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ハドソン川の奇跡

リムジンバスの奇跡

フラミンゴの奇跡

クリント・イーストウッド監督の映画「ハドソン川の奇跡」をようやく見た。2009年に実際にニューヨークで起こった飛行機事故を映画化したものである。

USエアウェイズ1549便が、ハドソン川に不時着したのだが、機長らの適切な対応により乗客・乗組員全員が無事に救助された。それはのちに「ハドソン川の奇跡」と呼ばれ、機長は英雄として賞賛されたのだが、実は事故調査委員会は、機長の対応に疑問を抱いていた。はたして、機長の判断は正しかったのか?

いやあ、面白かった。

まず、まったく無駄がない。上映時間は約90分と、ふつうの映画からするとやや短めだが、もうね、完璧な作りなのだ。

あと、アメリカ人の理想像が描かれている。クリント・イーストウッドは、映画の中でつねにアメリカ人の理想、といったものを追求しているように思えるのだが(といっても、クリント・イーストウッドの映画を見たことはあまりないのだが)、この事件は、まさにクリント・イーストウッドにとってはうってつけの主題だったのだろう。だから映画に迷いがないのだ。そしてアメリカ人の理想を演じさせたら、トム・ハンクスの右に出るものはいない。

僕が身につまされたのは、飛行機の操縦士としての経験も厚く、自分の仕事に誇りを持って生きているトム・ハンクス演じる機長のサリーが、事故への対応をめぐって、自分の判断がほんとうに正しかったのか、思い悩む場面である。

ここから先はネタバレなのだが。

事故調査委員会がコンピューターでシミュレーションしたところ、エンジンのトラブルが起こってから、空港に引き返すことは十分に可能だったとし、引き返さずにハドソン川に着水させたのは、いたずらに乗客を命の危険にさらす誤った判断だった、と結論づけた。

機長と副操縦士は、「そんなことはない」と反論する。あのときはたしかに、ハドソン川に着水するよりほかに手段がなかったのだ、と反論する。

はたして、コンピューターが計算ではじき出した結果が正しいのか?それとも、操縦士としての豊富な経験に裏付けられた判断が正しかったのか?

機長のサリーは、あのときの判断が正しかったのか、何度も何度も反芻し、思い悩むのである。

この場面が、身につまされたのである。

これって、レベルの違いこそあれ、職業人であれば誰にでも起こりうることではないだろうか。

すごーくレベルの低い話なのだが、自分の体験に照らし合わせてみる。

先日、職場の店舗の一部が新装開店した。

新装開店のために7年かけて十分に準備し、いろいろな判断を繰り返しながら、新店舗を作りあげていった。

その都度、「この判断でいいのだろうか?」と思い悩んだ。

しかし、いろいろな事情をかんがみて、不十分だと思いつつも、その中で最良と思われる判断をして、新店舗を作りあげた。

新店舗公開後、いろいろな人が見に来て、

「あそこは、こうした方がよかったんじゃないか」

といった意見が、山ほど出された。

ほんとうに、山ほど言われるのである。

見に来た人が100人いたら、100人に言われるのである。

そのたびに、「自分の判断は、間違っていたのではないか」と、その判断に至った経過を思い出し、思い悩むのである。

まあ、バカ正直にいちいち思い悩んでいたら、病気になってしまうので、あるていど聞き流すことにはしているが。

でも、プロの職業人として、そういうことが大事なんだろうな、と思う。

だから人生の局面に、機長が悩んだような場面が、どんな人にも訪れるのだ。

ちなみに、同じような飛行機事故を扱った映画にデンゼルワシントン主演の「フライト」という映画があり、こちらの方はまったくのフィクションだが、これはこれでとてもおもしろい。

「ハドソン川の奇跡」と「フライト」を合わせて見ることをおすすめする。

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