反・地元志向
親戚の子どもが、僕の母校である高校を受験することを考えたのだが、結局、受験するのをやめたのだという。
理由を聞くと、
「あの高校、3年間、クラス替えがないそうじゃないですか。それがイヤで、受験するのをやめたんです」
という。僕の母校は、3年間クラス替えをしないというヘンな「伝統」があった。
なるほど、と思った。3年間クラス替えがないというのは、考えようによっては地獄である。もし、そのクラスになじめなかったら、3年間の高校生活は暗黒世界ということになってしまう。
僕も含めて、僕の周りの同級生や後輩たちは、3年間クラス替えがないことをあたりまえのこととして受けとめてきたので、「3年間クラス替えがないからその高校に行きたくない」という気持ちが、たぶん理解できないだろうと思う。
まあ僕の母校の出身者の多くは、「3年間クラス替えがなくてもそつなくやっていける」人が多かった。
ただ、実際には、「3年間同じクラスでイヤだった」という同級生も、いたのだろうと思う。でもそういう人たちは、結局、クラス会にも出ないので、そういう声がオモテに出ることはないのだろう。
かくいう僕も、3年間クラス替えがないことにいままで何の疑問もなく過ごしてきたが、その親戚のこの発言を聞いて、「なるほど」と思ったのである。
僕は、自分の母校が好きか、と問われると、実はあまり好きではない。在校中は何とも思わなかったが、卒業して何年も経ってから、自分の母校が好きになれなくなったのである。
高校は、「自由な校風」だった。制服もなく、私服で通学していた。
でも、本当に自由だったのだろうか、と振り返って思うことがある。とくに映画「桐島、部活やめるってよ」を見て以降、自分の高校生活を振り返ってみるに、同調圧力の嵐だったのではなかったかと、思わずにはいられないのである。
卒業した多くの友人たちが、意外と保守的な思考を持っていることも感じるようになった。
先日、古い友人と話したときに、
「どうしてうちの母校の人間の多くは、地元志向なのか」
という話題になった。就職も地元だったり、結婚後も、男女問わず、地元に住み続ける人が多い。
僕は、同窓生たちのそういう保守的な気質がイヤで、できるだけ地元から離れたところに住もう、と思い、就職先も、地元から遠いところを厭わずに選んできたのだが、いまは諸事情により、地元に回帰してしまった。
「まったく悔しいよ。まさか自分が地元に戻るとはねえ」
「ほんと、そうですよ」
「それにくらべると、君はうらやましい。仕事の都合とはいえ、ずっと地元から離れたところに住んでいる」
「でも、ずっと賃貸暮らしですからねえ。心のどこかで、地元に戻ることを考えているのかも知れません」
「やっぱり、無意識のうちに地元を志向しているのかねえ」
僕が信頼を置いている友人の多くは、地元を離れて住んでいる人である。偶然かも知れないのだが、僕自身が、そういう人に憧れているのかも知れない。
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