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2019年1月

疲労の限界

1月30日(水)

相変わらず忙しい。

今日は朝から、職場で「新装開店」に向けての飾り付け作業をおこなう。

それが午後3時過ぎまで続き、4時からは、韓国のチェ先生による「プレゼン行事」である。

いちおう僕が受け入れ担当者なので、僕が司会進行をつとめ、通訳は韓国語の堪能な同僚にお願いした。

「鬼瓦さんがやればいいじゃないですか」

「でも専門が違うから、専門用語とかがわかんないんですよ」

日常会話ならともかく、ちゃんとしたプレゼン行事なので、いい加減な通訳はできないと思ったのである。

通訳をやらなくて正解だった。チェ先生はとても早口で、しかも専門用語が多用されていたので、僕が通訳をしたら、不正確のまま伝わってしまっただろう。

プレゼン行事は、思っていたよりも多くの人が集まり、予定の終了時間を過ぎても議論は尽きず、18時30分に終わった。

そのあとは、簡単な打ち上げである。

チェ先生が職場に滞在するのはこれが最後の日である。明日から1泊2日で、先週と同じようにある場所に巡検に行くことになっており、例によって僕が引率者である。で、チェ先生は日曜日に帰国する。あっという間の2週間である。

打ち上げに集まったのは、チェ先生と、もう一人、一昨日に韓国から来たイ先生、さらに韓国語が堪能な同僚と、僕である。

当然、会話はすべて韓国語である。もっぱら、僕を除く3人が早口で会話していた。

明日、チェ先生を巡検に連れていくんですよ、というと、韓国語が堪能な同僚に、

「恥ずかしがらずにちゃんと通訳してあげてくださいよ」

と釘を刺されてしまった。

どうやら僕は、通訳するのが恥ずかしいから、今日のプレゼン行事の通訳を韓国語の堪能な同僚にお願いしたと、思われているらしい。

僕自身が韓国語が下手なことは、自分でよく知ってるし、下手を承知で、韓国人とはめげることなく韓国語でコミュニケーションをとっているつもりである。

それでも僕は恥ずかしがって通訳を避けていると思われているのだろう

ま、べつにいいんだけどね。

明日からまた、気の抜けない旅が続く。

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師弟トライアングル

1月28日(月)

午前中、職場の仕事を終えて、午後、都内に向かう。数か月に一度の会議である。

この会議は、毎回気が重い。僕がいままで生きてきた中でいちばん恐いと思っている先生が、大ボスだからである。僕らに要求する水準も、きわめて高いのだ。僕はそれに応えられないことが多く、いつも会議が終わったあとは落ち込むのである。

この会議のメンバーは、大ボスの他に、僕と同じ世代の人が2人いて、つまり僕を含めると合計4人である(このほかに、事務スタッフ2名が加わる)。

僕以外の2人は、大ボスの正真正銘のお弟子さん。それに対して僕は、いわば外野である。

たとえて言えば、そうねえ。大ボスが談志だとしたら、二人は談春と志らく。で、僕は春風亭昇太、みたいな感じである。

大ボス(談志)とその二人との師弟関係は、僕なんぞが全然入り込めないほど濃密である。僕は同じ一門ではないのでお客さん扱いで、談志も志らくも談春も、何となく僕に気を遣っている(ように思える)。

2時間半の会議が終わり、会議のあとは、いつもの場所で懇親会である。

ここからが長い。いつもたいてい3時間ほど続く。

会議に引き続き、談志師匠の独壇場である。

その博覧強記ぶりには圧倒されるばかりで、僕なんかが口を挟むことなんぞできやしない。ただひたすら、談志師匠の、ときおり毒舌の混じったマニアックな話題を聞き入るばかりである。

他の2人も、基本的には師匠の話を聞くばかりで、よけいな口は挟まない。ときおり絶妙のタイミングで相づちや突っ込みを入れる。師弟の間で長年かかって培ってきたリズムなのだろう。ぼくには絶対にまねできないことである。

このやりとりを見ればわかる。3人の師弟関係は、容易なことでは崩れない強固な関係なのだと。

こうやって書いてみると、3人の関係を、談志と談春と志らくの関係にあてはめるのは、我ながらまことにぴったりである。

師匠の談志は、業界の異端児。驚異の博覧強記と実力に裏打ちされた毒舌家。敵も多い。

談春は、師匠の教えを守り、堅実にそれを受け継いでいる。

志らくは、談志にとってマスコット的存在。

このトライアングルは、最強だな。僕なんぞ、1ミリも入る隙がない。だから黙っているよりほかないのだ。

談志師匠は、この2人を前にして四方山話をするのが楽しくて仕方がない、というのがよくわかる。2人も、師匠を心から尊敬している。

僕の役割は、できるだけ3人の邪魔にならないこと、足を引っ張らないことである。それができれば十分である。

…と、俺こと昇太は思うのであります。

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なぜか5時間

1月27日(日)

今日は久しぶりのお休み。

…と思いきや、さにあらず。今日の午後は「実家のある市」で仕事なのだ。

3年くらい前から「実家のある市」の、あるプロジェクトをお手伝いしているのだが、その第1弾がいよいよ大詰めである。

ところがここへきて、「絶対の締切」とされている3月納品に間に合うかどうか、かなり微妙な情勢になってきた。

そこで急遽、事務局に缶詰になって、事務局の人と膝をつきあわせて、追い込みの作業をすることになったのである。

午後1時半から6時半過ぎまで、まったく休むことなく5時間ぶっ続けで作業をおこなった。

体力は使わないのだが、集中力を必要とするので、かなり消耗する。そのうち体が悲鳴を上げるぞ。

5時間缶詰、ということで思い出したが、昨日の出張先でも、5時間の作業だった。しかも、移動時間は片道5時間。

というか、今週は3回、新幹線出張したのだが、いずれも片道5時間であった。

どうも5時間というものに縁がある。

5時間の移動時間に耐えたり、5時間の缶詰作業に耐えたり、つまりは5時間が僕にとっての修行(苦行)の時間なのである。

明日の午後も、都内で別のプロジェクトの長時間缶詰会議である。いっこうに休める気配がない。

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今度は西へ

1月26日(土)

昨日の夜に、雪国から戻ってきたのだが、今日は朝6時に家を出て、西に向かう。今週3回目の新幹線出張である。

今日の用務先は、「万博が行われた都市」にある私立大学である。例の「マニアonマニア」の会合なのである。

新幹線と地下鉄、私鉄電車を乗り継いで、11時までに行かなければならないのだが、なにしろ初めて行く大学なので、そこがどんな場所なのか、わからない。

その大学の目の前に、私鉄電車の駅があり、駅名にもその大学の略称が使われているので、とにかくその駅をめざせばよいのだ。

で、駅を降りたら、はたしてその大学の門があった。

大学の門の前に立ってみて、ビックリした。

見上げるような丘の上に、大学の建物が見える。門を入ってすぐに、丘の上に続く階段があるのがわかった。

(ここを登るのか…)

俺がこの大学の学生だったら、階段をのぼるのがイヤだという理由で、大学に通わなくなるだろうな…。

…と思っていたら、よく見ると横にエスカレーターがあり、ホッとした。

エスカレーターで丘の上までのぼり、ようやく大学の建物が見えてきた。

(それにしても、広いキャンパスだな…)

大学構内図の看板があったので、目的の建物を探す。

(なるほど、…目的の建物は、円筒形なのだな)

円筒形の建物をめざして、歩くことにした。

しかし、複雑なキャンパスである。

キャンパスのある丘は、実際にはいくつかの谷が入り込んでいるように見える。つまり、高低差が激しいのである。まさに、「山あり谷あり」のコースである。

そのせいか、谷を渡るための橋がいくつか造られていた。

大学構内図に書かれている方向の通りに歩いて行くのだが、自分が歩いている方向が正しいのかどうかもわからず、円筒形の建物がなかなか見つからない。

急に不安になってきた。

近くに学生がひとりいたので、道を聞くことにした。

「あのう、すみません。円筒形の建物はどこでしょうか?」

「円筒形の建物ですか?…あの坂を登ったところにあります」

えええぇぇぇっ!!また登るの???

ずいぶんと高低差の激しい大学である。

坂道を登り、ようやく、円筒形の建物が見えてきた。

…ということで、約束の11時前に、目的の用務先に無事に到着した。

そして用務先に5時間ほど滞在して、午後4時過ぎに大学を出た。帰宅したのは午後9時だった。

今日もまた、片道5時間移動であった。疲れた疲れた。

「あり得ない移動」は、こうしてひとまず終了した。

で、今日の用務先というのは…。

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連想ゲーム通訳

1月25日(金)

この2日間は通訳に徹したのだが、韓国語の力がかなり落ちたようで、なかなか言葉が出てこない。

現場の担当者の方は、実にわかりやすく説明してくれるのだが、それでも専門用語が多いこともあり、畑違いの僕には、かなり難儀した。

だが今回ショックだったのは、それよりも、簡単な単語すら、忘れてしまっていることであった。

「これは何ですか?」

と韓国のチェ先生が聞いてきたので、

「井戸です」

と答えようとしたのだが、その「井戸」という単語が出てこない。

(井戸…韓国語で何だったっけなあ…)

スマホの辞書アプリで調べればなんてことないのかも知れないが、そんなことをいちいちしていたら、とてもまどろっこしい。それに、辞書アプリにたよるのは癪である。

「えーっと、…ほら、水が上にあがってくる…」

「ああ、ウムルですね」

「そう!ウムル!」

そこでようやく、井戸が韓国語で「ウムル」であることを思い出した。

極めつけは、「昆布」を通訳しなければならなかったときである。

(「昆布」って韓国語で何だろうなあ。そもそも習ったことがないなあ…。そうだ!「海藻のひとつ」と訳せばいいや)

と思ったのだが、今度は「海藻」が出てこない。

(うーむ。「海藻」がわからないなあ。…そうだ!「ワカメ」なら習ったぞ!)

しかし、その「ワカメ」も、韓国語で何と言ったか、ど忘れしてしまった!

(うーむ。困った…そうだ!)

「えーっと、ほら、韓国で誕生日に飲むスープがあるでしょう」

「…ミヨックク」

「そう!ミヨックク」

ようやく思い出した。「ワカメスープ」は「ミヨックク」。「クク」はスープという意味なので、わかめは「ミヨッ」である。

「海の中にいるミヨッのようなものを、全体的な名称で何と言いますか?」

自分で言ってて、もはや何が言いたいのかわからない。

するとチェ先生がしばらく考えたあげく。

「ヘチョ(海藻)?」

「そう!ヘチョ!!!」

思い出した!「海藻」は「ヘチョ」だ!!!

「これはヘチョの一種です」

「……なるほど」

まるで連想ゲームである。ここまでしても、結局のところ「昆布」の説明にはたどり着いていないんだけどね。

それにしても、「昆布」を説明するのに、「誕生日に飲むスープ」から話をはじめるのは、連想ゲームにしたって、かなり無理があるよなあ。

これだったら、スマホの辞書アプリをフル活用すればよかった…。

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再び北へ

1月24日(木)

家を6時に出て、再び北へ向かう。1泊2日の旅である。

うちの職場に2週間ほど滞在する、韓国のチェ先生をお連れして、巡検である。チェ先生は30代半ばの女性で、日本語がほとんどわからない。

せっかくの機会なので、うちの職場にアルバイトに来ている大学院生のI君にも同行してもらうことにした。

新幹線で3時間45分ほどかかる、新幹線の終着駅まで行く。自宅からの時間を考えると、昨日に引き続き、片道5時間の旅である。

前回「あり得ない移動」と書いたのは、昨日の「特急のすれ違う駅」の町で仕事を終えたあと、いったん東京に戻り、翌日再び、北へ向かう新幹線に乗るという移動が、かなり無駄だという意味である。

しかし、韓国から来たお客さんに、「現地集合でお願いします」というわけにはいかないので、いったん東京に戻り、翌日朝、東京からお客さんをお連れすることにしたのである。

考えてみれば、3年ほど前のちょうど同じ頃に、やはり韓国からのお客さんを同じ場所にお連れしたのであった。

一般人としてインタビューされました

あのときもたしか雪が降っていたが、今回もまた、大雪である。

「こんなに雪が多くて寒い町だとは思いませんでした」とチェ先生。

「昨日までは降ってなかったんですけどねえ。今日になって突然積もりましてね」

と、現地でご案内いただいたIさんがおっしゃった。どうも僕は、雪男(雨男的な意味の)であるらしい。

午後、雪の中を3時間ほどIさんに懇切にご案内いただき、充実した巡検が終わった。

夕食は、せっかくなので、チェ先生にこの土地の郷土料理を食べてもらうことにした。

今回は、あいにく国営放送の取材が来ないので、粛々と食事が進んだのだが、「旧正月」にはじまるチェ先生のお話がなかなか面白かった。備忘録的に書いておくと、

・今年の旧正月は2月5日(火)。前後の1日もお休みになるから、旧正月のお休みは2月4日~6日。しかも2月2日と3日は土日なので、2月2日~6日まで5連休となる。

・旧正月は、嫁が大変である。夫の実家に行き、旧正月の間、家事をしなければならない。男性だけが祭祀を行い、女性は厨房にいて料理を作り続ける。

・とくに夫の実家がある慶尚道は、保守的な地域なので、いまだに「女は家事をすべきである」という意識が強い。

・自分の夫は、ふだん家事をしてくれるのだが、実家に帰ると、自分が家事をする。夫の両親が、「嫁が家事をすべきである」という強い社会通念を持っているからである。

・今年の旧正月は5連休で、夫の両親が海外旅行に出かけることになっているので、今年はそうした家事からは解放される。なので夫と二人でソウルに遊びに行くつもりだ。

・韓国にはクリスチャンが多いが、クリスチャンが必ずしも祖先祭祀にかかわらないとは限らない。クリスチャンでも、伝統的な祖先祭祀にかかわる人もいる。

…そこから、韓国のさまざまな風習に話がおよぶ。

・自分の業界には、新しい現場仕事を始める前に、開土祭というお祭りがある。そこでは、豚の頭を土地の神様に捧げる儀式があり、終わったあと、豚の頭を機会で潰して、薄切りにしてみんなで食べる。(これは僕も以前に聞いたことがある。参考:豚の頭はどこへ行った?

・もし開土祭をやらないと、些細なトラブルが起こったときに「開土祭をやらなかったからだ」と言われてしまうので、やることにしている。

・自分が担当しているいまの現場は、2014年にはじまり、ずっと継続しているのだが、2014年に開土祭をやったきりで、そのあとは何もしていない。最近になって些細がトラブルが起こると、「開土祭をやってからずいぶん立ってしまったから、土地の神が怒っているのだ」と言う人が増えてきたので、今年の4月頃にもう一度開土祭を行う予定である。

・開土祭をやるべきだと主張しているのは、職場の中でも、20代~30代の若い人が多い。意外と若い人が、そういう古い伝統にこだわっていたりする。

・あと、現場に果物の木がある時は、果物の木を切ってはいけないという風習がある。この風習はおそらく、この業界特有のものだろう。どうしても木を切らなければならない場合は、お酒を木の周りにまいてから伐木する。

…そこから、話題は「占いの館」に移る。

・韓国では、自分の名前が気に入らなかったりすると、改名することが多い。たとえば夫婦の名前の相性が悪かったりする場合、名前を変えたりする。あと、小さい頃に名前が理由でいじめられたりした場合も、改名することがある。改名の手続きは、比較的簡単である。

・韓国では、自分の名前が気に入らない人が多い。自分もそうだ。自分の名前は、あまりかわいい名前ではない。

・改名する時は、「占いの家」というところに行く。そこには、神様が憑依する人がいて、神のお告げによって、さまざまなことを予言したりする。

・自分もいちど、就職がうまくいかないときに、「占いの家」に行ったことがあるが、「今年中に決まるだろう」というお告げを受けて、本当にその年に就職が決まった。

・車を買ったとき、夫の両親が、「占いの家」から「符籍」(お札のようなもの)を買ってきて、それを燃やして灰にして、車の周りにまいた(…このあたり、ちゃんと聞き取れたか不安…)。自分はこの風習を知らなかったが、夫の両親がそれをしているのを見て初めて知った。

・占いに関しては、「占いの家」のほかに「哲学館」というものがある。「哲学館」というのは、四柱命理学に基づいて占うもので、神のお告げと言ったスピリチュアルなものではない。

・人によっては「占いの家」が好きな人もいるし、「哲学館」が好きな人もいる。

…とまあ、ざっとこんな感じの話題が続き、僕としてはとても面白かった。

専門分野の話よりも、こういう話の方がずっと面白い。

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強行軍

1月23日(水)

いよいよ「あり得ない移動」のはじまりはじまり~。

初日の今日は、「特急のすれ違う駅」の町まで日帰り出張である。

「特急のすれ違う駅」の町は、こう言ってはナンだが、陸の孤島である。

はたして、東京から日帰りなんて可能なのか?

通常だと、「いちばん速い新幹線」で、「県庁所在地の駅」まで行き、そこから在来線で南下する、というルートだが、これでは時間がかかる。

先方が提示してきた案は、まず新幹線で「いちばん速い新幹線」が停まらない方の「県庁所在地の駅」まで行き、その駅まで職員さんに車で迎えに来てもらう。その車に乗って、「特急のすれ違う駅」の町に向かう、というものであった。

朝早く家を出て、バスと国電と新幹線を乗り継ぐこと約3時間。「いちばん速い新幹線」が停まらない方の「県庁所在地の駅」に着いた。

そこから、迎えに来てくれた職員のHさんの車に乗ること2時間。ようやく「特急のすれ違う駅」に到着した。

つまり、片道5時間かかったことになる。

で、午前の巡検と午後の会議を終え、再び同じルートで帰宅する。

今度は県庁所在地に住むOさんの車に乗って、「いちばん速い新幹線」が停まらない方の「県庁所在地の駅」まで送ってもらい、そこから新幹線と国電とバスに乗り継いで、家に着いたのが午後9時。

移動するだけでもヘトヘトである。こんな仕事の仕方をしているから、体を壊すわけだ。

何よりたいへんだったのは、車で送り迎えしてくれた職員さんだろう。帰りに駅まで車で送ってくれたOさんは、帰り道が同じだったのでよかったのだが、朝、車で迎えに来てくれたHさんは、往復4時間も車を運転していたことになる。

明日はまた片道5時間かけて1泊2日の出張である。

ところで、いまは「特急のすれ違う駅」に至る鉄道が復旧したが、いまも「特急がすれ違う駅」なのかどうかは、わからない。

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第3ターミナルの悪夢

1月21日(月)

韓国から25名ほどのお客さんが職場見学に来られたその日、僕にはもう一つ、大きな仕事があった。

それは、うちの職場に2週間ほど滞在される韓国からのお客さん1人を、空港までお迎えに行くという仕事である。

とてもややこしいのだが、たまたま同じ日に、25名のお客さんとは別の韓国のお客さん1人を、アテンドしなければならないのである。

空港まで迎えに行く人が他にいないので、僕が行くより他にない。しかも、僕が自ら公用車を運転して、迎えに行かなければならない。

以前は、公用車の運転手さんがいたのだが、経費削減のためそれがなくなり、自分たちで運転しなければならなくなったのである。

本当はまる一日、25名の韓国のお客さんに対応しなければならないのだが、やむを得ず、中座することになった。

飛行機は13時35分に空港に到着するという。ということは、12時半には職場を出ないといけないということだな。

お昼12時、25人のお客さんは、職場見学を一休みして、控え室で昼食のお弁当を食べることになった。

僕は、お弁当を配膳したり、遅れて来た人に挨拶をしたりしたあと、すぐに職場を出なければならない。しかし、いろいろな人が話しかけてきて、なかなか控え室を出ることができない。

ようやくひと仕事が終わり、控え室を出ようとすると、

「鬼瓦さん、お昼食べないの?弁当余ってるよ。ここへ来て一緒に食べましょうよ」

と、口々に韓国のお客さんが言ってくれる。

「はぁ、すみません。これから空港にお客さんをお迎えに行かなければならないんです」
と言って、ようやく中座することができた。

そこから公用車を運転し、13時15分くらいに空港の駐車場に着いた。

(なんとか間に合ったな。たしか、到着のターミナルは、第3ターミナルと言っていたな)

第3ターミナルは、最近できたようで、僕もまだ行ったことがない。

事前にインターネットで調べてみると、第3ターミナルの近くには駐車場がなく、第2ターミナルの近くにある「P2北」に停めるとよいと書かれていたので、その通り、「P2北」の駐車場に停めることにした。

さて、第3ターミナルはどこだろう?

矢印にしたがって第3ターミナルのほうに向かう。

すると、空港の建物の外に出た。

歩道に青い帯が書かれている。どうもこの青い帯に沿って歩けば、第3ターミナルに着くらしい。

だが、その表示を見て驚いた。

「第3ターミナルまで、あと650メートル」

ろ、ろ、650メートルっ??!!

かなり距離があるぞ。僕の遅い足だったら、歩いて7~8分かかりそうだ。

青い帯に沿って、延々と歩く。すると、道路に書かれた表示が、

「第3ターミナルまで、あと630メートル」

「第3ターミナルまで、あと600メートル」

と、かなり小刻みに、距離がカウントダウンされている。

僕は道路に書かれたその表示を見ながら、延々と歩いて、ようやく第3ターミナルに到着した。

(さて、到着ロビーはどこだろう?)

どこにあるかまったくわからない。

職員らしき人がいたので聞いてみた。

「あのう、…到着口はどこでしょうか」

「あの端っこですよ」

「フードコートが見えますが…」

「ええ、ですからあのフードコートが到着口です」

意味がわからん、と思いながらフードコートの方まで歩いて行き、あたりをキョロキョロ見渡すと、エスカレーターが1台と、エレベーターが2台ほどあるスペースを見つけた。

「ミーティングポイント」と書いてある。どうやらここが、到着口らしい。

(本当にここが到着口なんだろうか?)

第1ターミナルや第2ターミナルにある到着口を想像していた僕は、デパートのエレベーターみたいなところが、本当に到着口なのか、不安になった。

だが、大きなスーツケースを持った人がエスカレーターやエレベーターから次々と出てくる。

やはりここが、到着口らしい。

(しかし、出迎えの人がひとりもいないなあ…)

第1ターミナルや第2ターミナルには、出迎えの人が数多くいるのだが、ここにはほとんどいない。

僕は、コピー用紙に手書きで「○○先生」と書いた紙を持って、じっと立っていた。なにしろ僕は、そのお客さんとはじめて会うのである。だがそんなことをしているヤツは誰もおらず、かなり恥ずかしい。

(うーむ。本当にここで会えるのだろうか…)

不安に思っていると、ひとりの人が、僕のプラカードを見て近づいてきた。

「こんにちは」

「はじめまして」

こうして、無事に会うことができた。

そこからまた、650メートルほど歩いて駐車場に戻り、公用車を運転して、職場に戻ったのが、14時45分頃である。

そこから私は、25名の韓国のお客さんと、ひとりの韓国のお客さんとを、交互に対応することになり、ヘトヘトになった。

結論。第3ターミナルは遠い!

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大混乱

1月21日(月)

たいへんな1日だった。

今日は、土曜日の「同業者祭り」のときにもお会いした、韓国の先生方25人が、こんどはうちの職場に見学に来ることになっていた。

こちらは数名で対応しなければならず、しかも韓国語でコミュニケーションがとれるのが私だけだったので、予想通り、大混乱の1日となった。

まず、集合時間に全員が揃わない!

10時半に職場に来ていただくことになっていたのだが、数名がいくら待っても来ないのである。

あとで聞いてみると、数名が二日酔いのため、遅れて来るとのことだった。

五月雨式に来られると、それだけこちらの対応も面倒くさくなるのだ!

さて、手続きの必要上、あらかじめ、この日に来る先生方の名簿を職場に届け出ていたのだが、ま、事前の名簿なんてのは、あてにならない。

当日になって、欠席する人が数名いた。

二日酔いで遅れるどころか、来ない人もいるのである。

ま、欠席するのはまだよい。

名簿に載ってない人が、集合時間に突然現れたのである。

そのひとりが、僕もよく知る、ユン先生である。

名簿に名前が載っていなかったので、まさかユン先生が来るとは思ってもいない。土曜日の「同業者祭り」の時もいなかったぞ!

「あれ、ユン先生!日本にいらしてたんですか?」

僕はビックリしてたずねた。

「そうだよ。それがなにか?」

何ごともなかったかのように、しれっと、職場見学に参加しているではないか!

このユン先生、私より年齢がちょっとだけ上なのだが、とても変わっている。

韓国に留学していた頃、僕はユン先生と何度もお会いしたことがあるのだが、時間通りに来たためしがない。

いつも必ず、遅れて来るのである。

で、遅れても、しれっとした顔で、「それが何か?」と、本人は全然意に介さない。

今回も、事前の名簿に名前が載っていないにもかかわらず、当日になってしれっと現れた。

この人は、いつもそうやって、約束を覆すのである。

しかし、どこか憎めないところがある。

僕はユン先生に気に入られているようで、会うといろいろと面倒をみてくれる。他の先生方は、僕より少し年上でも、僕に敬語を使ったりするのだが、ユン先生は、完全なタメ口である。

「元気だったか?会いたかったぜ」

と、こんな口調である。

まあ、僕としては、久しぶりに会えたのでうれしかったのだが。

うれしかったと言えば、今回、韓国留学時代の指導教授だったチュ先生と久しぶりにお会いして、いろいろとお話ししたことである。

チュ先生は、碩学というべき重鎮で、とても厳格で、恐い先生である。あまりに厳しいので、敬遠する人もいたりする。

…というか、僕の周りにはそんな先生が多い。

しかしまあ、僕にはいろいろなお話しをされる。もっとも、訛りがきつくて聞き取れないことが多いのだが。

先週土曜日に、実に久しぶりにお会いして、無沙汰をお詫びした。

2年ほど前に大きな病気をしたために、ここ最近は韓国に行く機会がなかったことなどを、率直にお話しした。

それに、生まれた娘をお見せすることもできた。

チュ先生は、この間の僕の変化にたいそう驚いたいらっしゃったが、以前と同じように、いろいろなお話しをしていただいた。今日も、短い時間だったが、間近でいろいろとお話しができた。

そのほかにも多くの人と再会し、僕の顔を見るとにこやかに話しかけてくれた。

こうやって人と再会すると、生きていてよかったなあと思う。

再会するために、これからも生き続けなければならない。

午後3時半。大混乱のうちに、この日の日程が終了した。

ひとりひとりと握手をして、

「また会いましょう」

といってお別れした。

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明日から怒濤の2週間

明日から2週間、韓国からうちの職場にお客さんが1人来て、2週間ほど滞在する。

僕はそのお世話係になってしまい、2週間、その方のアテンドをしなければならない。明日は、到着時間に合わせて、僕が空港まで公用車を運転してお迎えに行かなければならない。

それとは別に、明日は韓国留学中にお世話になった韓国の先生20名ほどが職場に訪れて、その対応もしなければならないので、もうどうしていいかワケがわからん。

さて、2週間滞在のお客さんは、滞在中に訪問したい場所があるというので、その手配も行い、かつ引率していかなければならない。その方は日本語が話せないので通訳もかねなければならない。

それに加えて、通常の本務や、別の出張も入るので、ちょっとあり得ない感じの移動の仕方をする。

はたして体力が持つか。乞うご期待。

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娘に助けられる

1月19日(土)

今日は「都の西北」で、「同業者祭り」である。

といっても、ただの「同業者祭り」ではない。10年ほど前に韓国に留学した時にお世話になった先生方が、20名ほど来られるのである。

いわば「国際交流同業者祭り」なのだが、僕はたいそう気が重い。

韓国でお世話になった先生方に会うのは、うれしい反面、俺はいままで何をしてきたんだ!と、自分がこの10年、まったく進歩していないこととか、1年間留学しても、それがその後の仕事になかなか生かせていないことに対して、とても顔向けできない気持ちなのである。

それにそもそも、僕はこの種の「同業者祭り」に参加するのはとても苦手で、あれこれと理由をつけて、ここ最近はまったく出席していないのだ。

だが、この「同業者祭り」は、お世話になった人が多数いるので、参加しないわけにはいかない。

困ったあげく、娘の力を借りることにした。

9カ月の娘を、「同業者祭り」に連れていくことにしたのである。

あまり気が進まないせいか、会場に着いたのが開始時間ギリギリであった。

会場に来てみると、ものすごい数の同業者が集まっているではないか!

あとで聞いたら、200名ほどの同業者が集まっていた。

おそるおそる会場に入ると、視線は一斉に娘に注がれる。

誰もがにこやかに声をかけてくれ、久しぶりに会った方々とも、自然にお話しをすることができた。

韓国でお世話になった先生方も、にこやかに娘の周りに集まってくれている。おかげで、韓国の先生方とも久しぶりにいろいろとお話しすることができた。

みんなが娘に注目してくれることで、ずっしりと重かった僕の気持ちが軽くなった。

娘の力を借りて、「同業者祭り」を乗り切るとは、何とも情けない父親である。

ま、でもこの場を借りて、韓国の先生に自分の近況報告をいっぺんに伝えることができたので、やはり娘の力は、偉大である。

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無駄な時間

1月18日(金)

「前の前の勤務地」に日帰り出張である。

「前の前の勤務地」といえば、このブログでおなじみ、こぶぎさんのいる土地ですよ!

このブログを最近読んだ人のために書いておくと、こぶぎさんというのは、「前の前の職場」の元同僚で、このブログのコメント欄に、本文記事以上に面白いコメントを書いてくれる、ラジオでいうところのヘビーリスナー、あるいはハガキ職人である。

今回は日帰りだから、いつものオフ会はできない。

だが、黙ってるわけにもいくまいと思い、朝、家を早めに出てお昼前に着くようにして、昼飯くらいは一緒に食べようかと思い、前々日くらいに、「明智こぶ郎の助手の小林君」のモデルになった、元同僚のKさんに「一緒にお昼でもどうですか」とメールをしてみた。

なにしろ、こぶぎさんは携帯電話を持っていないので、「助手の小林君」のモデルになったKさんに連絡をとるほかないのだ。

すると、前日に「助手の小林君」のモデルになったKさんから電話があった。

「ちょっと、金曜日のお昼はこぶぎさんも私も忙しくて、鬼瓦さんの相手をしてられません」

「そうですか…」

ということで、土地柄というべきか、「泣いた赤鬼」状態になったのである。

こうなったら、早めに出発する理由はない。

用務は1時からだったので、それに間に合うように家を出た。いつも職場に行くために家を出る時間よりも、若干遅い出発である。

で、用務は5時過ぎに終わった。

5時41分の新幹線に乗ったら、ふだん帰宅する時間よりも少し早い時間に家に着いちゃった。

どういうこっちゃ???

ふだん通勤しているのと、ほとんど変わんないじゃん!というより、ちょっと楽じゃん!

日ごろの通勤時間が、どんだけ長いかがよくわかる。

そういえば、今日の用務先の会合の席で、会場を提供していただいたSさんが、こんな挨拶をされた。

「昨晩、雪があっという間に積もったので、今日は朝6時に起きて雪かきをしてから職場に来ました。雪深いこの町では、毎年この時期に雪かきは欠かせません。雪のない町に住む人からは、『あなた、人生の大半を無駄に過ごしているわよ』などとからかわれたりします」

Sさんは半ば自虐的に語っておられたが、では、雪のない町に住む人間が、無駄な時間を過ごしていないかというと、そうとばかりはいえない。

僕のように、片道2時間半もかけて通勤している人間のほうが、もっと無駄な時間を過ごしているではないか!

たしかに、この町に住んでいた時の雪かきはたいへんだった。だが、長距離通勤に悩まされるようなことはなかった。職住接近が如何にありがたいものであるかが、いまは身に染みてわかる。

まあ、どこにいたって、生きるってのはたいへんだ、ということだ。

生きていれば、どうしたって、無駄な時間というのもはあるものなのだ。でも本当は、それは無駄な時間ではないのかも知れない。

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開けちゃいけない鍵?

1月17日(木)

忙しすぎて何も思いつかん。

今日は病院を2カ所ハシゴして、そのあと職場に行った。

病院の1カ所目は、家の近所の開業医。月に1度、薬をもらいに行っている。

もう1カ所は、いまの家に引っ越す前に住んでいた町でお世話になっていた大病院。

病院に行くにも、ちょっとした小旅行である。

いっつも不思議に思うんだけど、家の近所の開業医のほうは、はっきり言えば処方箋を出してもらうだけで、診察のときはとくに雑談しかしてないのだが、診察料が1400円もかかる。しかもそれとは別に、薬代がかかるのだ。

もう一つのほうは、まあ検査の結果を聴きに行くだけといってしまえばそれまでなのだが、それでも、もともとの病気の深刻さから言ったら、開業医に見てもらうよりも圧倒的に命にかかわる、重要な診察である。

でも、診察料じたいは220円。

どっちも、雑談程度しかしていないのに、これって、どういうこと?

僕が無知なだけで、大人の常識なのかな?

それとも、開けちゃいけない鍵なのかな?

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俺の噺を聴け

全然仕事がはかどらん。

通勤に片道2時間半もかかっていると、くだらないことを考える時間が多くなる。

飲み会ってのがすっかり嫌いになっちゃったのは、大勢の人のテンションに自分のテンションを合わせることに疲れてしまったからだと思う。

それに、もともと飲んだり食べたりしながら話をするのが苦手なのだ。喋り出すと手が止まるタイプなんでね。

なので、大勢が集まるような飲み会に誘われると困ってしまうのだが、これを解決する手立てはないものかと考えて、思いついた。

俺がトークショーをやればいいんじゃね?

飲み会ではなく、俺のトークショー。

そうすれば、俺が話したい話を、一方的に飲み会のメンバーに聴かせることができる。

小さいライブハウスみたいなところを借りて、「ダマラー」や友人や卒業生を集めてトークショーをする。

ま、オフ会とも言うのだが。

聴きたいヤツは聴きに来ればいいし、聴きたくないヤツは聴きに来なければいい。

で、俺様が鶴瓶噺のような、とりとめもないひとり語りをする。ブログに書けないようなことを喋ったりする。

話術がないので、鶴瓶師匠や上岡師匠のように面白くはならない。

で、ひとり語りに飽きたら、ゲストを登壇させて対談をする。ま、こぶぎさんあたりはその筆頭だろうな。

あと、「朝まで生つるべ」(古い)における坂崎幸之助みたいに、音楽をやってる後輩に、トークの合間に演奏させる。

そんなこんなで、6時間くらいトークショーをする。もちろん、飲まず食わずですよ。

どうだろう。このブログが3000回を達成したあたりで、やってみるかな。

しかしこれは、明らかに星飛雄馬のクリパだな。

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というか、こぶぎさんと会うたびに喫茶店でいつもやってることだな。

ということで、この構想はこれまで。

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イット革命

1月15日(火)

えー、このたび、わが社でも、スマホに対応したホームページを作成することにした。いままでは、PC版のホームページしかなく、スマホの画面に対応していなかった。これからは国際化に対応して、外国人にもわかりやすい画面づくりをめざしたい。ついては、そのためのワーキンググループを立ち上げることにした。みんな、協力してほしい。

…ということで、1年半くらい前だったか、僕もその一員になった。

あれやこれやとアイデアを出し合って、ついに試行版が完成した。

つきましては、本日の会議で、みなさんスマホをもってきてください。実際に画面を見ながら、問題点を洗い出すことにします。

…ということで、会議の場にスマホを持っていった。

そこで驚愕の事実。

僕以外、みんなiPhoneではないか!

マイナーなアンドロイド携帯、それも、「サムスンではない韓国企業」のスマホをつかっているのは、僕だけである!

もうひとつ、驚愕の事実。

ワーキンググループのボスは、スマホを持っていなかった!

ボス、ボス、…スマホは…?

持ってへんよ。

持ってないんですか?

ガラケーやもん。スマホの扱い方なんて、知らへんよ。

ええええぇぇぇぇっ!!!スマホのことをよく知らずに、スマホ版ホームページを提案してたの???

「e-Japan構想」をぶち上げた所信表明演説で、IT 革命を「イット革命」と言った首相か?

はたまた、「USBは穴に入れるらしいですけれども、わからないので、官僚に聞いてください」と珍答弁をしたサイバーセキュリティー担当大臣か?

つまり、こんなことは、政府に限らない。どんなところでも、よくあることなのだ。

そして、ボスがわからんでも、周りがなんとかしてくれるので、なんとかなるものなのだ。

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無趣味談義

これといった趣味がない。

ほんと、趣味というものが、全くないのである。

仕事で移動ばかりしていることもあり、休みの日に出歩くことも、あまり好きではない。連休となると、何もやる気が起きなくなり、ひたすら寝てばかりいる。

先日、暇に飽かせて、自分がこれまでに「宿泊したことのある県」というのを、数えてみた。

すると、「埼玉県」以外、すべての県に宿泊したことがあることがわかった。

ひょっとしたら埼玉県にも宿泊した経験があるのかも知れないが、いまのところ、記憶にない。

ま、どうでもいいことなのだが。

趣味らしい趣味といえば、「金田一耕助を演じる俳優は誰がいいかを妄想する」ことくらいである。

石坂浩二、古谷一行以後の金田一耕助には、どうもパッとする人がいない。

年末年始に、男性アイドル専門の大手芸能事務所のアイドルを金田一耕助に起用した「犬神家の一族」を放送していたそうだが、見る気も起きなかった。

これでは、金田一耕助なのか金田一少年なのか、区別がつかないではないか。

同じ男性アイドル専門の大手芸能事務所のアイドルでも、最近その事務所を辞めたかつての人気アイドルグループの1人が演じていた金田一耕助の方が、まだ見ようという気が起きたものである。

…どうも、まどろっこしくていけない。

金田一耕助を演じられる俳優は日本にはいないのではないだろうか、と絶望的になり、韓国の映画俳優、パク・ヘイルこそが、金田一耕助にふさわしいと以前に書いたことがある

Photo_2パク・ヘイルの出演した映画に、「極楽島殺人事件」(2007年)とか「黒く濁る村」(2010年)というものがあって、いずれも横溝正史チックなまがまがしい雰囲気の映画なのだが、その中で彼は、まるで金田一耕助のような狂言回しの役を好演していた。

韓国で金田一ものをリメイクするとしたら、彼しかいない。

…と思っていたら、日本にも救世主があらわれた。長谷川博己である。

やはりこの年末年始、NHKのBSで「獄門島」の再放送をやっていて、数年前に見逃したこのドラマをようやく見ることができたのだが、この長谷川博己演じる金田一耕助が、実によかった。作品自体も、完成度が高かった。

これまでの金田一耕助像とも違う、それでいて、おそらく原作の金田一耕助のイメージをくずすことなく、演じている。

これまでの金田一耕助は、どちらかといえば飄々とした雰囲気が強調されているが、長谷川博己演じる金田一は、どこか、情緒不安定である。いや、どこか、というより、かなり情緒不安定なのである。

金田一耕助は、戦争中、兵士として召集され、ニューギニアのウェワクというところで、全滅に近い状態で敗走し、熱病と栄養失調という極限の状態を経験している。

ニューギニアで終戦を迎えた彼は、復員船の中で、友人である鬼頭千万太(ちまた)の死に直面し、復員後、彼の遺言によって、彼の故郷である獄門島に赴く。つまり「獄門島」は、金田一耕助が復員して、ほどなくして起こった事件である。

長谷川博己演じる金田一耕助が、かなり情緒不安定にみえるのは、あるいは、南方戦線での極度の栄養失調や熱病の苦しみ、復員船の中での友人の死といった体験が、PTSD(心的外傷後ストレス障害)による心の不安定さとなってあらわれているのではないか、とも想像されるのである。戦争体験、従軍体験が金田一耕助に暗い影を落としていることが、長谷川博己の演技により、説得力をもって示されているのである。むしろこれまでの金田一像は、こうした心の闇の部分を看過してきたようにも思われるのである。

石坂浩二、古谷一行以降、ようやくたどり着いた。長谷川博己に。

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逆算生活

1月13日(日)

この2日半ほど、妻が不在だったので娘につきっきりで面倒をみていた。

たいしたことはしていないのだが、僕はイクメンではないので、たった2日半のことなのにヘトヘトになってしまった。

育児をしながら仕事をするって、たいへんなんだな。あたりまえのことだけど、いまさらながら実感した。

子どもは、こっちの事情なんか関係ないからね。ま、これもあたりまえのことだけど。

そんな中、いろいろな方面からの仕事も、こっちの事情なんかおかまいなしにふってくる。なるべく穴を開けないようにするだけでも、精一杯である。

断ればいいんだろうけれど、性分というか、貧乏性というか、浮き世の義理というか、引き受けざるを得ない仕事も多くて、なかなか断れない。ま、その代わりに不要な飲み会なんかを断ることができるようになったのは幸いなんだけれど。

最近つくづく思うのは、「会議時間が無駄に長い」ということである。

自分の時間を比較的自由に使えた時代は、さほど気にならなかったのだが、最近は、会議の時間については神経質にならざるを得ない。

先日なんか、午後3時に始まって、終わったのが6時半過ぎ。3時間半も会議をしていた。そのあと、なんだかんだで7時頃に職場を出ると、片道2時間半かかるので、帰宅時間が9時半になる。これでは、娘をお風呂に入れてやることはできない。

この業界の特徴なのか、とにかく「会議時間が長い」のである。短くても1時間半くらいとか。

話の長い人がいたりすると、延々と会議が続くことになる。

なので、「会議は3時半から始めます」とか言われると、「ふざけんな!」と思うようになった。

3時半から始まるということは、どう考えても終わるのが5時を過ぎるということだよな。となると、今日中にやる仕事を片付けて、帰宅時間は…と、そっちの方が心配になるのである。

そんな話を、育児経験のある同業の友人にしてみたことがある。

「そうでしょう。家事や育児をしていると、常に時間を逆算して仕事をしていることになるのです」

「なるほど、そうですね。逆算生活ですね」

「そういう生活をしてみると、この業界の会議がいかに無駄に長いかということがわかるでしょう」

「たしかに」

「あれは、育児や家事をしていないオジサンが司会をしているから、時間に対して無頓着になっているのです。何時までに家に帰って、あれとこれをして、みたいなことを考えたら、とてもあんな悠長に会議なんかやってられません」

「そうかも知れませんね」

ま、「育児や家事をしていないオジサンが司会をしているから」というのも、極端な結論かも知れないが、一理はある。

かといって、代わりに会議を仕切りたいとは思わないし、このあたりが、なかなか難しい。

参考:会議解説者への道

会議にまつわるエトセトラ

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母乳なし合宿・2回目

1月11日(金)

妻が1泊2日で不在となるので、休暇をとって娘の面倒をみることになった。

「母乳なし合宿」はこれで2回目だが、前回はまだ娘は4カ月だった。今回は9カ月なので、離乳食を与えたり、激しく動き回る娘から片時も目が離せなかったりと、前回とはまた別の意味で神経をすり減らす。

イクメンにはふつうのことなのかも知れないが、無精で不器用な僕には、かなり不安なので、実家の母に手伝いに来てもらうことにした。

加えて、5日ほど前に中耳炎にかかってしまった。今はほとんど治りかけているが、それでも薬を飲ませたり、洗髪にも気を遣わなければならない。

5日前はビックリしたなあ。

ふと、娘の顔を見たら、顔の右半分が血だらけになっていて、何ごとか!と思ったら、右耳をボリボリかいていて血が出てしまったらしい。

耳から血が出るなんていったら、そりゃあビックリするよ。脳の病気か?と思ってしまうもの。

で、翌日、妻が娘を病院に連れていったら、中耳炎と診断されたのである。

耳垂れに違和感があって、耳を掻いていたんだろうな。

その日の夜、仕事から帰宅したら、娘がふだん通り元気だったので安心した。前日の血だらけの顔の記憶が生々しかったから、なおさら元気な顔を見て安心した。

治りかけているとはいえ、またかかる可能性もあるので、注意しなければならない。

ひとまず今日は、うんちも2回出て、薬も飲んでくれて、離乳食もクリアして、泣きわめくこともなく寝てくれた。

明日もなんとか乗り越えよう。

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どうする?散髪屋(後編)

問題が起こった、というのは、リーさんが来月、別の支店に異動することが決まった、というのである。

さあ困った。来月以降、どこで散髪をしてもらおうか。選択肢は、次の三つである。

1.今まで通り、同じお店(これを仮にA店としよう)に通うことにし、担当者を変える。

2.リーさんの異動先のお店(これをB店としよう)に変える。

3.いっそのこと、これを機会に家の近所で新しい散髪屋を開拓する。

A店とB店は、同じ系列店なので、今までの会員カードをそのまま使うことができる。

A店は、自宅と職場の中間地点あたりにある。もっとも、通勤時間は片道2時間半かかるから、自宅からも職場からも、散髪屋までは1時間以上もかかる。

1時間以上かけて散髪屋に行くってのは、やっぱりオカシイのかなあ。

A店は、通勤で使っているメインの路線を途中下車したところにある。だから、仕事が終わって帰宅する途中、散髪屋に立ち寄ることが可能である。しかもその駅は、乗り換えのために下車しなければいけない駅なので、どっちみち途中下車する必然性があるのである。

ただしデメリットもある。A店は郊外のショッピングモールの中にあるお店で、途中下車する駅からはけっこう距離がある。なので、駅を降りて、ショッピングモールへ行く無料送迎バスに乗らないといけない。これがけっこう面倒なのである。

担当のリーさんがいなくなるとすると、そんなことまでして、通い続ける意味があるのか??

つぎにB店である。

B店も、自宅と職場の中間地点あたりにある。A店の系列店なので、A店の隣の市にあるお店なのである。

B点に行くには、ふだんメインでつかっている路線ではなく、別の路線の駅を降りたところにある。その路線は、たまに、通勤で使うことがある。

つまり、B店で散髪をしようと思うと、まずふだん使っているメインの路線ではなく、サブの路線を使い、しかも、降りる必然性のない駅で途中下車して、B店に行かなければならないのである。

唯一のメリットは、B店は駅のすぐそばにあるという点である。A店のように、駅を降りてからバスに乗らなければならないというような面倒なことはない。

これまで通り、A店に通い続けるか?

それとも、リーさんがいるというだけの理由で、B店に鞍替えするか?

この機会に、いっそのこと自宅の近所の散髪屋さんを開拓するか?

うーむ。悩ましい。

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どうする?散髪屋(前編)

1月9日(水)

めちゃめちゃ忙しいので、練った文章が書けない。

引っ越したあとも、散髪屋は変えていない。前に住んでいた町の散髪屋さんに、いまだに通っている。たんに家の近所で新しい散髪屋さんを見つけるのが面倒くさいだけなのだが、散髪屋さんを変えるって、けっこう冒険なので、むかしから、なかなか散髪屋さんを変える勇気が出ないのである。

担当してくれるのは、若いリーさんである。

初めてリーさんに会ったのは、3年くらい前で、そのときリーさんはまだ見習いだった。

散髪屋は、人生だ! ~見習いのリーさん~

見習いの時は、洗髪とか顔そりとかしかしていなかったのだが、それが今や、このお店のセンターに位置する看板理容師さんである。今は、カットだけをして、それ以外のことは、見習いの子に任せているのだ。

見習いの男の子は、お店に勤めだしたばかりで、まだぎこちないところが多いのだが、リーさんはその都度、細かなアドバイスをしている。さながら僕は、その実験台である。

散髪の間、僕はとくにリーさんとお話ししたりはしないのだが、あの見習いだったリーさんが、今や後輩を指導・監督する立場にあると思うと、ひとりの人間の成長物語を見ているような気がして、非常に感慨深い。

どんな仕事も続けるってのが大事なんだな。

そんな中、一つ問題が起こったのである。(つづく)

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SF作家による、予言の書

小松左京『やぶれかぶれ青春記・大阪万博奮闘記』(新潮文庫、2018年10月)所収の「大阪万博奮闘記」(初出1971年)が、めちゃくちゃ面白い。まるで近未来の予言の書である。以下、引用。

「…「都」の行事でありながら、内閣でオリンピック担当大臣がきめられ、それには当時すでに次期総裁候補として呼び声の高い実力者、佐藤栄作氏が就任した。

東京都の再開発はもちろん、オリンピックを目標に、東海道新幹線、高速道路網、宇宙中継通信設備、、NHK代々木放送センターなどの設備が急ピッチに進められた。古代アテネの都市国家の時代の祭典にちなみ、アマチュアスポーツという、本来「質実剛健」な、それ故に、「人間存在の中の素朴な肉体の意味」をよみがえらせるはずの催しに、この挙国的なお祭りさわぎは、本来異常事態であろう。オリンピックを「挙国体制」でやるといえば、すぐ昭和十一年、ナチス・ドイツが「民族の祭典」のイメージをうち出し、オリンピックをナチズムの大宣伝につかったベルリン大会を思い出すはずである。

にもかかわらず、日本の論壇と知識人は、この「東京オリンピックの異様な盛り上がり」に対して、奇妙なまでに冷淡で無関心であった。当時のアンケートから二、三ひろってみても、「こんな無理なことを、東京でやる必要がどこにあるのかと思います。もっとやらなければならない大切なことがほかにあるでしょう」、「オリンピック期間中は東京を逃げ出したい」、「関心なし」と、きわめて冷淡である。「たのしい」、「大いに結構です」、「日本でおこなわれることは名誉なことだと思います」といった、大衆的な人たちの反応ときわめて対照的である。日本の知識人は、「スポーツ」などという通俗的大衆的な問題に関心を持つことは、たとえそれが国際行事であっても、それを通じて日本の社会の様相がかわってしまうような大投資が行われようとも、沽券にかかわると思っているようだった。

したがって、この異様なまでの「オリンピック・ブーム」は、日本の政府が、高度経済成長下にあって、ようやくめだちはじめた社会資本の不足を急速にカバーするため、オリンピックという国際行事を、強引な社会公共投資の「錦の御旗」につかい、シンボル操作を行ったのだ、と分析する前記の論文は当時、短いながら異彩をはなっていた。すでに「国体道路」や「行幸道路」の社会的先例もあり、そのことについて論じたものもあったのだが、そのシンボル操作は、ナチスのそれのように、強力な独裁者が、大衆を強引に引きずりまわすのに使われているのではなく、大衆の方もまた暗黙に、そういった「錦の御旗」の意義を了解しており、理詰め、功利的にやれば、細かい利害の網の目の中でおそろしく紛糾してしまうような大きな社会的事象を、「大義名分」のもとに、操作実現させて行く、という、大衆の側も操作する側と一種の「なれあい」で操作される日本社会の不思議な「まつり」と「まつりごと」の暗合のメカニズム、「無責任の体系」が「超合理の体系」とかさなりあう奇妙なロジックについて指摘している点が異色だった。

しかし、私たちが「オリンピック問題」に注意を向けだした時期は、何といってもおそすぎた。その上、東京という巨大な「怪物」をめぐって起こっていることは、関西から観察しても、わからないことが多すぎた。一九六三年から六四年前半、東京・大阪間の情報交流密度は、現在とはくらべものにならないほど低かった。一つには、まだ新幹線が開通していなかったし、エアラインの国内線はようやく三十八年半ばから、全日空がジェット化したところだった。そういったわけで、「東京オリンピックの研究」には、興味をもったものの、隔靴掻痒の感があった。

新聞社会面の片隅に、「今度は大阪で国際博?」の記事を見つけたのは、そういった時期だったのである。ははあ、と私は何となく思った。なるほど、東京の次は、関西か…」

以上、引用終わり。

歴史は繰り返す、とでもいおうか。

それにしても、当時の知識人や論壇のこうした論調を、未来への警鐘としてしっかりと書き残しておいてくれていた小松左京は、やはり真のSF作家である。

この文章を埋もれさせることなく、2018年10月にわざわざ文庫化してくれた出版社も、粋なことをしてくれる。小松左京の鳴らした警鐘を、聞き逃してはならない。

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痛風相哀れむ

年末年始は、テレビ三昧である。

痛風持ちの僕は、テレビで痛風を告白しているタレントさんを見ると、つい、応援したくなる。

俳優の六角精児さんが、「呑み鉄」という番組をやっているのだが、痛風持ちで結石持ちの六角さんが、お酒を飲みまくり、美味しい物を食べまくっているのを見ると、

(身を削って仕事をしているなあ…)

と、心配になる。

ちなみに六角精児バンドの「お父さんが嘘をついた」は、痛風の発作に怯えるオジサンの哀愁が感じられてすばらしい。

また、別の番組を見ていたら、新作落語の特集番組をやっていて、その中で春風亭一之輔さんが、

「自分が痛風の痛みがひどくて2日間寝込んでいた時、昔昔亭桃太郎師匠の『金満家族』という落語を見て、あまりにもバカバカしくって、痛みがどこかへ飛んでしまった」

と言っていて、これはいいことを聞いた、と思った。

今度痛風の発作が起こったら、昔昔亭桃太郎師匠の『金満家族』を聴くことにしよう。

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お詫びして訂正

1月4日(金)

近所の家電量販店に行く。先日行ったのとは、別のお店である。

今回は、スマホを充電する際のケーブルが壊れてしまったので、それを買いに行くのである。

マイナーな機種のスマホなので、どの種類のケーブルを買ったらよいかがわからなかったため、壊れてしまったケーブルを持っていくことにした。

例によって、陳列されているケーブルを見てもわからないので、レジで待機している店員さんに聞いてみることにした。

「あのう…、これと同じものを買いたいんですけど」

かばんから、壊れたケーブルを取り出して、奥の方で黙々と仕事をしている若い店員さんに話しかけた。ちょっとオタク風の、無愛想な店員さんである。

店員さんは僕の持ってきたケーブルを手にとり、

「少々お待ちください」

と言って、店の奥の方に行ってしまった。

もう、この時点で僕は、イライラし始める。

(大丈夫かなあ、あの無愛想な店員さん。どうせ待たされたあげく、「在庫はございません」とかなんとか、言われるんだろ!)

少し経って、その店員さんが戻ってきた。

「このケーブルとまったく同じものということになりますと、こちらでございます」

「まったく同じものがあったんですね」

「ええ。こちらは純正品です」

たしかに、携帯電話会社が出している純正品で、僕が持ってきたケーブルとまったく同じものである。

「まったく同じものをお求めでしたら、こちらになりますが、純正品以外にも、この規格に対応するケーブルがございます」

「そうですか。…やはり値段は違うんでしょうか」

「そうですね。この純正品は○○○円ですが、そうでないものは、お値段がいろいろとあります」

「それはどの辺にありますか?」

「ご案内します」

そう言うと、その店員さんは、ケーブル売り場まで案内してくれた。

「こちらのコーナーが、対応するケーブルです」

「いろいろありますね」

「充電のみに対応するケーブルと、充電のほかにパソコンにつないでデータのやりとりができるケーブルと、2種類あります。ちなみに純正品のものは、…充電のみのようですね」

「そうですか」

ここまでの店員さんの説明は、実に的確である。

迷ったあげく、充電のみの純正品のほかに、データ通信もできるケーブルを1本買うことにした。

レジに戻り、会計を済ませた。

「お時間を取らせてしまって申し訳ありません」

そう言って、店員さんは商品を引き渡した。

「ありがとうございます」

つい口をついて「ありがとう」という言葉が出た。

たいへん失礼ながら、見た目の印象とは異なる、的確で誠実な対応に、この家電量販店に対する僕の評価がぐんと高くなったのであった。

先日、イライラのあまりに家電量販店に対して批判めいたことを書いてしまったが、誠実に対応してくれる店員さんももちろんいることを、申し添えておきます。

あと、ちょっとした対応の違いで、その店の評価が大きく左右されるんだな、ということもよくわかった。これは、肝に銘じないといけない。

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寝正月

1月3日(木)

基本的に、寝正月である。

正月の間、ずーっと寝ている。

いつも寝ている部屋は、9カ月の娘が部屋に入ってこないように、ドアを閉めている。

今日も昼間に高鼾をかいていたら、

「ギャぁぁぁぁぁぁーーーー」

「たすけてぇぇぇぇぇーーー」

という妻の叫び声とともに、

「ギャぁぁぁぁぁぁぁーーー」

という娘の泣き声が聞こえた。

正確に言えば、この叫び声は、当初は全然聞こえていなかった。何度も叫ぶうちに、ようやく寝ている僕の耳に入ってきたのである。

(これは、どうやらただごとではないな)

叫び声の様子から、なにやらたいへんなことが起こっていることを予感して、起き上がり、おそるおそるドアを開けた。

すると、そこに驚くべき光景が広がっていた。

一面血の海!!!

ではなく、

クリームの海!!!

なのである。

「どうして何度も叫んでるのに起きないの??!!!」

隣近所の人が聞いたら何か事件に巻き込まれたんじゃないかってくらい叫んでいたというのに、僕は高鼾をかいてまったく起きなかったのである。

状況を聞くと、ちょっと目を離した隙に、娘がおとなしくしているなあと思っていると、なんと娘は、テーブルに置いてあった、妻が使っている乾燥肌用のクリームの蓋を開けて、そのクリームをなめて、しかもひっくり返したというのである。

そのクリームは、ちょっと水っぽい感じのジェル状になっていて、それをじゅうたんの上にぶちまけたものだから、じゅうたんにベットリと、血糊ならぬ、クリーム糊が付いてしまったのである。

Photoじゅうたんにまき散らされた乾燥肌用クリーム(参考画像)。

泣き叫ぶ娘。そして口の周りと服にはベットリとクリームがついている。

寝起きでぼーっとしていて、どのような手順でこの状況を処理していいかわからない。

ぼーっと立ちすくんでいると、

「シャワー!」

という。

あわてて娘の服を脱がせ、シャワーを浴びせることにした。

顔を近づけると、娘の吐く息が乾燥肌用クリームのにおいである。

「酒臭い」ならぬ、「乾燥肌用クリーム臭い」のである。

相当な量のクリームを食べてしまっていることが予想できた。お酒ならば、二日酔いのレベルである。

口の中に指を入れて、ゴシゴシと洗おうとするが、もはや口の中にクリームは残っていなかった。

とにかく体全体をゴシゴシと洗った。

お風呂場を出ると、妻が泣きながらじゅうたんの水拭きしていた。

「まったく、…このクリーム、1000円もしたのに…、こんなに一気になくなるなんて…」

ええええぇぇぇっっっ!!!そっちの心配???

「だって、もったいないから少しずつ塗っていたのよ!!」

それを、娘が一気にぶちまけてしまったのだ。

「それに、せっかくのじゅうたん…カビが生えるかも…」

ええええぇぇぇっっっっっ!!!やっぱりそっちの心配???

まあ、今回ばかりは、というか、今回も、いちばん悪いのは、惰眠をむさぼっていたこの僕なのである。

娘は、そんなことを忘れたかのように、すっかり泣き止んで元気に遊んでいた。

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スマフォカバー放浪記

昨年末の話にさかのぼるが。

12月の最後の三連休(22日~24日)に酷い風邪をひいてしまったのだが、それでも、25日に職場で会議があるので、穴を開けるわけには行かないと思い、無理をして出勤した。

さすがにつらくなったので、早めに帰ろうと思ったのだが、一方で、どうしても気になっていることがあった。できれば、年越しの前に解決したい問題である。

それは何かというと、スマートフォンのカバーを、新しいものに買い換えたいという願望である。いま使っているスマフォは、たぶん2年以上前に買ったものと記憶しているが、そのときに一緒に取り付けた「手帳型カバー」が、ボロボロになってしまったのである。

風邪でテンションも低いし、スマフォのカバーを新しくすれば、少しはテンションが上がるかなあと思い、帰り道、途中下車して、スマフォのカバーを買うことにしたのである。

向かった先は、このスマフォを買ったお店である。いまの家に引っ越す前に買ったので、お店は今の家の近所ではなく、引っ越し前の家の近所にあったので、わざわざ途中下車したのである。そのお店で、スマフォと一緒に手帳型カバーも買ったのであった。

「いらっしゃいませ」

「あのう…このスマフォのカバーを買い換えたいんですけど」

「少々お待ちください」

一つ懸念していることがあった。それは、いま僕の使っているスマフォというのが、とてもマイナーな機種で、2年ほど前に買ったとはいえ、たぶんもう製造していないと思われることである。スマフォの本体がもう発売されていないとすれば、そのカバーも、販売されていない可能性が高い。

少し経って店員さんが戻ってきた。

「お客様、あのう…。うちにはこの機種に合ったカバーの在庫がございません」

予想は的中した。店内には、いろいろなスマフォのカバーが並べられて売られているのだが、そのほとんどが、iPhoneとか、Xperiaとか、人気の機種ばかりであり、僕の使っているマイナーな機種のカバーは、すっかり駆逐されてしまっているのだ。

「ここに並んでいるものがすべてでして、ここになければ在庫はありませんので」

「このスマフォ、ここで買ったんですがね」

「そう言われましても…」

せめて、「お取り寄せになります」とか何とか、ひと言でも言ってほしかった。いや、実際に取り寄せてもらう気はないのだけれど、店員さんは、そんなそぶりはまったく見せず、「ないものはない」の一点張りだったので、少し腹が立ったのである。

もちろん、ないものはないのだから仕方がないのだが、体調の悪さも手伝って、

(2年前にこのお店で売っていたものなんだから、もう少し責任を持ってくれよ…)

という気持ちになってしまった。

「そうですか…。じゃ、じゃあ、どこに行ったら買えますかね?」

私は食い下がった。

「そうですね。この近くに、家電量販店がありますので、そちらに行くとあるかも知れません」

「そうですか。わかりました」

僕はお店を出て、家電量販店に向かった。

家電量販店には、先ほどのお店とは比べものにならないほどたくさんの種類のスマフォカバーが並んでいた。

しかしそのほとんどは、やはりiPhoneとXperiaの機種対応のもので占められていた。

僕は諦め半分で店員さんに聞いてみた。

「あのう、このスマフォに対応するカバーはありますか?」

「少々お待ちください」

店員さんは、陳列されているスマフォカバーのところをさがしたり、誰かに聞きに行ったりしていたりしていたが、結局出した結論は、

「うちの店にはありません」

とのことだった。

「そうですか…。じゃ、じゃあ、どこに行ったら買えますかね?」

「この市内ですと、うちよりも大きな家電量販店が、インターの近くにあります」

「歩いて行けますか?」

「さあ、この辺の地理はよくわかりません」

インターはだいぶ離れたところにあるのを僕は知っていたのだが、この店員さんはそれすらも知らないようだ。あるいは、「何を聞かれても知らないと答えろ」と社員教育を受けているのだろうか??

僕がなぜ、携帯電話ショップや家電量販店が苦手なのか、なんとなく理由がわかってきた。何というか、最後の最後に店員さんにハシゴをはずされる感じ、である。在庫がないものに関しては、一転して「知らぬ存ぜぬ」という態度を貫き通す。それはもちろん仕方のないことなのだが、どうしてもモヤモヤするのである。

「他店に在庫があるか確認してみますね」

とか、

「お取り寄せもできますよ」

というサービスすら、放棄してしまったかのごとくである。

もちろん、そんなのは客の言いがかりだ、ということは、重々承知していますよ。

しかし、どうしても今年中に、スマフォカバーを買い換えたいのだ!

いったん落ち着こう。

そうだ、ネットの通販で買えばいいじゃん、ということに気づいた。

帰りの電車の中で、ネットの通販サイトにアクセスして、目的のスマフォカバーをさがした。

するとやはり、純正品のようなものは生産中止になっているみたいで、ノーブランドのカバーが、細々と売られていることがわかった。さっそく購入ボタンを押した。

やはり、スマフォの機種が変わると、当然ながら、スマフォのカバーも生産されなくなるのだ。そうなると、当然のことながら、店舗ではほとんど売られなくなる。

なるほど、ネット通販にたよらざるを得なくなるわけだ。ネット通販ならば、自分の欲しいものが確実に手に入るし、店員さんの態度にモヤモヤするストレスもない。

しかし、これは究極の自己責任社会だぞ。これでいいのか???

もっとも、今まで客に手厚かったこの国の文化のほうがめずらしくて、世界的にみれば客が自己責任で商品を買うのは当然なのかも知れない。そういうことに慣れていかなければいけないんだね。そんなことを感じた年の初めでした。

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