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痛いファン、憧れの人と再会す

4月27日(土)

ブログを書くためには、ブログを書くための体力を残しておかなければならないことに、最近になって気づいた。

その意味からすれば、最近は、ブログを書く体力を残すことなく一日が終わることがほとんどである。

昨年(2018年)11月8日のことである。「前の勤務地」で、僕が実行委員の一人として参加している委員会の会議に出席したとき、会議の最後に、こんな報告があった。

「来年の4月27日に、大林宣彦監督をお招きして、本館の事業に合わせて講演会を行います」

ええええぇぇぇっ!!と驚いた。

5月に、僕はある本を作るために、大林監督のところにインタビューに行ったのである。10代の時から大ファンだった僕は、監督を前にして、緊張して何もしゃべれなかったということは、以前に書いた

その大林監督が、「前の勤務地」の、しかもいま私が関わっている仕事の関連事業で講演会をするとは!

僕の中では、5月のインタビューの仕事と、「前の勤務地」での仕事は、まったく別の仕事なのだが、それが一つに結びついていく感じがしたのである。

5月に「大林監督と一緒に仕事をする」という夢が実現したので、僕はもうそれで十分だったのだが、まだ続きがあったというわけだ。

日程を調べると、前後の日は職場で休めない仕事があるのだが、この日はぽっかりと空いている。これも何かの運命なのだろうと思い、日帰りでこの行事に出席することにしたのである。そうしたところ、昨年5月に大林監督に一緒にインタビューをした編者のOさんも、僕からこの情報を聞いて、この会場にかけつけることになった。OさんはOさんで、次の仕事につなげるために監督に会いに行きたかったらしい。

全面的に協力してくれたのは、この事業でスタッフとして働いている「前の職場」の卒業生の旧姓Mさんだった。旧姓Mさんは卒業後、こんどは仕事仲間として、一緒に仕事する機会が多かった。そんな縁もあり、当日のいろいろな段取りをつけてくれたのだった。

こうして、一見無関係に思える編者のOさんと卒業生の旧姓Mさんが、ひょんなことからつながっていくのである。

旧姓Mさんから事前に連絡があった。

「講演会が終わったあと、午後6時から大林監督ご夫妻を囲んで懇親会をしますが、鬼瓦先生は参加されますか?」

どうしよう。翌日は朝から職場で長丁場の会議なのだ。本当は講演会を聞いたあとすぐに帰りたかったのだが、「大林監督ご夫妻を囲んで」と聞いて心が動いた。大林監督だけでなく、二人三脚で映画を作ってきた恭子プロデューサーもいらっしゃるということか!恭子プロデューサーにぜひお会いしたい、という欲が出てきて、懇親会に参加することに決めた。

編者のOさんは、その日のうちに隣県の沿岸の町に移動しなければならないとかで、講演会が終わったらすぐに移動するとのことだった。

さて当日。

講演会場で、編者のOさんは思いがけず、さまざまな出会いを体験する。まったく知らない土地であるにもかかわらず、思いもよらぬ人と人とのつながりを目の当たりにし、無縁の土地ではなかったことを実感したのである。そこで、Oさんの気持ちに変化が生じたらしい。

「私、やっぱり懇親会に出ます。調べてみたら、6時50分に懇親会の会場を出れば、その日のうちに目的の町に着けるみたいです」

ということで、編者のOさんも、懇親会に顔を出すことになったのである。

さて、講演会が無事に終わり、午後6時に懇親会場に移動した。参加したのは20人弱だろうか。

大林監督ご夫妻が真ん中の席に座り、それを囲むようにして参加者が座る。当然、監督に近い関係の人が近くに座り、僕は端っこに座った。

編者のOさんは、50分という限られた時間の中でいろいろな人と話をして、最後には大林監督夫妻とも話をして、会場をあとにした。

さあ、残された僕は、どうしていいかわからない。

(うーむ。やっぱり今回も監督と話をするチャンスがないだろうな)

と思っていたら、今回の事業のスタッフの一人であるKさんの計らいで、監督夫妻の近くに行くことができた。

だが、相変わらず、緊張して監督の前でお話しすることができない。

僕は恭子プロデューサーの方を向いて話をした。

「あの、…僕、10代の頃から監督のファンで、映画も全部見て、ロケ地も全部まわって、…臼杵の『ほりかわ』にも行きました!」

「あら、そう。臼杵っていい町よねえ」

「はい。恭子プロデューサーも、DVDのメイキング映像でしかお目にかかっていませんでしたが、こうしてお会いできるとは思いませんでした」

恭子プロデューサーは苦笑いしていた。

「こうして、…10代の頃の夢がいまになって実現したのは、とても感激です」

「まあ、ありがとう」

…もう完全に俺は「痛いファン」である。

こんなことをご本人たちに言ったところで、何の意味もないのだ!

僕は猛反省をして、その場を離れた。

しばらくして、スタッフのkさんが、

「せっかくの機会なんですから、監督の隣に座ったらどうです?」

と、監督の隣の席を空けてくれたのである。

監督の隣に座ったものの、やはり緊張のためまったくお話をすることができず、わずかに、

「パキさんがテニスの審判役で僕の映画に出てくれたことがあったね。何だったっけな」

「『瞳の中の訪問者』ですね」

というやりとりと、

「いま流れているBGM、僕の映画で使った曲だよね。何だったっけ」

「『あした』のサントラです」

と会話したのが精一杯だった。前者は、「パキさん」が藤田敏八監督のあだ名であることを知っていないと答えられないクイズである。後者は、映画好きの店主が、大林監督がいらっしゃるということで、BGMとして流していたものだった。

そんなこんなで、あっという間に帰る時間となった。店を出るとき、監督ご夫妻に、

「お会いできて夢のような時間でした」

と申し上げると、お二人は僕に向かって、バイバイと手を振った。

僕は、映画「麗猫伝説」の中の、あるシーンを思い出した。

こうして僕は、最終の新幹線に飛び乗った。

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