シュガー・ベイブの血
寺尾紗穂さん、という名前を知ったのは、大林宣彦監督の映画『転校生 さよならあなた』のエンディング曲「さよならの歌」を聴いた時がはじめてである。
歌い方が大貫妙子に似ているなあ、と思っていたら、何かのレビューに「声が大貫妙子、歌い方が吉田美奈子、ピアノが矢野顕子」と書いてあって、なるほどなあと思った。
大貫妙子、吉田美奈子、矢野顕子は、いずれも僕が10代の時にかなり熱心に聴いていたミュージシャンで、言ってみれば体に染みついているのだ。
寺尾さんの歌を、世代が違うにもかかわらず違和感なく聴くことができたのも、そのせいなのだろう。
今年の夏、僕はある本に短い文章を寄せたのだが、同じ本に寺尾さんも文章を寄せていた。後で知ったのだが、寺尾さんはノンフィクション作家としてすでに何冊も本を出しているという。
その本に寄せている文章がとてもいい文章で、同じ本の中で並べられると、僕の文章の稚拙さばかりが目立って、恥ずかしくなってしまった。
「同じ本の中で文章を並べられた俺は、たまったもんじゃないなあ」
と落ち込んだのである。
寺尾さんはいわゆる「南洋諸島」に関するルポルタージュの本を2冊出している。いずれも文章がとてもよく、「味読」というにふさわしい読み方ができるのだが、そのうちの1冊『あのころのパラオをさがして』の帯に、ある社会学者がこんなコメントを寄せている。
「著者は、大きなものと小さなものとを区別しない、文学と音楽を区別しないのと同じように」
なるほど、たしかに、音楽と文学の垣根をポンッと跳び越えながら、それぞれの表現手段を追求しているように思える。だから音楽も文章も心地よいのだろう。
つい最近、大竹まことのラジオに寺尾さんがゲスト出演していて、それを聴いて初めて知ったのだが、寺尾さんのお父さんは、寺尾次郎さんといって、むかしシュガー・ベイブというバンドに属していて、その後、バンド活動をやめて、フランス映画の字幕翻訳家として活躍されたのだという。ゴダールの映画の字幕なんかをつけていたっていうから、僕が若いころ背伸びをして見ていたゴダールの映画の字幕は、寺尾次郎さんによるものかも知れない。
シュガー・ベイブといったら、山下達郎や大貫妙子がいたバンドである。
寺尾さんの歌が、大貫妙子の雰囲気に似ているとさきに書いたが、その大貫妙子が所属していたシュガー・ベイブに、お父さんも所属していた、というのは、何か因縁めいたものを感じずにはいられない。
ラジオ番組の中で大竹まことが、お父さんのめざしていた方向性と、近いものがありますね、みたいなことを言っていた。たしかに、音楽と文筆の2つの世界に身を投じていた父親と、生きる姿勢みたいなものが同じように思えた。
しかしここで不思議なのは、寺尾紗穂さんとお父さんの次郎さんとは、30年の間、実はほとんど交流がなかったということである。このあたりの話は、おそらく最新刊のエッセイ集『彗星の孤独』に書いてあるのかも知れないので、まずはこれを読まなければならない。
父親の影響を直接に受けたわけでもないのに、結果的に、父親と同じような方向性の生き方をするようになる、というのは、いったいどういうメカニズムなのだろう。「血」とか「DNA」といってしまえばそれまでなのだが、なるべくならそういう理屈で考えたくはない。
ちなみに寺尾さんとは、今年出した本の中だけのご縁で、お会いしたことはなく、今後もお会いする可能性は低い。ただひとつ望みをいうならば、今後は同じ本の中で文章を並べられたくない。僕の文章の稚拙さが目立つから(笑)
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