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2019年3月

根性論

昨日のパーティーについては、「ガールズバー」をキーワードにちょっとふざけた日記を書いてしまいましたが、パーティーのちゃんとした様子については、出版社のOさんのブログに書かれておりますので、そちらを参照のこと。

昨日のパーティーでは、いろいろな人とお話しできたのだが、ひとつだけ紹介すると。

この本の企画で知り合ったMさんは、映画監督である。僕よりもひとまわりくらい若い。

見た目はひょろ長く、ちょっと神経質そうな感じの方なのだが、実は気さくで、かつ気骨に溢れている感じの方である。

ふつうならば、まったく接点のない世界の人なのだが、こうやっていろいろなお話ししているのだから不思議である。

昨年8月に、Mさんの監督した作品が上映されるというので見に行ったのも、こうした縁からである。

Mさんは、この「料理持ち寄りパーティー」に、自らカレーを作って持ってきていた。インド風のカレーである。

食べてみたら、これが実に美味しかった。本格的な味である。

「カレー、美味しいですねえ」

「そうですか、ありがとうございます。ちょっと、適当に作っていて、失敗したんですがね」

「そうなんですか?とてもそうは思えませんでしたが」

「ええ、味自体は、プロの方に教わったものなのですが、ターメリックを鍋にふりかけていたら、瓶の蓋がはずれて、ドバッと入ってしまいまして、そのリカバリーに苦労しました」

「そうでしたか」

カレーと言えば、と、僕は思い出した。

「僕にもカレーを作るのが好きな友人がいましてね。高校時代の友人なんですが。むかし、その友人にカレーの作り方をよく教わったものです」

「高校時代の友人」とは、このブログにもしばしば登場する人物である。

「そのときは、『タマネギを2時間炒めろ!』なんて言われましてね。みじん切りしたタマネギをフライパンの上で焦がさないように2時間も炒めたものです」

「そうですか」

「このカレーも、そうしたんでしょ?」

「いえ、してません」

「してないんですか?」

「ええ、してません。肉を炒めて、そのあとタマネギをサッと炒めたていどです」

「そうなんですか!」

「そもそも、タマネギを2時間炒める必要なんて、ないんですよ。あれは、甘みを出すためでしょう?甘みを出すためなら、タマネギでなくてもいいんです」

「そうですか…」

「タマネギを2時間炒めるなんて、むかしの根性論の世界ですよ」

「根性論…ですか。つまり、運動しているときに水を飲むな、とか、足腰を鍛えるためにウサギ跳びをしろ、とか、ああいう世界のことですね」

「そうです」

「じゃ、じゃ、スパイスはどうですか?スパイスはたくさん入れたでしょう?」

「2種類だけです」

「たった2種類だけですか?」

「ええ」

「で、でも、これもその友人に教わりましたよ。やれコリアンダーだ、クミンだ、カルダモンだ、シナモンだ、ガラムマサラだ、と」

「もちろんスパイスをたくさん入れれば美味しいですけれど、2種類だけでも、十分に美味しいです」

「そうなんですか…」

自分の常識が、ことごとくくつがえされていった。

「高校時代の友人のもとでカレーを作るときなんか、午前中はタマネギ炒めでまるまる時間がとられて、夕方になってやっと完成したんですから」

「まさしくそれが根性論ですよ。このカレー、1時間半くらいで完成しましたもん」

「それでこんなに美味しいんですか!」

「ええ、そんなに時間をかける必要なんてありません」

なんと、目からウロコである。運動の分野のみならず、カレーの分野にも、昭和時代の根性論が蔓延していたとは!

かくして僕は、カレーにおけるタマネギ炒めの呪縛から解き放たれたのである。

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ガールズバーと焼豚

3月30日(土)

重版出来記念!料理持ち寄りパーティー」は、お昼12時開始である。

パーティーの会場となる場所は、都内の雑居ビルの地下にある貸しスペースだという。

Image 事前に調べたところによると、こんな感じのスペースだという。

(なかなかクラシックな感じでいいじゃないか…)

と思っていたら、こぶぎさんがとんでもない情報を教えてくれた。それが、以前のコメント欄である。

「あいご ちょんまる い さじん まじゃよ?おんちょん とっかっとぅん もすび え かげ がいんぬんで ちゃんそ ろ ふぁぎんへっすに、ぱーてぃーるーむ が おぬんで のればん よじゃず ばー が いっそよ(ちんちゃ)。おでぃそ そーしゃる ダイニング い はぬんごえよ。のむ しんぎ へ。」

翻訳すると、

「あれまあ!この写真ほんとかい?これとまったく同じお店があるんだけど。場所を確認してみたら、パーティールームなんかじゃなくって、カラオケガールズバーになってるよ(これホント)どこでソーシャルダイニングをするの?まったく不思議だなあ」

こぶぎさんの調べによると、この写真を検索してみたら、このお店はガールズバーなるお店だ、というのである。

どういうこっちゃ?

心配になって、主催者のOさんに聞いてみたところ、Oさんもよくわからなかったらしく、確認してくれた。そうしたら、

「ふだんはたしかにガールズバーなんですけど、この日はガールズバーをお休みにして、特別に貸し切りで使わせてくれるとのことでした」

という。

どういうこっちゃ?というか、ガールズバーって何だ?乱痴気騒ぎするところ???

なんだかよくわかんないけど、ガールズバーの「残り香」とかがあったらヤだな。

よくわからないまま、当日を迎えた。

さて、今日。集合時間に少し遅れて、目的地に着いた。

地下鉄の駅を降りて、5分ほど歩いたところに、寂しい一角があり、そこに雑居ビルがそびえ立っている。パーティールームは、その地下にあるらしい。

アヤシい!むちゃくちゃアヤシすぎる!

おそるおそる扉を開けると、すでに多くの人が集まっていた。

「鬼瓦先生!お久しぶりです」と、人びとが口々に言う。彼らと会うのは、昨年の7月以来なのだ

ここでは僕は、「先生」と呼ばれている。パーティーの主体は、僕よりも10歳~20歳ほど若い人たちで、私の父と同年生まれのツトムさんを除けば、僕は最年長だからである。

前にも書いたが、どうやら僕は彼らにとって「ウルトラの父」的存在で、最後の最後にあらわれた救世主という役割を与えられているらしい。そのあたりが、どうにも面はゆいのである。

すでにテーブルに料理が並べられていた。

「あのう…料理を持ってきたんですけど」

「鬼瓦先生!料理を作ってこられたんですか!」

「え、ええ」

「何です?」

焼豚なんですけど…」

「焼豚!」

「お正月の福引きでダッチオーブンがあたっちゃってね。それで、焼豚を作ったんです。2時間くらいかかりました」

「心して食べさせていただきます!さっそく並べましょう」

うーむ。そんなにたいそうなものではないんだがな。

編集者のOさんが、フライパンで温め直してくれて、テーブルに並べてくれた。

いずれの料理も力がこもっていて、どれも美味しそうである。

俺の汚ったねえ焼豚なんか、見劣りするばかりなのだ。

しかしみんな気を遣ってくれて、

「鬼瓦先生の焼豚、味が染みてて美味しいですねえ!」

「鬼瓦先生のお作りになった焼豚が食べられるなんて、貴重です!」

などと、こっちが面はゆくなるような感想ばかりを述べてくれる。だからそんなたいしたもんじゃないんだって!

焼豚500グラム(4人分)だけではタリナイかな?と心配していたのだが、ちょうどよい分量だった。

パーティーじたいは、和やかに進んだのだが、いろいろと気になることがあった。

まず、当然あると思っていた調理器具が、ほとんどないことである。

誰かが焼酎のお湯わりを作ろうとしたのだが、肝心のお湯がない。

よく見ると、ポットも置いてないのだ。火元といえば、カセットコンロがひとつあるだけである。

お湯を沸かすためには、水を入れた片手鍋を、カセットコンロにかけて沸かすしかないのだ。で、お湯を沸かしている間は、カセットコンロがふさがっているので、鍋料理なんかを作ることができない。

いつの時代だよ!

あと、冷蔵庫が、「ひとり暮らし用かよ!」くらいの大きさのものしかないので、飲み物を冷やすこともできない。

ふだんガールズバーとして使っているときは、「乾き物」しか出さないのだろうか?

テーブルの幅も小さいので、料理を並べるのも一苦労である。

まったく使い勝手の悪い貸しスペースのようだった。でもまあ、狭いおかげで、いろいろな人とお話しがしやすかったので、結果オーライである。

どうしてこの場所をパーティー会場に選んじゃったのか?それとなく主催者のOさんに聞いてみたところ、

「以前お世話になった貸しスペース会社のホームページを見て、手頃な場所をさがしたところ、ここ見つけて、申し込んだんです」

という。つまり前に使ったことがある、とかではなく、主催者のOさんもはじめて使う場所なのだという。だから、この場所がふだんはガールズバーとして使われていることを知らなかったのだ。

55686847_625183284560171_111208882102704 壁には、「ガールズバーとはなんぞや」を思わせる貼り紙が貼ってあった。

うーむ。ますますよくわからん。ガールズバーって、何だ?

ひとついえることは、ホームページに載っていた部屋の写真から想像したイメージと、実際の部屋とは、ずいぶんと違う、ということだ。

午後7時過ぎ。パーティーはまだまだ続くようだったが、僕は「じゃあこのへんで」と、パーティー会場をあとにした。

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ダッチオーブンの憂鬱

3月29日(金)

年度末最後の平日は、毎年、職場が殺気立っている。

この日までに納品されないと、今年度の予算を執行することができなくなるのだ。

僕も1つ、気を揉んでいる案件があった。

あと1社から納品されれば、これで今年度の予算執行は大団円を迎えるのだが、その1社から、待てど暮らせど連絡がない。

今日は朝から忙しく、午後からは仕事仲間が二人ほどうちの職場に来て、ちょっとした会合を行うことになっていた。つまり午後からは、会議室に拘束され、身動きがとれないのである。

ようやく夕方3時半、一段落して暫時休憩となったので、事務室に走った。

「納品されましたかっ??」

「…まだのようです」

もう3時半である。さすがに届いていないとマズい。

業者に電話をしたところ、電話を取り次いだ先方の社員が、ひどく要領を得ない方でこちらは何度も同じ話をさせられる羽目になった。

ようやく担当の方と連絡が取れた。

「まだ納品されていないようなのですが…」

「昨日の夜、投函しました」

「昨日の夜、…ですか?」

「ええ」

「じゃあ今日には間に合わないってことですか???}

「そうかも知れません。でも明日には着くかと…」

おいおい!明日は土曜日だぞ。うちのような職場は、土日は通常業務をしないのだ!

口を酸っぱくして、年度内に納品してくださいとお願いしていたのに、いったい何年この業界で仕事してるんだ!と、喉元まででかかったが、グッとこらえた。

結局納品は間に合わず、新年度の予算にまわすことになった。

そもそも、3月末日までに納品されたものをこの目で確認しなければ、今年度の予算からお支払いすることができません、というこの国の妙な慣習のために、われわれも翻弄されるわけだが、そのことをわかっているはずの手練の業者が、こんなマヌケなミスをするというのも、どうかしている。

まあ仕方がない、と思いつつ、グッタリしてしまった。

さらにグッタリすることがある。

それは、明日、例の「料理持ち寄りパーティー」があるのだ。

このところめちゃくちゃ忙しくて、何の準備もしていない!

パーティーの主催者から、リマインドのメールが来ていた。

「あっという間に明日となりました。

明日は、総勢17名前後の方がお集まりくださいます。

みなさまご多用のところ、ご調整いただきほんとうにありがとうございます。

12時集合としておりますが、会場は10時から開錠しております。すこし早くご到着される場合も、ご遠慮なく12時前にお越しください。

食事メニュー、現時点で伺っているラインナップは、下記の通りです。

・キャロットラペ
・スベリヒユ料理
・お赤飯
・鶏肉と卵
・オードブル
・白菜のお鍋料理
・いちご
・チーズケーキ

似たようなお料理が重なってしまってもまったく問題ありませんので、お好きなものをお持ち寄りいただけましたら幸いです」

うーむ。困った。やっぱり持ち寄れってことだよな…。

いっそ手ぶらでいっちゃおうかな、と心が折れかけていたのだが、帰りがけに妻から、

「明日のパーティーのために焼豚を作るんでしょ?肉は500グラム買うように。ついでに牛乳とヨーグルトが切れたんで買ってきて」

と連絡が来たので、仕方がない、帰りがけにスーパーに寄って、焼豚の材料と、ついでに牛乳とヨーグルトを買ってきた。

夕食を食べ終え、娘を寝かしつけたあと、ようやく焼豚の調理にとりかかる。

前に書いたように、ダッチオーブンという鉄鍋みたいなものを使って調理するのだが、これがなかなかめんどくさい。

グツグツグツグツと、1時間半くらい煮込んで、ようやく完成した。

面倒なのは、この後なのである。

鉄鍋みたいなダッチオーブンを洗って汚れを落とさなければならない。しかも早く洗わないと、錆びてしまうというのである。

しかし洗う際には、洗剤を使わずにゴシゴシと汚れを取らなければならない。絶対に洗剤を使ってはいけないのだ。

もう汚れが落ちたかな?というところで、水で洗い流してきれいにする。

するとダッチオーブンに水滴が残るので、その水滴を飛ばすために、いったん火にかけて空焚きするのである。

で、水滴がなくなって乾いた鍋底に、今度はサラダ油を塗らなければならない。

しかし、火を止めてすぐの段階では、鉄鍋がものすごく熱いので、鉄鍋を少し冷ましてから、サラダ油を鍋底に塗るのである。

これでようやく、ダッチオーブンの掃除が終わるのだ。

そんなこんなで、焼豚を作るのに2時間くらいかかってしまった。

さて、できあがった焼豚は、たった4人前である!見た目が貧相だなあ。

参加者が17人もいるのに、これでは焼け石に水ではないか!

これだけ時間をかけて作っても、さほど美味しくなかったらどうしよう。

持っていくのが恥ずかしくなってしまったのだが、作ってしまったものは仕方がないので、一応持っていくことにする。

はたして明日のパーティーはどうなるのか???

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ハドソン川の奇跡

リムジンバスの奇跡

フラミンゴの奇跡

クリント・イーストウッド監督の映画「ハドソン川の奇跡」をようやく見た。2009年に実際にニューヨークで起こった飛行機事故を映画化したものである。

USエアウェイズ1549便が、ハドソン川に不時着したのだが、機長らの適切な対応により乗客・乗組員全員が無事に救助された。それはのちに「ハドソン川の奇跡」と呼ばれ、機長は英雄として賞賛されたのだが、実は事故調査委員会は、機長の対応に疑問を抱いていた。はたして、機長の判断は正しかったのか?

いやあ、面白かった。

まず、まったく無駄がない。上映時間は約90分と、ふつうの映画からするとやや短めだが、もうね、完璧な作りなのだ。

あと、アメリカ人の理想像が描かれている。クリント・イーストウッドは、映画の中でつねにアメリカ人の理想、といったものを追求しているように思えるのだが(といっても、クリント・イーストウッドの映画を見たことはあまりないのだが)、この事件は、まさにクリント・イーストウッドにとってはうってつけの主題だったのだろう。だから映画に迷いがないのだ。そしてアメリカ人の理想を演じさせたら、トム・ハンクスの右に出るものはいない。

僕が身につまされたのは、飛行機の操縦士としての経験も厚く、自分の仕事に誇りを持って生きているトム・ハンクス演じる機長のサリーが、事故への対応をめぐって、自分の判断がほんとうに正しかったのか、思い悩む場面である。

ここから先はネタバレなのだが。

事故調査委員会がコンピューターでシミュレーションしたところ、エンジンのトラブルが起こってから、空港に引き返すことは十分に可能だったとし、引き返さずにハドソン川に着水させたのは、いたずらに乗客を命の危険にさらす誤った判断だった、と結論づけた。

機長と副操縦士は、「そんなことはない」と反論する。あのときはたしかに、ハドソン川に着水するよりほかに手段がなかったのだ、と反論する。

はたして、コンピューターが計算ではじき出した結果が正しいのか?それとも、操縦士としての豊富な経験に裏付けられた判断が正しかったのか?

機長のサリーは、あのときの判断が正しかったのか、何度も何度も反芻し、思い悩むのである。

この場面が、身につまされたのである。

これって、レベルの違いこそあれ、職業人であれば誰にでも起こりうることではないだろうか。

すごーくレベルの低い話なのだが、自分の体験に照らし合わせてみる。

先日、職場の店舗の一部が新装開店した。

新装開店のために7年かけて十分に準備し、いろいろな判断を繰り返しながら、新店舗を作りあげていった。

その都度、「この判断でいいのだろうか?」と思い悩んだ。

しかし、いろいろな事情をかんがみて、不十分だと思いつつも、その中で最良と思われる判断をして、新店舗を作りあげた。

新店舗公開後、いろいろな人が見に来て、

「あそこは、こうした方がよかったんじゃないか」

といった意見が、山ほど出された。

ほんとうに、山ほど言われるのである。

見に来た人が100人いたら、100人に言われるのである。

そのたびに、「自分の判断は、間違っていたのではないか」と、その判断に至った経過を思い出し、思い悩むのである。

まあ、バカ正直にいちいち思い悩んでいたら、病気になってしまうので、あるていど聞き流すことにはしているが。

でも、プロの職業人として、そういうことが大事なんだろうな、と思う。

だから人生の局面に、機長が悩んだような場面が、どんな人にも訪れるのだ。

ちなみに、同じような飛行機事故を扱った映画にデンゼルワシントン主演の「フライト」という映画があり、こちらの方はまったくのフィクションだが、これはこれでとてもおもしろい。

「ハドソン川の奇跡」と「フライト」を合わせて見ることをおすすめする。

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靴はどこへ行った

3月26日(火)

4月からの保育園入園に備えて、娘の靴を買った。当然、小さい靴である。

3月21日(木)、この日は春分の日である。

父の墓参りをしたあと、娘を連れて実家に立ち寄った。そこで、靴を履いて歩く娘の姿を母(つまり娘にとってのおばあちゃん)に披露した。歩く、といっても、靴を履いてオモテを歩いたことはまだなく、もっぱら家の中で歩くだけである。娘はうれしそうに、家の中を歩いていた。

さて、その翌日の夜のことである。

僕は職場での会合の準備のため、職場に泊まり込んでいたのだが、妻から連絡が来た。

「靴の片方が見当たらない。家の中をくまなく探してみても見つからない。家にないということは、実家に置いてきたか、車に落ちているかのどちらかだと思うので、車を探してみてほしい」

僕はこの日、車で通勤していたのだが、すでに夜で真っ暗なので、明るくなった翌朝に車内をさがすことにした。

もう一つの可能性は、実家である。実家の母に電話をかけて聞いてみた。

しばらく探してもらったが、実家にはないという。

僕はそのときのことをだんだん思い出してきた。たしか、帰る間際に、「お世話バッグ」の中に靴が入っていることを確認していた。そのときは、両足の靴が揃って入っていたのだ。だから、実家に落ちているはずはないのだ。

だが、母は電話口でこんなことを言った。

「帰るときに、玄関で靴を脱がしていたわよね。そのときに落ちたのかしら」

母によると、娘は家の中で靴を履いたままだったが、帰る段になって、妻が玄関で娘の靴を脱がして、娘を車に乗せたのだ、という。

「でも、いま玄関も探してみたけど、なかったわねえ」

「わかったわかった。もういいよ。明日車の中を探してみるから」

といって電話を切った。

するとしばらく立って、母から電話が来た。

「思い出したわ。玄関で靴を脱がしたあと、○○さん(妻の名)が、その靴を自分の服のポケットに入れたのよ。だからきっとポケットの中に入っているはずよ」

「いま何時だと思ってるんだよ!もう12時だよ!」

いつもは9時には寝ているはずの母が、夜中の12時に電話をかけてきたということは、その間ずーっと靴のことを考えて眠れなかった、ということなのだろう。見かけによらず、気に病むタイプなのだ。

「はっきり思い出したのよ!○○さんに確認してみてちょうだい」

「もういいったら!」

といって、電話を切った。

玄関で娘の靴を脱がした妻がその靴をポケットに入れているのを見た、という母の証言は、どうにも納得できないものだった。

なぜなら、妻は、ポケットに何かを入れるということを、ひどく嫌うからである。

妻が、無意識であるにせよ、靴をポケットに入れることなど、ありえないのである。

そもそも僕は、実家を出る際に「お世話バッグ」の中に靴が両足入っていることを確認しているのだ。

妻も、玄関で靴を脱がせた記憶はないと言っている。

はたして、真相はどっちなのか?

翌朝、明るくなってから、車の中をさがしたが、やはり靴は見つからなかった。

となると、残る可能性は、わが家で靴が消えた、ということである。

妻に聞いてみると、実家から戻った後、娘の寝室のクローゼットの中に、靴をしまったのだという。

で、翌日の金曜日、クローゼットから靴を取り出そうと思ったら、片方がないことに気づいたというのである。

「クローゼットの中をいくら探してもないのよ」

クローゼットといっても広さはたかが知れている。見つかりにくいという空間ではないのだ。

うーむ。消えた靴の片方は、どこに行ってしまったのか?

かくして、数日が過ぎた。

そして今日。

妻から連絡が来た。

「発見!何度も確認したクローゼットから出現。不思議」

なんと!結局、消えた片方の靴は、同じクローゼットの中にあったのだ!

「こんなことって、あるのかね」と妻。

「あるよ」と僕。

以前、似たような体験をしたことがあるのだ。

今日の空脳

つまりこれは、空脳なのである。

これで、一件落着、と思ったが、ひとつ大きな問題が残った。

それは、「帰るときに、娘の靴を妻が脱がせてそれを自分のポケットにしまった」という、母の記憶である。

母は、かなり確信をもってこの記憶を何度も主張したのだが、この記憶は、まったくのでたらめだった、ということになる。

これもまた、空脳なのだろうか?

さらに不思議なのは、この靴が見つかったのが、偶然にも娘の誕生日の日だったということである。靴の片方がすぐに見つかったわけではなく、あたかも娘の誕生日を待っていたかのように見つかったのである。

ひょっとしてこれは、神様がくれた誕生日プレゼントなのか?

…というわけで、娘は1歳になりました。

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続・強行軍

3月25日(月)

僕がホストをつとめる、2日間にわたる会合は、無事に終了した。

気を張りすぎてヘトヘトだが、今日は、片道5時間近くかかる「特急のすれ違う駅」の町に日帰り出張である。

以前と同様、北へ向かう新幹線に乗って県庁所在地のある駅で降りて、そこから迎えに来てくれた車に乗って、1時間半ほど移動する。

そこで、2時間半ほどの会議をやって、とんぼ返りである。ほんとうは、じっくりと滞在してみたいんだがなあ。

明日は朝から夕方まで、職場で来客対応と会議がある。ひとまず、明日までは乗り切ろう。

そのあと、時間をとって少し落ち着いて文章を書くことにする。

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最後の会合

3月23日(土)

昨日から職場に泊まり込みである。

今日から2日間、僕がホスト役をつとめる会合があり、全国各地から10人ほどのお客さんをお招きするのだ。

3年間続けてきたプロジェクトの、最後の会合である。

新店舗が開店したばかりでただでさえ忙しいのに、そのうえ週末をつぶして2日間の会合を実施するのは、体力的にかなり無理があるのだが、一方でメンバーの方々に新店舗のお披露目したかったこともあり、この週末に会合を行うことにしたのであった。

いつもアルバイトできてくれる学生が、体調不良で来られなくなり、資料の印刷や飲料水の調達や会場の設営、さらには打ち上げの段取りなど、全部僕ひとりでやらなければならなかった。

会合じたいは、はじまってしまうと滞りなく進む。会合に参加する人たちは、いずれも僕よりもはるかにちゃんとした人たちばかりなので、形さえ作ってしまえば、あとは自然と意義ある会合にしてくれるのだ。その点は、いつもありがたい。

午後1時から午後9時まで、ノンストップの8時間だった。

あと一日、頑張ろう。

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新聞のコラムとマンガの監修

相変わらず、リニューアルされたブログの管理画面が使いづらいので、長い記事を書く気が起こらない。

あまり人の目に触れない仕事をする機会が多い。

たとえば、今月の初め頃だったか、全国紙の新聞、いわゆる三大紙の一つに、ちょっとしたコラムを書いたんですよ!

…こう書くと、人の目に触れる仕事をしているように思うでしょう。さにあらず。

なぜなら、僕にはさほど縁もゆかりもない地方の、地方版にしか載らなかったからである。こぶぎさんが気づかないのも、無理はない。

そしていま手がけているのは、マンガの監修である!

…こう書くと、なんかすごい仕事のように思えるが、正確に言うと、ある地方都市の、デザイン学校のマンガ専攻の学生さんが書いたマンガの監修をすることになり、ごくごく一部の地域にしか出まわらない冊子になる予定である。年度明けの4月くらいに出る予定だそうである。

いずれも地味な仕事だが、僕にとっては得がたい体験である。

そういえば、どちらの仕事も、ギャラの話は一切出ていない。またノーギャラか?(笑)

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リニューアル

<p>3月19日(火)

ついにリニューアルしました!

何が?って、みんなが待ちに待っていたアレですよ!

そう!

「ココログ」の管理画面がリニューアルされました!

おかげで、スゲー使いにくい!使い勝手が悪い!

慣れてないとか、そういう問題じゃないです。

書く気が失せるリニューアルです!

だいたい、改行の仕方がよくわかんない。

以前ならば、改行ボタンを1回押すと自然に1行空いたようなレイアウトになって、読みやすかったのですが、今回は、まるでベタ打ちみたいな感じになる。もうね。長い記事なんて書く気が失せます。

だいたい、なんでもそうですが、リニューアルするとろくなことはない。

「マツコ・有吉の怒り新党」が、「マツコ・有吉のかりそめ天国」にリニューアルされたとき、全員が全員、「前の方がよかった」って思ったでしょう?

テレビ番組に限らず、だいたいリニューアルってのは、実は予算削減が目的だったりするのです。

「ココログ」の管理画面のリニューアルも、さしずめそんなところなんでしょう。

リニューアルなんて、するもんじゃありません。

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開幕式

3月18日(月)

前日(日曜日)の夕方、ギリギリに納品されたものを並べ終わり、なんとか開幕式に間に合った。

そしていよいよ開幕式当日。

僕の役目は、韓国からいらしたVIPをアテンドすることである。

韓国からは4人の社長と、そのそれぞれに随行員が一人ずつ付いて、合わせて8名がおいでになることになっていた。

4年半前の、「最も苛酷な3泊4日」を思い出す。

4人の社長とは、いずれも初対面だと思っていたが、お一人、見たことのある顔の方がいらっしゃった。

…思い出した!

ソメク論争」のときのキム支店長だ!いまは栄転してB社の本社に戻っているんだな。

のちにキム社長に「ソメク論争」のときのことをお話ししたら、ご本人は覚えていらっしゃらなかったが、

「あのとき、こちらが変わったことをしたおかげで、覚えていてくれたんだね」

とおっしゃった。

B社のユン社長とは、名刺を交換したときに

「ああ、鬼瓦さん!」

と、なぜか僕の名前を知っていた。

「あなた以前、韓国のK大学に留学していたでしょう」

「ええ。C先生のもとで勉強していました」

「私も、C先生の教え子ですよ」

「そうでしたか!」

いわば、兄弟弟子というわけである。

「先日、C先生にお会いしたら、あなたの話題が出てね」ほんとうに、世間は狭い。

4人の社長のうち、C社のペ社長が、ほかの3人の社長よりも格が上である。「要人」といってもいいランクの方である。そのせいもあってか、

風格もあり、威厳もあり、少々気難しそうな印象があった。

(うーむ、何か不手際があったら怒られそうだな…)

私は少し、緊張した。

もうお一方、P社のキム社長は、マイペースな感じの方だった。

僕を含めた4名の同僚は、韓国のVIPにぴったりとくっついて、そのつどいろいろな対応をしなければならない。

お昼のお弁当を配ったり、お茶を入れたり、式典会場に誘導したり、胸元に付ける徽章を忘れずにお渡ししたり、等々。VIPが不便に思われないようにありとあらゆることに対応するのである。

全体に段取りが悪く、VIPが手持ち無沙汰になる場面もしばしばあったのだが、それでも、なんとか間を持たせなければならない。

午後2時から始まった開幕式には、300人弱のお客さんがいらっしゃった。

祝辞を述べていただく主賓は、ホールの舞台上に設置された椅子に座っていただくことになっており、そこには、ペ社長とキム社長のお二人も含まれていた。

僕は舞台上にあがり、韓国のVIPの後ろに控えて、祝辞のタイミングを耳打ちしたりする役目だった。

ほんとうならば、日本側の主賓の祝辞も耳元で通訳しなければならないのだろうが、僕の韓国語能力ではとてもできないので諦めた。

結果的に、僕は舞台上でほとんど役に立たなかった。

(うーむ。これではなんのために俺は舞台上にあがったのかわからない)

うなだれて舞台を降りようとすると、ペ社長が

「お疲れさま、ありがとう」

と、肩を叩いてくれた。

開幕式が終わり、テープカットを経て、いよいよ内覧会である。

ここでの僕の役割は、ペ社長にピッタリとくっついて行動すること、である。

よりによって、いちばん格が上の、しかも威厳のあるペ社長を担当するというのは、荷が重い。

しかも、僕はほとんど通訳ができず、ただただ、ペ社長の近くにいるだけである。

この内覧会の時間が、1時間半ほどあり、なんとか手持ち無沙汰にならないように、いろいろと案内したのだが、それでも思うように説明ができず、ただただ、ペ社長の近くに控えているだけになってしまった。

ペ社長も、黙って、何もおっしゃらない。

(うーむ。ご機嫌を損ねてしまったかな)

と、ひどく落ち込んだ。

午後5時半から、立食形式のレセプションが始まり、そこでも、韓国のVIPにつかず離れず、といった感じで、1時間半が過ぎた。

午後7時過ぎ、レセプションが終わり、今度は2次会である。送迎バスで20分ほどかかる和食のお店に場所を移した。

この2次会は、うちの会長や社長、副社長といった幹部が、韓国のVIPを招待するという会で、僕は2次会の司会をすることになっていた。

会じたいは和やかに進んだが、このあたりになると、疲労がピークに達していて、僕の司会進行も、グダグダなものになってしまった。

午後10時、2次会はようやくお開きになった。

ああ、これでようやく今日の日程が終わった!

と、予約していたホテルに向かおうとしたら、ペ社長が、

「もう1軒行こう」

とおっしゃったので、急遽、チェーン店の居酒屋で3次会を設定することになった。

うちの会長、社長、副社長は帰り、日本側で残ったのは、僕を含めた、韓国VIP対応チームの4人である。僕ら4人は平社員なので、韓国のVIPのみなさんも、気兼ねなくお話しすることができたようだった。

(この宴、いつまで続くんだろう…)

と心配したが、日付が変わる頃になって、お開きになった。

最後に、ペ社長が、締めの挨拶をされた。

「ここにいる日本のチング(友人)たちの献身的な努力のおかげで、今日はとてもいい1日になった。これからも韓国と日本で交流を進めていきたい。みんな、このチングたちに拍手してくれ」

韓国のお客さんたちが、拍手をしてくれて、

「今度はソウルで会いましょう」

と口々に言ってくれた。

かくして、長い一日が終わった。

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味方はどこにいる

以前、こんな文章を書いた。

味方は外(そと)にいる」(2013年2月12日)

「今から5年くらい前だろうか。学校での「いじめ」による自殺が問題になったときがあって、そのときに、私と同じ世代のラジオDJが、いじめを受けている子たちに、次のようなことを言っていたのを、急に思い出した。 

「お前ら、ビックリするかもしれないけど、いまお前の周りにいる30人が全員敵だろ?だけど、その周りに300人いて、その周りの3000人が全員敵になる瞬間があって、でも、3万人が急に味方するときがあるから、その一層だけで判断するな!」 

この言葉、大人になると、すごくよくわかる。 

私はこの稼業についてから何度か、周りが敵になる瞬間、というのを経験したことがある。そのたびに、くさったりいじけたりした。いまでもたまに、そうである。 

敵、とはいわないまでも、こちらの真意がまったく理解されず、相手にされない、ということは、いまでもよくある。 

しかしその外側に、味方がいることを知った。 

周りが全員、敵だとしても、くさることはない。 

その外側には、ビックリするくらいの数の味方がいるかも知れないのだ。 

それくらい、世界は広い。 

だから、視野を広げた方が勝ちである。」

ラジオパーソナリティーと、そのときの対談相手であるゲスト、二人は同い年の古い友人同士なのだが、このときの二人の話は、いじめで悩んでいる人たちにとって、勇気づけられる話だった。

このときのラジオを聴いていた人は、

「人生というのか世の中というのか、何と皮肉なめぐり合わせだろう」

と、いま思っているに違いない。

というのも、最近、このときのゲストが、今まで味方だった自分の周りの3万人が全員、敵になる、という経験をしたからである。

まあ身から出た錆といってしまえばそれまでなのだが、それにしても、この仕打ちはちょっと酷すぎると思わざるを得ない。

結局、他人が自分を見る目(あるいは自分が他人を見る目)、というのは、そんなていどなんだろうか、と、こういうニュースが出るたびに、いつも思うのである。

ちょっと次元が違う話だが、ある時期まで親しかった友人が、何かのきっかけで急に離れていく、といった経験を、僕は何度もしており、つい最近も、そんなことを感じた経験がある。

原因はもちろん僕の方にあるのだと思うのだが、自分に思い当たる節がない場合も多く、そんなときは、僕がそのていどの人間だったのだろうと諦めることにしている。

さて、そのラジオパーソナリティーは、その古い友人について、自分の番組でコメントしていた。

彼を決して擁護するわけではなく、といって切り捨てるわけでもなく、その友人に対する自分の気持ちを率直に語っていた。そして、

「いま立ち直ろうとしてる人や立ち直らせようとしてる人もいるから、そういう人を失望させちゃいけない」

と、同じことで悩んでいる人を励ます、という形で、その友人を励ましたのである。

わずか数分のトークだったが、友情を伝えるに十分な時間だったのではないだろうか。

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満身創痍

3月15日(金)

いよいよ、来週に迫った新店舗開店だが。

実にいろいろなことがあった。

「いろいろなこと」というのは、さまざまなトラブルのことである。

いつかどこかで裏話を書きたいとも思っているのだが、さすがに、ここには書けない。

といって、「墓場まで持っていく」ような話でもない。

ま、わからないように、少しずつ小出しに書いていくことにしようか。

映画「大脱走」で、ちょっとずつ監獄の壁に穴を開けて、そのときに出た砂を、外出の折に地面に撒くような感じで。

…ちょっとたとえがわかりにくい。

このたびの新店舗開店で、獅子奮迅の活躍をしたのが、Oさんである。孤軍奮闘といってもいい。

ほとんどの仕事は、最終的にはOさんのもとに集中した。Oさんは持ち前のバイタリティーで、なんとかふんばっている。

数日前だったか、廊下でOさんとすれ違ったとき、

「僕も、やっちゃいました」

と、僕に言った。

「何がです?」

「肋骨です」

「肋骨、折ったんですか?」

「どうもそのようです」

見ると、Yシャツの上から、腹巻きみたいなサポーターをしているではないか!

(胸の周りをサポーターで巻いても、あんまり意味ないんじゃないかな…)

と思いながら、まあ「気は心」と言うからと、僕はサポーターについては触れなかった。

「やっぱり、働き過ぎの疲労骨折でしょうか」

「わかりません。そもそもそういうのって、疲労骨折って言うんでしょうか?」

あるいは、骨折は伝染するのか?とも思ったが、言うのを思いとどまった。

いずれにしても、毎日あれだけ無茶な仕事の仕方をしているんだから、肋骨のひとつも折れるだろう。

毎日毎日、いろいろなトラブルが起こる。そのたびに、Oさんが矢面に立ってトラブルの解決にあたる。

しかし、Oさんではいかんともしがたいトラブル、というのもある。

昨日の夕方も、ちょっとした問題が起こった。

もう退勤しようかと思っていた矢先、Oさんが僕の仕事部屋にやって来た。

かくかくしかじか、という相談である。

ま、ふつうだったらやり過ごしてしまうような内容なのだが、気がついちゃったんだから仕方がない。

僕もOさんの話を聞いて、なるほどその通りだと思った。

「わかりました。なんとか対応を考えましょう」

…といっても、打つ手などなく、話のわかる同僚にメールで相談してみたところ、夜遅くに返信が来た。

「私は部外者なので、私がしゃしゃり出ても問題の根本的な解決にはならない。チームの中で問題を共有することが大事ではないか」

と至極まっとうな正論である。

こりゃあ、明日もう一度、Oさんに話を聞いて対応を考えるしかないな、と思い、Oさんにそのようにメールを書いた。午前0時頃のことである。

翌朝、メールを確認すると、Oさんから返事が来ていた。

「本日、朝起きたところちょっと皮膚の炎症を起こしているようなので、 出勤までに引かなければ、皮膚科に行こうと思いますので、職場到着が昼頃になるかと思います。改めてご相談させていただければと思います」

なんと!肋骨の骨折に加えて、皮膚の炎症だと!明らかにこれは、疲労によるストレスではないだろうか?

それ以上にビックリしたのは、メールの返信を送ってきた時間である。

午前4時18分とあるではないか!

朝4時に起きて、メールを書いたってことか?

毎日遅くまで仕事をしているはずなのに、朝4時に起きるとは、と、他人事ながら心配になってきた。

さて今日、僕が朝6時に家を出て、片道2時間半かけて職場に到着したのが、8時半過ぎである。

自分の仕事部屋に行くときに、Oさんのいる部署の部屋を通るのだが、なんとOさんはすでに出勤しているではないか!

ということは、皮膚の炎症はおさまったということか??

いずれにしても、Oさんは満身創痍の中、新店舗開店にむけてラストスパートをかけているのである。

そんな中で起こった、ちょっとした問題だったのだが、解決までは至らなかったものの、なんとなく、今後の展望がみえてきた。

事態は5ミリくらい進展した、といっていいだろう。

しかし裏でこんなことで頭を悩ませているとは、たぶんほかの人にはわからない。

満身創痍になりながらも、表面には見えないさまざまな問題に頭を悩ませながら、来週、何事もなかったかのようにオープンするのである。

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透明人間

3月14日(木)

今日はいよいよ、報道陣向けの、内覧会である。

当日の朝、ボスから各店舗のメンバーに一斉メールが来た。

「13時30分に最初の集合場所にお集まりください。そのあと、各自新店舗の説明をしてもらいます。1店舗あたりの持ち時間は15分です。よろしく」

これだけ。

うーむ。これはどういうことだろう。どうやら14日に報道陣向けの内覧会をするらしいとは聞いていたが、事前には何も聞いていなかった。当日の朝になって、ようやく段取りらしきものが送られてきたのである。

各店舗のリーダーが、お客さんを新店舗に招いて、15分の説明をするということだけはわかった。

その説明をする中に、俺は含まれるのか?含まれないのか?

俺は、その場にいた方がいいのか?いなくてもいいのか?

そのあたりが、まったくわからない。

僕もプロジェクトのメンバーの1人であることは間違いないのだが、僕は店舗のリーダーではなく、サブのサブくらいの位置の人間である。なので、僕がその場に呼ばれているのかどうか、このメールでは、まったくわからないのである。

チーム全員に、一斉メールが来たということは、俺も出席しろってことだよな?

確認しようと思ったが、ボスに、

「そんなこといちいち確認するなよ。出席するに決まってんだろ!」

と言われそうなので、うっかり確認もできない。

この日の俺の役割って、何だ?

何をすればいいんだ?

何も説明を受けぬまま、13時30分に、とりあえず、最初の集合場所に行った。

すると、チームのメンバーは、いずれもリーダーばかりが来ていて、サブの人間は誰も来ていない。

(やっぱり、リーダーだけでよかったんだな)

そうは言っても、集合場所に来てしまった以上、帰るわけにもいかないので、仕方なくその場所にいることにした。

それにしても、自分が何をしていいのかわからない。各店舗のリーダーたちは、僕にまったく気づいていない様子である。

(さながら透明人間だな…)

黙って座っていると、開会式が始まった。

新店舗をたばねるボスが、

「それでは、今回の新店舗プロジェクトのメンバーを紹介します」

と言って、一人一人紹介を始めた。

(一応俺も、プロジェクトのメンバーだから、紹介されるんだろうな)

と思って待っていたら、紹介されたのはリーダーたちだけで、僕は紹介されなかった!

(ますます透明人間だぞ!)

俺はいったい何のためにこの場にいるのか?と、わからなくなってしまった。

こんな時にいつも思い出すのが、スーパー・エキセントリック・シアターの「初舞台」というコントである。

これまでの人生の中で、俺はいったい何の役割なのか?俺はいてもいなくてもいい人間なのか?と思う場面が何度もあったのだが、そのたびに、このコントを思い出すのである。

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史上最強のどーでもいいニュース

このブログも今やすっかり閑古鳥が鳴いているし、体調もアレな感じなので、超どーでもいい話を書く。

以前、「クールス」という、どーでもいい話を書いたことがあるが、それをはるかに凌ぐ、どーでもいい話である。

最近のいちばんの衝撃的な芸能ニュースといえば???

そう!最近テレビで大活躍している、あのアラフィフのミュージシャンの衝撃的な事件ですよ!!!

…ここまで書いてもおわかりでない?

高嶋ちさ子の「仕事セーブ宣言」のニュースですよ!

なんといっても芸能界に衝撃が走ったニュースが、これですよねえ。

…という冗談はさておき。

「高嶋ちさ子が仕事セーブ宣言をした」というニュース自体、心底どーでもいいニュースである。何でこんなことがニュースになるんだ???

このニュース自体、どーでもいいニュースなのだが、これに輪をかけてどーでもいい記事をインターネットで見つけた。

「フジ軽部アナ、高嶋の近況「とにかく多忙」仕事セーブ宣言に理解 伊藤アナが明かす

デイリースポーツ/神戸新聞社 2019/03/12 09:55

フジテレビの伊藤利尋アナウンサーが12日、同局の「とくダネ!」で、仕事セーブを宣言した高嶋ちさ子について、一緒にコンサートを行っている軽部真一アナウンサーから聞いた高嶋の近況を明かした。

番組では、高嶋の家庭優先、仕事セーブ宣言の反響について特集。高嶋は10日のブログで「今後、平日のお仕事は、子供が学校から帰宅する時間までに終わる物しか絶対にお引き受けしません。例外もなくします」と宣言。「私は仕事人ではなくお母さんなので、仕事はセーブさせて頂きます。それで干されても良いです。このままだと息子に干されそうなので」と、子供を最優先にしていくことを誓っていた。

この内情について、小倉智昭は「ちさ子さんに関しては、軽部アナウンサーが一番よく知ってると思うんだけど取材したの?」と伊藤アナに尋ねた。

軽部アナは長年高嶋と一緒にクラシックコンサートを行っており、公私にわたって親交が深い。伊藤アナは「ですから、特に下のお子さんの今の状態については、とっても気をもんでらっしゃるところもあって。その子のためにというところはあるようですが」とコメント。

「ただ、とにかく近年、超多忙だという中で、ちさ子さん流のブレイク宣言をかけられたのかなあと、そういう趣旨でした」と軽部アナから聞いた高嶋の最近の様子を明かしていた。」

この記事、すごくない?最初読んだとき、ラジオのハガキネタかと思った。

「フジテレビの伊藤利尋アナが、軽部真一アナから聞いた高嶋ちさ子の近況を明かした」って、どんだけ間接的な情報なんだよ!!!

で、聞いた結果が、「とにかく多忙」って、何にも言ってないに等しいじゃん!

ま、テレビで見たことやラジオで聴いたことをそのまま記事にするのは、最近よくあることだけど、その中でも、この記事はダントツのどーでもいい記事ではないだろうか。

子どものころ、新聞記者とか雑誌記者になりたいと思っていたのだがなあ…(小学校の卒業文集にそう書いた)。

まことに不可解な時代となってしまった。

記録として書きとどめておく。

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午後2時46分

3月11日(月)

今年のこの日の、午後2時46分は、職場にいた。

いよいよ来週の火曜日、職場の第1店舗が新装開店するのだが、開店準備のために、ディスプレイの作業が大詰めを迎えていた。

壁に作り付けてあるケースの中に、モノを並べなければいけないのだが、太っている僕を見かねた同僚が、

「僕が入って並べましょう」

と言ってくれた。

「すみません」

ケースの中は、かなり狭い。すでに並んでいるほかのモノを踏んづけないように、時に中腰になり、時にヤンキー座りして、慎重に並べていかなければならない。並んでいるモノを踏んづけないようにするためには、かなりアクロバティックな足の置き方をしなければならないのである。

(体勢が厳しそうだなあ…)

ケースの外側から、同僚がモノを並べている姿を見届けていると、

「まもなく午後2時46分になります。黙祷をお願いいたします」

という放送が流れた。

「この体勢で黙祷かぁ…」

同僚はかなりつらそうだった。なにしろ、狭いケースの中で、足の踏み場に注意しながら、かなり歪んだ姿勢でヤンキー座りをしているからである。

「黙祷!」

同僚はそのままの体勢で、1分間黙祷を続けた。

あらかじめ時間がわかっていれば、作業の時間をずらして黙祷をしたのだろうけれど、いまの僕たちにはそんな余裕などなかった。

あの日だってそうだったはずだ。

あらかじめ時間がわかっているなんてことは、なかったのだ。

あの日、今日の同僚と同じように、狭いケースの中で、足の踏み場に注意しながら、ディスプレイをしていた人だって、いただろう。

ふと、あの日と同じことが、いま起こったら、どうなるのだろうと思い、少し恐くなった。

来年のこの日の午後2時46分は、どこで何をしているだろう。

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かなりカオスな日

3月9日(土)

午前中は、保育園の説明会である。

認可保育園に全部落ちた、と書いたが、2次募集にも引っかからなかった。

もはやこれまでかと思ったが、認可外保育園のひとつになんとか引っかかった。認可外保育園の中では、第2希望くらいに考えていたところなのだが、先々週くらいに、内定の電話をいただいたのである。

就活の学生の気持ちがよくわかる。

それはさておき、今日は内定者説明会と、面談である。

「保護者は必ず2人で来てください」

という。一人は、説明会に参加する保護者。もう一人は、説明会の間に、子どもを見ている保護者である。

保育園の3階の部屋が、説明会会場で、その下の2階が、もう一人の保護者と子どもたちの控え室である。

全部で10組くらいいただろうか。もともとは園児たちの部屋なので、大人10人、子ども10人が入るととても窮屈である。

「お待ちになっている間、身体測定をしま~す」

部屋の一角に身長と体重をはかる計測器があり、そこで一人一人の子どもの身長と体重をはかるらしい。

そんなの、母子手帳を見ればいいじゃん、と思うのだが、いちおう服を脱がして、虐待の跡がないかとか、調べるんだろう。

呼ばれた順に、子どもの服を脱がせ、身長と体重をはかるのだが、スペースがひどく狭いのである。

0歳児と1歳児がほとんどだから、服を脱がせて、身長と体重をはかろうとすると、当然、ひどく抵抗をして、大声で泣き出す。どの子どもも、もれなくそうである。

「オシッコをしていたら、体重をはかる前におむつを取り替えてください」

娘のおむつを見たら、オシッコをしていたので、おむつを取り替えなければならない。

おむつを取り替えるスペースも、かなり狭く、というか、衆人環視の中で、おむつを取り替えなければならないのである。

部屋の熱気と、一連の作業で、大汗をかいてしまった。

そして、

「ぎゃぁぁぁぁぁ~」

と泣き叫ぶ娘をおさえながら、なんとか身長と体重をはかりおわった。

今度は服を着せなければならない。

泣きわめいた余韻からか、服を着せようとすると暴れまくって、なかなか服が着せられない。

「ぎゃぁぁぁぁぁ~」

大汗をかきながら、なんとか服を着せ終わった。

これが、うちだけではない、ほかのお子さんも、同じように、泣きわめくのである。

説明会は1時間半ほど続き、その間2階のスペースでは、かなりカオスな状況が続いた。

こんな状況が、保育園の中で毎日繰り返されるのか。

(うーむ。保育士さんはたいへんだな)

と思わずにはいられなかった。

午後、今度は、小学校1年生の姪の、ピアノ発表会を聴きに行く。

姪は、ピアノが得意、というわけではなく、短い練習曲のような曲を2曲ほど、演奏することになっていた。

プログラムを見ると、姪が通っているピアノ教室の小学生児童10人くらいが、演奏をするそうである。

ピアノの発表会を聴きに行くなんて、自分が小学校1年生の時にピアノ発表会に出たとき以来ではなかろうか。

僕もまた、姪と同じく、ピアノが得意というわけではなく、どちらかというと練習をサボりがちだった。というか家にピアノなんてなかったから、練習は小さなオルガンで代用していた。

だから満足にピアノ演奏をしたことなどないはずなのだが、ピアノの発表会には出た記憶がある。

あの苦痛な時間をどうやって切り抜けたのか、もはやまったく覚えていない。

姪は、なんとかその時間(時間にして1分もかかっていないと思うが)を、なんとか切り抜けていたようだった。

俺も、あんな感じだったんだろう。

ピアノ発表会というのもまた、小さい子どもたちばかりで、かなりカオスな演奏会である。

完成度の高い演奏会というのは、最初から望むべくもないのだ。

(うーむ。ピアノの先生はたいへんだな)

と思わずにはいられなかった。

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病院あるある

最近の病院でよくあるのが、

「医者の先生が、パソコンの画面ばかり見て、全然患者のほうを見ない」

という光景。実際僕も体験しているし、よく聞く話でもあるのだが、やはりどこもそうなのだろうか。

僕の主治医、というのは、たぶん僕よりも若くて、どちらかというとぶっきらぼうな感じの先生である。俳優の柄本時生に似ている。

正直なことを言うと、最初は、この先生に自分の命を委ねても大丈夫だろうか、と少し心配していたのだが、いまのところ生きながらえているということは、大丈夫だということなのだろう。

最近は、4カ月に1回くらいのペースで主治医の先生の診察を受ければよいようになった。

その病院は、けっこう大きな病院で、いわゆる総合病院なのだが、ご多分に漏れず、診察を受けに来る人がとても多い。予約をしていても、1時間くらい待たされることがある。

一日に何十人も、ひっきりなしに、入れ替わり立ち替わり患者を診なければならないのだから、医者の先生も大変だなあと思う。

いつも不思議に思うのだが、あんなにたくさんの患者を短時間で診ていて、患者の顔と名前を覚えているものなのだろうか?

しかも、最近では、患者の顔よりもパソコンの画面を見ることの方が多いのである。なおさら、患者の顔なんて、覚えられないんじゃないだろうか?

…などということを思いながら、4カ月ぶりにその先生の診察を受けに行った。

すると診察室に入るなり、先生が、

「ちょっと太りました?」

と僕に向かって言うのである。

たしかに僕は、最近太ったのだ。

「ええ」

と言うと、

「痩せた方がいいですね」

とぶっきらぼうな言い方をした。

「あ、はい…」

ふつう、こんなことを言われたら不愉快きわまりない。だがこのやりとりが不思議とイヤな感じがしなかったのは、なあんだ、医者の先生はパソコンばかり見ていたわけではなかったのか、といささか安堵したからである。

一日に何十人もの患者を入れ替わり立ち替わりに診察しているのである。しかも僕が来たのは4カ月ぶりである。すっかり忘れられてしまっているかと思ったら、そんなことはなかったのである。

医者の先生は、パソコンの画面ばかり見ていると思いきや、意外と患者のことも見ているのだろうか?

患者のことをわりと覚えているものなのだろうか?

それとも、たとえ覚えてなくても、すぐに気付いてしまうくらいに、僕が太っていたということなのだろうか?

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悪気がないのが悪いのか、心が狭いのが悪いのか

ここ最近、僕が苦手だな、と思うタイプの人は、「悪気がない人」である。

もっというと、「ありがた迷惑な人」である。

もっというと、「こっちが別に望んでいるわけではないのに、あたかも望んでいるかように便宜を図ろうとする人」である。

その一例。

僕の通勤時間は、片道2時間30分である。何回か、駅を乗り換えなければいけない。乗換駅の中には、5分くらい歩かなければならない距離の駅もある。

ある日のことである。

仕事が終わって、電車に乗っていたら、知り合いに出くわした。

「あら、お帰りですね」

「ええ」

僕はちょっと、悪い予感がした。なぜならその人は、僕が言うところの、「悪気がまったくない人」だからである。

とてもいい人で、いつも満面の笑みをたたえている。

その知り合いとは、たしか同じ駅で降りるはずだった。

で、その駅(仮にA駅としよう)で降りたとき、やはりその知り合いの人も、同じ駅で降りた。

僕はB駅始発の別の電車に乗り換えるために、A駅から5分ほどの距離を歩くことになっていたのだが、その知り合いの人は、A駅が自宅の最寄り駅だった。

「ではまた」

と言って、知り合いと別れてB駅に向かういつもの道を行こうとしたら、

「あら、そっちの道に行くんですか?」

「ええ。乗り換えるもので」

「B駅に行くんだったら、もっと近道がありますよ」

「そうなんですか?」

「知りませんでした?」

その知り合いは、まるで勝ち誇ったように、満面の笑みを浮かべて「知りませんでした?」と僕に言った。僕がその近道とやらを知らないことを知って、急に親切心が沸いたらしい。

「案内します。こっちですよ」

僕は、いつも歩き慣れている道の方がよかったのだが、とにかくその知り合いは、よかれと思って僕をその近道とやらにいざなったのである。

(めんどうくさいなあ)

と内心思いつつ、ついていくことにした。

「階段で下に降りずに、このまま家電量販店に入るんです」

A駅には、家電量販店が隣接しており、改札を出たところの通路で直結しているのだが、どうもその家電量販店の中を突っ切って、家電量販店の端っこにあるエレベーターで地下まで降りると、B駅の改札口の近くに出るというらしい。

「これだと、わざわざ階段を降りなくてもB駅の改札口に出られますよ」

その知り合いは、意気揚々と、家電量販店の中を先陣切って歩いて行く。

しかし、である。

家電量販店の中、というのは、モノがゴチャゴチャと置いてあって、通路も狭く、歩きにくい。それもそのはずである。そもそも突っ切るために作られているわけではないのだから。それが僕にとってはかなりのストレスだった。それよりも、最初から乗り換え目的のためだけに作られた広い道を歩いた方が、気が楽なのである。

やっとのことで家電量販店の端っこにある、エレベーターにたどり着いた。

「あとはこのエレベーターを降りるだけです。どうです?あっという間でしょう?」

「え、ええ」

「じゃあ私はここで」

「どうもありがとうございます」

知り合いと別れた。

ところがこのエレベーター、待てど暮らせど来ない。

ま、エレベーターというのは、えてしてそんなものである。

で、ようやくエレベーターが来たので、乗って地下まで降りたのだが、B駅の改札口とはまるで違う方向である。

(おかしいなあ…)

すると、さっきの知り合いが、息を切らせて走ってきた。

「すみません!さっき教えたエレベーター、間違ってました。別のエレベーターでした!」

「そうですか…」

「こっちの方から抜けると、B駅の改札口に行きますから!」

「わかりました」

時計をみると、もう時間がない。僕は走って、改札口に向かったのであった。

目的の電車にはなんとかギリギリに間に合ったのだが、これならば、日ごろ自分が歩いているルートのほうがずっとマシだったと、ひどく後悔した。

その知り合いからすれば、知らない近道を教えてあげた、ということで、恩を売ったくらいの気持ちなのかも知れないが、僕にとっては、結果的に「ありがた迷惑」なのであった。

後日、その知り合いに会ったときに、

「近道、どうでした?早かったでしょ?」

と聞かれたので、

「ギリギリでした」

と答えた。

「すみません。かえって余計なことをしてしまって…」

と反省されたようだったが、その知り合いはこれからも、悪気なくいろいろなことを教えてくれるのだろう。

…とここまで書いた結論。

「鬼瓦君、あなた、心が狭い!」

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他の人にはどうでもいい話

3月4日(月)

会合、2日目。今日が本番である。

「今の職場」の会合を、「前の職場」でおこなう、という、僕にとっては実に奇妙な感覚の日である。

昨年、「前の職場」と「今の職場」が正式に業務提携をしたこともあり、このようなことになったのである。

会合のプログラムの中に、「講演」という枠があり、それを僕がやるようにとの依頼があった。

実は2年ほど前にも同じようなことがあった。

老先生との再会

このときも、前の職場を会場にした会合で、「前の職場」と「今の職場」の同僚の前で講演をするという、奇妙な体験を味わった。

もうそんな機会はないと思っていたが、あれから2年弱が経って、生きながらえて、ふたたび「前の職場」で講演ができるとは、感慨無量である。

しかし困ったのは、講演の内容である。

「内容は2年前と同じになってしまいますよ」

と申し上げたのだが、

「それでかまいません」

という。

そうはいっても、まったく同じ話にするわけにもいくまいと思い、少しバージョンアップしたものを準備して、45分の講演をした。

会合の趣旨に合う話になったかどうか、不安だったのだが、いまの自分にできることはこれで精一杯なのだから仕方がない。

例によって講演の後は落ち込んだまま、会合が終盤を迎えた。

この会合は、主催者である「今の職場」の上司が「開会の挨拶」をし、会場を提供した「前の職場」の上司が「閉会の挨拶」をする、という、僕にとってはまた奇妙な感覚だったのだが、

(この奇妙な感覚は、あの場では僕にしかわからなかっただろう。だって、自分が、今の職場に勤めているのか、前の職場に勤めているのか、混乱してしまったほどなのだから)

   

その「閉会の挨拶」で、「前の職場」の上司だったA先生が、

「今回、会場を提供するにあたって、ひとつだけ主催者側にお願いしたことがある。それは、鬼瓦さんに講演をしてもらう、ということです」

と、参加者全員の前で発言され、僕はとても驚いてしまった。

「今回の会合のテーマは『つなぐ』ということだったが、実際につなぐのは、人であることを実感した。今回、両機関をつないでくれた鬼瓦さんに、ぜひ講演をお願いしたいと思った」

とおっしゃっていただいたのである。

僕は「今の職場」に移ったとき、「前の職場」と一緒に仕事ができるようなしくみを作りたいと思っていた。「前の職場」でやり残したことが多かったこともあるし、「前の職場」でつちかったノウハウを、「今の職場」に生かしたいと思ったためでもある。

ただ、「文化」の異なる二つの職場をつなぐことは、実際のところ、容易ではない。

で、数年経って、それがひとまず形になった。ただそれは、僕よりもむしろ、他の同僚たちが実際に動いてくれたおかげであった。

なので、僕は実際には何の役にも立っていないのだが、それでも、「前の職場」の上司は、僕を立ててくれたのである。

A先生の挨拶に、僕は感慨無量であった。

たぶん、聞いていた他の人たちは、何のことやらわからない、と思っていたかも知れない。

だからこれは、「他の人にはどうでもいい話」なのである。

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フラミンゴの奇跡

3月3日(日)

旅先での会合、1日目。

大学の研究室の先輩のOさんが会合にいらっしゃるとのことで、10数年ぶりにお目にかかった。

もう15年ほど前になるが、「前の職場」にいた頃、自分が主催する会合にOさんをお呼びしたことがある。僕にとってはとても恐い先輩だったが、Oさんは僕のことを何かと気にかけてくれていた。

「どうも、ご無沙汰しております」

と挨拶すると、

「体調のほうは大丈夫?なんかいろいろな人からひどく悪いと聞いて、心配していたよ」

とOさんはひどく深刻そうな表情で僕に言うので、

「ええ、この通り大丈夫です」

とお答えした。

先日も、別の会合で、別の知り合いに会ったときに、

「大丈夫なんですか?ひどくお悪いと聞いてましたけど」

と言われたのだが、いったい業界内でどんな噂が流れていたんだ?

まったく、業界の噂というのは、恐ろしい。

会合が終わり、会合の打ち上げには参加世ずに、古い仲間たちと食事をすることになった。

「この町の郊外にね、フラミンゴがいる洋食屋さんがあるんです」

「フラミンゴ?」

どうやらこの地方ではよく知られた老舗の洋食屋チェーンらしい。

行ってみると、ほんとうにフラミンゴがいた。剥製かと思ったら、生きているフラミンゴが何羽もいるではないか。

「T君も呼べばよかったですかね」

T君とは、卒業生のT君である。

「T君か、会いたいね。でも彼のことだから、明日の会合に来るんじゃないだろうか」明日が、会合の本番である。

話題が、僕の肋骨が折れた話に及んだ。

「肋骨が折れたんで、あんまり笑わしちゃいけないんだよね」

「そうですよ。まだ痛いんですから」

そう言いながら、周りは何かと笑わせにかかるのだが、僕はそれを注意深く受け流した。

食事が終わり、一段落していると、

「先生、お久しぶりです」

と声をかけてくる人がいる。

卒業生のT君ではないか!!!

新婚のT君は、奥さんと一緒にこのお店に食事に来ていたらしい。

「T君!なぜここに?」

「先生こそ、なぜここに?」

町のはずれにある、ちょっと変わった洋食屋さんなのである。ふつうはあまり、チョイスしないお店である。

「T君、このお店によく来るの?」

「いえ、初めてです」

なんと、初めて来たお店に、たまたま僕がいたというわけだ。

「さっき、君の噂をしていたところだよ」

「…ということは、ものまね歌合戦でいうところの『ご本人登場!』といった感じですか?」

「こんな偶然あるんだね」

「先生が立ち上がってフラミンゴを熱心に見ておられたので、もしやと思い声をかけたのです」

「フラミンゴのおかげか」

「『フラミンゴの奇跡』ですね」

「なんか、『ハドソン川の奇跡』みたいな言い方だな」

うひゃひゃひゃ、と、僕は自分のいったギャグに自分で笑ってしまった。

「痛い痛い痛い。肋骨が痛い」

すると、目の間にいたこぶぎさんが言った。

「せっかくいままで笑わずに過ごしていたのに、自分のいった言葉に自分で笑ってしまうんだから、世話ないね」

僕は肋骨のあたりを押さえながら笑い続けた。

「それに、そのギャグ、そんなに面白くないよ」

それでも僕は、この不思議な状況に、笑い続けたのだった。

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残り1カ月を切った

3月2日(土)

生まれ故郷の町での仕事が、3月末のデッドラインを前にかなり緊迫した状況であると書いた。

「金曜日の午前に再校が出ます」というので、「では取りに行きます」と、その日の夕方に生まれ故郷の町にある編集室まで取りに行った。

「すみません。まだ70ページほどしか再校が出ていません」

「70ページですか?」

たしか全体で500ページほどあったはずである。

とりあえず、70ページだけ持ち帰って、急いで校正をして、翌土曜日の夕方に持っていくことにした。

校正って、本当にしんどい作業である。しかし間違いをうっかり見過ごしてしまうと、後世にわたって恥ずかしい思いをしてしまうから、おろそかにはできない。しかし、人間だから、完璧なわけでもない。

夜中までかかって一通り見終わった。

(まだ不安なところがかなりあるなあ…)

と思いながら、翌土曜日、つまり今日の夕方、編集室まで持って行った。

しかし、こんなペースでやっていたら、絶対に間に合わないし、間に合ったとしても、かなり不十分な出来上がりになってしまう可能性が高い。

しかも、編集担当の職員さんのお話を聞くと、この後もさまざまな障壁が待ち構えていることがわかる。

デッドラインまで残り1カ月を切って、はたして完成するのか???

…俺の人生、こんなことの繰り返しだなあ。

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サラリーマンあるある、いや!ないない!

鬼瓦殿

高校時代の友人・元福岡のです。こんばんは。

相変わらず忙しそうですが、大丈夫ですか。

ブログを読むと、また負のスパイラルに入りそうですね。

高校に関するブログ読みましたが、まあ私もクラスに馴染めなかった1人で、勿論、クラスの同窓会には出たことも無いですし、今後も出ることは無いでしょう。そもそも、クラスの人間には私の現在の所在地を連絡してもいないし、実家も引っ越したので連絡が来ることもあり得ないのですが。

そんなことはさておき、最近のサラリーマン小噺を一つ。

サラリーマンあるある、いや!ないない! (というか、そんなことあったら困る!)

就職するまでは、サラリーマンというのは、きちんとした大人達が真面目に働いているところで、いい加減な私などは相容れないのでは、と思いながら働き始めたのですが、そんな私の推測は見事に裏切られました。

私は就職してすぐ千葉にある工場に配属されたのですが、工場というのは所謂ブルーカラーのお父さん達が沢山いるところで、お父さん達の発言は我々の予測をはるかに超えるものが有りました。最初に驚いたのは、お父さん達が「何だっぺ」とか「そんなこと出来るわけないっぺ」などと、「だっぺ」という言葉を喋ります。我々の世代は、それこそ川崎のぼるの田舎っぺ大将で主人公の風大左衛門が「だっぺ」と喋るのをテレビでは聞いたことは有りましたが、まさか東京に近い千葉で「だっぺ」などと言う人達が居ようとは想像だにしませんでした。(ちなみに「だっぺ」は千葉の方言なようです。)更にお父さん達は、過激な言葉を電話口で叫んだりします。ここでは語れないような発言だったりするので割愛させて頂きますが

前置きが長くなりましたが、先日、会社の部長と同期の同僚と私の3人で取引先との懇親会があったのですが、ウチの会社は部長以下、面白ければそれで良いという傾向が有り、懇親会はあんなことこんなこと、サラリーマンあるある失敗談の暴露合戦になってしまいました。

先ずは、私の同期のY(前に話した黒木瞳の5軒隣に実家があるのが自慢の山持ち)のネタで私が先人を切りました。「コイツは酔っ払うと本当にダメな奴なんですよ。昨年の夏に部長とコイツと一緒に札幌に出張に行った時に、飲み会で泥酔してホテルまでコイツを連れ帰ったんですよ。エレベーターで別れた後、部長がアイツは大丈夫か?と心配するので部屋の前に見に行くと、コイツが部屋の前に佇んでるんですよ。どうしたんだ?と尋ねると、コイツは判らない、とスマホを手に持って放心状態で答えます。この部屋はチェックインした時に貰った暗証番号が無いと入れないんだよ、と私が言うと、また、判らない、と答えるので、ふと手に持ったスマホを見れば、何と暗証番号の写メが表示されているでは無いですか。恐るべし、自らが泥酔することを予測したコイツは暗証番号を写メしていたのです。ただ残念なことに、泥酔しているのでその写メが何たるかを判らなかったのです。私は泥酔したコイツの代わりに暗証番号を押し何とか部屋に押し込みヤレヤレと一安心して自分の部屋に戻りました。

そして翌朝、私がコイツに昨日は大丈夫だったか?と尋ねると、いや〜昨日の晩ふと気がつくと知らない街の中に立ってたんだよね、しょうがないから道行く人達にホテルの名前を話して何とかホテルに戻って来たらしく、朝目が覚めたらベッドて寝てたんだよね、スマホをホテルに置いて出ちゃったみから暗証番号も判らなかった筈だし、何で部屋にいたんだろう?と言います。何とコイツは私が安心して部屋に戻った後にボケ老人が徘徊するように、札幌の街を彷徨ったらしいのです。私は思わずコイに突っ込みを入れました。何で部屋にいたんだろうじゃないだろう!恐らくホテルのフロントの人が泥酔したお前を見て、仕方無くお前の代わりに暗証番号を押して部屋に入れてくれたんだよ、どんだけ周りに迷惑かけんだよ!でも、そんなこと言われてもあっけらかんとしてんですよ。酷いもんでしょう!

するとYは「コバヤシ!人のことを、そんな酷い言い方は無いだろう!ふざけんなよ」と少しスネながら言ったかと思うと、自ら自虐ネタを話し始めたました。「泥酔して色々やらかした結果、僕は本当に土下座が上手くなりましたよ。奥さんに許して貰う為にありとあらゆる土下座技を使いますからね。(思わず私は心の中てYに突っ込みを入れます。土下座技って何だよ!何自慢げに話してんだよ!)そういえば、もう20年近く前ですが、やはり泥酔してやらかしましてね。泥酔してたんで自分ではあまり覚えて無いんですが、奥さん曰く、僕が血まみれになって帰って来たらしいんですよ、後で考えてみると、とうやら自転車に乗って家に帰る途中、酔っ払ってたんで電柱に突っ込んだらしいですよ、翌朝起きたら前歯が、三本折れていて、ホラ、この前歯三本はインプラントですから。あの時も奥さんに許して貰う為に土下座技を駆使しましたよ。」と嬉しそうに語る始末。

これを聞いた取引先の社長が、負けじと語り始めます。「いやあ、Yさんなかなかやりますね。実は私も昔やらかしましてね。

とある晩、私も泥酔して社宅に帰って来たんですよ。いつものようにエレベーターを降りて家の玄関を開けてすぐ風呂に入ったんですよ。その後、実は私、裸族なもんで大体家の中では裸で過ごしてるんで、いつものように風呂を出て真っ裸で居間のソファーでひと休みしてから、冷蔵庫を開けて缶ビールを飲もうと思ったら、冷蔵庫が開かないんですよ、そこでフト我に返ったんですが、この冷蔵庫がウチのと違って観音開きだったんで開けられなかったんですが、要するに他人の家に入っちゃったらしいんですよ。どうやらエレベーターを降りる階を間違えて下の家の中に入っちゃったみたいで。もう恥ずかしくて恥ずかしくて、どうしようと思ってたらカミさんが激怒しながら迎えに来てくれて。間違えて入っちゃった家の奥さんが、私が風呂に入っている隙に多分コートかなんかに入ってた名刺でも見たんでしょうね、これはどやら社宅の上の階の旦那さんらしいということで、電話でカミさんを呼んだらしいんですよ。カミさんに連れられて素っ裸で家まで帰って、散々怒られましたよ。そんでもって、脱いだ服をそのまま下の家に置いて来ちゃったんで、翌日、カミさんに菓子折り持って取りに行って貰いましたよ。帰って来たら黙ってクレジットカードを寄越せってんで、仕方無く渡したら使いたい放題ですよ。でも、こんなことがあったんで何も文句は言えませんでしたよ。」

これには一同度肝を抜かれ大受け。勝手に人の家に入って風呂まで入っちゃうなんて聞いた事ないし。大体、アンタそれなりに大きい会社の社長だろ、部下の前でそんなこと言っちゃっていいの?さすがの我が社もこれには完敗でした。

いやあ、泥酔したサラリーマンのあるあるというか、そんなんあったら困るよ!という話でした、と終わりたいところですが、まだこの続きが少しありまして、前述の酔っ払うとダメ人間のYは案の定この懇親会の後、泥酔し、仕方無く部長と2人タクシーを捕まえてYを押し込み家に帰したんですが、翌朝、会社に出勤したYを見ると、顔に少しキズがあり様子がおかしい、どうしたんだと問いただすと、Yが少し恥ずかしそうに、いやあまたやっちゃったらしいんだよ、あの後、家に帰ったら、これまた全く記憶が無いんだけど、血まみれで帰ったらしいんだよ、家の近くで転んだらしいんだけどね。

今朝、また奥さんにこっぴどく叱られたよ。勿論、土下座技を駆使して謝ったけどね。でも、さすがに暫くは会社の飲み会は禁止と言われちゃったよ!とのこと。

いやはや、本当に酷いもんで。

ということで長々と失礼しました。

そう言えば、先日のメール、気付けばまた貴君のブログに全文掲載されてましたね。貴君からは返信有りませんでしたが、こぶぎさんがコメントしてくれていましたので、機会があれば宜しくお伝えください

それでは、また!

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リアリティーとファンタジー

ちょっとわかりにくい話。

僕の高校の1学年下の後輩に、小説家がいる。といっても、僕自身はその後輩とは面識がない。

その後輩がまだ若い頃に書いた小説が、ある時期、とても売れて、人気シリーズになった。

その頃、僕はその小説のことはまったく知らなかった。つまり、僕のアンテナにはまったく引っかからないジャンルの小説だった。

僕が今から20年近く前、「前の前の職場」に勤めていた頃、「前の前の職場」の学生たちの多くが、どうもその小説シリーズを耽読しているようだという情報をつかんだ。

「ようだ」と書いたのは、その小説シリーズを読んでいる、ということを、あまり人に知られたくないみたいで、そのことをこちらから話題に出そうものなら、学生たちは口ごもるのである。

つまり、ある種の、カルト的人気を誇った小説なのだ。

それに加えて、「前の前の職場」のあった場所は、その小説にとっての「聖地」だったらしい。学生たちにとってみれば、「前の前の職場」は聖地に建つ学校だったわけである。

それから20年後。

その小説家は、今でも小説を書いている。今は別のシリーズである。

今度のシリーズは、僕の業界に非常に近いところを描いている。

「前の前の職場」の学生たちがハマっていた小説は、ついぞ読む機会がなかったのだが、いま刊行されているシリーズならば読めそうだと思い、その小説家の小説を初めて読むことにしたのである。

そしたらあーた、読んでみたらこれがかなりおもしろいのだ。

ふつう、ある業界の人間が、同じ業界を舞台にした小説を読んだりドラマを見たりすると、

「そんなことあらへん!」

と、まったくリアリティーを感じることができないことが多い。

たとえば、三谷幸喜監督の映画「ラジオの時間」が公開されていた頃、ラジオパーソナリティーの伊集院光氏が、

「ラジオ業界の描き方に全然リアリティーがなくて、映画に入り込めなかった」

と言っていた。自分が専門とするラジオ業界の実際の姿とは、似ても似つかないので、アラが目立ってしまって入り込めないというのである。

「業界もの」は、えてしてそんなものである。

この小説も、もちろん業界の描き方に多少の誇張があったりはするのだが、基本的には、違和感なく読むことができた。

かなりきっちり取材した上で書いているなあ、というのがよくわかる。

その部分がしっかりと描かれているから、荒唐無稽なファンタジーの部分も、安心して読めるのだ。

きっちりとした取材に裏打ちされたリアリティーがあるからこそ、ファンタジーが生きてくるのかもしれない。

そのうち、うちの職場も取材してくれないかなあ。

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新装開店準備大詰め

3月19日(火)の新装開店まで、3週間を切ってしまった。

といっても、正直なところ、さほど「ラストスパート」感がない。

僕が今の職場に移って5年が経とうとしているが、移ってすぐの頃から、少しずつ新装開店の準備をしていたし、壁面を飾るさまざまなパネルなどは、おおかた昨年のうちに仕上げてしまっているので、あとは、品物や、品物にまつわる値札を並べる仕事が残っているのだ。

…どうも例え話で書いているもんだから、書きにくくってしょうがない。

新装開店するのは、ワンフロアで、そのフロアには6つの店舗がある。僕が担当するのは、そのうちの6番目の店舗である。

他の5つの店舗の担当者は、それぞれ個性の強い人ばかりなのだが、それにくらべると、僕の担当する6番目の店舗は、たぶんいちばん地味かも知れない。

お店に来る人をできるだけ疲れさせないようにする、というのが6番目の店舗のコンセプトなのである。

昨日はまる一日、品物の陳列の作業をした。

実際に作業をしてみると、ショーウィンドウに品物が入りきらない、とか、品物の値札が足りない、とか、いろいろな問題が起きてくる。

やはり、設計図面と、実際に並べるのとでは、イメージが全然違うんだな。

あれも飾りたい、これも飾りたい、と思っても、実際には全部を飾ることができないので、泣く泣く取り下げるものが、けっこうあった。

「この仕事は、引き算だよ」

と、先輩同僚が言っていたが、まさにその通りである。

当初のドリームプランが、さまざまな事情で(おもに予算的な事情だが)、大幅にグレードダウンせざるを得ないことの繰り返しに、すっかりと慣れてしまった。

実際に並べてみて、あれ?こんな感じだったっけ?と、拍子抜けしてしまったりすることもある。

しかしまあ、最初からこういうものだと思って見れば、とくに気にならないのかも知れない。こっちはドリームプランを最初に作っちゃってるから、そのイメージとくらべると、どうしても見劣りしてしまうように感じるのである。

本を書くのとは違い、店舗のほうは、不特定多数の人が来て、しかも多くの人の目に同時に飛び込んでくるものだから、とても恥ずかしい気持ちになる。「そんなにジロジロ見ないで!」と叫びたくなる。本は、ページを開くという行為がともなうから、いくぶんマシなのである。

できるだけ多くの人に見てもらいたいという気持ちと、あんまりジロジロ見てほしくない、という気持ちが交錯している。

はたして、差し替えのパネルは、オープンまでに完成するのか???

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