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2019年5月

本日モ特筆スベキ事ナシ

5月29日(水)

認可保育園に転園してから、もうすぐ1カ月がたつ。

昨日、僕の住んでいる自治体から封書が届いた。4月1日からの1カ月間、市外の認可外保育園に通っていたのだが、認可外保育園の場合、保育料の補助金が支給される。4月分の補助金を支給するから、申請書に必要事項を書いて、通っていた認可外保育園に提出しなさい、というものである。その申請書を受けとった認可外保育園は、たしかに4月分の保育料を納めましたという証明をその申請書に書いて、僕の住む自治体に提出するのだそうである。

ちなみに、認可保育園の場合は、補助金が出ない。なので、認可外保育園に通った方が、実は保育料が安かったりする。もっともこの補助金制度は、認可保育園に入ることにできない人のための措置なので、当然といえば当然なのだが。

申請書に必要事項を書いて、今日の午前中に、認可外保育園に出しに行くことにした。

(大丈夫だろうか。不審人物とは思われないだろうか)

転園してしまったいま、僕はこの保育園とは何の関係もなくなっているのだ。それに時節柄、中年男が一人で保育園に訪れるのは、なんとなく気が引ける。

おそるおそる保育園の玄関まで来て、呼び鈴を慣らそうとすると、

「あら!○○ちゃんのお父さん!」

と、中にいた保育士さんが、僕を見るなりそう言ったのである。

ちょうどこれから園児たちをバギーに乗せてお散歩に出かけるところだったようで、

「みなさ~ん、○○ちゃんのお父さんですよ~」

と、集まっていた園児たちに話しかけていた。

ほどなくして、園長先生が降りてきて、

「あら、○○ちゃんのお父さん、お久しぶりです」

と挨拶をした。

入園してたった1カ月で転園してしまい、しかも転園して1カ月がたっているにもかかわらず、園長先生はじめ保育士さんは、僕の娘と僕のことをまだ覚えていてくれたのだ。

それに僕は、数回しか送り迎えをしたことがないのだ。

こういうのをプロというのだろうか。

僕は人の顔と名前を覚えるのが苦手で、同業者祭りに行って挨拶されても、「はて、どなたでしたっけ?」となることが多い。たぶん、他人に興味がないからだろう。

だが保育士さんは、仕事とはいえ、よく覚えているのだ。人に対する興味がなければ、保育士はつとまらないということなのだろう。

僕の娘と僕のことをまだ覚えていてくれた、という一点だけで、僕は保育士さんたちを尊敬する。

転園するのが、まことに惜しい保育園だった。

さて午後は、都内某所で、出版社の編集者と打ち合わせである。

初対面の編集者なので、どんな人なのかわからない。編集担当者のほかに、編集長も同席するとのことだった。

僕は、昨年出した本でもう懲りていて、「この先、どんな本を出したとしても、売れないだろうな」と絶望的になっている。

(僕と会っても無駄ですよ。どうせ売れないんですから)

と言おうと思ったが、大人げないのでやめた。

編集担当者は、僕よりも若く、おしゃれな感じの青年。対して編集長は、どことなくおちゃらけた感じのオジサンである。

ほかの出版社でも感じたことだが、どこの出版社も、編集長って、こんな感じなのだろうか。生き馬の目を抜く出版業界で、修羅場をくぐり抜けて編集長になったら、みんなC調になるのだろうかと、ちょっと可笑しかった。

初対面の編集者と話すと、なんとなくオーディションを受けているようで、居心地が悪い。とにかくその場にいる二人に興味をもってもらわないと、企画が通らないからである。

そういえば、思い出した。

以前、喫茶店で仕事をしていたら、隣の席で、イベンターみたいな人と、おそらくまったく無名の芸人らしき人が、仕事の話をしていた。

二人は初対面のようで、「探り探り」会話をしている。

イベンターは、その無名の芸人に、イベントに出てほしいという依頼をしているようなのだが、なにしろ無名なので、はたしてこの人がどれだけおもしろい人なのかわからない。

無名の芸人の方も、そのことを自覚しているらしく、自分がけっこう忙しい身であるとか、いろいろなところに呼ばれている、みたいなことをアピールしていた。

イベンターは、その無名芸人を立てつつも、本当にこの人を起用して大丈夫かどうか、値踏みしている様子だった。

会話の断片から、その無名芸人が誰なのか、スマホで検索してみたのだが、結局誰だかよくわからなかった。つまりそれほど、無名の芸人なのである。

会話じたいは楽しそうに聞こえるのだが、お互い、腹の探り合いをしていることが、手に取るようにわかって、近くで耳をそばだてていた僕は、ちょっと具合が悪くなってしまった。

そのイベンターと無名芸人の関係は、出版社の編集者と僕の関係になぞらえることができる。そのとき具合が悪くなったのは、自分に置き換えて考えてしまったためだろう。

ひとまず今日は、何事もなく無事に終わったが、どうなるかはわからない。ボシャったらポシャったで、仕方がない。

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同業者祭りの憂鬱

5月26日(日)

まことに忙しい。

本日は、都内の大学で行われる「同業者祭り」で、発表をしなければならない。

この同業者祭りは、年に1度、この時期に大々的に行われる。同業者がざっと1000人は集まるだろうか。日曜日は、各分科会みたいなものに分かれて会合が行われるのだが、僕はそのうちの、ごく小さな分科会で、10分ほど喋ることになったのである。

この同業者祭りに出席するのは、約15年ぶりである。

15年ほど前、この同業者祭りの、比較的大きな分科会で、発表したことがある。そのときは、休憩なしで2時間ほど喋ったのだが、さほど反響のないまま終わった。

僕はこの同業者祭りにどうにもなじめず、その後はまったく顔を出さなくなってしまった。

もう縁がないだろうな、と思っていたら、今年度、同業者祭りの小さな分科会で喋らないか、といわれた。

正確に言えば、僕が直接依頼されたわけではなく、僕の職場の同僚が依頼されたのである。20分ほど喋ってほしい、と。

で、その同僚は僕に、一人で喋るのはアレなので、一緒にその分科会で発表しないかと、声をかけたのである。

「どのくらい喋ればいいんです?」

「私に与えられた時間が20分なので、それを二人で分けるとなると一人10分ですね」

「10分、ですか」

10分であれば、さほど準備しなくてもできそうだ。

それに、あまり注目されない小さな分科会での発表ということなので、気楽に喋ればいいだろう、と思い、引き受けることにした。

さて当日。

お昼前に会場に行くと、みんなが「おまえ誰だ?」みたいな顔で僕を見た。もちろんこれは、被害妄想である。

しかし、あながちこれは、被害妄想ではない。明らかに僕だけ、場違いな人間なのである。

もともとが、同業者祭りのスタッフから直接依頼されたのではなく、うちの同僚が勝手に僕を加えたものだから、同業者祭りのスタッフからしたら、僕は扱いに困る存在なのである。

しかも僕を除くパネラーは、みな知り合い同士で、会が始まる前からすでに話が弾んでいるのだが、僕だけが、なんとなく部外者である。

まあそんな場に出くわすことはこれまでも幾度もあったので、慣れてはいるのだが。

会の開始は、お昼の12時からだった。70人くらいの人が集まっていたと思う。

僕は言われたとおり、用意した話題を10分程度お話ししたのだが、会場の反応はいまひとつだった。

先日、同じ話を別のところでしたときは、けっこうウケていたのだが、今日はお客さんの反応が鈍い。

(そりゃそうだよな。この会場に来ている人たちが期待している内容とは違うものな…)

僕は喋りながらますます落ち込んでいった。

分科会は、発表の後のパネルディスカッションも含めて1時間半の予定が、2時間以上かかって、ようやく終わった。

10分だけ喋って、なおかつお客さんの反応が悪かったということで、なんとも消化不良のまま、会は終了したのであった。

(やはり、うかつに引き受けるんじゃなかったな…)

その後、夕方から同業者祭りの懇親会があり、発表者はタダで参加できますよ、と言われたのだが、やはりこの同業者祭りの雰囲気に全然なじめず、帰ることにしたのだった。

たいした達成感もなく、疲労だけが蓄積した週末であった。

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サラリーマンあるある、いやあったら困る!アーバンジプシー編(その4・最終回)

(その3)からのつづき。

それから暫くして、仕事が忙しくなり、我々は毎日のように午前様です。

そんなある日、O君は、夕方の6時を過ぎたところで職場から居なくなり、10時前に会社に戻って来るという行動を繰り返すようになります。私が不審に思って「お前、会社抜け出して何処行ってんだよ?」と問い質すと、O君は例の如く勿体ぶって「いや〜、コバヤシ君、実は...」と語り出します。「いや〜、実はさあ、仕事ばかりじゃあ身体に悪いんで、新木場の公営プールに泳ぎに行ってるんだよ。その後、腹拵えも兼ねて軽く飲んでから会社に戻って来てるんだよ。」、ちょっと驚いて改めてO君に聞きます「え〜!泳いで来た上に飲んで来てるの!そう言えば、皆んなが帰る時、まだ仕事してるけど、何時頃に帰ってるの?」、するとO君はごく当然という顔をして答えます。「え、何時に帰るって?やあ、大体いつも2時ぐらいまで仕事してるから、寮には帰れないよ。2時になったら応接室のソファて寝てるよ。大体、わざわざ帰ったら往復3時間ぐらいかかるから時間の無駄じゃん!」、コイツ何言ってんの!と思いながら、再度聞き返します「えっ、お前、寮に帰ってないの?着替えとかどうしてるの?」、O君が答えます「プールで泳いだら、シャワーを浴びて着替えるから清潔だよ!その後、飲んでリフレッシュするから、仕事もはかどるしね。合理的だろ!」と、さも当たり前のように話ます。そのうち、O君は会社に寝袋まで持ち込み、毎日のルーティンをきちんとこなしながら、数ヶ月に渡って会社に住むことになります。私が、お前おかしくないか?と何度いっても、こんなに合理的な生活は無い!と言って、取り付く島も有りません。

さすがアーバンジプシーのO君、と言う他有りません。それにしても、今思い返すと、当時、会社で暮らすO君を咎める人は誰もいなかったように思います。20年以上前のことでは有りますが、まだおおらかな時代だったのでしょうか。

そんなO君は、今、グループ会社に出向して博多で働いています(ちなみにO君は、東北、福島の出身なので念の為)。この数年、O君には殆ど会うことは有りませんが、たまには2人で飲みに行きたいような気もします。多分、途中で面倒くさくなるのは目に見えていますが。

かなり長くなってしまい、すいませんでしたが、今回のサラリーマンあるある、いや、あったら困る、アーバンジプシー編、いかがでしたでしょうか?

まあ世の中にはこんな奴も何食わぬ顔をして働いているんだなあ、と思って貰えれば。

ということで、あまり無理はしないように、くれぐれもご自愛下さい。

それでは、またそのうち。

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眼福の先生のコメント

5月25日(土)

今日は1日、都内の大学で会合である。

会合は午前と午後で分かれたが、午後の会合で久しぶりに、尊敬する「眼福の先生」にお目にかかった。しばらくお目にかかっていなかったが、お元気そうで安心した。

傘寿をとっくに過ぎている眼福の先生は、お歳のせいもあり、やや耳が遠い。

今日の報告者は、韓国からうちの職場に研修に来ているPさんである。Pさんは以前も日本で勉強されたことがあり、日本語ができるのだが、日本語の実力は、僕の韓国語の実力ていど、すなわち、そこそこである。

Pさんは日本語でプレゼンをはじめた。Pさんにとっても眼福の先生は憧れの先生である。15人ほどの会合だったのだが、Pさんはなんとか自分の話を眼福の先生に聞いてもらおうと、ややおぼつかない日本語を駆使しながら、一生懸命にプレゼンをしていた。こんな機会は、めったにないのである。

しばらくして、眼福の先生は、隣に座っていた人に、Pさんに聞こえないくらいの小声で聞いた。

「彼、日本語で喋ってるの?韓国語で喋ってるの?」

「日本語です」

「あ、そう」

どうやら、眼福の先生に向けて必死に喋っているPさんの言葉は、眼福の先生にあまり届いていないらしい。

しかし、である。

Pさんの報告が終わると、眼福の先生は、実に的確に、Pさんのプレゼンの内容について質問やコメントをおっしゃった。

それは、Pさんのプレゼンの内容をはるかに凌駕する、興味深い内容だった。

眼福の先生はPさんのプレゼンの趣旨を瞬時に理解し、その勘どころをつかんでいたのだ。

「その道を究めた人」というのは、相手が何を言うかを瞬時に、しかも的確につかみ、それをはるかに凌駕する言葉を用意しているものなのだと、僕は感動した。

その後1時間半ほど、例によっておそるべき記憶力に裏打ちされた、立て板に水のごときお話しが続き、僕は久しぶりに、先生のフリートークを楽しんだのであった。

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通訳ダイエット

「サラリーマンあるある、いやあったら困る!」(その4)の前に。

韓国での出来事について、もう少しだけ書く。

今回訪問した機関のボスは、キャリア官僚の方で、どうやら数年間、この機関に出向している形になっているようである。いずれ本庁に戻り、出世するのだろう。

以前にも書いたと思うが、本当に優秀な官僚とは、頭脳明晰で、知識が豊富で、懐が深くて、人格者で、話が上手な人なのだということを、この方とお話しすると実感する。

今回の訪問では、先方が日本語通訳のスタッフを用意してくれた。僕が先方にお願いしたことでもあるのだが、僕が通訳だとなんともおぼつかなくて、せっかくのセミナーの内容を十分に理解できないまま終わることを恐れたためである。

通訳の方がいたおかげで、うちのボスもセミナーの内容を十分に理解できたようだった。

それだけでなく、セミナーの後の会食にも、その通訳の方がついてくれて、十分なコミュニケーションを取ることができた。

しかし、通訳の方は、訳すのに忙しくて、なかなか目の前の料理を口にするチャンスがない。

それを見かねた先方のボスが、

「通訳の方も、ちゃんと食べてくださいよ」

と何度もおっしゃった。

そこで、先方のボスは、通訳についてのエピソードを思い出したらしく、こんなエピソードを語ってくれた。

「頂上会談(首脳会談)などでの会食では、通訳は大変なようです。当然、食事をする暇なんかありませんからね。あらかじめ首脳より先に食事を済ませてから、会食の通訳に臨むそうです」

なるほど、そういうものか、と納得した。

「むかし、金泳三大統領の時に」と、先方のボスが話を続けた。

「金泳三大統領は、ジョギングが趣味で、外国からお客さんが来ると、朝、必ず一緒にジョギングをしたそうなんです」

「そうですか」

「で、大変なのは通訳ですよ。通訳も一緒にジョギングしなければならない」

「そうなりますね」

「金泳三大統領の側近の通訳の人の中に、100キロ以上の体重の巨漢がいたのですが、ジョギングしながら通訳したことが続いたおかげで、体重が20キロも落ちたそうです」

「なるほど、それは大変ですね」

201511231134531 「クリントン大統領が訪韓したときもやはり、朝は青瓦台(大統領官邸)の周りを一緒にジョギングをしたそうなんですが、そのとき通訳は、あらかじめジョギングコースにある植物の名前を、全部覚えたそうです」

なるほど、植物の話題が出ても、ちゃんと通訳できるようにということなのだろう。

「大統領の側近の通訳は、何人かいるのですが、みんなジョギングで鍛えられたそうです」

「そうでしょうね」

「ですからダイエットするには、大統領の通訳になることです」

と、先方のボスは、そのエピソードを締めくくった。

さすが、座持ちのよい方だなあと、僕は感心したのだが、なによりも大統領のエピソードを出すあたりは、さすがキャリア官僚ならではだなと、さらに感心したのである。

「金泳三大統領の側近の通訳が、外国の首脳との『ジョギング外交』につきあわされたおかげで、20キロのダイエットに成功した」というエピソードは、たぶんどの歴史書にも記されないだろうから、ここに書きとどめておく。

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1泊2日ソウル出張

「サラリーマンあるある、いやあったら困る!」(その4)、の前に。

5月22日(水)

1泊2日のソウル出張。

最近、このパターンが常態化しつつある。時間がとれないから仕方ないのだが、完全に体を壊すパターンだな。

朝5時過ぎに家を出て、飛行機と地下鉄を乗り継いで、用務先に着いたのが午後1時。午後から始まるセミナーに出席し、夜9時過ぎにようやく解放された。

今年の2月に、先方にご挨拶に行って、思いつきの提案をしたら、先方が真剣に受けとめてくれて、日韓の合同セミナーを開催することになってしまったのである。

合同セミナーと言っても、日本から参加したのは、ボスと僕の二人だけ。こちらはただ、参加するだけである。韓国側は、発表者3名を含む20名ほどが参加し、今回のセミナーのために横断幕まで作ってくれ、セミナーの資料は製本までしてくれたのである。日本からたった二人しか来ていないのに、ここまでしてくれるのか、と、ひたすら恐縮するばかりだった。

僕の軽はずみな提案によって、実に多くの人たちの仕事を増やしてしまい、後悔したのだが、終わった後、先方のボスが、

「セミナーを開催したおかげで、わが社にとってもよい刺激になりました」

と社交辞令を言ってくれたのを、真に受けることにしよう。

来年は、こっちがお招きしなければならない。今回のセミナーに見合うイベントができるかどうか、いまから頭が痛い。

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サラリーマンあるある、いやあったら困る!アーバンジプシー編(その3)

(その2)からの続き。

少し話しは変わりますが、とある年にO君は長年のベルギービール好きが高じて、ついにベルギーにビールを飲みに行く決意を固めました。会社を1週間休んでベルギー全土のビール醸造所を廻る計画です。車で廻るのが一番と、O君は早速、国際免許証の手続きを取りました。

ここでもまたO君は私の想像をはるかに超える奇行を取ります。当時、O君は父親の払い下げの左ハンドルのアメ車、ムスタングに乗っていました。ヨーロッパの車線は日本と反対の右車線なので、ベルギーに行く前に右車線通行に慣れておきたかったのだと後に語っていましたが、O君はある日の早朝、右車線通行の練習ということで、なんと自分が住んでいた蘇我の街をムスタングで逆走したのです。O君曰く、そんな早朝に蘇我の街を車で走っている奴はいないから、全く問題無く練習出来たと語ります。お前、絶対に頭おかしいよ!と私が怒ったところで、O君は馬耳東風、やはり全く意に介しませんでした。

そうこうするうちに、彼はベルギーに旅立って行きましたが、ベルギーでも日本同様、O君独特のマイペースぶりを発揮します。

フランス語はおろか英語もままならないのに、ベルギーの片田舎のジモティーしか来ないような居酒屋に独りで入ってビールを飲み地元のオッチャン達と盛り上がっただとか、酔っ払ってアウトバーンを車で飛ばしていたら国境を越えてスイスに入ってしまい検問に引っかかって大変だったとか、色々な体験をしたようです。

中でも、私を呆れさせたのは、O君が語ってくれた次のような話です。「ベルギーのとある修道院のビール醸造所を訪ねたんだけど、ホテルが全然無くてさあ、結局醸造所が経営する居酒屋で飲んだ後、車の中で寝ることにしたんだよね。」、私が「えっ、お前、ホテルも予約せずに行ったの!しかも、ベルギーでも野宿したの?」と驚いて聞くと、「最初と最後の日はホテルを予約して行ったんだけど、後は何とかなるだろうと思って予約なんかしなかったんだよ。それに野宿というか車の中だから大丈夫だよ。車を停めた場所も醸造所の入り口の近くだし安全だよ。ただ、朝寝てたら人の気配がするんで薄眼を開けて見たら、醸造所に出勤する人達が皆んなオレの車の中を覗いてくんだよね。死んでると勘違いされて警察でも呼ばれたら大変だと思って、ワザと寝返りを打って生きていることをアピールしたから、全然問題なかったけどね。」と答えます。「なんか違わないか?そういう問題じゃないと思うんだけれど...」と私が言ったところで、これまた全く意に介しません。

(つづく)

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サラリーマンあるある、いやあったら困る!アーバンジプシー編(その2)

(その1)からの続き。

また別の晩に先程の神保町のベルギービール屋で飲んだ時は、終電近くになって店を出て帰ろうとすると、泥酔したO君が訳も無く走り出して電柱の陰に隠れたり、まとわりついて来るので、鬱陶しくなり、そのまま捨て置いて帰ってしまったことがあったのですが、翌朝、不味かったかなあと思いながら出社すると、またもやO君が既に会社にいます。驚いて「昨日は大丈夫だったの?」と尋ねると、O君は、いつものように勿体ぶって「いや〜コバヤシ君、今日はちょっとまだ語れないな。」と宣います。

数日後、また、いつものベルギービール屋に行ってO君と話していると、数日前の出来事を話してくれました。「いやあ、コバヤシ君、実はあの後さあ、地下鉄に乗って駅を降りたら板橋だったんだよ。気付いたらもう終電は出た後だったんで、仕方無く眠れそうな場所を探したんだよ。」O君の語るところによると、暫く街中を歩いて行くと、「マンションの脇に駐車場があって、そこに停まっている車とマンションの壁の間に丁度人1人寝るのに良い空間があったんだよ。」とのこと。O!お前ちょっとおかしく無いか?と思いながら聴いていると、「いや〜、良い場所を見つけたなあと思って、折角だから少し飲み直そうと思って、コンビニにビールとつまみを買いに行ったんだよね。」思わず「お前、頭がおかしくないか?」と突っ込みを入れたものの、O君は全く気にする事無く話を続けます。「戻って独り宴会をした後、寝てたら、今度は雨が降って来たんだよ。仕方がないから、どこか屋根のあるところで寝ようと思って歩いていたら、たまたまマンションの入り口のドアが開いてたんで中に入ったら物置があったんだよね。その物置の扉を開けたら、これまたちょうど1人座るのに良い空間があったんだよ。」お前それってただの不法侵入だろ!と突っ込んだところで、別におかしく無いじゃんと、O君は平然としています。更にO君がおかしいのは、「また折角良い場所を見つけたんで、コレは独り宴会をせねばと、コンビニに買い出しに行ったんだよ。」とのこと。もうこちらは絶句するしか有りませんでした。

こうして、O君はその後も野宿を重ねて行きます。ある時は日比谷公園のベンチで、ある時は静岡駅のコンコースに雑誌を敷いて、またある時は渋谷駅のコンコースで、更には夜更けのコンビニのトイレ(数時間トイレを占拠して寝ていたのに、店にはバレていないと言い張ります)でと、どんどんエスカレートして行きます。ちなみに渋谷駅では、朝起きたら身体中が痛く、財布からお金が無くなっていたそうで、それって明らかに襲われたんだろ〜!と言ったところで、「酔っ払ってたんで、全然覚えて無いよ。」という始末。

そんなO君の行動を聞いた会社のとある先輩は「O君、君、凄いね!アーバンジプシーじゃん!」と言いました。O君は、そのアーバンジプシーという言葉を聞いて、満更でもなさそうな顔をしています。

(つづく)

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元祖・斧を持つのが世界一絵になる男

「サラリーマンあるある」の第2回にいく前に、ちょっとブレイク。

遅ればせながら、スタンリー・キューブリック監督の映画「シャイニング」(1980年)を、この年齢になって初めて見た。

ホラー映画が苦手な僕は、ずっと敬遠していたのだが、カメ止めを観た勢いで、録画しておいた「シャイニング」も観ることにしたのである。

雪深い山の上のため冬期は休業になる豪華ホテルには、冬の間だけはメンテナンス係のみがホテルに滞在する。

 そのメンテナンス係として採用されたのは、小説家(ジャック・ニコルソン)とその妻、そして幼い息子の家族であった。

小説家は、冬の間の閉ざされた空間で、思い切り小説が書けると思い、メンテナンス係を志望したのだが、話はそう簡単ではなかった。

雪に閉ざされただだっ広いホテルの中で、だんだんその精神を蝕んでいくのである。

まあ映画の内容は措くとして、キューブリック監督の映像は、それだけでゾクゾクする。

19824 幼い息子が三輪車でホテルの廊下をぐるぐると走り回るのを、後ろから追いかけて撮影する疾走感

とか、

Hotel 誰もいない、だだっ広いホテルのロビーで、小説家(ジャック・ニコルソン)がひとりでカタカタとタイプライターを売って小説を書いている不気味な感じ

とか、いわゆる本当に怖い場面ではなく、ちょとしたホテル内での日常の風景も、観ていてゾクゾクするのである。

で、無知な僕は、かつて「斧を持つのが世界一絵になる男」として、韓国映画俳優のキム・ユンソクの名をあげたことがある。

だがこれは、僕が映画に対していかに無知だったかを示すことになった。

F0145348_14592981 「斧を持つのが世界一絵になる男」の元祖は、ほかでもない、ジャック・ニコルソンなのである!

もう一つ、僕がこの映画でゾクゾクしたのは、小説家が、自分では傑作を書いたつもりで打っていたタイプライターの文字がすべて、

A9ltghpceaefv5wjpg_large 「All work and no play makes Jack a dull boy」

と書かれていたことである!

このシーンがあることで、彼の精神が蝕まれている様子がよくわかる。

このシーンを観て思い出したのだが、大林宣彦監督の映画「麗猫伝説」(もともと火曜サスペンス劇場の枠で1983年に放映)に、似たような場面がある。

伝説の大女優が住むと噂される離れ小島の屋敷に招かれた脚本家(柄本明)は、女優に気に入られ、その屋敷で彼女のために脚本を書くことになる。だが彼は、その屋敷の中で、死んだはずのその大女優に生気を吸い取られ、次第に精神を蝕んでいく。

精神を蝕まれた彼の、タイプライターに残された脚本には、自分の名前である「志村良平」という文字が、繰り返し書かれているに過ぎなかった。

「麗猫伝説」の放映が1983年、「シャイニング」の公開が1980年だから、「麗猫伝説」のこの場面の元ネタは、「シャイニング」だったのだな。

「シャイニング」以後、小説家や脚本家の狂気を表現する手法として、この表現は定番化していくのだろう。

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サラリーマンあるある、いやあったら困る!アーバンジプシー編(その1)

鬼瓦殿

高校時代の友人・元福岡のコバヤシです。こんばんは。

少しご無沙汰です。

あいも変わらず忙しそうで、また倒れないか正直心配です。しかも、また何時ものようにマイナス思考に陥っているようですし。

ということで、また下らない小噺を一つ。

前にも書いた、

サラリーマンあるある、いやあったら困る!

の第2弾です。

少しでも気晴らしになれば幸いです。

アーバンジプシー編

私の会社の同期にO君という人がいます。

彼とは会社に入社してからの数年間を同じ職場で過ごし、20代だった若い頃は週に3度は呑みに行く仲で、後に私が福岡に転勤になった時も数年間一緒に仕事をすることになる、会社の中では唯一の親しい友人です。

ただ彼は非常に変わった人間で、かつ典型的な酒に呑まれるタイプでもあり、結婚した今でこそ大分まともに(といっても、普通の人にとってはダメなレベル)になりましたが、若い頃は本当に色々な奇行を繰り返していました(呑むと特に)。当時の私は、コイツはいつか事故かなんかで死ぬのではと思うくらいの酷いレベルでした。

彼が、初めて私を驚かせる奇行を取ったのは、確か入社3年目ぐらいで、会社の忘年会の後だったように思います。宴会では、かなり酔っ払っているなあという感じはあったのですが、その時は何ごとも無くO君も帰途に着いたように見えました。翌日、9時前に会社に行くと、いつもは9時半ぐらいにならないと会社に来ないO君が既に会社にいます。不思議に思った私が「今日は早いけど、どうしたの?」と尋ねると、O君は「いや〜、ちょっと〜」と少し勿体ぶって(O君は何かと勿体ぶる癖が有ります)多くを語ろうとしません。結局、何も聞かないまま夜になり、いつものように2人で呑みに行くことになったのですが、当時よく通っていた神保町のベルギービール屋で飲みながら、早速、私から「今朝は勿体ぶってたけど、結局何かあったの?」とO君に聞くと「いや〜実は...」と、また勿体ぶりながらも、ようやく語ってくれました。「いや〜、実はさあ、昨日の宴会の後、酔っ払って電車を乗り過ごしてさあ、気付いたら成東(千葉の奥地、因みにO君は当時、千葉の蘇我にある独身寮に住んでいました)に居たんだよ。もう終電が無くてさあ、泊まるところもなさそうなんで、酔っ払いながらも何とか寮に帰ろうと考えたんだけどね。暫く駅の周りをウロウロ歩いてたら、たまたま自転車があったんだよ。これは良いと思って乗って帰ろうとしたら、パンクしててダメだったんだよ。」すかさず私が「ちょっと待てO!それじゃあ犯罪だよ。」と言うと、O君は私の発言などは聞き流して喋り続けます。「それでさあ、仕方が無いからまたウロウロ歩いていると、たまたま車が停まってて、ドアを開けたら鍵がかかってなかったんだよ」、ちょっと待て、もっとマズイじゃん!と心の中で叫びながら聴き続けると「そんで車に乗り込んだんだけど、鍵が無くてエンジンがかけられないんで、仕方無く車を降りたんだよ。」ホット胸を撫で下ろしながら「その後どうしたの?」と聞くと、「しょうがないから、どこか寝る場所を探そうと明るい方に向かって歩いて行くと、また駅に戻っちゃったんだけど、ふと駅の構内を見ると電車が停まってたんで、これは良いと思って駅のホームに入って電車のドアを開けようとしたら、コレがちゃんと開いてくれたんで、良かったあ!と思って電車の座席で一晩寝て、翌朝向かいのホームに来た始発に飛び乗って寮に戻って着替えて会社に来たんだよ。いやあ、あんな寒い中、外で寝てたら死んじゃうとこだったよ。」いや、ちょっと待てO!電車の中も不法侵入なんじゃないか?と心の中で叫びながら、その夜は更けて行きました。思えば、その時からO君の野宿癖(正確に言うと電車の中は野宿では無いかもしれませんが...)が始まったのです。

(つづく)

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カメ止め、ようやく観ました!

5月18日(土)

以前にテレビ放映されたとき録画しておいた映画「カメラを止めるな!」を、ようやく観ました。

遅っ!!!

しかしまあ、今の今まで、この映画についてまったくネタバレを聞くことなく生活できたことが、奇跡に近い。

ああいう構造になっている映画だったのかと、初めて知った。

黒澤明監督の幻の映画「暴走機関車」

あるいは、

「歴史は繰り返す。一度目は悲劇として。二度目は喜劇として」byヘーゲル

あるいは、

「マトリョーシカ」

なんてね。

ずいぶん前に、こぶぎさんからこの映画についてほのめかすようなコメントがあったような気がするのだが、映画を見終わってもなお、こぶぎさんが僕に何を言おうとしたのかが、よくわからない。

たしか、この記事のコメント欄だったと思うが、

「(ピー)の(ピー)が(ピー)と同じだから」

というのは、一体何のことを言っているのか???

今度はそれが気になって仕方がない。

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コンディションが悪いときの日記

5月17日(金)

このところ、ブログを書く体力が残らないまま、1日が終わってしまう。まあとくに話題もないのだけれど。

今週の月曜日、娘が高熱を出した。その日に病院に行き、解熱剤を処方してもらったところ、熱は下がったのだが、今週いっぱいは、なんとなく本調子ではない感じである。

で今度は今日、妻が肺炎にかかった。午前中に点滴を打ってもらって、仕事に出かけた。

僕は娘の保育園の送り迎えをし、娘の夕食を作ったりしたのだが、妻が肺炎を患っていることもあり、さすがに限界を感じ、同じマンションに住む義妹に娘を一晩預かってもらうことにした。

僕も、今週初めから、以前の喘息のような咳が再発した。

娘の高熱と、妻の肺炎と、僕の咳の因果関係は、よくわからない。

ついでに、左肩が上がらなくなってきた。これが五十肩といわれているヤツか?

そんなところに、高校時代の同じクラスの人から、飲み会の誘いが来た。数か月に一度、LINEグループを通じてお誘いいただくのだが、僕はこれまでのところ、いちども飲み会に行ったことがない。

LINEグループのメンバーは、クラスの中でも「一軍」のメンバーで、僕はどちらかというと「二軍」だった。なぜかLINEグループの中に入れてもらっているのだが、二軍だった僕は、一軍の人たちと共有する思い出が、あまりなかった。

まあそれはともかく、LINEのやりとりを聞いていると、僕以外の人たちはみな、子育てが軌道に乗ったり一段落したりした人たちばかりで、

「この日は子どもの部活動の母親会で飲み会があるので、今回は欠席します」

といった断り方をする人がいて、

「みんなけっこう、飲み会を謳歌しているのだなあ」

と、ヘンなところで感心する僕なのだった。

そんな中で、飲み会の日が誕生日だという人がいた。5月生まれということだから、同級生の中でもわりと早く誕生日を迎えるほうなのだろう。LINE上で、みんなにおめでとうと言われていたことに、彼はこう返信していた。

「みなさんありがとうございます。ただ嬉しいと思います?51歳、爺さん婆さんの歳ですよ。みなさんも間もなくですよ」

まあ冗談で言ったのだろうが、このところコンディションの悪い僕には、ちょっとカチンときた。

51歳が「爺さん婆さんの歳」って…。

これからいよいよ子育てが始まる僕からしたら、51歳がジジイの年齢だと言われると、なんとも悲しい気持ちになってしまうのである。たとえそれが冗談であったとしても。

それに僕の業界では、51歳というのはまだ「青二才」。「四十五十は洟垂れ小僧」と、小沢昭一が歌っていたではないか!

だから間違っても、51歳が爺さん婆さんの歳、と言ってはいけないのだ!

そもそも、「51歳、おめでとう」というのは、「51歳まで生きてこられて、おめでとう!」という意味なのだ。51歳まで生きてこられて、嬉しいと思わなければいけない!歳を重ねるごとに、むしろ誕生日はおめでたいものなのだ。

2年前に大病を患って、死を覚悟した僕からすれば、これほどおめでたいことはないのだ。

…といったことをつらつらと考えつつ、そんな屁理屈をLINE上でまともに反論すれば「おまえ、なに本気にしてるの?」と、かつての高校時代のようなリアクションをされそうだから、何も言わなかった。

育児と自分の健康のことを考えて、今度の飲み会も、お断りすることにした。

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仕事の依頼

5月16日(木)

15年ほど前に一緒に仕事をしたことのある人から、電話をもらった。

ある仕事を一緒にやりましょう、というお誘いである。

聞いてみると、またしても荷が重い仕事内容だったが、15年ほど前に1年間ほど一緒に仕事をし、一緒に闘った同士でもあったので、引き受けることにした。

かつて仕事をした人と、時間をあけてまた仕事ができる、というのは、うれしいものである。

これが、日をあけずにずーっと一緒に仕事をする関係、となると、「なあなあ」の関係になってしまって、あまりよろしくない。

たまに思い出して、「この仕事なら、あいつも一緒に巻き込もう」と思ってくれるくらいの仕事が、僕にとっては一番心地よい仕事のように思う。

15年たったいまも、以前と変わりなく仕事ができれば、なおうれしい。

問題は、これ以上仕事を引き受けて、俺大丈夫か?ということである。要は、時間との闘いでもある。

面白い仕事にしていきましょう。

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コンディションの悪すぎる時代

「みんな最近コンディション悪すぎ!俺もそうだけど」

とは、講談師の神田松之丞がラジオで最近よく言っている言葉である。

「コンディションが悪い」とは、ここでは「心が荒れている」といった意味である。

自分の尊敬する芸人が、おもにTwitterを使って、揉め事を起こしたり、他人の揉め事に首を突っ込んだりしているのを見て、「コンディションが悪い人たちばっかりだ」と、松之丞は嘆息している。名人と呼ばれる人たちなのだから、浮き世の些末な出来事なんかに首を突っ込まず、超然としていてくれればいいものを、Twitterとやらがあるばっかりに、しょうもないもめ事に巻き込まれたりすることを、歯がゆく思っているのである。

たしかに、Twitterができてから、それとは無縁だったはずの人たちも、揚げ足をとられたり、しょうもない揉め事に巻き込まれたりすることが頻繁に起こるようになった。超然としていたはずの人も、心をかき乱されずにはいられない状況になってしまったのである。

ただ、「一億総コンディションが悪い社会」になったのは、なにもTwitterのせいばかりではあるまい。

先日、こんな話を聞いた。

もう20年近く続いている団体がある。

その団体の発起人は4人で、その4人は、この20年の間、その団体のイベントの企画運営を行ってきた。

4人は、アラ還からアラ古希にかけてのベテランの人たちばかりで、社会的にも地位のある人たちばかりである。男性が3人に、女性が1人という構成。

その4人が最近、あるイベントを企画した。

そうしたところ、そのうちの1人(男性)が、4人のうちの1人(女性)を、そのイベントから排除した、というのである。「排除した」というのはつまり、そのイベントにかかわらせないようにした、という意味である。

そんな内輪もめの話、僕にとってはどうでもいいことなのだが、なぜその人が、その女性を排除したか、その理由を聞いてビックリした。

「その女性は、○年×月△日の飲み会の席で俺のことを『差別主義者』と言った。飲み会の席とは言え、断じて許すことはできない」

と、侮辱されたときの飲み会の日付まで覚えていて、それを絶縁状のごとく相手に叩きつけたというのである。

「差別主義者」などという酷いこと言われた気持ちは、お察ししないわけでもない。というか、アラ還のあなた、あなたも飲み会で、けっこう酷いこと言ってるの、俺は知ってるよ。

だからもう「どっちもどっち」の話なのである。

まあそのことを根に持つのは百歩譲って理解するとしても、20年も一緒にやってきたその女性を仲間はずれにしてイベントからはずすってのも、大人げないと思うぞ。個人の感情とそのイベントとは、まったく関係ないからね。そんなこと、一回り下の俺だってわかるぞ。

そしたら今度は、排除されたその女性が、自分を排除した人のイニシャルをあげて「女性排除だ!」とSNSで騒ぎだした。

「女性排除」というのとはちょっと違うと思うのだが。

この一連の騒動を見て思い出したのは、

「みんなコンディション悪すぎ!」

という松之丞の言葉だった。

アラ還とかアラ古希になってもなお、こんな中2病みたいな喧嘩をしなきゃならないの?

(ちなみに先日、韓国の友人に聞いたら、韓国でも「中2病」という言葉が使われているらしい。恐るべし「中2病」の影響力!)

しかもこの人たちは、社会的にも地位のある人たちだぜ。冷静に物事を判断できる大人として、これまで僕が仰ぎ見てきた人たちなのだ。

みんな、どうしちゃったんだろう。

こんな些末なことを気にして、わざわざブログに書いているこの僕も、同じ穴の狢で、コンディションが悪いのかもしれない。

聞くところによると、今年の5月1日から新しい時代が始まったらしい。俺は認めてないけど。

もし仮に、「新しい時代はどんな時代になりそうですか?」

と聞かれたら、

「コンディションの悪すぎる時代です」

と答えることにしよう。

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保護者会

5月11日(土)

保育園の保護者会があるというので、参加した。この日、妻が出張なので、僕1人が行くことになったのである。

保護者会にはじめて参加してみたのだが、参加している父親はあまりいなくて、大部分は母親である。

まあそれはともかく。

保護者会は、午前9時から11時までの2時間である。

最初に全体会というのが30分ほど行われた、0歳児クラスから5歳児クラスまでのすべての保護者が集まって、保育園の理念だとか、給食の話、保健の話といった、保育園全体に関わる話を聞く。

園長先生からは、保育園の理念と、今年度の保育テーマ、というお話があった。

保育園の理念というのは、「子どもの力を信じ、生きる力の基礎を育む」的な、不変の理念といったものなのだが、それとは別に、毎年、「今年度の保育テーマ」というのを決めているのだという。いわば、キャッチフレーズのようなものである。

昨年度は、「好きなことをいっぱい見つけよう」的なテーマだったのだそうだが、今年度は、昨年度と違う新たなテーマを決めなければならないとして、保育園のスタッフの方たちが、学校でいうところの職員会議のようなことをして、決めたのだそうだ。

その決定過程も含めて、園長先生からお話しがあったのだが、まず会議の場で、保育士さんから、「今年はどんなことをしたいか」というのを上げてもらい、それをホワイトボードに書き出していくのだという。

たとえば、「主体性を身につけさせる」とか、「ひとりひとりの個性を大切にする」とか、まあそういったことである。そういったことを、ホワイトボードに書き出していく、

こうして出されて意見をふまえて、「わかりやすいキャッチフレーズ」を作るのだという。

素人目に見たら、どのような保育をするかというのは、年ごとにそうそう変わるものではないから、わざわざ毎年毎年キャッチフレーズを考えなくてもいんじゃね?と思うのだが、どうもそうはいかないらしい。

で、最終的に、いろいろな意見をふまえて、「遊びを通じていろんなことを見つけよう」的なキャッチフレーズになったのだという。

結果的に、あんまり昨年度と変わりないじゃん!と、素人目には思うのだが、たぶん僕のような考えは間違いなのだろう。自己啓発セミナー的なワークショップを、毎年毎年、保育園のスタッフの方たちがやることを通じて、組織の中での意識改革というか、意識の共有というか、そういうことをはかっているのだと思う。だから、毎年の保育テーマを決める儀式というのは、とっても大事なことなんだろうなあと納得することにした。

全体会の後は、各クラスに分かれての懇親会である。担任の先生から、子どもたちがふだんどんな過ごし方をしているか、というお話があった。

散歩、給食、遊び、昼寝といった、保育園の1日について担任の先生がその様子を細かく説明してくれるのだが、その説明の中で必ず1回は、そクラスのれぞれの園児について言及するのである。

なかなか説明が難しいが、たとえば、保育園の散歩について説明するくだりがあったとする。すると、

「散歩といえば、○○ちゃんですよねえ。○○ちゃんは、誰よりも早く、スタスタと歩いていって、咲いている花の近くに寄ったりして、散歩を楽しんでいます」

とか、遊びのくだりでは、

「遊びの時には、××ちゃんが、とても積極的におままごとをしたりしているんですよ~」

とか、まあそんな感じで、担任の先生の説明の中に、どこかしら1回は、自分の子が登場するという配慮がなされているのである。

ちなみにうちの娘の場合は、

「給食の時に、△△ちゃんは、給食を本当に美味しそうに食べますねえ」

と、給食のお話しの時に名前が出たのであった。

もちろんこうした説明は、担任の先生による周到な準備の上でなされているものであり、通常の保育業務の合間に、こうした保護者会準備もしなければならないかと思うと、かなりたいへんなお仕事であることが、容易に想像できる。

保護者会は、自分の子どもがどのように保育園で過ごしているかを知る機会だけではない。保育士の先生が、日々どのような苦労をされているかを知る機会でもあるのだ。

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元同僚の本

すっかり疲れ切ってしまって、ブログを書く気力がない。

5月10日(金)

元同僚の友人から本が送られてきた。重厚な専門書である。

何年か前に、その友人と都内で一献傾けたときに、ここに来る前に出版社の人と打ち合わせをしていた、と話していたことを思い出した。あれからどうなったのだろう、と思っていたのだが、あのときに打ち合わせしていた本が、ついに完成したのだな。

先月も、元同僚の友人から共著の本が送られてきたし、先日はドンジュさんからも学位論文をまとめた本が送られてきた。そういうめぐり合わせの時期なのかも知れない。

さっそく、はじめの部分を少し読み始める。

専門分野が異なるにもかかわらず、専門的知識のない僕でも、内容がスッと頭の中に入ってくる。それどころか、読んでいて、ワクワクしてくるのだ。素材の持つ面白さや、語り口の巧みさもさることながら、僕はあることに気づいた。

その友人と同僚だった頃、たわいもない会話を含めて、日常的に対話を繰り返してきた。そのときの発想や語り口が、僕の中にしみ込んでいるから、文章がスッと入ってきたのかも知れない。

もちろん、そのときの対話というのは、このたびの本の内容とは関係のないものばかりだったが、

「ああなるほど、あのときの対話が、この本の中でこのような形であらわれているのか…」

と、感じさせるものだったのである。

うーむ。うまく説明できない。

つまりなんというか、人間というのは、日常の何気ない会話の中にも、その人の基本的な考え方、というのがあらわれていて、逆にその人の文章を読んだときに、その人の日常的な会話の中にその片鱗が存在していたことに気づくのである。

…うーむ。ますます何を言ってるのかわからない。

本の文章からは、その同僚が葛藤し、吟味し、時間をかけてまとめ上げていった様子が思い浮かんだ。噛みしめて読むべき本である。

本来ならばここに書く前に、その友人に直接、感謝と感想を書かなければならないのだが、それは日を改めて書くことにし、今日は本を受けとった喜びを書くにとどめる。

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ドンジュさんの本

以前にも書いた、ドンジュさんから、本が送られてきた。

ドンジュさんは、僕が韓国留学中だったときに知り合った青年で、僕よりも8歳若い。僕が留学していた大学の出身者で、苦学して大学院を修了し、働きながら研究を続けている。大学の研究室主催の行事で、何度かお目にかかったのだが、まじめで寡黙な人なので、直接にはほとんどお話しする機会がなかった。僕は僕で、韓国語の実力が不十分なので、こちらから話しかけることもできず、結局、ほとんどお話しできないままお別れすることになってしまった。

それでも、帰国後、思い出したように、数年に一度、ドンジュさんはメールをくれた。メールの内容は、いつも難しい質問で、僕に聞けばなんとかなると思ってメールを送ってくれているようだった。でも僕は、その質問があまりに難解なのと、仮に答えようとしても、韓国語でそれを正確に伝える実力がなく、忙しいときなどは、ついつい後回しにしたり、さらにはそのまま返信せずに終わる、なんてこともあった。

考えてみれば、僕はひどく失礼な人間である。こんな人間、とっくに愛想を尽かされてしかるべしなのだが、それでもドンジュさんは、自分の中でわからないことがあると、僕にメールで質問してくれるのである。僕はそうとう買いかぶられているのだろうか、と思った。

前回は、学位論文を本にまとめている最中で、僕に聞きたいことがあるとメールをくれたのだった。忙しさに紛れて、ついぞ返信を出さずにいたら、本が送られてきたのである。学位論文をまとめた内容だった。結局僕は、何もアドバイスできないままだったのである。

僕は、彼にメールを書いた。

「お久しぶりです。本を拝受しました。この間の忙しさで、ずっと返信を送れなくてごめんなさい。学位論文の出版、おめでとうございます!詳細はこれからじっくりと読みますが、興味深い内容とお見受けしました。韓国でまたお会いして、積もる話ができればと思います」

これはリップサービスではなく、僕の本心だった。本の内容は実際、おもしろそうだったし、韓国でお目にかかって、これまでの非礼をお詫びしたいとも思ったのである。

するとほどなくして、ドンジュさんから返信が来た。

「鬼瓦先生、お久しぶりです。息災にお過ごしか、ずっと気になっておりました。

韓国においでになったら、お目にかかってたくさんのお話しを分かち合いたいです。

いつかお目にかかる日を楽しみにしながら、これからも精進いたします」

もちろん、社交辞令も含まれているのだろうが、社交辞令にしても、僕はそのように言ってもらえるような立派な人間ではないのだ。

精進しなければならないのは、僕の方である。

積極的に会ってくれる韓国の知り合いもいるのだが、頻繁に会うからといって、親しいとは限らない。

数年に一度のメールのやりとりでも、息災であることを確認するだけで安心する友人もいる。

本当は、そういう友人を大事にしなければならない、と、ドンジュさんからメールをもらうたびに、自分の非礼を棚に上げて、思うのだ。

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新・宗廟大祭の攻略法(メモ)

5月5日(日)

ソウルでは、毎年5月の第一日曜日に「宗廟大祭」が行われる。

「宗廟」とは、朝鮮王朝の歴代の王や王妃の位牌がまつられている場所である。1995年にユネスコ「世界文化遺産」に登録された。

この場所で年に一度行われる「宗廟大祭」は、朝鮮王朝の子孫が、歴代の王と王妃をまつる大規模な祭礼である。2001年にユネスコの「人類口伝および無形遺産傑作」に登載され、2008年には「世界遺産代表目録」に統合された。

僕は10年ぶりに宗廟大祭を見学した。

10年前とくらべて、大きく異なったところがいくつかあり、僕が以前に書いた「宗廟大祭の攻略法」は、ほとんど役に立たないものとなったことがわかった。

そこで、10年ぶりに見学した宗廟大祭での体験をもとに、改めて「宗廟大祭の攻略法」を書いてみることにする。ただし、時間がなくて文章が練れないので、メモ風にまとめることにする。

2019年5月5日(日)に行われた宗廟大祭のスケジュールは、以下のようになっている。

10時~12時 永寧殿での儀式
12時~13時 御駕行列
14時~16時30分 正殿での儀式

このうち、メインとなるのが午後2時から行われる正殿での儀式なのだが、宗廟大祭は午前中の永寧殿での儀式から見ることを強くおすすめする。この点は、10年前に抱いた印象と変わらない。

永寧殿での儀式は、あまり重要でない王族に対する祭祀だが、午後に行われる正殿行事と儀式次第はほぼ同じであり、しかも正殿よりも間近で儀式を見ることができる。正殿は、空間が広すぎて、どんな儀式が行われているかを細かく見ることが難しい。永寧殿での儀式をしっかりと見て、午後の正殿での儀式は午前の復習というつもりで見るのがよいだろう。

○宗廟への到着時刻

P5050008 宗廟大祭じたいは午前10時から始まるが、宗廟に入ることができるのが午前9時からである。できれば8時半頃までには宗廟の入口に到着したい。今回私は、8時45分くらいに宗廟の入口に到着したが、すでに多くの人が開門を待って並んでいた。永寧殿で最前列で見学するには、午前8時半頃に到着し、開門と同時に小走りで永寧殿に向かうのがよいだろう。

○神路は歩くな

P5050012 ただし、急いでいたとしても、石畳の道である神路の上を決して歩いてはいけない。10年前には、神路の両脇にアジュモニ(おばさん)が立っていて、神路を歩いている人を見つけたら注意していたのだが、今回はそうした監視役の人がいなかった。神路の上を歩いてはいけないという作法が定着したからだろうか。

○パンフレットを必ずもらうべし

パンフレットも、10年前とは大きく異なっていた。パンフレットは2種類ある。ひとつは、宗廟に入場したあとにもらうことのできる、カラー版の簡易パンフレットで、韓国語、中国語、日本語、英語版が揃っている。理想は、すべてもらうのが望ましいが、少なくとも、日本語版と韓国語版は入手しよう(日本語版での漢字表記が、稀に間違っていることがあるため、原点の韓国語版もあった方がよい)。カラー版で、日本語もあり便利なのだが、儀式の詳しい内容はほとんど書かれていないのが残念である。

このほかにもう一つ、当日は「宗廟大祭奉行委員会」が発行している『宗廟大祭 奉行』という冊子も、無料で配られている。モノクロ板だが、宗廟大祭についての詳細が書かれており、有益である。韓国版しかないのが残念だが、儀式の台本がおさめられており、しかもその部分は漢字表記なので、儀式の流れをつかむ上で必須のテキストである。

この『宗廟大祭 奉行』という冊子は、宗廟内では配布されておらず、入口の外にあるテントに置いてあるので、宗廟に入場する前にもらっておかなければならない。担当者の人に言えばもらえるので、必ずもらっておくこと。言わないともらえない。

なぜ、パンフレットが2種類になってしまったのか、よくわからないが、公式パンフレットは、カラー版の簡易なものの方で、『宗廟大祭 奉行』の冊子の方は、宗廟大祭奉行委員会が非公式に作成したもの、ということなのかもしれない。

○永寧殿に入ったら

P5050014 永寧殿で儀式を見るときは、いちばん前で見ることがおすすめであることは言うまでもない。それに加えて、座る位置については、やや工夫が必要である。

永寧殿の向かって左端には、大きなスクリーンがあり、永寧殿の中でどんな儀式を行っているかを、スクリーンを通して見ることができる。外からでは、建物の中でどのような儀式が行われているのかが見えないから、内部を映し出すスクリーンの映像が重要なのである。スクリーンが見えるところに座ることをおすすめする。

P5050017 ちなみに今回私は、前から2列目に座ることができたのだが、座った場所からは、ちょうど晋鼓と呼ばれる大きな太鼓が邪魔をして、スクリーンを見ることができなかった。

儀式の次第については、『宗廟大祭 奉行』に細かく書いてあるので、それを確認しながら儀式の様子を把握するのがよい。ちなみに永寧殿は、全部で16の神室があるが、最も重要な第一室が、真ん中の建物の四つある部屋のうちの、いちばん左である。第一室に注目して儀式を見ると効果的である。

○永寧殿での儀式が終わったら

永寧殿での儀式は、ほぼ時間どおりに12時に終わる。終わったらすぐに、午後の正殿行事を見るための列に並ぶことをおすすめする。すでに12時の時点で、多くの人が正殿行事を見るために並んでいるので、モタモタしていると、正殿に入ることができなくなる場合がある。

○御駕行列は見られるのか

P5050165 12時から13時まで行われる御駕行列は、その全部を見ることができない。だが、午後の正殿行事を見るために並んでいると、午後1時直前に、輿に乗った初献官(国王に相当する人)が、石畳の神路を通って正殿に向かう様子を見ることができる。このとき輿に乗っている人が、午後の正殿行事の初献官(国王)役の人なので、顔をよく覚えておくこと。

○昼食はどうすればいいか

昼食は、朝にあらかじめ買っておくこと。周辺に食堂はないし、あったとしても食べに行く時間がない。厳粛な儀式なので、屋台が出るということもない。あまり行儀がいい方法ではないが、正殿に入るために並んでいる時間に、立ったままで食事ができるように、パンのようなものを用意して、待ち時間に食べるしかない。

○暑さ対策

10年前もそうだったが、今回も、天気がよく、気温が上昇し、きわめて暑かった。日差しを遮るようなところもほとんどないので、熱中症対策をする必要がある。まず、帽子は必需品である。宗廟大祭の会場で、ペラペラのプラスチック(ほとんど紙のようなもの)で作られた組み立て式のサンバイザーが配られるが、気休め程度のものである。自分自身で日差しを遮るための帽子を用意することをおすすめする。

また、あらかじめ十分な水分も確保しておくことも重要である。宗廟の周辺にはお店がなく、宗廟に着いてから飲料水を買おうとしてもダメである。

○正殿に入ったら

午後1時から正殿に入場できる。あんまり後ろの方に並んでいると、入場制限がかかって中には入れなくなることもあるので、その意味でも早く並んでおくべきである。

10年前は、儀式と同一空間である石畳の壇のところも、一部観覧席となっていたのだが、いまは、石畳の壇のところは純粋な儀式空間となり、観覧席はその外側だけになってしまった。石畳の儀式空間は。プロレスのリングのように一段高くなっていて、その周囲は低くなっており、後ろに行くにしたがって階段状に高くなっていく。つまり、観覧席の最前列は、プロレスでいうところのリングの真下にあたる位置であり、儀式を見るにはちょっと不便なのである。

P5050204 どこの観覧席に座れるかは先着順で、一番高い位置にある後ろの座席から埋まっていく。儀式を見渡すには、高い位置から見るのがよいので、必然的にそうなる。私は運悪く、最前列の椅子に座ることになってしまった。

しかしあきらめることはない。儀式は2時間半の長丁場なので、途中で飽きちゃって帰る人も出てくる。後ろの席が空くのを見はからって、すかさず後ろに移動しよう。「リングの真下」で見ているのと、あるていど高い位置から見るのとでは、見える風景がまるで違うのだ。

あと、永寧殿と時と同様、正殿の向かって左側にスクリーンがあり、建物内部での儀式の様子を映したしてくれる。スクリーンが見える位置に座ることも気にかけておこう。

○正殿の儀式は時間がかかる

正殿の儀式はとても時間がかかる。なぜなら正殿はとても広いからである。しかも、最も重要な神室である第一室が、建物のいちばん西にあり、それにたいして第一室に奉仕する初献官(国王)は常に正殿の東側に控えている。つまり初献官は、東の端から西の端までゆっくりと移動しなければならない。さらに正殿には19の神室があり、それぞれの人たちの移動だけでも、かなりの時間がかかるのだ。

P5050178 その間、放送局の女性アナウンサーと有識者による、儀式解説がある。当然韓国語である。まるで儀式の副音声のような感じなので、人によっては、ちょっとウルサく感じるかも知れない。その点、午前の永寧殿での行事は、そうしたウルサい解説がない分、落ち着いて儀式を見ることができる。その意味でも、永寧殿での行事は必ず観覧すべきなのである。

○正殿行事が終わったら

16時半に正殿行事が終わったあと、正殿の各神室に近づいて、儀式の調度品などを見ることができる。10年前は、神室の中に入って、神様に捧げた祭物(さまざまな食べ物)を間近に見ることができたのだが、いまは神室の中に入ることができず、ただ外から眺めるだけである。この点は、非常に残念である。

流れ作業のように正殿の各神室を見ながら移動すると、必然的に正殿の東側の出口から出ることになる。運がよければ、このとき、祭物として捧げられた「モチ」のお裾分けにあずかることができるかも知れない。

ここまでで、午後5時である。午前9時から午後5時まで、ほとんど休むことなく宗廟大祭を見学することは、とても体力が必要なので、万全な体調で宗廟大祭にのぞまれたい。

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10連休最後の試練

5月3日(金)

明日から2泊3日で韓国である。

なぜ、この時期にソウルに行くのか?賢明な読者ならおわかりであろう。

本業に関わる出張なのだが、今回は、私と妻が、プロジェクトチームのみなさんの案内役をしなければならない。

ということで、娘も韓国に連れていくことにした。

1歳になったばかりの娘を子守しながら、プロジェクトチームのみなさんを案内しなければならない。しかも2泊3日のうちの1日は、朝から夕方まで空の下で用務をしなければならない。はたしてどうなることやら。

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儲けようと考えないこと

かなりしつこいが、4月27日(土)のことを、もう少し書く。

懇親会会場となったお店は、何とかカフェバーという名前のお店で、店名をたよりに検索をしてみたら、どうやら若者向けっぽいお店のようだった。

(うーむ。大林宣彦監督をお連れするには、ちょっと場違いなお店ではなかろうか。せっかくだから、地元の郷土料理が食べられるお店とかのがよかったんじゃないだろうか)

と、他人事ながら、少し心配になった。

午後6時、そのお店に入ると、その心配は杞憂に終わった。

たしかに若者向けのお店の作りなのだが、貸し切りだったこともあり、落ち着いてお話ができるようにテーブルが並べられていた。また、正面には大きなスクリーンがあり、映像が流せるような準備も整っていた。さらにうれしいことに、この日は特別メニューとのことで、店主のお母さんが作った郷土料理が並んでいた。そればかりでなく、カウンターには大林監督の映画のパンフレットが並んでいた。

よくよく聞いてみると、この店の店主は無類の映画好きらしく、大林監督を囲んだ懇親会をやるならばぜひこのお店で、というたっての希望があったらしい。なるほど、それで得心がいった。

店主にご挨拶することにした。店主は僕よりも若いようである。地元のSG市出身とのことだった。

僕の名刺を渡すと、店主は僕の名刺を見て言った。

「お勤め先はC県S市ですか?」

「そうです」

「僕、S市にある会社に勤めていたのです。だからあの辺の地理は、よくわかります」

「そうだったんですか!」

僕はビックリした。おそらく僕がいまの職場に移る前、彼はS市にある会社に勤めていたのだろう。そして入れ替わるように、僕はS市に移り、彼は、地元に戻ってきたのである。

「どうしても映画の仕事に関わりたくって、C劇場で映写技師のアルバイトをしていたこともあります」

「C劇場ですか!」僕はまたビックリした。「C県に住んでいた頃、よくC劇場に映画を見に行きましたよ。ほかではやらないような、良質のドキュメンタリー映画を上映したりするんですよね」

「ええ。それで僕も、その劇場でアルバイトをしたいと思ったんです」

「映写技師といったら、『ニュー・シネマ・パラダイス』ですよね」

「ええ。実は『ニュー・シネマ・パラダイス』を見て、映写技師の仕事をしようと思ったのです」

そこから、ちょっとした映画談義になった。といっても僕の映画体験はたかが知れており、店主の映画マニアぶりに圧倒されるばかりだった。

店主は、しばらく会社員をした後、地元に戻り、このお店をはじめた。店内には3000冊にもおよぶ映画のパンフレットが置いてある。映画や音楽が好きな人が集まれるようにとお店を開いたのだろう。

時間がなくてあまりお話はできなかったが、いつかまたこのお店に立ち寄ることもあるだろう。

映画館の館主夫妻、このイベントのスタッフの一人のKさん、卒業生の旧姓Mさん、NPOを主宰するNさん、そしてこの店の店主、等々…。この懇親会に集まった人たちで、何か映画をテーマにしたイベントができたら、さぞ面白いだろうなあ、と夢想した。

そんなことを夢想したのは、つい先日、ある企業とコラボするイベントについての会議に出席させられたからである。そのとき僕は、(あんまり一緒に仕事したくないなあ)という人たちの集まり、という感じがした。そう思ったのは、なんか向いてる方向が違う人たちだなあと思ったからである。月並みな言い方だが、結局仕事というのは、誰と仕事をしたいか、という一点に尽きるのだなあ、と思う。

そういえば講演会の時、大林監督は、NPOを主宰するNさん、つまり今回のイベントの仕掛け人を評して、こんなことをおっしゃった。

「この人のいいところはねえ。儲けようと考えないことなんだね」

たしかに、Nさんのお仕事は、野口久光さんのポスターを多くの人に見てもらおうというその一点の願いから生まれたものであり、決して儲かる仕事ではない。

たとえ儲からなくっても、共感できる人たちと仕事をしたい。4月27日は、そんなことをしみじみと考えさせられた一日だった。

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引きの強さは身を助く

ほかに書くことがないので、4月27日(土)のときの話をもう少し書く。

後日、編者のOさんからいただいたメールに、「ミラクルすぎる出逢いがつながりあう1日でした」と書いてあった。

今回のイベントのスタッフの一人であるKさんとは、編者のOさんも僕も初対面だったのだが、そのKさんと編者のOさんには、共通の友人がいることがわかった。そしてその共通の友人というのが、二人にとってかなり大事な友人なのだそうである。

編者のOさんは、このことにひどくビックリしていた。自分はこの土地に来ても知り合いは誰もいないだろうと思っていたら、一人の友人を介して、今回のイベントスタッフのKさんとつながっていたのである。そしてこれをきっかけに、新たな仕事が始まりそうな予感である。

おそらく編者のOさんとKさんは、この日、この場所で、会うべくして会い、知り合うべくして知り合ったのだろう。Oさんの引きの強さは、傍で見ていても目を見張るものがある。

かくいう僕はどうだったかというと、懇親会で、こんなことがあった。

地元の映画館の館主ご夫妻が懇親会に参加していた。主賓が大林宣彦監督だから、地元の映画館の館主の方が出席されるのは、もちろんのことである。僕もこの地に住んでいたときは、この映画館によく通い、良質のドキュメンタリー映画をよく見ていた。

長く館主として映画館を続けておられたご夫妻で、独特のオーラのようなものをお持ちだった。もちろん、そのことに対する自負もおありだろう。

僕はそのご夫妻をみて、そのオーラに圧倒されてしまい、ちょっとビビってしまったのだが、それでも僕は僕なりに、14年間この土地に住んでいたという自負があった。そこで、「自分はアヤシい者じゃございません。いまはゆえあって別の土地に住んでおりますが、かつてはこの土地に14年間住んで、この土地で勉強して参りました」的な話を、おそるおそるご夫妻にしたのだった。

すると、そのご夫妻が、ふと、

「あなた、じゃあYさんはご存じ?」

とお聞きになった。Yさんは、この土地に住んでいるときにお世話になった方である。僕の専門分野の話を聞いて、Yさんのお名前を思い出されたのだろう。

「Yさん!もちろんよく存じ上げております」

と、僕はYさんに大変お世話になった旨を申し上げた。

「Yさんはねえ、主人の同級生なんですよ」館主の奥様がそういうと、それまで、少し気難しそうに思えていた館主の方の顔が、少しほころんだ。

「そうか、Y君の知り合いか。僕の中学、高校時代の同級生だよ」

これをきっかけに、僕に対する不信感のようなものが解けたらしい。それ以降は、にこやかな表情で話がはずんだ。

14年間も住んでいると、この土地の人とは、必ずといっていいほど、誰かを介してどこかでつながっているものなのだと実感する。僕にとってこの土地で踏ん張ってきた14年間の蓄積は、何にも代えがたい財産なのだ。

編者のOさんにしてもそうである。3年間、南洋の島で、何かをたぐり寄せるように必死に生きていたことが、いまになって、思わぬ人とのつながりを生むのである。

「引きが強い」のには、たぶん、それなりの理由があるのだと思う。

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