リアリティーとファンタジー
ちょっとわかりにくい話。
僕の高校の1学年下の後輩に、小説家がいる。といっても、僕自身はその後輩とは面識がない。
その後輩がまだ若い頃に書いた小説が、ある時期、とても売れて、人気シリーズになった。
その頃、僕はその小説のことはまったく知らなかった。つまり、僕のアンテナにはまったく引っかからないジャンルの小説だった。
僕が今から20年近く前、「前の前の職場」に勤めていた頃、「前の前の職場」の学生たちの多くが、どうもその小説シリーズを耽読しているようだという情報をつかんだ。
「ようだ」と書いたのは、その小説シリーズを読んでいる、ということを、あまり人に知られたくないみたいで、そのことをこちらから話題に出そうものなら、学生たちは口ごもるのである。
つまり、ある種の、カルト的人気を誇った小説なのだ。
それに加えて、「前の前の職場」のあった場所は、その小説にとっての「聖地」だったらしい。学生たちにとってみれば、「前の前の職場」は聖地に建つ学校だったわけである。
それから20年後。
その小説家は、今でも小説を書いている。今は別のシリーズである。
今度のシリーズは、僕の業界に非常に近いところを描いている。
「前の前の職場」の学生たちがハマっていた小説は、ついぞ読む機会がなかったのだが、いま刊行されているシリーズならば読めそうだと思い、その小説家の小説を初めて読むことにしたのである。
そしたらあーた、読んでみたらこれがかなりおもしろいのだ。
ふつう、ある業界の人間が、同じ業界を舞台にした小説を読んだりドラマを見たりすると、
「そんなことあらへん!」
と、まったくリアリティーを感じることができないことが多い。
たとえば、三谷幸喜監督の映画「ラジオの時間」が公開されていた頃、ラジオパーソナリティーの伊集院光氏が、
「ラジオ業界の描き方に全然リアリティーがなくて、映画に入り込めなかった」
と言っていた。自分が専門とするラジオ業界の実際の姿とは、似ても似つかないので、アラが目立ってしまって入り込めないというのである。
「業界もの」は、えてしてそんなものである。
この小説も、もちろん業界の描き方に多少の誇張があったりはするのだが、基本的には、違和感なく読むことができた。
かなりきっちり取材した上で書いているなあ、というのがよくわかる。
その部分がしっかりと描かれているから、荒唐無稽なファンタジーの部分も、安心して読めるのだ。
きっちりとした取材に裏打ちされたリアリティーがあるからこそ、ファンタジーが生きてくるのかもしれない。
そのうち、うちの職場も取材してくれないかなあ。
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