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4時間半、休みなし

2月22日(金)

またまた旅の空です!

明日土曜日に、まる一日会合があるため、新幹線で西に向かい、前泊した。会合の主催者なので、休むわけに行かない。

今日の午前中は、自分の生まれ育った町で仕事だった。

3年前くらいだったか、自分の生まれ育った町が、数年かけてシリーズ本を刊行するというプロジェクトを立ち上げ、僕もその末端に加わることになった。

僕は29歳になるまで実家に住んでいたし、何かとこの町にはお世話になっていたので、ご恩返しのつもりでそのお仕事を引き受けることにした。

僕が担当する本は、執筆者が全部で5人いて、いずれも僕がふだん恐縮するような先輩たちだった。僕はいちばん年下である。

執筆者のほかに、編集を担当する職員の方が1人いる。基本的に、この6人で、1冊の本を作ることになったのである。

僕以外の方々は、その分野でバリバリ活躍されている方ばかりで、水準の高い本をめざすことを提案した。

僕は、どちらかといえば、市民にわかりやすい本がいいのではないかと思ったが、第一線で活躍されている先輩方を前に、意見を通すことはなかなか難しかった。

何より、できるだけ執筆をする我々の負担が重くならないようにと思っていたのだが、そうはいかなくなってしまったのである。

もう一つ、懸念があった。刊行までのスケジュールが、きつすぎるのである。

これまでの経験だと、原稿が完成してから印刷所へ入稿するまでに1年、校正に1年くらいかけないと、いいものができないのだが、刊行までのスケジュールは、それを大幅に短縮するものであった。

その懸念は、何度か会議の場でも言ったのだが、なかなか理解されなかった。

原稿の締切が2017年9月末に決まり、刊行が2019年3月末と決定された。

ところが、僕は2017年7月に大きな手術をして、その後、ちょっとした闘病生活を送るようになった。

よっぽど、体がつらいのでこの仕事を降りようと思ったのだが、原稿締切の間際になって降りるのは礼に反するかと思い、執筆することにした。

あの、体調が最悪の中で、どのようにして原稿を完成させたのか、今となっては記憶もないのだが、とにもかくにも、締切から1カ月くらい遅れて、原稿を提出した。原稿の分量は、400字の原稿用紙にして200枚近くになった。

さて、ここからが大変である。なにしろ、5人から寄せられた膨大な原稿について、表記の統一だの、校正だのが待っているからである。

世の中で何がいちばん嫌いかというと、校正である。この世に校正さえなければ、心穏やかに暮らすことができるのに、と何度思ったことだろう。

僕は、あの膨大な原稿を自分だけで校正することはとても無理だと思ったので、専門的知識のある大学院生に、あるていどの校正、つまり下読みのようなものをお願いしてはどうかと提案し、その提案が受け入れられた。

大学院生による原稿の下読みは、2018年の年頭から4月くらいまで続いた。

大学院生は、専門的な知識はあるものの、校正の技術がまったくなく、修正部分の赤字が何を意味するのか、意味不明なところもあった。それに、けっこう抜けているところも多かった。結局、自分で全部見直さなければいけなくなり、結果的には二度手間になった。

こうして、提出した原稿の下読みをして、表記の統一やら文字の修正などを行って、ようやく入稿の運びとなるわけだが、この入稿が、なかなか行われなかった。結局、2018年の10月を過ぎた頃に、入稿されたようであった。

この時点で、かなり不安である。刊行まであと半年しかないのだ。

言っても、2019円3月末刊行なんて、お題目だけで、実際は少し遅れてもいいんでしょ?と思っていたら、

「刊行は2019年3月末厳守です」

という。

ええええぇぇぇっ!!そんなの無理だよ!

初校が出たのが年末。

「年明けの1月15日までに初校を戻してください」

との指示。

そんなの、無理に決まってんじゃん!

と思ったが、正月返上して、初校に赤を入れて返した。

編集担当の職員さんのほうでそれをとりまとめて、印刷所に戻したのが、たぶん2月に入ってからだろう。

そもそも、この500頁にもなる本の編集を、職員さん1人で行うこと自体に、無理があるのだ。

僕は、「編集経験のあるプロの人を雇って、校正にあたってもらうべきだ」と意見したのだが、たぶん予算の関係で見送られた。

数年かけての大きなプロジェクトなのに、なぜこんな脆弱な体制なのだろうと、少し哀しくなった。

2月22日時点で、まだ再校は出ていない。

それどころか、先送りにしていた部分の初校が、数日前にようやく出てきた。

送られてきた初校を見ると、直さなければいけないところが山ほどある。

僕は眠い目をこすりながら、100枚近いその初校に目を通した。

で、今日の午前、その初校を持って、編集室に行き、編集担当の職員さんと4時間半、飲まず食わずで初校の読み合わせをした、と、こういうわけである。

こんな形で読み合わせをするのは、先月の27日に続き、2度目である。編集担当の職員さんにしても、1人で悶々と校正作業をするよりも、相談相手がいた方が、気分的にもかなり楽なはずである。それで僕は、「校正の読み合わせ」を提案したのであった。

ほかの執筆者の方は、体調を崩されたり、多忙を極める地位にいたりしていて、あまりご協力いただけそうにない。

編集担当の職員さんも、連日の編集作業で、体調を壊されたようである。

冷静に考えて、2月22日の時点で再校が出ていない500頁の本が、3月末に刊行するとはとうてい思えないのだが、それに加えてこの脆弱な体制である。はたして3月末に刊行できるのか?

もちろんそのために、やれるだけのことをするしかない。一方で、この仕事ばかりにとりかかっているわけにもいかない。本務のほうでも、3月に向けてこれからが修羅場なのである。

考えてみれば、僕の仕事の大半は、こんな感じである。

せめて心覚えのために、この仕事について書きとめておく。

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コメント

年度末刊行なんで無理ですよ。

ですから、全ページ校正するのではなく、300ページ分だけを校正すればいいんです。

そんな校正不正なんかできません。

あのね、こんな分厚い本、隅から隅まで読む人なんていませんよ。大体今回のブログ記事でも「2019円3月末刊行なんて」なんて格好の誤字があるのに、誰もコメント欄で正しい校正など求めてませんでしょ。読者なんてそんなものです。校正のサンプル数を減らした分、我々の時間外勤務も減って人件費も節減されますから、回り回って市民のためにもなるんです。

じゃあ、校正を行う300ページって、どこなんですか。

今、何ページまで終わってますか。

目次も含めて、240ページ目まで終わりましたけど。

じゃ、あと60ページだけ校正して、今日中に校了して下さい。

えええ? 無作為にページを選んで校正しないと、ここは誤字がないけど、ここは誤字だらけと偏ってしまいます。たまたま、誤字の多い箇所を読んだだけで、この本は誤字脱字ばかりでダメな本だと思われたら、せっかく心血を注いで書いて頂いた執筆者の方々に向ける顔がありません。

いいんだよ。どうせ、こんなに分厚いんだから、読者の大半は最初の方だけ読んで、最後まで読まずにやめちゃうから。でも、その300ページ分だけで、わが市の素晴らしい来歴が読者に伝わらない場合は、別のページを校正して差し替えてもらえますから。何しろ、我が市の運営がこれまでいかに素晴らしかったかを後世に伝えることが、この本の刊行目的からですからね。


ま、昨今話題になっていることは、こんなことです。

諦めて、悉皆(しっかい)校正しなさい。

投稿: 校正公正こぶぎ | 2019年2月23日 (土) 10時17分

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