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ふたつの顔

4月29日(月)

一昨日に行われた大林宣彦監督の講演会は、「野口久光 シネマグラフィックス」展の関連イベントとしておこなわれたものだった。

以前このブログにも書いたのだが、2014年11月に、僕はある場所で「野口久光 シネマグラフィックス」展を見ている。

そのときの記事の中で僕は、20代の頃にある映画のポスターを見たのがきっかけで、野口久光という名前を知った、と書いた。その映画というのは、大林監督の「ふたり」「はるか、ノスタルジィ」「青春デンデケデケデケ」である。この3本の映画のポスターは、1990年代前半に、野口久光さんが手がけたものである。

このころすでに野口さんは、映画のポスターの仕事を引退し、ジャズ評論家として名を馳せていた頃だったのだが、野口さんを慕う大林監督が、ぜひポスターを野口さんに描いてもらいたいと依頼して、実現したものらしい。洋画のポスターを描くのが専門だった野口さんが、日本映画のポスターを描いたのは、大林監督のこの3本の映画だけである(野口さんは最晩年に、TBSドラマのポスターを1枚描いている)。

さてこの「野口久光 シネマグラフィックス」展の仕掛け人が、NPO法人を主宰するNさんという、僕よりも8歳ほど年上のおじさんである。今回の企画展と講演会も、もちろんNさんの企画によるものである。

懇親会の席で、Nさんとも少しお話しすることができた。とてもバイタリティーのある方で、お話しも歯切れがよく、面白い。

Nさんから聞いたエピソードで興味深かったのは、ジャズサックス奏者の渡辺貞夫さんに関するエピソードである。

以前のブログに書いたように、野口久光さんは、映画のポスター制作の仕事から引退した後、ジャズ評論家として活躍した。渡辺貞夫さんは若い頃から野口さんと知り合い、野口さんのことを信頼していたという。

「貞夫さんは、野口さんがおびただしい数の洋画のポスターを描いていたということを、知らなかったんですよ」

「え?そうなんですか?」

「貞夫さんは、野口さんとはジャズ評論家としておつきあいしてましたからね。ジャズ評論をやる前に、洋画のポスターを描いていたことは聞いていなかったようなのです」

「野口さんも、渡辺貞夫さんに言わなかったということですか?」

「おそらくそうなのでしょう。ですからね、先日、こんなことがあったんですよ。野口久光展に、貞夫さんをゲストでお呼びしたときに、貞夫さんが驚かれましてね。野口さんがこれほどたくさんの洋画のポスターを描いていたとは、長いつきあいだったけれども知らなかったと。で、展示室にご案内したら、野口さんのポスターを、実に熱心にご覧になるんです」

「ほう」

「熱心にご覧になるあまりに、ポスターが展示されているガラスケースに何度も何度も頭をぶつけるほどでした」

「それはすごい話ですね」

「ええ。で、貞夫さんがこれからいろいろなところでコンサートをするときに、その会場で野口さんの洋画のポスターも展示できないだろうか、と考えてくれているようです」

驚きである。野口さんは、自分の過去の仕事を言わなかったんだな。また言う必要もないと思ったのだろう。こういう生き方を「粋」というのかも知れない。

「もう一つ面白かったのはですねえ。野口さんは、カメラの腕前もよかった」

「そのようですね」

「貞夫さんも、写真はプロの腕前です」

「そうですね」

「野口さんの撮った写真と、貞夫さんの撮った写真をくらべてみると、貞夫さんの写真は、野口さんの影響を受けているなあということがよくわかるんです」

「なるほど」このエピソードだけでも渡辺貞夫さんが野口さんに信頼を寄せていたことがよくわかる。

「野口さんは不思議な人なんですよ。古い世代の人にとっては、洋画のポスターの画家として知られていて、下の世代に人にとっては、ジャズ評論家として知られていたんです。だから、洋画のポスター作家とジャズ評論家というふたつの顔が、結びつかないという人が多いのです」

「なるほど」僕も思いあたるフシがあった。「実は僕、10代の頃、大林監督の大ファンであったと同時に、渡辺貞夫さんの大ファンでもあったのです

「そうでしたか」

「僕は大林監督を通じて、洋画のポスター画家の野口久光さんのお名前を知り、渡辺貞夫さんを通じて、ジャズ評論家の野口久光さんのお名前を知ったんです。でも若い頃はそれが結びついてはいませんでした」

「やはりそうでしたか」

「不思議なものですねえ。10代の頃に、全然別のきっかけから、大林監督と渡辺貞夫さんのファンになったのですが、それが野口久光さんを介してつながるんですからね」

「なるほど、それはおもしろいですねえ。…今度8月に、野口さんと貞夫さんの写真展を東京でやることになっているんですよ。そのときはぜひ来てください」」

「それは行きたいですねえ」

野口久光、恐るべしである。

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