味方はどこにいる
以前、こんな文章を書いた。
「味方は外(そと)にいる」(2013年2月12日)
「今から5年くらい前だろうか。学校での「いじめ」による自殺が問題になったときがあって、そのときに、私と同じ世代のラジオDJが、いじめを受けている子たちに、次のようなことを言っていたのを、急に思い出した。
「お前ら、ビックリするかもしれないけど、いまお前の周りにいる30人が全員敵だろ?だけど、その周りに300人いて、その周りの3000人が全員敵になる瞬間があって、でも、3万人が急に味方するときがあるから、その一層だけで判断するな!」
この言葉、大人になると、すごくよくわかる。
私はこの稼業についてから何度か、周りが敵になる瞬間、というのを経験したことがある。そのたびに、くさったりいじけたりした。いまでもたまに、そうである。
敵、とはいわないまでも、こちらの真意がまったく理解されず、相手にされない、ということは、いまでもよくある。
しかしその外側に、味方がいることを知った。
周りが全員、敵だとしても、くさることはない。
その外側には、ビックリするくらいの数の味方がいるかも知れないのだ。
それくらい、世界は広い。
だから、視野を広げた方が勝ちである。」
ラジオパーソナリティーと、そのときの対談相手であるゲスト、二人は同い年の古い友人同士なのだが、このときの二人の話は、いじめで悩んでいる人たちにとって、勇気づけられる話だった。
このときのラジオを聴いていた人は、
「人生というのか世の中というのか、何と皮肉なめぐり合わせだろう」
と、いま思っているに違いない。
というのも、最近、このときのゲストが、今まで味方だった自分の周りの3万人が全員、敵になる、という経験をしたからである。
まあ身から出た錆といってしまえばそれまでなのだが、それにしても、この仕打ちはちょっと酷すぎると思わざるを得ない。
結局、他人が自分を見る目(あるいは自分が他人を見る目)、というのは、そんなていどなんだろうか、と、こういうニュースが出るたびに、いつも思うのである。
ちょっと次元が違う話だが、ある時期まで親しかった友人が、何かのきっかけで急に離れていく、といった経験を、僕は何度もしており、つい最近も、そんなことを感じた経験がある。
原因はもちろん僕の方にあるのだと思うのだが、自分に思い当たる節がない場合も多く、そんなときは、僕がそのていどの人間だったのだろうと諦めることにしている。
さて、そのラジオパーソナリティーは、その古い友人について、自分の番組でコメントしていた。
彼を決して擁護するわけではなく、といって切り捨てるわけでもなく、その友人に対する自分の気持ちを率直に語っていた。そして、
「いま立ち直ろうとしてる人や立ち直らせようとしてる人もいるから、そういう人を失望させちゃいけない」
と、同じことで悩んでいる人を励ます、という形で、その友人を励ましたのである。
わずか数分のトークだったが、友情を伝えるに十分な時間だったのではないだろうか。
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コメント
よい子のふきだまらーのみなさん。
鬼瓦はどこにいる?
と、助手の小林君も心配しているようですが、このブログがある「ココログ」のサーバー更新による不具合で、ここ数日、閲覧も書き込みもできない状況になっていまして、今もまだ不具合が残っている状況のようです。
実は記事を書く画面も大幅変更されておりまして買ってがよくわからない上、公開待ち記事が出ないなどの障害も残っている模様。
と言うわけで、新装開店のドタバタとか、ソーシャルダイニングとか、長久命のスジョンちゃんのトルチャンチの話題は、おいおい出るのではないかと予想されます。
https://www.yumeichiba.jp/fs/chogori/tolcyabi-1-s
ちなみに今回のシステム更新で、公開日時設定のアプレットが使えなくなったので、すでに5年先まで記事を書き込んでいる乙女旅ブログでは、これから、記事を書く度に、月ごとのカレンダーを5年先まで一枚ずつめくって、記事の日時指定をしないといけなくなりまして、途方に暮れております。
投稿: こぶぎサポート | 2019年3月21日 (木) 11時31分