根性論
昨日のパーティーについては、「ガールズバー」をキーワードにちょっとふざけた日記を書いてしまいましたが、パーティーのちゃんとした様子については、出版社のOさんのブログに書かれておりますので、そちらを参照のこと。
昨日のパーティーでは、いろいろな人とお話しできたのだが、ひとつだけ紹介すると。
この本の企画で知り合ったMさんは、映画監督である。僕よりもひとまわりくらい若い。
見た目はひょろ長く、ちょっと神経質そうな感じの方なのだが、実は気さくで、かつ気骨に溢れている感じの方である。
ふつうならば、まったく接点のない世界の人なのだが、こうやっていろいろなお話ししているのだから不思議である。
昨年8月に、Mさんの監督した作品が上映されるというので見に行ったのも、こうした縁からである。
Mさんは、この「料理持ち寄りパーティー」に、自らカレーを作って持ってきていた。インド風のカレーである。
食べてみたら、これが実に美味しかった。本格的な味である。
「カレー、美味しいですねえ」
「そうですか、ありがとうございます。ちょっと、適当に作っていて、失敗したんですがね」
「そうなんですか?とてもそうは思えませんでしたが」
「ええ、味自体は、プロの方に教わったものなのですが、ターメリックを鍋にふりかけていたら、瓶の蓋がはずれて、ドバッと入ってしまいまして、そのリカバリーに苦労しました」
「そうでしたか」
カレーと言えば、と、僕は思い出した。
「僕にもカレーを作るのが好きな友人がいましてね。高校時代の友人なんですが。むかし、その友人にカレーの作り方をよく教わったものです」
「高校時代の友人」とは、このブログにもしばしば登場する人物である。
「そのときは、『タマネギを2時間炒めろ!』なんて言われましてね。みじん切りしたタマネギをフライパンの上で焦がさないように2時間も炒めたものです」
「そうですか」
「このカレーも、そうしたんでしょ?」
「いえ、してません」
「してないんですか?」
「ええ、してません。肉を炒めて、そのあとタマネギをサッと炒めたていどです」
「そうなんですか!」
「そもそも、タマネギを2時間炒める必要なんて、ないんですよ。あれは、甘みを出すためでしょう?甘みを出すためなら、タマネギでなくてもいいんです」
「そうですか…」
「タマネギを2時間炒めるなんて、むかしの根性論の世界ですよ」
「根性論…ですか。つまり、運動しているときに水を飲むな、とか、足腰を鍛えるためにウサギ跳びをしろ、とか、ああいう世界のことですね」
「そうです」
「じゃ、じゃ、スパイスはどうですか?スパイスはたくさん入れたでしょう?」
「2種類だけです」
「たった2種類だけですか?」
「ええ」
「で、でも、これもその友人に教わりましたよ。やれコリアンダーだ、クミンだ、カルダモンだ、シナモンだ、ガラムマサラだ、と」
「もちろんスパイスをたくさん入れれば美味しいですけれど、2種類だけでも、十分に美味しいです」
「そうなんですか…」
自分の常識が、ことごとくくつがえされていった。
「高校時代の友人のもとでカレーを作るときなんか、午前中はタマネギ炒めでまるまる時間がとられて、夕方になってやっと完成したんですから」
「まさしくそれが根性論ですよ。このカレー、1時間半くらいで完成しましたもん」
「それでこんなに美味しいんですか!」
「ええ、そんなに時間をかける必要なんてありません」
なんと、目からウロコである。運動の分野のみならず、カレーの分野にも、昭和時代の根性論が蔓延していたとは!
かくして僕は、カレーにおけるタマネギ炒めの呪縛から解き放たれたのである。
最近のコメント