文化の日の講演会
11月3日(土)
僕が降り立った、民営鉄道のY駅は、とても小さな駅である。
町自体もとてもこぢんまりしていて、じつにのどかな雰囲気の、ゆったりとした時間が流れる感じの町である。
「はじめまして、Tと申します」
「鬼瓦です。今日はよろしくお願いいたします」
車で迎えに来てくれたTさんは、今回の講演会の主催者のお一人で、僕とはまったくの初対面である。
講演の依頼も、その後の段取りも、すべてメール、しかも仲介者によるメールで行われていて、今日、現地で初めて、主催者の方とお会いしたのである。
Tさんは、僕と同じくらいの年齢の方だろうか。ちょっと恐い人かなあと思ったら、ぜんぜんそんなことはなく、飄々としたおもしろい方だった。なにより「座持ちの悪い」僕にとって、座持ちのいいTさんは、とてもありがたかった。
「昼食まで時間があるので、このあたりをご案内しましょう」
Tさんに車で町を案内いただいた後、町の中にある「記念館」と称する施設に到着した。
するとそこに、地元のM先生がいらしていた。
「ご無沙汰しております」
M先生は、たいへんな人格者で、僕自身も何度もお世話になっていた。今回の講演会に僕を推薦してくれたのも、M先生だった。初めてお目にかかったのはおそらく20年ほど前だが、その後M先生は定年退職され、いまは古稀を越えるお歳になっている。だがいまもなお、地元のために働いておられる。
「今日は楽しみにしていますよ」
「はあ、恐縮です」
地元で何十年も研究されているM先生の前で講演する、というのは、かなり緊張する。ヘタなことは喋れない。
M先生と一緒にその場所をまわりながら、久しぶりにいろいろとお話しをした。
「そろそろ、お昼の時間ですので」とTさん。「鬼瓦先生を昼食にお連れしますので」
「もうそんな時間ですか」M先生は、話し足りないようだった。「では鬼瓦さん、講演会場でお会いしましょう」
「のちほどお目にかかります」
僕はTさんの車に乗り込んで、食堂に向かった。
「M先生、とてもうれしそうでしたね」とTさん。
「ええ、僕もM先生に久しぶりにお会いできて、うれしかったですよ」
「M先生も、鬼瓦先生にお会いして、うれしかったんでしょうね。なんか、いろんな話をしたがってましたね」
「そのようでした」
「ちょっと途中でお話しを切り上げてしまったのは、申し訳なかったんですけれど、あのままお話しが続くと、昼食の時間がなくなってしまうと思ったものですから」
「また講演会の後にでもお話しできるでしょう」
昼食が終わり、講演会場に向かう。
講演会場は、地元の公民館の「小ホール」という部屋だった。
講演の30分前だというのに、すでにお客さんがかなり入っている。
控え室で講演の「直前のおさらい」をしようとすると、この講演会に向けて僕とメールのやりとりをしてきたWさんがやってきた。Wさんもまた、初対面である。
Wさんとのお話が思いのほか盛り上がってしまい、気がついたら講演の始まる時間である。
結局、講演の「直前のおさらい」もほとんどできないまま、本番を迎えた。
例によって、与えられた1時間半をみっちりと喋り、あっという間に終わってしまった。
講演会が終わると、例によって放心状態である。
「ありがとうございました」
「どうも、おそまつさまでした」
「いやあ、おかげさまで盛況でした」
「そうですか」
「今日は文化の日でしょう。あちこちでいろんなイベントをやってるから、どれくらい来てくれるのか心配だったんですけど、ざっと150人くらいは来てくれたようです」
「そうですか」
「椅子が足りなくなって、追加したくらいでしたから」
よかったよかった。でもこれは僕に集客力があったからではない。天気がとてもよかったからである。抜けるような青空のおかげなのだ。
ひとまず、主催者に恥をかかせなくてすんだと、安堵した。
終わってから、M先生がやって来た。
そこでまた、ひとしきりお話しをした。
「ぜひまたこちらにおいでください」
「はい、またお目にかかります」
M先生と別れた後、主催者のTさんの車に乗りこんだ。Tさんが「新幹線のとまる駅」まで車で送ってくれるという。
車中は、座持ちのいいTさんのおかげで、話題が途切れることがなかった。
「ちょっと寄り道しましょう」
ひとりではなかなか行けないような名所に何カ所か寄り道して、駅に着いたのが4時40分。
ちょうど僕が、午前10時40分に民営鉄道のY駅に降り立ってから、6時間が経っていた。
「今日はどうもありがとうございました。鬼瓦先生のおかげで、盛況な会になりました」
「こちらこそありがとうございました。呼んでいただいて、私もとてもうれしかったです」
「今後ともよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
帰りは新幹線ではなく、在来線で帰った。
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