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自分にとっての「すいか」

「このシナリオを書いたのは、十年前である。

(略)

けっして若くなく、書く仕事だけでは食べてゆけず、魚を売ったりコーヒー豆を売ったりするパートに出ていた。いつもお金はなく、名前も知られず、野望もなく、二人でしょーむない話をしてはゲラゲラ笑い、お金にならない話を考えては二人で褒めあい、本をよく読み、ビデオを観て、食べたいときに食べたい物を食べ、眠りたい時に眠っていた。私たちは、とっくに、こうあらねばならない、というものを捨てていた。フツーでないことに、少し焦りもしていた。でも、自分たちがおもしろいと思うものは、けっして手ばなさなかった。

『すいか』を読み返すと、その時の私たちの生活や考えていたことが立ち上ってくる。こんな台本、もう書けないと思う。ケンカっぱやくて、書くのが遅いのは昔のままだが、いまは木皿泉という名前が少し売れて、売れればその期待を背負わねばならず、『すいか』を書いていた時のように全てのものから解放されることはもうないだろう。

五二歳と四六歳の私たちに、コワイものなど何ひとつなかった。これは私たちの財産だ。何があっても、あそこに戻れば大丈夫と今も思っている。」

(木皿泉「文庫版あとがき」『すいか』河出文庫、2013年)

ドラマ「すいか」が放映されたのが2003年。

いま考えたら、よくもまあこんな地味なドラマが放送されたものだと思う。

アイドルとかイケメンとか、大きな芸能事務所の俳優とか、ぜんぜん出演していない。

強いて言えば小泉今日子ぐらいだが、完全に脇にまわっていた。

現在のドラマのセオリーからすれば、絶対に放送されないドラマである。

実際、視聴率もとても低かった。

しかし15年経ったいまも、DVDボックスとかシナリオ本が売れている。

もちろん僕も、このドラマを何度も見返し、シナリオ本を読み返したりしているのだが、僕にとっての愛着のある木皿泉の作品は、この「すいか」のみである。

その後、小説が本屋大賞にノミネートされたりして、木皿泉は有名になっていくが、話題になった小説を読んでも、僕はなんとなくしっくりこなかった。

「すいか」以上のものではないと、どうしても思ってしまうのだ。

文庫版のあとがきを読んで、その理由がわかる気がした。

何が言いたいのかというと、僕が最近書いた本のこと。

セオリーを無視して、自分がおもしろいと思ったことを手放さないような本を書きたいと思って書いた。

案の定、ぜんぜん売れないのだ。

それはぜんぜんかまわないのだが、売れなくても、自分にとっての「すいか」のような存在になればいいと思ってはいた。

しかしどうやら、それもおぼつかない。

「すいか」のような本が書けるようになるのは、まだまだ先ということか。

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