だったんだよなあ」

なにしろ、柄本佑のデビュー作の映画「美しい夏キリシマ」から見ているんだから、間違えるはずはないのだ。

はたして、母親譲りの「微妙な有名人」を見つける僕の才能に軍配が上がるのか、それともこぶぎさんのたぐいまれなるアームチェア・ディテクティブぶりに軍配が上がるのか。

真相は藪の中である。

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コインロッカーが封鎖された日・2回目

話は、僕が「前の勤務地」に出張に訪れた11月8日にさかのぼる。

この日の予定はこうだ。

東京から新幹線に乗り、「前の勤務地」の最寄りの駅であるYA駅で降り、会議に出席する。

夕方、会議が終わってから、今度はYA駅から東京方面に向かう鉄道に乗り、「前の前の勤務地」の最寄り駅であるYO駅で降りる。この日の宿は、YO駅前である。

さて、新幹線がYA駅に着いた。

いつものごとく、荷物が重い。

「1泊2日なのに、何でこんなに荷物が多いんだ?」ってくらいの量である。

(どうせ、夕方にはこの駅に戻るんだから、YA駅のコインロッカーにスーツケースを預けよう)

そう思って、駅のコインロッカーの前まで行って驚いた。

「点検のため、コインロッカーは11月8日(木)18時まで使用できません」

という張り紙がしてあるではないか!

(よりによって、俺が来た日に、点検のためコインロッカーが使えないなんて…)

まったく運が悪い。

しょうがないので、重いスーツケースを持って会議の場所まで移動した。

夕方5時少し前、会議が終わってYA駅に着くと、改札口の前がものすごい人だかりである。

なんだなんだ?この人だかりは???

すげー有名なアイドルでも来るのだろうか??

そういえば以前、韓国の金浦空港の出口のところですげー人だかりがするなあと思ったら、「少女時代」が同じ飛行機に乗っていたってことがあったなあ

この人だかりは、それに匹敵するほどの人だかりである。

…とすると、アイドルが来るのか???

しかし、それとも少し違うようだ。

改札口のところは厳しい規制がしかれ、改札内に人が入ってはいけないことになっているのである。

改札内にいるのは、駅員さんと、警察っぽい人だけ。

そして雰囲気がすげーピリピリしている。

さらに、である。

改札のところで並んでいる人たちの中には、白地に赤い模様が書かれた旗を持っている人が何人かいる。

ということはっ??!!

ははあ~ん。「やんごとなき方」だな。

うちの職場にも、たまに「やんごとなき方」が来ることがあるので、よくわかる。

この感じは、「やんごとなき方」が来るということなのだ。

だとすると、駅員さんはたいへんだなあ。

絶対に間違いがあっちゃいけないから、とにかく「やんごとなき方」が無事に新幹線に乗られるまで、気が気じゃないだろうな。事前の準備もたいへんだったことだろう。

僕も列の後ろの方で、「やんごとなき方」が来るのを待っていた。

…というか、僕だって鉄道で移動しなければならないのだから、早くこの行事が終わってくれないと困る。

「やんごとなき方」がいつお出ましになるのだろうと待っていたら、やがて、歓声が聞こえた。

Photo背伸びして改札内のほうを見ると、遠くの方で「やんごとなき方」が、一瞬通り過ぎるのが見えた。

どこからかわからないが、駅の構内に入って、新幹線のホームに向かっていったようだった。

この間、わずか数秒。

電光掲示板を見ると、17時5分に東京行きの新幹線が出発することになっていたから、「やんごとなき方」はその新幹線に乗って東京に帰られたのだろう。

そこで、ハタと気づいた!

コインロッカーは、そのために封鎖されていたのだ!

「18時まで使用禁止」とあったのは、「やんごとなき方」が17時5分発の新幹線に乗って、完全にこの町を出たのを確認してから、封鎖を解除するということだったのだ!

以前、京都でも同じような目にあったことを思い出す

あのときは、APECかなんかの国際会議が京都で行われるからという理由で、京都駅のコインロッカーがすべて封鎖されたのであった。

今回は、まさか「やんごとなき方がいらっしゃるので」とは書けないので、「点検のため」というもっともらしい理由をつけて、コインロッカーを封鎖したのだろう。

17時5分に新幹線に出発したのをさかいに、駅員さんに安堵の表情がおとずれた。

(俺は、次の17時35分発の鈍行列車でYO駅に向かおう)

と、待合室で待っていたら、ほどなくしてアナウンスが流れた。

「いましがた、YA駅に向かう下り電車がカモシカと衝突して、現在下りの電車が○○駅で停車しております。そのため、YA駅からの折り返しとなるYO駅行きは、大幅に遅れる模様です」

なんと!僕が乗るはずの電車が、カモシカと衝突して、運転を見合わせているだと!

「やんごとなき方」を送り出してホッとしたのもつかの間、駅員さんたちが再び慌てだした。

いちばん心配だったのは、この事故で、「やんごとなき方」が乗った新幹線に遅れが生じたりしないだろうか、ということだろう。なにしろ、同じ路線だから。

「やんごとなき方」にも気を遣わなければならないし、よりによってこんな時にカモシカの衝突事故も起こるし。

バイきんぐの小峠風にいえば、

「なんて日だ!!!」

と言いたくなるところだろう。

僕にしたって、コインロッカーに荷物は預けられなかったし、YO駅への到着が大幅に遅れるし、

「なんて日だ!!!」

と言いたくなる1日であった。

ま、カモシカがかわいそうだったこと以外は、とくに大過なかったのでよかったんだけどね。

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調整要員

来週、韓国のある団体のお客様が大挙して職場に来られるという。

そのときの昼食会に参加してもらいたいと上司に言われ、その日は出勤しておりますんでようござんすよと、返答申し上げた。

うちの職場にとっては、かなり重要なお客様らしい。で、僕は少しばかり韓国語がわかるので、同席させようということになったんだろう。

ところが今日、上司の秘書さんが僕のところに来て、

「あのう、来週の昼食会の件なんですが」

「ええ」

「あちらからは、8人がいらっしゃるとのことで」

「はい」

「こちらも同数にしなければならないということになりまして…」

もちろん、それは外交の鉄則である。

「もしかしたら、鬼瓦先生にはご遠慮いただくことになるかも知れません」

「ようござんすよ」

つまり、こういうことである。

昼食会には当然、うちの職場からもしかるべきメンバーが参加しなければならない。

もしその日、しかるべきメンバーが全員揃えば、僕が昼食会に参加する必要はない。

もし、しかるべきメンバーの中で、参加できない人が出た場合、数合わせに僕が昼食会に参加する。

…と、そういうことなのである。

それはそれで、全然かまわないのだが、何度となく、こんな経験をしてるよなあと、この話を聞いて思い出した。

「前の職場」にいたころのことである。

出張講義、というものがあった。高校に出向いていって、職場の宣伝がてら、高校生に講義をするというイベントである。

出張講義は、職場の宣伝にもなり、お客さんを獲得するチャンスなので、できるだけ、高校側の意向に沿った内容の講義をすることになる。

高校側に「この先生に来てもらいたい!」という希望まで聞くこともある。

で、うちの部局で圧倒的に人気のあったのが、世界的にも有名なS先生であった。

S先生の研究は、世界的にも注目を浴び、その成果は何度もニュースに取り上げられた。

なにより、とてもロマンのある研究だった。

当然、出張講義のリクエストも、「S先生に来てほしい」という高校が多かった。

S先生はまじめだから、できるだけその希望に応えて出張講義に出向いておられたが、なにしろ忙しい先生なので、全部のリクエストに応えることはできない。

そんなとき、代打として、よく僕がかり出されたのである。

S先生を期待していた高校に僕が出向くのだから、当然、高校生の反応は、みな落胆した表情になった。

そのことを思い出したのである。

そんなふうに、僕は調整要員として使われることが多い。

そういえば、こんなこともあった。

昨年2月のことである

韓国留学時代にお世話になった先生に呼ばれて、その先生の主催する韓国の国際学術会議で発表することになった。

ところが、その国際学術会議のテーマは「中国」。僕の専門とするところとは、まったく関係がない。

発表者も、僕以外は中国人と、(中国を専門とする)韓国人である。日本人は僕1人だけ。

ではどうして僕が、まったく畑違いの国際学術会議に呼ばれたかといえば、韓国の学界では、3カ国以上の発表者が集まらなければ、「国際学術会議」とは名乗れないからである。

中国人と韓国人だけで構成してしまっては「国際」という冠をつけられない。それでどうしても、アリバイとして1人でもいいから日本人が必要となる。

ただ、たった1人のために、日本語の通訳を雇うのはもったいない。

ということで、韓国語でコミュニケーションがとれる僕が選ばれたというわけである。そうすれば、韓⇄中だけの通訳で済む。要は、「国際学術会議」と名乗るための数合わせとして、僕が呼ばれたのだ。

おかげでたいへんな目にあったことは、すでに書いた

今週末に職場で行われるイベントも、同じである。

メインは中国や韓国から来た方のお話しであって、僕は完全な時間調整要員である。

メインの方々の発表時間が予定の時間よりも大幅にオーバーしてもいいように、僕の発表の時に、時間調整することが期待されているのだ。

このように僕はむかしから、「調整要員」「数合わせ要員」「代打要員」としての役割を期待されてきた。

調整要員として生きるのもまた、技術がいることである。

そういう生き方も悪くないと、最近は思うようになってきた。

そういう生き方が、いちばん性に合っているのかも知れない。

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先週末にインフルエンザの予防接種をしたのに…

11月12日(月)

コインロッカーが封鎖された日・2回目」というエピソードを書こうと思っているのだが、時間がなくてなかなか書けない。

先週1週間、出張続きだったこともあり、1週間ぶりに職場に行くと、いろいろな仕事がたまっていた。

それに今週土曜日は、職場でちょっと大きめのイベントが控えていて、外国からお客さんを呼んだりする。そのためのアテンドなんかもあるのだ。

そんなこともあり、僕は木曜日から日曜日まで職場に泊まり込んで、その対応にあたるのだ。

そんな、気持ちに余裕のない時に限って、自分のパソコンがウィルスに汚染されたりする。

うちの職場では、使っているパソコンがウィルスに感染すると、情報管理係の職員が、飛んでくる。

「先生のパソコン、ウィルスに感染した模様です」情報管理係の職員が僕の仕事部屋にやって来た。

「はあ、ついさきほど、USBメモリをパソコンに差し込んだとたん、画面に警告が出ていたみたいです」

「とりあえず、パソコンを機内モードにして、ウィルスを駆除します」

「わかりました」

まったく、忙しい時に限って、こういうことが起こる。

駆除している間、メールの送受信ができず、ネットも使えないので、職場の中を歩きまわり、いろいろな同僚と打ち合わせをしているうちに、すっかり夕方になってしまった。

ウィルスの駆除が終わり、たまっていたメールの送信を行う。

今日も結局、原稿が書けなかった。

うーむ。9月末だった締め切りを10月末までに延ばしてもらった原稿、まったくできあがる気配がない。

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再会の町

11月9日(金)

「前の前の勤務地」の隣町に行く。今年の2月以来である。

目的は、この町にある文化施設の企画展を見に行くことである。僕もほんの少しだけ、お手伝いした。

Photoその文化施設は、町のはずれの、とても雰囲気のいい場所にあるのだが、惜しいことにそこにたどり着くための公共交通機関がない。仕方がないのでレンタカーを借りて行くことにした。

事務室を訪れ、S館長に久しぶりにお会いした。僕がこの地にいたころ、いろいろとお世話になった方である。

企画展をじっくりと見せていただく。平日の昼間ということもあって、見学者は僕だけである。

S館長は、この町につとめる「悪友のKさん」に連絡を取ってくださり、ほどなくして悪友のKさんが到着した。

「どうも、ごくろうさまです」

「ご無沙汰しています」

展示を一通り見終わったあと、再び事務室に戻って、S館長や悪友のKさんとしばらくお話しした。

職員が2~3名というこぢんまりした事務室の中に、Sさんがいた。

「鬼瓦さん、お久しぶりです」

僕は「前の勤務地」にいた14年間、単身赴任だったのだが、1年だけ、妻がこちらに来て一緒に住んでいた。いまから15年くらい前のことである。

当然、妻はこちらに来ても知り合いがいるわけではなかったのだが、こちらにいた1年弱の間、あるところでアルバイトをしていた。そのアルバイト先にいたのが、Sさんだったのである。

「こちらにいらっしゃったんですか」

「ええ、今月からここで働いています」

これもまた、偶然である。先月にここに訪れていたら、会えなかったのである。

「○○さんはお元気ですか?」

○○さん、とは僕の妻のことである。

「ええ、元気です」

「鬼瓦さんがいらっしゃるというんで、○○さんにちょっとしたメッセージを書いたんです」

そう言って、Sさんは小さな封筒を私にくれた。

「これを、渡していただけますか?}

「もちろんです。妻も喜ぶと思います」

「15年前、同じところでアルバイトしていたころ、まわりがみんな、年齢が上の方ばかりで、○○さんだけが同世代だったので、とても心強かったんです」

「そうですか」

わずか1年にも満たない期間だったと思うが、Sさんにとってはいまも印象に残っているようだった。

「○○さんがこの地にいらっしゃる機会は、あまりないのでしょうね」

「そうですね。僕が出張に来たりすることは多いんですが」

「またお目にかかりたいです。ぜひご家族でいらしてください」

「そうですね。一度家族で来たいですね」

僕は、Sさんの旦那さんと一緒に仕事をしたこともある。縁とは、まことに不思議なものである。

事務室でひとしきりお話しをしていると、とっくにお昼を過ぎてしまっていた。

「そばでも食べに行きましょう」と悪友のKさん。

S館長やSさんとお別れして、Kさんの案内で町のお蕎麦屋さんに行った。

「このお店は初めてですか?」

「ええ」

「この店の女将さんは、前の東京オリンピックのときに陸上選手として出場したんですよ」

この小さな町から、オリンピック選手が出たのか。当時としては、たいへんなことだったろう。

蕎麦を食べながら、悪友のKさんとあれこれお話しした。

「またお目にかかります」

「また来てください」

僕はKさんと別れ、この町をあとにした。

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読者対面

11月8日(木)

今日は新幹線で3時間かかる「前の勤務地」で会議である。

会議が終わった夕方、今度は在来線で1時間ほどかかる「前の前の勤務地」に移動する。

明日は、「前の前の勤務地」の近くの町で用務があるため、「前の前の勤務地」に泊まることにしたのである。

…固有名詞を書かないので、なんともわかりにくいな。

元同僚のkさんが、こぶぎさんの運転する車で、チェックインしたホテルまで迎えに来てくれた。

「いまから職場に行きましょう」

「どうしたんです?」

「会わせたい人がいるんですよ」

「誰です?」

「ブログの読者です。実は、ある学生にこのブログを紹介したら、その学生が鬼瓦先生に会ってみたいということになりまして」

「学生ですか?」

「そうです。2年生です」

2年生というと、20歳である。はたしてこんな訳のわからないブログなんかを読んで、おもしろいと思う20歳の若者なんているんだろうか?というか、教育上よくないぞ!

「前の前の職場」に到着し、20歳の読者と対面した。

あんまり詳しいことは書けないのだが、その読者によると…。

今年の夏休みに、自分の生まれ故郷の町の公共施設で、実習をした。

「そのとき、その職場の方々が、口々に鬼瓦先生のお話をなさるんです」

たしかに僕は、その公共施設に何度も行ったことがあり、そこでつとめている方々をよく知っていた。

「で、鬼瓦先生ってどういう人だろうと、K先生に聞いてみたら、鬼瓦先生のブログを紹介されたんです」

なるほど、そういう経緯で、元同僚のKさんはこの学生さんにブログを紹介したのか。

「先生がこの公共施設でお仕事されたことについて、以前ブログに書かれましたよね」

「ああ、書きましたねえ」

「私、その記事に出てくる人のお名前や施設名、全部手にとるようにわかるんです」

なんと!固有名詞を伏せているにもかかわらず、その読者は、それが全部わかるというのである!

世間というのは、狭いねえ。

と同時に、このブログがいったいどれくらいの範囲の人たちに読まれているのか、急に恐くなった。

…まあそんなことは考えないようにしよう。

「もう、完全なダマラーだね。いずれオフ会に参加してもらおう」

脇で聞いていたこぶぎさんが言った。

ひょっとするとこれは、最年少ダマラーである。

最年少ダマラーとの対面が終わり、お腹がすいたので、こぶぎさんとKさんと僕の3人で、食事に行くことにした。

ここからが、8月以来の本格的なオフ会である。

オフ会というのは、ダマラーであるこぶぎさんやKさんが、ブログに書いてあることの真意をただしたり、ブログには書けなかったことを言い合ったりする会のことである。

このときこぶぎさんは、メモ用紙にビッチリと、ブログの内容についての質問や確認事項を書いて、それをもとに話を進めていく。

オフ会なので、その内容は当然ここには書けない。

ひとつだけ書けることを書いておくと、

「『ダマラー』の語源は『リスナー』ではなく、『アムラー』から作った言葉ですからね」とこぶぎさん。

「わかってますよ」と僕。

「え?『シノラー』ではなかったんですか?」Kさんが驚いて質問した。

「違いますよ!『シノラー』ももとは『アムラー』から派生した言葉です。ですから、元祖は『アムラー』なのです」

「なるほど」

「あと、『ダマラー』という言葉を発明したのは、この私ですから。そこのところを間違えないように」こぶぎさんが念を押すように言った。

ま、ここに書けるのは、それくらいかなあ。

あ、もうひとつ。

こぶぎさんは、このブログの記事がアップされると自動的にメールにそのお知らせが来るというシステムを、個人的に開発したのだという。

つまりこぶぎさんは、このブログの記事がアップされるやいなや、リアルタイムでその記事を読むことができるというのだ。

「…ということはですよ。いちどアップしたけれど内容がアレなんでやっぱりや~めた、という記事も、逃さず読んでいたってことですか?」

「もちろんですとも。だから、あとになって記事を削除されると困るんですよ」

うーむ。これからは、記事のアップも慎重にしなければならない。

…というわけで、喫茶店を2軒ハシゴして、オフ会は終了した。こぶぎさんの車で、ホテルまで送ってもらう。

車中では、Kさんが「コレナンデ商会」がいかにおもしろいかという話を熱弁していた。

運転しながらその話を聞いていたこぶぎさんが、途中で、

「フフフ」

と意味ありげな笑いをした。

「どうしたんです?」とKさん。

「いえ、なんでもないです」

「気になりますよ」

「ここでは言えませんよ」

「ますます気になります」

「鬼瓦さんをホテルに降ろしたら言います」

おいおい!どういうことだ???

そうこうしているうちに、ホテルに到着した。

「じゃあまた」

と言って別れたが、僕が車を降りてから、こぶぎさんはKさんにどんなことを話したのか?

気になって仕方がない。

なんともモヤモヤした終わり方である。

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ノヅラでドン!

11月7日(水)

「野面(のづら)」とはもともと「厚かましい顔、恥知らずの顔」といった意味で使われるが、最近では「すっぴん」という意味で使われることも多い。

「野面」には、「切り出したままで加工していない石の肌」という意味でも使われるから、むしろこっちの方が「すっぴん」のニュアンスに近いのかも知れない。

さて、西の町での恒例の「気を遣う仕事」が終わり、昨晩、無事に帰宅した。白衣のボタンも取れることはなかった。

今日の午後は娘を連れて近所に散歩に出た。

近所、というほど近いわけでもないのだが、同じ市内にある私立大学の博物館で、小さな展覧会が開催されている。

この展覧会は、ちょっとマニアックな内容のもので、会期中にぜひ行ってみたいと思っていた。

今日が最後のチャンスだと思い、娘を抱っこひもに装着して、散歩がてら行くことにしたのである。

バスと歩きで、1時間近くかかって大学に到着。近所にありながら、この大学のキャンパスに足を踏み入れるのは初めてだった。

正門を入ってびっくりした。

とにかく広い!校舎が見えない!見えるのは、木々の緑ばかりである!

キャンパス構内図もなければ、看板もない。

学生らしき若者もいないぞ!とにかくひっそりしている。

守衛さんらしき人がいたので、聞いてみた。

「あのう…展覧会を見に来たんですが…」

「ああ、それなら、二つめのロータリーを右です」

言われるがままに歩いて行くと、街路樹に隠れて、博物館があった。

入口から入って、受付に行く。

「お名前をお書きください」

と言われたので、受付のところで名前を書いていると、

「あのう、…ひょっとして、鬼瓦先生でしょうか」

という声が聞こえた。

声をする方を向くと、見たことのある顔。

「先日の本でお世話になったFです」

「あ、Fさん!」

このブログでもたびたび書いてきたが、南洋の島で餓死した日本兵の日記の解読に、僕は関わっていた。

ただ、もともとその日記の解読に関わっていたのは、僕よりも20歳くらい若い人たちを中心にしたメンバーで、Fさんも、そのメンバーのひとりである。僕は最後の最後に、ちょこっとだけお手伝いしたにすぎない。だから、そのメンバーとも面識がなかった。

日記の解読の成果は、7月に本となって出版された。その出版記念のパーティーで、はじめて日記解読メンバーのみなさんと対面した。Fさんともその時にお会いしたのである。

そこで初めて知ったのだが、その解読メンバーの若者たちにとって、僕はなぜか「救世主」みたいに思われていた。最後の最後に、難しい日記の解読に解決策を与えてくれた人、みたいな位置づけのようなのである。たとえて言うなら、「ウルトラの父」みたいな感じ?

僕はそんな実感が全然ないんだが、まあ年齢もけっこう上だということもあり、その若者たちからすれば、そんなふうに映っているのだろう。つまり、彼らからすれば僕は、「ちゃんとした先生」ということらしいのだ。

「Fさん、どうしてここに?」

「私、毎週水曜日は、非常勤職員としてここで働いているんです」

「そうだったんですか…」

「まさか鬼瓦先生がいらっしゃるとは!びっくりしました」

「ええ、私もびっくりしました」

「今日はお休みですか?」

「ええ、まあ」

娘を抱っこひもに装着して来ているのだから、さすがに仕事で来ているようには見えないだろう。

「わざわざ来ていただけるなんて、光栄です」

「いえ、近所だし、見たいと思っていた展覧会だったもので…」

興奮したFさんはほかの職員さんたちに、僕の素性について説明した。

「みなさん、鬼瓦先生ですよ!かくかくしかじかの、鬼瓦先生」

「まあ、そうでしたか」「それはわざわざ、ありがとうございます」

うーむ。こまった。

こっちは、誰も知り合いがいないと思って、ひげも剃らずに、髪の毛も寝癖がついたままで、ノヅラで来ちゃったんだ。

着ている服も、とりあえず手近にあったものを羽織ってきただけなのだ。

「着ていれば服に見えるが、道に落ちてればボロ布」みたいな服である。

急に恥ずかしくなり、汗がとまらなくなってしまった。

一通り展示を見終わってから、再び受付のところに戻る。

今回この展覧会に訪れた目的の1つは、カタログを入手することにあった。僕自身もほしかったのだが、同業の友人に、1冊買ってくるようにと頼まれたのである。

カタログを買おうとすると、

「荷物になりますけれど、もしよろしければこれをお持ちください」

と、なんとカタログをいただいてしまった。

「よろしいんですか?」

「どうぞ」

「ありがとうございます。…実は、友人に買ってくるように頼まれまして、そちらのほうは1冊買わせていただきます」

「それならばもう1冊お持ちください」

「いいんですか!!??」

「どうぞ」

なんと、友人の分まで2冊もいただいてしまった。

「今日は来ていただき、ありがとうございました」

「こちらこそありがとうございました。みなさんによろしくお伝えください」

うーむ。返す返すも、ノヅラで来てしまったのが悔やまれる。

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白衣がキツい

11月5日(月)

またまた旅の空です!

前日の講演会の後、そのまま品川駅から西に向かう新幹線に新幹線に乗り、私鉄に乗り継いで、3時間ほどかけてこの町にやって来た。

毎年、定期的にやっているお仕事で、この町に来るのは7月末以来である。

この仕事に必要なのは、白衣とマスク。

白衣とマスクは、絶対に忘れてはいけない。

前回の7月末の時も白衣とマスクを持ってきたし、もちろん、今回も白衣とマスクを持ってきた。

今日、用務先に着いて、背広のジャケットを脱いで、家から持ってきた白衣を着てみたところ……、

あれ?おかしいな。

ボタンが締まらないぞ!

7月末に着た時は、フツーに着られたのに。

無理やりボタンを締めたところ、なんとかボタンが締まった。

だが、ボタンを2つ締めたところで、限界である。

残りのボタンが締まらない。

仕方がないので、残りのボタンを締めるのを諦めて、白衣のボタンを2つだけ締めた状態で仕事をすることにした。

もう、キッツキツである。

たぶん他の人が見たら、

「おまえ、白衣がピッチピチじゃないか!」

と、イッパツでバレそうだな。

ちょっと油断すると、締めたボタンがパチンと吹っ飛びそうだ。

中国の気功の名人みたいに、なんとかボタンが吹っ飛ばないように気をつけた。

今日の作業はそれほどでもなかったのだが、問題は明日である。

明日の作業は、かなりアグレッシブな作業となるので、ボタンが吹き飛ばないように注意しないといけない。…というより、痩せろってことだな!

白衣が着られなくなったら、もうおしまいだ。

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酷暑のせいじゃありませんでした

11月4日(日)

ラジオの友は真の友。

「問わず語りの権之丞」、はじまりでございま~す。

はい、あらためましてこんばんは。講談師の鬼瓦権之丞です。そして目の前にいるのは、笑い屋のシゲフジ君ということでね。

このキャラクターが出てきたってことは???

そう!最初から最後まで愚痴を言うってことですよ!

昨日の「文化の日の講演会」をお読みになった読者の方。

「鬼瓦、ナニ調子乗ってんだよ!」

「ちょっとばかりお客さんが入ったからっていい気になってるんじゃねえよ!」

「なんか自分をいいように書いてんじゃん、バッカじゃねえの」

と思っていると思います。

ご安心ください。昨日のはフリですから。

(シゲフジ君の笑い声)

いえ今日はね、「2日連続講演会」の2日目でして、会場は都内だったんですよ。50人くらい入る会議室みたいな部屋をおさえていただきましてね。

このブログを長く読んでる方は覚えているかも知れませんけれど、もともと9月の初旬にやる予定だった講演会が、今日まで延びましてね

「9月の初旬だと、酷暑で人が集まらない」というのが理由だそうで、「再募集するので、延期させてください」といわれたんです。で、今日になった。

で、フタを開けみたら、受講者が4人だったという…。

(シゲフジ君の笑い声)

酷暑関係ないじゃん!!!

(シゲフジ君の笑い声)

なんなら酷暑の時期の方がまだ人が集まったんじゃねえか???ほかのイベントが少ないから

(シゲフジ君の笑い声)

もともと人が集まらない企画だったことに気づけよ!ってことですよ!

(シゲフジ君の笑い声)

これがジュリー(沢田研二)のコンサートだったら、すぐにドタキャンですよ!というか、ジュリーが言う前に主催者側でドタキャンを決定するレベルですよ!

(シゲフジ君の笑い声)

いや、ちょ、ちょっと待ってください。正確に言うと、最初は6人いたんです。

それが講演開始早々、2人帰ったっていう…。

(シゲフジ君の笑い声)

気ィ悪いわ!

(シゲフジ君の笑い声)

6人しかいない状況で、よく退出できるよな!

(シゲフジ君の笑い声)

というか、6人しかいないから、気まずくなって退出したのか???

もうさ、4人しかいないんだったら、わざわざ会場なんかおさえずに、喫茶店でやれよ!ってハナシですよ!!!!

(シゲフジ君の笑い声)

だって、水1杯も出ないんだぜ。

(シゲフジ君の笑い声)

だったら喫茶店でやった方がマシでしょう。

(シゲフジ君の笑い声)

講演が始まる前に、主催者のオジサンが司会をしたんだけど、

「先生、人数は少ないけど、手は抜かないでくださいね」ってみんなの前で言うんです。

抜かいでか!!!

…これ、大阪弁で「手を抜かずにやるのはあたりまえだろ!」って意味です。こんな大阪弁あるのかどうか知りませんけど。

(シゲフジ君の笑い声)

手なんか抜くわけないじゃないですか。だって、聴きに来てくれた人は、わざわざお金払って来てくれたわけだから。講演を聴きに来た人に罪はありませんよ。

ですからもちろん、2時間休みなく、みっちり喋ってやりましたよ

(シゲフジ君の笑い声)

なんなら、いつもより冗談を多めにして。

(シゲフジ君の笑い声)

でもすごいなあって思うのは、昨日の北関東県での講演会では、小さな田舎町だったにもかかわらず、150人も集まったんですよ。

それに対して人口1000万人の都内での講演会では、4人…。

なんなんだ、この落差は!

俺がどんだけ都会に認められてないかってことですよ!!!

(シゲフジ君の笑い声)

あ~あ。東京になんか戻ってくるんじゃなかったなあ。

(シゲフジ君の笑い声)

東京に俺の居場所なんかないんだよ。

(シゲフジ君の笑い声)

何日か前に、主催者のオジサンにメールしたんですよ。「講演会は何人くらい申し込みがあるんですか?」って、だって聞いておかないと、どのくらいに人数の人の前で喋るのか、シミュレーションができないでしょう。

そしたら、メールの返事が全くなかったんですよ。ダンマリを決め込んでました。

(シゲフジ君の笑い声)

たぶん、返事ができないほど、人が集まってないんだなあ、と、覚悟はしてましたけどね。まさか4人とはねえ…。

(シゲフジ君の笑い声)

主催者のオジサンもさすがに申し訳ないと思ったんでしょうね。「4人しか集められなくてすみません」と言ってきたので、

「いえ、大丈夫です。過去にお客さんが2人という例がありましたから」

と言ってやりました。なんの慰めにもなってませんけどね。

(シゲフジ君の笑い声)

おかげさまで講演会は無事に終わったんですが、主催者のオジサンは最後まで気にしていたみたいで、

「たぶん企画がマズかったと思うので、今度は別の企画でお願いします」

と言ってきたんですが、

「いえ、もっと人気(にんき)のある人に依頼したほうがいいと思いますよ

と言って、逃げるようにして会場をあとにしました。

(シゲフジ君の笑い声)

今日も無事じゃなく終わりましたけれどね。

(シゲフジ君の笑い声)

番組ではみなさまからのメッセージをお待ちしております。お相手は、鬼瓦権之丞でした。ではまたごきげんよう。ありがとうございま~す。

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文化の日の講演会

11月3日(土)

僕が降り立った、民営鉄道のY駅は、とても小さな駅である。

町自体もとてもこぢんまりしていて、じつにのどかな雰囲気の、ゆったりとした時間が流れる感じの町である。

「はじめまして、Tと申します」

「鬼瓦です。今日はよろしくお願いいたします」

車で迎えに来てくれたTさんは、今回の講演会の主催者のお一人で、僕とはまったくの初対面である。

講演の依頼も、その後の段取りも、すべてメール、しかも仲介者によるメールで行われていて、今日、現地で初めて、主催者の方とお会いしたのである。

Tさんは、僕と同じくらいの年齢の方だろうか。ちょっと恐い人かなあと思ったら、ぜんぜんそんなことはなく、飄々としたおもしろい方だった。なにより「座持ちの悪い」僕にとって、座持ちのいいTさんは、とてもありがたかった。

「昼食まで時間があるので、このあたりをご案内しましょう」

Tさんに車で町を案内いただいた後、町の中にある「記念館」と称する施設に到着した。

するとそこに、地元のM先生がいらしていた。

「ご無沙汰しております」

M先生は、たいへんな人格者で、僕自身も何度もお世話になっていた。今回の講演会に僕を推薦してくれたのも、M先生だった。初めてお目にかかったのはおそらく20年ほど前だが、その後M先生は定年退職され、いまは古稀を越えるお歳になっている。だがいまもなお、地元のために働いておられる。

「今日は楽しみにしていますよ」

「はあ、恐縮です」

地元で何十年も研究されているM先生の前で講演する、というのは、かなり緊張する。ヘタなことは喋れない。

M先生と一緒にその場所をまわりながら、久しぶりにいろいろとお話しをした。

「そろそろ、お昼の時間ですので」とTさん。「鬼瓦先生を昼食にお連れしますので」

「もうそんな時間ですか」M先生は、話し足りないようだった。「では鬼瓦さん、講演会場でお会いしましょう」

「のちほどお目にかかります」

僕はTさんの車に乗り込んで、食堂に向かった。

「M先生、とてもうれしそうでしたね」とTさん。

「ええ、僕もM先生に久しぶりにお会いできて、うれしかったですよ」

「M先生も、鬼瓦先生にお会いして、うれしかったんでしょうね。なんか、いろんな話をしたがってましたね」

「そのようでした」

「ちょっと途中でお話しを切り上げてしまったのは、申し訳なかったんですけれど、あのままお話しが続くと、昼食の時間がなくなってしまうと思ったものですから」

「また講演会の後にでもお話しできるでしょう」

昼食が終わり、講演会場に向かう。

講演会場は、地元の公民館の「小ホール」という部屋だった。

講演の30分前だというのに、すでにお客さんがかなり入っている。

控え室で講演の「直前のおさらい」をしようとすると、この講演会に向けて僕とメールのやりとりをしてきたWさんがやってきた。Wさんもまた、初対面である。

Wさんとのお話が思いのほか盛り上がってしまい、気がついたら講演の始まる時間である。

結局、講演の「直前のおさらい」もほとんどできないまま、本番を迎えた。

例によって、与えられた1時間半をみっちりと喋り、あっという間に終わってしまった。

講演会が終わると、例によって放心状態である。

「ありがとうございました」

「どうも、おそまつさまでした」

「いやあ、おかげさまで盛況でした」

「そうですか」

「今日は文化の日でしょう。あちこちでいろんなイベントをやってるから、どれくらい来てくれるのか心配だったんですけど、ざっと150人くらいは来てくれたようです」

「そうですか」

「椅子が足りなくなって、追加したくらいでしたから」

よかったよかった。でもこれは僕に集客力があったからではない。天気がとてもよかったからである。抜けるような青空のおかげなのだ。

ひとまず、主催者に恥をかかせなくてすんだと、安堵した。

終わってから、M先生がやって来た。

そこでまた、ひとしきりお話しをした。

「ぜひまたこちらにおいでください」

「はい、またお目にかかります」

M先生と別れた後、主催者のTさんの車に乗りこんだ。Tさんが「新幹線のとまる駅」まで車で送ってくれるという。

車中は、座持ちのいいTさんのおかげで、話題が途切れることがなかった。

「ちょっと寄り道しましょう」

ひとりではなかなか行けないような名所に何カ所か寄り道して、駅に着いたのが4時40分。

ちょうど僕が、午前10時40分に民営鉄道のY駅に降り立ってから、6時間が経っていた。

「今日はどうもありがとうございました。鬼瓦先生のおかげで、盛況な会になりました」

「こちらこそありがとうございました。呼んでいただいて、私もとてもうれしかったです」

「今後ともよろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

帰りは新幹線ではなく、在来線で帰った。

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乗り鉄ではなく、乗り慣れない鉄

11月3日(土)

「2日連続講演会」の、第1日目。

今日は、「北関東県」での講演会である。

北関東県って言ったって、3つくらい候補があるじゃん。どこだよ?!

パスポートが必要な県です!

…いや、いままでぜんぜん知らなかったんだけど、インターネット上では、この県に行くにはパスポートが必要だというネタが広まっていることを、今回初めて知った。

もちろん、パスポートは必要ありませんよ。

考えてみれば、この県で講演をするのは、初めてのことである。

同じ関東にいながらも、めったに行くことのない県なので、どうやって行くのが効率的なのかがよくわからない。

通常なら、(ここから、駅の固有名詞がバンバン出てきますよ!)新宿駅とか東京駅に出て、そこから北関東県に向かう電車に乗ればよい。

ただ、在来線で行くか、新幹線に乗るか、微妙な距離である。

乗り換えアプリで調べてみると、いろいろな行き方が出てくる。

その中で僕が選んだのは、新宿駅や東京駅に出るルートではなく、いったん西国分寺駅に行って、そこから武蔵野線に乗って南浦和駅、そこで京浜東北線に乗り換えて大宮駅に出て、そこから在来線なり新幹線なりに乗る、というルートである。

そういえば、久しく武蔵野線に乗ってないなあ。10代のころはよく乗ったりしていたが、久しぶりに乗ってみるか。

ということで、西国分寺駅から武蔵野線に乗ることにしたのである。

そしたらあーた、武蔵野線って、けっこう混んでるのね。

子どものころの記憶だと、武蔵野線はいつ乗っても空いているという印象だったのだが、祝日の、しかも朝8時台だというのに、すげー混んでいる。

で、大宮に行くまでが、けっこう面倒くさいし、時間がかかる。

やっぱり乗り慣れないことはするもんじゃないな。

時間を読み違えてしまい、大宮駅に着いた時には、すでに新幹線を利用しなければ約束の時間に間に合わないことに気づいた。

さっそく、新幹線の切符を買おうと、新幹線改札口の前に行くと、窓口がすげー混んでいる。

北に向かう新幹線が全て通る駅だというのに、切符を買う窓口が3つしかないのだ。

窓口の横にある自販機は比較的空いていたので、自販機で切符を買うことにした。

そこで、何を勘違いしたのか、「乗車券はモバイルSuicaがあるから、特急券だけ買えばいいや」と、特急券だけ買ったのである!

で、自動改札のところでスマホをタッチして、特急券を挿入して新幹線改札を通ろうとすると、何度も改札を塞がれてしまう。

そうか!「モバイルSuica特急券」ではなく、たんなる「モバイルSuica」を乗車券代わりに使って新幹線の改札を通ることはできないのだ!

ということは、大宮駅までの運賃をいったん精算して、あらためて目的地までの乗車券を買わなければいけない。

ふたたび、新幹線切符の自販機に並んで、新幹線の乗車券を買おうとすると…。

今度は、モバイルSuicaによる運賃の精算が、自販機ではできないことに気づく。

自販機で精算できるのは、Suicaのカードのみなのだ。

…ということは、自販機ではなく、窓口で乗車券を買わなければならないってことか。

窓口のほうを見ると、人がすげー並んでいる。

しかし、仕方がないので並んだが、待てど暮らせど、列が進まない。

3つある窓口のうちの、3つともが、なにやらかなり時間がかかっているようなのである。

(切符買うだけなのに、何でこんなに時間がかかるんだ?)

だんだんイライラしてきた。

で、ようやく自分の番がまわってきたころには、目的の新幹線に乗るギリギリの時間だった。

なんとか新幹線に間に合ったが、もうこの時点でクタクタである。

予定では、新幹線の中で講演の最終準備をしようと思っていたのだが、クタクタでそれどころではない。

そうこうしているうちに、目的の駅に到着した。

そこから、民営鉄道に乗り換えて、20分ほどで、待ち合わせの駅に着いた。

「はじめまして」

小さな駅を降りると、今回の講演会の仕掛け人のTさんが迎えに来てくれていた。

(つづく)

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自分にとっての「すいか」

「このシナリオを書いたのは、十年前である。

(略)

けっして若くなく、書く仕事だけでは食べてゆけず、魚を売ったりコーヒー豆を売ったりするパートに出ていた。いつもお金はなく、名前も知られず、野望もなく、二人でしょーむない話をしてはゲラゲラ笑い、お金にならない話を考えては二人で褒めあい、本をよく読み、ビデオを観て、食べたいときに食べたい物を食べ、眠りたい時に眠っていた。私たちは、とっくに、こうあらねばならない、というものを捨てていた。フツーでないことに、少し焦りもしていた。でも、自分たちがおもしろいと思うものは、けっして手ばなさなかった。

『すいか』を読み返すと、その時の私たちの生活や考えていたことが立ち上ってくる。こんな台本、もう書けないと思う。ケンカっぱやくて、書くのが遅いのは昔のままだが、いまは木皿泉という名前が少し売れて、売れればその期待を背負わねばならず、『すいか』を書いていた時のように全てのものから解放されることはもうないだろう。

五二歳と四六歳の私たちに、コワイものなど何ひとつなかった。これは私たちの財産だ。何があっても、あそこに戻れば大丈夫と今も思っている。」

(木皿泉「文庫版あとがき」『すいか』河出文庫、2013年)

ドラマ「すいか」が放映されたのが2003年。

いま考えたら、よくもまあこんな地味なドラマが放送されたものだと思う。

アイドルとかイケメンとか、大きな芸能事務所の俳優とか、ぜんぜん出演していない。

強いて言えば小泉今日子ぐらいだが、完全に脇にまわっていた。

現在のドラマのセオリーからすれば、絶対に放送されないドラマである。

実際、視聴率もとても低かった。

しかし15年経ったいまも、DVDボックスとかシナリオ本が売れている。

もちろん僕も、このドラマを何度も見返し、シナリオ本を読み返したりしているのだが、僕にとっての愛着のある木皿泉の作品は、この「すいか」のみである。

その後、小説が本屋大賞にノミネートされたりして、木皿泉は有名になっていくが、話題になった小説を読んでも、僕はなんとなくしっくりこなかった。

「すいか」以上のものではないと、どうしても思ってしまうのだ。

文庫版のあとがきを読んで、その理由がわかる気がした。

何が言いたいのかというと、僕が最近書いた本のこと。

セオリーを無視して、自分がおもしろいと思ったことを手放さないような本を書きたいと思って書いた。

案の定、ぜんぜん売れないのだ。

それはぜんぜんかまわないのだが、売れなくても、自分にとっての「すいか」のような存在になればいいと思ってはいた。

しかしどうやら、それもおぼつかない。

「すいか」のような本が書けるようになるのは、まだまだ先ということか。

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問わず語りの松之丞

昨年の3月末の、日曜日の夜だったと思う。

車を運転しながらラジオを聞いていたら、…もちろんTBSラジオですよ!…いままで聴いたことのないようなラジオのパーソナリティーの語りが面白くて、つい引き込まれてしまった。

まだ番組の途中だったのに家に着いちゃったもんだから、家に帰ってからもラジオを付けて、その番組を聴き続けた。

こんなことって、あまりないことなんだけどね。

それが、神田松之丞の「問わず語りの松之丞」という番組だった。

ちょうど、第1回、というか、パイロット版みたいな放送を、たまたまナマで聴いていたのだ。

つまり松之丞が初めてラジオに出たときの瞬間を、リアルタイムで聴いていたということになる。

で、このときの直感って、すごいもんだねえ。その後、神田松之丞はすげー売れて、いまや講談界の風雲児なんて呼ばれちゃった。

そういう意味で言えば、神田松之丞を見いだしたのは、俺ですからね!

まあ冗談はさておき。

このブログでも何度か、ラジオ番組「問わず語りも松之丞」のパロディー風の記事を書きましたけどね。

松之丞が面白い、なんてことを言ったら、義妹がどっぷりハマってしまいましてね。

先日、「『ペンプラス』をすでに買いましたんで、買わなくてもいいです」と言われたんですが、何のこっちゃわからない。

で、聞いてみると、『ペンプラス』という雑誌の最新号が、「完全保存版 1冊まるごと、神田松之丞」という特集だというんです。

いやいやいや、『ペンプラス』という雑誌名も初めて聞いたし、神田松之丞に対しては、ラジオは好きだが、そこまで思い入れがあるわけじゃないよ、こっちは。

…と思いながらも、その雑誌を借りて読んでみました。

すると文字通り、1冊まるごと、神田松之丞の特集です。

もうドン引きするぐらいの、これでもかという特集記事。

さすがの熱烈な松之丞ファンの義妹も途中で読むのをやめてしまったようです。

さてこの特集の中で、個人的にいちばん興味深かったのは、伊集院光との対談でした。

神田松之丞のラジオを聴けばわかるように、彼は明らかに伊集院光の影響を受けています。

で、まあそのあたりの関係性を念頭に置きながら読むと、これがなかなか興味深かった。

たとえば、自分に置き換えてみると。

自分と同じようなテイストの後輩があらわれて、しかも自分よりも進化している場合、自分はこれからどうしていけばよいのか?

そんなことを考えさせられる対談でありました。

内容はその雑誌を読んでもらうとして、僕がいちばん印象深かったのは、インタビュー記事のいちばん最後で伊集院光が語っていたことです。

「最後に大先輩としてアドバイスをいただけるとうれしいのですが」という松之丞の問いかけに、こんなことを言ってました。

「迷ったらしゃべることかな。それも全部。最近、師匠が弟子をとる意味がやっとわかったんだよ。師匠は弟子に言うことで確認してるの。先輩と後輩もそう。だから今日話したことは、自分に言いきかせてる(後略)」

これってむかし、「ダウンタウンDX」で、上岡龍太郎がダウンタウンに言ってたことと、まったく同じことだってことに気づいたんです。

「弟子はとった方がええで。自分に返ってくるから。弟子に言うことで、自分に言いきかせることができる」

みたいなことを言っていた(前に、ブログのどっかに書いたと思うんだが、見つからない…)。

僕が教員稼業をしていたとき、やっぱり同じ境地に至ったことがあるんですよ。学生に言ったことは、全部自分にはね返ってくるって。

たとえば、あまりにも他人と比較しようとして落ち込んでしまう学生がいたときに、

「他人と比較したって何の意味もないよ。自分は自分なりのやり方があるんだからさ」

とかなんとかアドバイスしていたのだが、それはそのまま自分にもあてはまることだったり。

だから当時は、学生に話すことで、自分に言いきかせていたんですね。

ところがいまはどうだろう。

語るべき学生がいなくなってしまったので、自分に言いきかせる機会が、すっかりなくなってしまいました。

何が寂しいかと言えば、いまはそれが寂しいね。

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