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2019年6月

小林少年ロス

強啓ロス」に続いて、「小林少年ロス」ですよ!

小林少年、といっても、「高校時代の友人・元福岡のコバヤシ」のことでもなければ、「明智こぶ郎探偵の小林助手」のことでもない。TBSアナウンサー・小林豊氏のことである。小柄で童顔の風貌から、そんなあだ名がついていた。

7月1日付で、TBSのアナウンス部から別の部署に異動することになったのだという。

TBSラジオ「土曜ワイドラジオ東京 ナイツのちゃきちゃき大放送」で、「小林豊のTOKYO潜入大作戦」という中継コーナーを担当していた。僕はこの番組を毎週欠かさず聴いていた、というわけではなかったのだが、たまに車を運転しながらこの番組の「TOKYO潜入大作戦」をよく聴いていた。小林アナの実に安定した中継さばきが楽しみだった。安心して聴けるラジオアナウンサーの1人だった。

小林アナが出演する最後の回が昨日(6月29日)だったのだが、

「二度とマイクを持つことはないかと思います」「本音を言うと、二度と喋るかよTBS!」「小林豊、ここまでです。廃業です」

という発言が印象に残った。

捨て台詞、とまではいわないが、自分の職場の番組でここまでの言葉を言わないわけにはいかなった上に、その職場に残らざるを得ない状況を考えると、会社が抱えている闇の部分とか、53歳の小林アナが自身の人生を考えた上の選択であるとか、いろいろなことを考えてしまうのだけれども、それ以上に思うのは、自ら極めてきた、あるいは極めようとしていた「ラジオ道」、というか、「ラジオ中継道」といったものが、いとも簡単に潰えてしまうという無常さである。自分の才能に見切りを付けた上での廃業ではないがゆえに、なおさらその思いを強くする。

本人の限界とは無関係のところで打ち切られるという点において、先日の「強啓ロス」とやはり通底していて、蟻の一穴とならないか、TBSラジオファンとしては、今後の成り行きをちょっと心配している。

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疲労のため今日はこれまで

最近はとくに何も書くことが思い浮かばない。というか、すっかり疲れてしまい、書く気も起こらない。

6月29日(土)

今日は休日出勤。午前と午後に職場でそれぞれ別の会合がある。とくに午後の会合は、僕がホスト役なので、気が抜けない。

大勢の人を集めて会合をするとかプロジェクトをする、というだけでも、自分にとってはそうとうなプレッシャーである。何より自分を含めて、多くの人の貴重な時間をいただくことになる。せっかく集まってもらった時間が、その人にとって無駄なものになったら、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

「映画をやめてしまうことは、その人の人生を狂わせてしまうことだ」

と、僕が尊敬する映画監督が言っていた。映画には、キャストやスタッフなど、実にたくさんの人がかかわる。もし映画の製作が中止になったら、かかわっている多くの人たちの人生を狂わせてしまう、だから映画は作り上げなければならない、といった意味だったと思う。

もちろん、僕のしている仕事は、映画作りではないのだが、ある目的で人を集めて何かを成し遂げる、というのがいまの僕の仕事のかなりの部分を占めているので、いまはこの言葉を重く受け止めている。

できることなら、かかわってくれた人一人一人の糧になるようなしかけを作りたい。そのためには、自分が楽しまなければいけないと、自分に言い聞かせる。

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塩漬け

「塩漬け」って、業界用語なのかなあ。

今日は「塩漬け」をテーマにお話しをします。

「塩漬け」っていう言葉、どんなときに使っています?

「なんとなくネタはあるけど、原稿に仕上げるまでには至っていないので、少し寝かせておく」というのを「塩漬け」ということもあるらしいけど、僕が「塩漬け」と聞いて頭に浮かぶのは、「原稿を出したけれども、先方の事情で公刊されずにそのままになっている状態」という意味です。

僕は何度か経験があります。

韓国留学の前ですから、もう10年以上も前のことです。ある出版社から、原稿の依頼がありました。なんでも全10巻くらいの大型シリーズを刊行するとかで、その中の最後の巻で、2万字くらいの原稿を書いてほしい、とのことでした。依頼をしてきたのは、編集委員のAさんBさんで、その業界の重鎮の方でした。

ラインナップをみると、1巻あたり15人くらいが書くとして、総勢150人くらいがこのシリーズにかかわることになります。筆の速い人もいれば遅い人もいるから、原稿を集めるだけでも大変だろうな、と思いました。

僕はその頃まだ30代で若かったこともあり、迷惑をかけてはいけないと、締切を守って原稿を出しました。テーマが難しかったので、かなり苦労をして書いた記憶があります。

僕のまわりには、何人か、そのシリーズにかかわっている人たちがいて、なかには同じ巻に執筆する人もいました。「原稿を出しましたか?」と聞くと、「まだ書いていない」と返事をする人が何人かいて、「はたしてこのシリーズ、最後まで本当に出るのだろうか?」と不安になりました。

数年後、ようやく第1巻が出て、「ようやく動き出した」と安堵しました。ところが、それ以降、数巻が刊行されたものの、その後はパッタリと出なくなり、僕が原稿を書いた最終巻は、校正すら出てこなかったのです。

そうこうするうちに10年がたち、僕の不安は的中しました。その会社が倒産し、そのシリーズは中止になってしまったのです。当然僕の書いた原稿も、塩漬けになったまま、日の目を見ることはなくなったのです。

編集委員のAさんとBさんから、執筆者全員に手紙が来ました。「せっかく原稿をいただいたのに刊行できなかったことは、編集委員の不徳のいたすところである。もし原稿を他の媒体で発表することを希望する方は、できるだけ後押ししたい」といった内容でした。僕は、もう10年以上も前に書いた原稿を、いまさら別の媒体に発表するつもりもなかったので、とくにそれに応えることはしませんでした。

さて、時間が前後しますが、その出版社が倒産する前、まだ僕の書いた最終巻が出るか出ないかもわからないときに、今度は別の出版社が、全6巻のシリーズを企画して、執筆依頼が来ました。編集委員は、またしてもAさんとBさんです。執筆者数は、おそらく総勢100人近くはいたでしょう。

(新企画を立ち上げるよりも前に、前の企画の後始末をしろよ!)

と思いながらも、とりあえず執筆依頼を承諾することにしました。僕が書くのは、最終巻の第6巻です。ただし、前回のように締切を守るのはバカバカしいから、今回は原稿の督促が来たら書き始めよう、と思いました。締切が過ぎても、2年くらい原稿を書かずにいたのです。そしてその間に、例の出版社の倒産の知らせを聞いたのでした。

どうせまた出ないんだろう、と思っていたら、昨年春、1巻と2巻が立て続けに出ました。

「残る巻も立て続けに出したいので、早く原稿をください」

と、出版社から督促が来たので、僕は慌てて書き始め、昨年の夏の終わりに、ようやく原稿を出しました。やはり2万字くらいの分量です。

ところが、1巻2巻と立て続けに出たのに対し、3巻以降はパッタリと出なくなりました。最終巻の校正も、待てど暮らせど出てこない。やはり塩漬けにされてしまったのです。

編集委員がAさんとBさん、という時点で、気づくべきでした。彼らは、出版社に新しい企画を持ち込んでは、最後まで責任を取らずに、うやむやに終わらせてしまうのです。原稿を出してから1年近くたっていますが、まだ第3巻は出ていません。このままでは、また同じ轍を踏むのではないかと、不安がよぎります。「絶対に本を出しますから」といって原稿を集め、結果的にその本が出ない、ということは、詐欺の被害に遭うことと、どこがどう違うのでしょう。

このほかにも「塩漬け」になっている原稿がいくつかあるのですが、日の目を見る目処は立っていません。いつか、塩漬けになった原稿をまとめて1冊の本にしようかな、と考えたりしています。

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バレたらパニック!

6月24日(月)

保育園の保護者参観と個人面談の日。一斉に行われるのではなく、決められた期間の中で都合のよい日を選んで参観する。

事前に言われたのは、

「当日は変装してください」

ということだった。親が見ていることがバレたら、子どもは保育園どころではなくなってしまうため、本人には気づかれないように変装してくれというのである。

「まず、マスクを用意してください」

「はい」

「帽子はこちらで用意します」

「そうですか」

「あと、普段着の上に割烹着などのようなものを着てもらいます。ふつうはこちらで用意するのですが…お父様の場合は、たいへん申し訳ないのですが、ご自身でご用意ください。作業着のようなものでもかまいませんので」

「はあ」

どうやら、僕が太りすぎていて、僕に合うサイズの割烹着がないらしい。

さあ困った。どうしよう。着るものがない。割烹着も作業着もないのである。

困ったあげく、たまに仕事で使っている白衣を着ることにした。

さて当日。

いったん娘を保育園の部屋に送り届けた後、別室で変装する。

僕は白衣を着て、マスクをつけて、深々と帽子をかぶった。何しろ、目の部分が見えてもいけないのである。

どこからどう見ても、給食のおじさんにしか見えない。

着替え終わった僕の姿を見た保育士さんが、

「完璧ですよ。これならば絶対にバレません」

と言った。

「今日は雨が降っているので、午前中は外でお遊びせずに、お部屋や廊下でお遊びをする予定です。近くて見ていただいてかまいませんが、絶対に声だけは出さないでくださいよ。声を出すとバレてしまいますから」

「あの…バレないでしょうか」

「大丈夫です。バレません」

まるで「水曜どうでしょう」の「東北2泊3日生き地獄ツアー」のようなものである(わかる人だけがわかればよろしい)。

私たちのほかに、もう一組いた。合計4人で、保護者参観が始まった。もう一組のお父さんの方は、保育園で用意した割烹着を着ていた。やはり僕に合うサイズの割烹着がなかったということなんだな。

参観が始まった早々、ちょっとした地震が起こった。その直後、保育園全館に放送が流れた。

「ただいま地震がありました。各部屋のナマズの下に避難して、避難経路を確保してください」

ナマズの下?

どうやら、保育園の各部屋の天井には、ナマズの絵が描いてあるところがあり、その下が一番安全だということで、そこに園児たちを避難させるということらしい。

少し遅れて部屋をのぞくと、保育士さんたちが、園児たちを「ナマズの下」に避難させて、さらにドアを開けるなどして避難経路を確保していた。

僕はそれを見て感動した。地震が起こっても、全員が落ち着いて、適切な手順で行動している。保育園の日ごろの徹底した危機管理を垣間見ることができたのである。

僕にとってはそれだけで十分だったのだが、これからが本番である。

全員の無事が確認された後、遊びの時間が始まった。

「まず廊下で遊びます」

「僕たちはどうすれば…?」

「廊下に立って遊んでいる様子を見ていてください」

「えええぇぇぇっ!!!この狭い廊下に立って見るんですか?距離が近すぎますよ」

「大丈夫です。バレません」

もう、ヒヤヒヤである。目の前を娘が行ったり来たりするのだ。絶対バレるぞ!

娘は、「なんか変なヤツがいる」という感じで、ジーッとこっちを見ているのだが、こっちはバレないように目をそらしたり、身体を背けたりして、じっと下をうつむいたり、もう大変である。

(バレたらパニックになるからなあ…)

とにかく、バレないことばかり考えているので、とても遊んでいる様子を落ち着いてみていられる感じではないのだ。

しかも、白衣にマスクに帽子を着て廊下に立っているので、滝のように汗が流れる。

こうなるともうますますアヤシい。

ようやく、地獄のような廊下での遊びの時間が終わり、お部屋に戻っての遊びである。僕たちも部屋の中に入り、同じ部屋の中で園児たちを見学する。ここでも、娘と目が合わないように、ビビりながら見学した。

9時過ぎから始まった見学は、園児たちがお昼ご飯を食べ終わった11時半にようやく終わった。

約2時間半、ひと言も言葉を発せず、立ちっぱなしで、すっかり疲れてしまった。

その後、20分ほど保育士さんと個人面談をして、ようやく終了。

「変装すれば、意外と気づかないものなんですよ」

と保育士さんは言うが、あんな変装で、はたして娘は本当に、僕たちの存在に気づかなかったのだろうか。

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おにのパンツ

「おててでたんたん たいこあそび」という音の出る絵本は、かなりの優れものである。

「となりのトトロ/いぬのおまわりさん/しあわせならてをたたこう/ももたろう/きしゃぽっぽ/おもちゃのチャチャチャ/おにのパンツ/きらきらぼし/ほっかいどうおんど/ウィリアム・テルじょきょく/うんめい(ベートーヴェン「交響曲第5番」)/Somebody Stole My Gal」の全 12曲が内蔵されていて、それぞれの曲のボタンを押すと、曲が流れるしくみになっている。

さらにその絵本には、曲のボタンとは別に、太鼓の形をしたボタンが3カ所あって、そのボタンを、太鼓をたたく感じでたたくと、音が出るしくみになっている。面白いのは、その音はどの曲に対してもすべて一様というわけではなく、曲が流れる間、それぞれの曲に合わせて合いの手を入れるような感じの音が鳴るのである。

…うーむ。うまく説明するのが難しい。

ともかく、娘はこのおもちゃを手に入れて以降、このおもちゃに夢中なのだ。

曲のボタンを押すと曲が流れることを覚えた娘は、片っ端からいろいろなボタンを押しては、太鼓の部分をたたいて合いの手を入れたりしている。

あるとき、いつものように娘がその絵本で遊んでいると、その絵本から「フニクリフニクラ」のメロディーが流れた。

しかしおかしい。12曲の中に「フニクリフニクラ」はなかったはずだ。

不思議に思って絵本を確かめてみるが、やはり「フニクリフニクラ」の曲名は存在しない。

…どういうことだ?俺の頭がおかしくなったのか?

しかしたしかに「フニクリフニクラ」のメロディーが聞こえたのだ。

これはいわゆる「空脳」だろうか?

そう思って、片っ端から曲のボタンを押してみると、「おにのパンツ」という曲名のボタンを押したときに「フニクリフニクラ」のメロディーが流れた。

そうか、「フニクリフニクラ」のメロディーは「おにのパンツ」という曲名なのか。しかし、そんなこと、聞いたことがないぞ。

で、例によってウィキペディアで「フニクリフニクラ」について調べてみると、

「子ども向けの替え歌として鬼の穿いているパンツが丈夫であることを歌っている「鬼のパンツ」(おにのパンツ)という歌があり[3]、1975年に田中星児の歌で発表され[4]、1980年に田中盤シングル(ビクター KV-2020)が発売された。この「鬼のパンツ」はJASRACには作詞者不詳として登録されており、前述の田中盤シングルのジャケットでは「作詩不詳(1番)、田中星児補作詩(2番)」と記載されていた。2010年12月22日に発売された『いないいないばあっ!』のDVD『どうよういっぱい!』には田中が作詞者としてクレジットされている。文献でも作詞者を不詳とするもの[5]、田中を作詞者とするもの[6]が混在している。なお、「鬼のパンツ」の歌詞は1976年に発行された少女漫画雑誌『週刊フレンド』に連載されていた漫画『はいからさんが通る[7]』に掲載されている」

とある。つまりこの「おにのパンツ」という歌は、「フニクリフニクラ」の替え歌であり、1975年に田中星児が歌った歌だというのである。

1975年といえば、僕が小学校1年生の時だし、そのときに「歌のお兄さん」として田中星児のことはよく知っていたので、「おにのパンツ」の歌は、知っていたはずなのである。

ちなみに「おにのパンツ」の歌詞を調べてみると、

鬼のパンツは いいパンツ
つよいぞ つよいぞ
トラの毛皮で できている
つよいぞ つよいぞ
5年はいても やぶれない
つよいぞ つよいぞ
10年はいても やぶれない
つよいぞ つよいぞ
はこう はこう 鬼のパンツ
はこう はこう 鬼のパンツ
あなたも あなたも あなたも あなたも
みんなではこう 鬼のパンツ

とある。これを「フニクリフニクラ」のメロディーに乗せて歌ってみると、…たしかに聞いたことがある。そう言われてみれば、田中星児が歌っていたような気がする。

僕が知りたいのは、この「おにのパンツ」の歌が、田中星児による一過性の替え歌などではなく、いまも子どもたちの間で広く歌われている歌なのかどうか、である。

あの「フニクリフニクラ」のメロディーは、「フニクリフニクラ」としてよりも、「おにのパンツ」という曲として知られているのだろうか。

ちなみに「フニクリフニクラ」の歌詞の日本語訳は、

赤い火を吹くあの山へ 登ろう登ろう
そこは地獄の釜の中 のぞこうのぞこう
登山電車が出来たので 誰でも登れる
流れる煙は招くよ みんなをみんなを
行こう行こう火の山へ 行こう行こう火の山へ
フニクリフニクラ フニクリフニクラ
誰ものる フニクリフニクラ
行こう行こう火の山へ 行こう行こう火の山へ
フニクリフニクラ フニクリフニクラ
誰ものる フニクリフニクラ

である。これでも十分に童謡の歌詞として成立している、と僕は思うのだが、本家を差し置いて、「おにのパンツ」の歌詞の方が人口に膾炙しているとしたら、恐るべし、田中星児である。

「フニクリフニクラ」派か「おにのパンツ」派か、僕にとってはこれこそが、国論を二分する深刻な問題である。

 

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ガチ寝落ち

6月21日(金)

昨晩の記憶がない。

職場での会議がいつもより長引いて、夜10時過ぎに帰宅し、夕食をとり、娘を寝かしつけた。

までは覚えているのだが、その後、寝落ちしてしまったらしい。朝起きたら、電気をつけっぱなしで寝てしまっていたことに気づいた。

いつ寝たんだろう?

そういえば、風呂に入ったことは覚えている。いつもなら、僕が娘と一緒にお風呂に入るのだが、昨晩は僕の帰宅が遅かったため、妻と娘がお風呂に入った。その後お風呂のお湯を抜かれてしまったので、僕は帰宅後、娘と妻が寝静まった後に、あらためて湯船にお湯をはったのである。

朝起きたら、お風呂場の電気がつけっぱなしで、お風呂のお湯も排水していなかった。

お風呂から出た後、ついいつもの癖で、お湯を抜かなかったんだろうな。いつもは先に入るから。

今日は、休暇を取ることにした。最近は、休暇を取っても差し支えのない日は、休暇を取って休むことにしているのだ。そうでないと、身体がもたない。

夕方、洗濯物を取り込んでいるときに、あることに気づいた。

ちょっと注釈を加えておくと、朝の洗濯物は、必ず妻がベランダに干すことになっている。洗濯物の干し方に、美学があるらしく、こればかりは、他人に任せられないのだそうだ。

なので、僕が家にいる時も、妻が洗濯物を干すのである。

さてその「気づいた」ことというのは、取り込んだ洗濯物の中に、僕の下着がない、ということである。

普段ならば、お風呂に入るときに、その日の下着を必ず洗濯機の中に入れるので、前日の下着は、翌日の朝、洗濯されて、夕方には取り込まれるはずなのである。にもかかわらず、今日に限って、僕の洗濯物を干していないということは、どういうことか?

つまり、僕は昨晩、お風呂に入らなかった、ということである!

昨晩僕は、家族が寝静まった後、自動給湯器でお風呂のお湯を入れた。

そこまでは覚えている。

お風呂が沸くまでには、少し時間がかかる。そこで僕は、ちょっとの間だけ、ということで、寝室のベッドの上に横になったのである。

そして、そのまま朝まで目覚めなかった。

むかしだったら全焼モノだが、最近の自動給湯器は、お風呂が一定の温度以上に行かないように設定しているので、大事には至らない、ということなのだろう。ただ、危ないことには違いない。

このように最近は、毎日が、このように、いつ眠ったかわからないくらいに、寝落ちしてしまうのである。

ブログなんて、以前のように書けるはずもないのだ。

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日本のソル・ギョング

河瀬直美監督の映画「あん」(2015年)が、BSで放送されていたので、録画して観てみた。河瀬監督の映画を見るのは、これが初めてである。

河瀬監督の映画って、好き嫌いがはっきりと分かれるのではないだろうか。作風が苦手、と思う人もいるのかも知れない。僕は、嫌いではない。

映画を見るとき、純粋にストーリーを楽しめばいいのだろうが、僕の場合、どうしても、スクリーンの外の、役者の実人生のことも考えてしまう。

虚にして虚にあらず、実にして実にあらず。虚実皮膜の間を彷徨うが如し。

樹木希林が世を去った後、その後を追うように市原悦子も世を去ったが、映画の中の二人の関係はまるで、その実人生をなぞるかのようである。

樹木希林と孫娘・内田伽羅は、映画の中では他人同士だが、まるで本当の家族のような絆を見せる。

もちろん、そんな余計なことを考えなくても、この映画の描く世界にどっぷりと浸ることができる。だが映画と実人生とは、時にシンクロすることがあり、それが、映画を見るときの僕の楽しみ方にもなっている。

この映画での樹木希林の演技が素晴らしいことはいうまでもない。僕にとってはこれまでどちらかといえば「怪優」というイメージが強いこともあり、むかしからあんなにいい俳優さんだっただろうか、と、この映画を見て思うことがある。

全然違う話だが、先日あるラジオで、亡くなった桂歌丸師匠についてある落語家が語っていた。「昔は、同世代の談志や円楽たちの中に埋もれて、どちらかといえば平凡な噺家だったが、晩年、病気になってからの落語は、自身の落語と向き合い、その噺は気迫に満ちていた」と。僕も以前、歌丸師匠の「竹水仙」を生の舞台で聴いて、歌丸師匠ってこんなすごい噺をする人だったのかと、感動したことがある。

心身共に健康の時の方が、もちろんいい仕事ができるのかも知れないけれど、病気に侵され、残りの人生について考えるようになった人間のほうが、それまでにない飛躍を遂げることもあるのではないだろうか。

僕が2年前に大病を患ったときも、人生の残りの時間というものを意識するようになったのだが、この年は不思議なことに、健康だったとき以上にたくさんの原稿を書いたのである。

樹木希林の演技を見て、そんなことを思った。

さて、ここまで書いてきたことは、タイトルの「日本のソル・ギョング」とは、まったく関係のない話。

この映画の永瀬正敏の演技もまた、素晴らしい。

彼こそは、日本のソル・ギョングである。そのことを書きたかったのである。

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芸達者たち

6月15日(土)

大雨の中、朝から休日出勤である。

3月にうちの職場の一部が新装開店となったことは以前に書いたが、新装開店にかかわった同僚たちが、一般のお客さん向けに各店舗の見所を紹介するというイベントが行われるのである。8つの店舗について、8人が30分程度ずつ、スライドなどを使いながら説明する。大雨にもかかわらず、定員260名のホールは満杯になった。

僕も新装開店にかかわってはいたのだが、「あまり役に立っていない」という理由で登壇はせず、客席の「関係者席」で同僚たちの話を聴くだけの仕事である。

同業者の話を「客として」聴くときは、いつも落ち込む。

8名の同僚たちのプレゼンが、どれもおもしろいのである。お客さんを引きつけるための、相当高度な話術を持っていて、時によどみなく、そして時におもしろく、飽きさせない語りをするのである。

(うーむ。俺にはとうていできない)

とひどく落ち込んだ。そらあ、俺とは違って本も売れるよ!

聴いているうちに、だんだん鬱になり、帰りたくなった。

さて、イベントはほぼ予定どおりに進行し、最後のパネルディスカッションもいい感じでまとめに入っていった。予定していた終了時刻となり、

(ようやく、これで終わりだな)

と思った矢先に、司会をしていた人が、

「それではここで最後に、会場にいる鬼瓦さんに、ひと言コメントをいただきましょう」

と言った。

ええええぇぇぇっ!!!お、俺???

だって、いい感じで話がまとまってたんじゃん!このまま終わろーよ!

というわけで、なぜか最後に、僕が少しお話しをして、終了予定時刻を5分ほどオーバーして、イベントは謎の終わり方をしたのであった。

会場の人は、キョトンとしていただろうな。明らかに俺のコメントはいらなかった。でもまあ5分ほど仕事をしたということで、ま、いいか。

居たたまれなくなり、すぐに会場をあとにした。

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うーん。うーん。うーん。

毎日、往復5時間の通勤は、まことに身体にこたえる。

週末になると、ほとんど「生ける屍」である。

今週は、明日の土曜日も早朝出勤である。

抱えている原稿がいくつかあるのだが、ひとつ、引き受けなければよかった、と後悔している原稿がある。

依頼をしてきた人が、日ごろ大変お世話になっている人で、断るわけにはいかない。

「どんなテーマで書けばいいんですか?」

「○○についてです」

一瞬、逡巡した。とても自分に書けるようなテーマではない。そうでなくても、たいへん繊細な問題を含んでいるのだ。それを、不勉強の僕に書けるはずがないのだ。

しかし、その依頼をしてきた人も、僕に依頼してきたということは、よっぽど人選に困っていたということなのだろう。頼みやすい人間。頼んでも書いてくれそうな人間ということで、僕に声がかかったものと思われる。それ以外に理由が見当たらない。だって、僕はそのテーマで原稿を書くのにふさわしくない人間なんだもの。

「わかりました。勉強のつもりでやってみます」

「ありがとうございます」

と依頼されたのが、もう1カ月以上も前の話。原稿の締め切りは、7月末である。

(7月末までまだ時間がある。そのうちなんとか書けるだろう)

と楽天的に考えることにしたのだが、楽天的に考えたところで、テーマ自体が僕の手には負えなすぎて、どんなことを書いていいのか、まったくわからない。

(知ったかぶりして、うかつなことを書くと、絶対に炎上するぞ)

という案件なのである。

うーん。うーん。うーん。

そのほかにもいくつか原稿を抱えていて、そっちの方のことも考えなければならない。

時間を見つけて同時並行的に調べごとをしたり考えごとをしたりしているのだが、

うーん。うーん。うーん。

まったく書ける気がしない。

(やっぱり断ればよかったかな…)

と思ったが、今さら断るわけにもいかない。

うーん。うーん。うーん。

うーん。うーん。うーん。

うーん。うーん。うーん。

職場の行き帰りはひたすら、

うーん。うーん。うーん。

うーん。うーん。うーん。

うーん。うーん。うーん。

と考え事をしている毎日である。

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呪いの言葉

TBSラジオ「荻上チキ Session22」のメインSessionで、上西充子さんがゲストで、「呪いの言葉」の特集をしていた。

呪いの言葉とは、霊的な意味の言葉ではなく、私たちの生きる社会で飛び交う、「相手を呪縛する言葉」という意味である。

たとえば、

「嫌なら会社やめれば?」

とか、

「そんなにこの国が嫌なら、この国を出て行け」

みたいな言葉。

悪いのは、「嫌だ」と思っている人間の方だ、というニュアンスが込められている。

「会社」や「この国」の方に責任があるということについては、不問に付している。

「仕事が遅いから残業になるんだよ。ひょっとして、残業代をもらいたいために残業してるの?」

なんて言葉もそう。残業をすることを、個人の責任であるかのように押しつけ、残業を生み出す構造的問題については不問に付しているのだ。

つまり、呪いの言葉とは、社会や組織の構造的な問題については不問に付し、それをすべて個人の責任の問題に転嫁することで、その人を呪縛し、あたかも個人に非があるように思い悩ませる言葉のことを言うのだ。

もっと簡単に言えば、人の生き方や働き方を縛り付け、人の自由を奪う言葉。これが呪いの言葉である。

そう考えてみると、この世の中は、呪いの言葉に満ちている。

「彼氏はいるの?」

とか、

「お子さんはまだですか?」

なんてのも、呪いの言葉である。

つまり呪いの言葉は、セクシュアル・ハラスメントやパワハラと直結する言葉なのである。

「前の職場」で教員稼業をしていた頃、学生に絶対に言ってはいけない言葉、というのを自分の中で決めていて、学生に対してはそれを言わないように心がけていた。その頃はまだ、呪いの言葉という概念はなかったが、いまから思えば、呪いの言葉を言わないように心がけていた、ということなのだろう。

昨年だったか、東京駅に、

「障がいは言い訳にすぎない。負けたら、自分が弱いだけ」

というポスターが貼られていたことがあった。東京都が作成したポスターである。障がいを持つアスリートの言葉として紹介されたポスターのようなのだが、たとえこの言葉がそのアスリートの信条だったとしても、これが不特定多数に向けられたポスターの言葉になった時点で、「呪いの言葉」となるのである。このポスターは問題となり、たしかすぐに撤去されたと記憶する。

つい最近は、阪急電車の車内の中吊りに、さまざまな業界で働く人々の言葉を紹介した言葉が紹介されたことが話題となり、炎上した。

「毎月50万円もらって毎日生き甲斐のない生活を送るか、30万円だけど仕事に行くのが楽しみで仕方がないという生活と、どっちがいいか。研究機関 研究者/80代」

「私たちの目的は、お金を集めることじゃない。地球上で、いちばんたくさんのありがとうを集めることだ。外食チェーン 経営者/40代」

これらも、呪いの言葉である。

上西充子さんの本を読んでいないので、そこにどんなことが書かれているかはわからないのだが、以下は僕なりの意見。

呪いの言葉から解き放たれるための方法はただ一つ。

言われたことが呪いの言葉であることに気づくことである。

誰かに呪いの言葉をかけられたら、

「それ、呪いの言葉ですよ」

と言い返してみよう。そうすれば、呪いを解くことができるはずである。

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もう一度見たいドラマ

僕が小学生の頃、テレビ朝日で「判決」というドラマがあった。

たしか、木曜日の夜10時に放送していたと思う。

主人公は、高橋英樹扮する弁護士で、刑事裁判とか民事裁判とか、いろいろな事件の裁判を扱う法廷劇だったと記憶する。

だいたいが1話完結だったと思うが、その中で、2週にわたって放送されたエピソードがある。当時かなり話題となった、「ピアノ殺人事件」を題材にしたドラマである。

ウィキペディアによると、ピアノ殺人事件とは、1974年(昭和49年)に神奈川県平塚市で起きた事件で、ピアノの音がうるさいという理由で、近隣の者に母子3人が殺害された事件である。近隣騒音殺人事件の第1号として知られている。

ちょうど昭和40年代(1960~70年代)は、高度経済成長期で、団地などの集合住宅が各地に作られるようになったが、騒音対策が必ずしも追いついていたわけではなかった。団地における騒音が問題となっていたことが、この事件の背景にあったものと思う。そういう意味では、ある種の社会問題が引き起こした事件であったともいえるのではないかと思う。

犯人は逮捕され、事件から1年後の1975年、1審で死刑判決が出て、さらに1977年に死刑が確定した。

ピアノ殺人事件が起こった頃、僕はまだ小学校に上がっていなかったので、事件そのものの記憶はないのだが、小学校高学年の頃に、「判決」というドラマを見て、ピアノ殺人事件のことを知ったのであった。

犯人役を演じたのは、泉谷しげるだった。いまでもはっきり覚えているのだが、このときの泉谷しげるの演技がとても鬼気迫るもので、当時小学生だった僕は、この人は本当に犯人なのではないかと、怖くてたまらなかった。

前編と後編のうち、前編は、ピアノの騒音に悩まされた犯人が、母子3人を殺めるまでの過程をドラマ化したもので、犯人の孤独や狂気、鬱屈した思いが、泉谷しげるによって見事に表現されていた。

後編はたしか、法廷シーンを中心にしたエピソードだったように思う。法廷に立った被告は、前編のときの狂気とはうって変わって、まったく生気が抜けた様子で、「早く自分を死刑にしてほしい」と力なく裁判長に訴える場面が印象的だった。このときの弁護士役が、高橋英樹だった。

後にも先にも、あのときの泉谷しげるの演技を越える殺人犯をドラマで見たことはない。

この「判決」というドラマについて、もっと思い出したいと思い、調べてみたのだが、ほとんどデータが残っていない。

ウィキペディアによると、「判決」というタイトルのドラマは、もともとは1962~1966年にかけて、全200回にわたり、NET(現テレビ朝日)で放送されたドラマらしい。このときの弁護士役は佐分利信であった。

法律事務所を舞台にした、社会派ドラマの代表的作品だそうで、当時かなりの反響を呼んだドラマだったようである。もちろん僕は、この時点ではまだ生まれていないので、このドラマを見たことはない。この「判決」は、1978年10月~1979年4月にかけて、高橋英樹を主役としてリメイクされたという(全26回)。

そして、それとは別に、1979年10月~1980年4月にかけて、テレビ朝日で高橋英樹主演の同名のテレビドラマ(全26回)が放送されたが、これは以前の「判決」とは無関係の、まったく別のドラマだという(こちらは和久俊三の小説が原作で、弁護士・花吹省吾を主人公とする)。 

つまり、「判決」というタイトルのドラマは、

1962~66年(全200回)のオリジナル版。

1978~79年(全26回)のリメイク版

1979~80年(全26回)の別バージョン版

の3種類が存在するというのである。

この3つのうち、僕が小学校の時見ていたドラマは、3つめの1979~80年版であったと思われる。そしてこの1979~80年版の中で、「ピアノ殺人事件」のエピソードが放送されていたと考えるのが妥当である。

なぜなら、ピアノ殺人事件が起こったのが1974年。死刑が確定したのが1977年。つまり、ドラマはその後に作られたと考えられるからである。ちなみにこのとき僕は、小学校4年生~5年生であった。

1979~80年版の「判決」は、インターネットで調べてみたが、どんなエピソードが放送されたとか、出演者が誰だったか、などのデータがまったくといっていいほど残っていない。

一方で、泉谷しげるがピアノ殺人事件の犯人役を演じたことは、インターネット上のいくつかのサイトで書いている人がいるのだが、それが「判決」というドラマの中のエピソードであることを明確に書いているものは存在しない。

なので、「泉谷しげるが犯人役を演じたピアノ殺人事件のドラマ」が、「判決」という連続ドラマの中の1つのエピソードとして放送されたというのは、僕自身の記憶の中にしか存在しないのである。

これだけインターネットで情報があふれていても、まったく忘れ去られてしまうものや埋もれてしまうものがあるというのは驚きである。

果たして、ここまで書いてきた僕の記憶というのは、本当に正しいのだろうか。

当時このドラマを見ていた、という人はいないだろうか。

もう一度このドラマを見て、僕の記憶を確かめてみたい。

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麦茶の話

いよいよ何も書くことがなくなった。

お酒を飲まなくなってから、

「なぜ、この社会では、これほどまでにお酒を飲むことが肯定的にとらえられているのか?」

ということについて、大いなる疑問を抱くようになった。

僕がお酒をやめた、ということを知らない人は、相変わらず、

「今度、飲みに行きましょう」

と、お酒を飲むのが当然、という雰囲気で社交辞令を言ってきたりするのだが、冷静に考えると、「今度、飲みに行きましょう」っていう社交辞令は、雑な誘い方だよなあ、と思ったりする。

ああいう時って、どう答えればいいのだろう。

「すみません。以前はお酒を飲んでいたのですが、2年ほど前からお酒をやめまして、お酒を飲みに行くのはちょっと…」

と、正直に言った方がいいのか、それとも、

「そうですね、そのうち行きましょう」

と、空手形を切っておいてもいいのか。

ちゃんとわかってもらいたい人には、前者のように答えるのだが、自分がお酒をやめたことをクドクド説明するのが基本的には面倒くさいので、さほど親しくない人には、後者のような答え方でお茶を濁したりすることがある。

お酒をやめて、何が一番腹が立ったかと言えば、ビールのCMである。

テレビを見ていると、いろいろな会社のビールのCMがこれでもかと流れてくるのだが、今をときめく人気芸能人たちを起用して、

「こんなにおいしくなりました」

とか、

「だまされたと思って飲んでください」

とか、ビールがいかに美味しいかを、ありとあらゆる方法で視聴者に見せつけてくるのである。

「チクショー!美味そうじゃねえか!俺は飲まないけどね!」

と、CMを見るたびに思うのだ。

元来お酒がそんなに好きではない僕ですら、そんな感情を抱くのだから、お酒が大好きな人が、ああいうCMを見たら、どんな気持ちになるのだろう?

たとえば、アルコール依存症で悩んでいる人にとって、あのテのビールのCMは、どのように映っているのだろうか。病気で悩んでいる人には、とても残酷なCMのように思えるのだが、考えすぎだろうか。

とにかく、世はビール至上主義なのである。トコトンまで、ビールの美味しさを追求する社会。

僕は今、もっぱら麦茶をゴクゴク飲んでいるのだが、ビールにそこまでの美味しさを追求するのだったら、麦茶にも同じくらいの美味しさを追求するような製品開発を進めてもらいたい、というのが、いまの僕の願いである。

もちろんこの場合は、ペットボトルの麦茶ではなく、家で煮出したり水出ししたりする麦茶のことである。

麦茶って、どのメーカーが美味しいの?

いま僕は、常陸屋という会社の「江戸麦茶」という昔からある麦茶ブランドを飲んでいる。もっとも僕はズボラな性格なので、「江戸麦茶」のパックを水出しして飲んでいる。本来ならば煮出して飲むべきなのだろうが、水出しでもけっこう美味しいのだ。

自分の中でしばらくは「江戸麦茶」が続きそうだが、少し冒険してみた方がよいのかどうか、思案中である。

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サプライズ嫌い

今日も何も書くことがないので、どーでもいいことを書く。

以前、TBSの安住紳一郎アナウンサーがラジオで、自分はどうもサプライズが苦手だ、という話をしていた。

そのフリートークじたい、とても絶品だったのだが、まあそれは置いといて。

僕もまた、サプライズが苦手である、というか嫌いである。

最近、飲み会に行かなくなったのであまり被害に遭ってはいないのだが、以前、たとえばこんなことがあった。

気の合う連中で飲み会に行こう、となった、その当日。

「実はサプライズゲストがいます!」

と、幹事が突然言い出した。

誰だ?となったときに、

「長らく音信不通だった、○○さんが、今日は来てくれました!」

となってご本人登場。

「どうです?懐かしいでしょう」

「はあ」

僕は、その人とあんまり親しいわけではなかったので、どうリアクションしていいかわからない。

その飲み会では、その人が来たということで盛り上がり、その人が必然的に話題の中心となっていったのだが、さほどその人と積もる話のない僕は、どうしていいかわからない。

もし僕が、本当にその人と会いたいと思ったら、何らかの形で僕から会いに行きますよ。誰かの力を借りて、サプライズという形で会ったとしても、さほど嬉しいとは思わない。

ジェーン・スーが、「大人だからこそ、会いたい人に会いに行く」と言っていたが、この言葉の背景には、またいつか会おうと思っていた人が、再会する前に亡くなってしまったという悔恨の情があるようで、僕らは、もうそんな世代なのだろうと思う。

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南さんと結婚した東さんが東さんを演じた

今日も書くことがないので、どーでもいい話を一つ。

山崎豊子原作の「白い巨塔」の映像化作品で僕が好きなのは、なんといっても1978年にフジテレビで放映された田宮次郎版の「白い巨塔」である。

この中で僕が好きなエピソードがある。以下は、ドラマを見ているという前提で書く。

浪速大学医学部付属病院第一外科部長の東教授(78年版では、中村伸郎が演じた)は、ドラマの中では最も権威的な医学部教授として描かれている。当然、その妻である東教授夫人も、そうした権威的な世界に生きている。浪速大学の医学部教授の夫人たちは、「くれない会」という特権的なサークルを作っていて、東教授夫人は、その副会長を長年勤めている。

東教授夫人は虚栄心が強く、時には夫以上に医学部内の動向に敏感で、なんとか自分や自分の夫が出世できないか、とそのことばかり考えている。

ドラマを見れば誰もがそう思う、と思うのだが、この東教授夫人、鼻持ちならない上流夫人で、その特権意識に支配された言動は、見ていて腹が立つ。本当にイヤなヤツだなあ、と思わせるのである。ことによると、この役を演じた女優自身の地の部分が出ちゃってるんじゃないか?ってくらい、権威主義的、封建主義的な言動が心底頭にくるのだ。

ややこしいのは、この東教授夫人の東政子役を演じたのが、東恵美子という女優である。こうなるとますます、役と女優の区別がわかんなくなっちゃう。だって役名も本名も東さんなんだから。

ところがこの東恵美子さんという女優は、実際のところ、自分が演じた東教授夫人とは似ても似つかない生き方をした人なのだ。

ウィキペディアによると、夫は社会心理学者の南博という人で、2人の夫婦関係は「夫婦別姓の草分け」「自由結婚」「別居結婚」「日本のサルトルとボーヴォワール」と呼ばれ、当時、マスコミなどでも話題となったというのだ。

つまり、ドラマの中の東教授夫人の生き方とは、まるで正反対の実生活を送っていたのである。

それで、あの東教授夫人のいけすかなさを、躊躇なく演じきったというのは、プロ意識以外の何物でもない。東恵美子さん本人は、東教授夫人のような生き方に我慢ならないものを感じていたに違いないのだ。 

まったく生き方の異なる東さんの役を、もう一人の東さんが演じる。

僕はこのエピソードを知ってから、

「人間というのは、自分と対極にあるものに対してこそ、その本質をつかむことができるのではないだろうか」

と思うようになった。

ところで、東恵美子さんの夫は南博さん。僕でも知っている有名な社会心理学者である。

南さんと結婚した東さんが、姓を「南」に変えず、「東」のまま仕事を続けたことは、それぞれが個人として、自分が進むべき方向を進んでいったことを象徴しているようで、これもまた深い話である。

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残念な「関ヶ原」

ここ最近、書くことが何もないので、これからしばらくはどーでもいい話を書く。というか、いままでもどーでもいい話だったんだけどね。

テレビで原田眞人監督の映画「関ヶ原」が放送されていたので、録画して観ることにした。

前にも書いたが、司馬遼太郎原作の「関ヶ原」は、以前にいちど、ドラマになっている。1981年にTBSテレビがお正月特番で3夜連続放送したドラマ「関ヶ原」である。僕が小学6年生の時。1回の放送が2時間以上あったと思うので、3回で合計7~8時間くらいの放映時間だったと思う。

脚本が早坂暁、演出が高橋一郎、鴨下信一、音楽が山本直純という、僕にとっては超豪華なスタッフ陣である。

繰り返すが、このドラマ「関ヶ原」は、僕がいままで観た時代劇の中で一番の傑作というべきもので、これを越える時代劇を観たことがない。

で、予想通りというか、映画の「関ヶ原」は、足下にも及ばないものだった。

いや、本当は傑作なのかもしれないけれど、僕の趣味に合わなかっただけかも知れない。

そもそも僕は、石田三成役を演じたあの俳優が、あまり好きではないのだ。最近はずいぶんと邦画界やドラマ界で大役に挑戦しておられ、引っ張りだこのようであるが、僕はどうもなじめないんだよなあ。

原田眞人監督に対しても、僕自身がとくに思い入れがあるわけではない。原田監督はやはり僕の好きな岡本喜八監督の映画『日本のいちばん長い日』をリメイクしていたが、これも、オリジナルに及ぶものではなかった。

原田監督に限らないことだが、どうして、越えられないことがわかっていて、映画監督はリメイク作品を作りたがるのだろう。この心理が、よくわからない。

まあそれはともかく。

映画「関ヶ原」を観ての収穫は、早坂暁の脚本や、高橋一郎、鴨下信一のテレビドラマ演出や、山本直純の音楽が、いかに素晴らしいかを再確認できたことである。

 

ところで、もっとどーでもいい話ですが、高橋幸治と清水紘治の区別がつかなくなることがあります。

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衣替え、からの打ち合わせ

6月3日(月)

今日は気が重い仕事が二つ。

午前中は、職場のオブジェの衣替えである。毎年、夏仕様と冬仕様の2回、衣替えをしているのだが、今日は冬仕様から夏仕様への衣替えである。

この衣替え、かなり大がかりなもので、同僚や職員合わせて10名程度が取りかかり、2時間ほどかかる。しかも、脚立に上って取り外しや取り付けをするなど、かなりの肉体労働なのである。

僕はこういう仕事の時は汗が止まらなくなり、しかも軽い高所恐怖症なので、脚立の上に上って、取り外しや取り付けをすると考えただけでも、憂鬱で仕方がない。

もともと、自分の衣服の衣替えですら大の苦手で、まったくしていないというのに、ましてや大がかりな肉体労働を強いられる衣替えなど、自分にとって苦痛以外の何物でもないのだ。

しかしこれをやらないことには何も始まらない。ということで、大汗をかきながら、なんとか力を合わせて衣替えを終わらせた。

もう水に落ちたみたいに汗だくになった。

お昼過ぎ、職場を出て、今度は都内に向かう。今日の3時から、出版社で、打ち合わせなのだ。

この打ち合わせというのが、あの大ボスのもとでの仕事である。

いつものように、真剣勝負の打ち合わせである。例によって僕はダメ出しを受け、一番信頼されているKさんも、珍しく大ボスにダメ出しされていた。ちょっと中だるみ気味だっことを感じ取った大ボスが、このチームを少し引き締めようとされたのだろう。

相変わらず厳しい大ボスには変わりなかったが、打ち合わせが終わったあと、いつものように懇親会の場に移動すると、一転して和やかな雰囲気になる。

僕以外は、その大ボスの直弟子にあたる人たちで、僕はただ、長年師弟関係を築いてこられたその人たちの当意即妙な会話を、うなずきながら聞いているだけにすぎない。

僕は打ち合わせの時も、その後の懇親会の席でも、さして役に立ってはいないのだ。

不思議なのは、僕が昨年書いた一般向けの本を大ボスがすごく評価しているということで、あんなに誰からも注目されなかった本を、誰よりも評価していただいたのは、実は大ボスを置いて他にはいない。

一番厳しい先生に、一番評価されるというのは、なんとも不思議な感じである。

「あなたは、今のままのスタンスを崩さずに続けていけばよい。評価は後からついてくる」

とおっしゃっていただいたのが、ありがたかった。

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俺のスカート、どこ行った?

最近は忙しくてドラマをほとんど見ないのだが、たまたま見た、古田新太主演の「俺のスカート、どこ行った?」がおもしろかった。

日本テレビの土曜9時のドラマを、むかしは「土曜グランド劇場」と言ったが、僕が子どものころ、「池中玄大80キロ」とか、「ちょっとマイウェイ」とか「熱中時代 刑事編」とか、そういうテイストのドラマを放送していた。

これらのドラマに共通しているのは、登場人物が仕事や人間関係など、さまざまなトラブルに巻き込まれ、ときに理不尽な仕打ちに思い悩むのだが、それをさまざまな人の力を借りながら克服していき、最後はハートウォーミングな結末で終わる、というパターンである。

これが、「土曜グランド劇場」の真骨頂である。

いつしか「土曜グランド劇場」という冠はなくなり、時間も夜10時からになったが、そのテイストは、細々と受け継がれていると思う。もちろん、全部のドラマではない。

たとえば、僕がよくこのブログで取り上げる「すいか」(2003年)なども、80年代の「土曜グランド劇場」のテイストである。「ごくせん」もそんな感じ。

で、久しぶりにこの「土曜グランド劇場」の流れをくむ時間帯のドラマである、この「俺のスカート、どこ行った?」を見たのだが、このドラマもやはり、「土曜グランド劇場」のテイストをしっかりと残している。

設定じたいは、たぶん80年代のドラマから考えると、およそ考えられないものなのだが、しかしその根っこにある精神、みたいなものは、たしかに「土曜グランド劇場」なのである。

「登場人物が仕事や人間関係など、さまざまなトラブルに巻き込まれ、ときに理不尽な仕打ちに思い悩むのだが、それをさまざまな人の力を借りながら克服していき、最後はハートウォーミングな結末で終わる」という根本は同じなのだが、時代によって、主人公の置かれた状況が異なっている、というのがまた、おもしろい。「土曜グランド劇場」は、その意味で、そのときどきの世相をものすごく反映した設定になっているのである。

「俺のスカート、どこ行った?」はまさに、それがよくわかるドラマである。

で、思ったのだが、「土曜グランド劇場」で、卒論が書けるんじゃね?

「土曜グランド劇場」を年代ごとに見ていけば、その時代がどんなことに価値を置いていたか、とか、どのような社会的要請があったか、といったことが、よくわかるのではないだろうか?

いや、それで新書が1冊書けるかもな。

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ゴジラVSキングギドラ

ハリウッド映画版の「ゴジラ」が公開されるとかで、それに合わせてBSで大森一樹監督の「ゴジラVSキングギドラ」(1991年)が放送されていたので、見ることにした。

最初に断っておくが、僕は熱心なゴジラファンではない。だから、マニアックなことは全然わからない。

この映画の公開当時、僕はすっかりゴジラから離れてしまっていたので、リアルタイムでは見ていない。ただ、大森一樹監督は、自主映画出身の監督で、大林宣彦監督の弟分にあたる人だったので、気にはしていたのであった。

で、いま見ると、ひいき目かも知れないが、大森一樹監督のゴジラ作品は、平成ゴジラの中興の祖として、もっと評価していいのではないか、と思ったのだがいかがだろう。

本多猪四郎監督時代のゴジラへのオマージュもあるし、特撮も(川北紘一監督だけに)しっかりと見応えがある。

ただ、ちょっと可笑しかったのは、23世紀の未来から来た未来人が、チャック・ウィルソンで、片言の日本語を話しているのだが、もうちょっとなんとかならなかったのか?と気になって仕方がなかった。

また、その未来人たちが持っているコンピューターが、画素数の荒いデスクトップパソコンだったり、サイボーグの脳に何枚ものCD―ROMが埋め込まれていて、思考回路を変えるときには、その何枚もあるCDをいちいち取り替えなければならないとか、今となっては笑ってしまう未来ばかりなのである。映画の中で未来を描くというのは、やはりかなり危険な行為なのである。

あるいは、大森一樹監督は、それを承知で、わざとそのようにした可能性もある。この映画の随所に、さまざまな映画のパロディーが埋め込まれている。つまりもともとが、突っ込みどころ満載の映画なのである。大森監督は、かつて兄貴分の大林宣彦監督が金田一映画のパロディ映画「金田一耕助の冒険」を撮ったように、ゴジラを使ったパロディー映画を作りたかったのではないだろうか、とすら思えてくる。そこに、自主映画出身の映画監督の面目躍如、といった思いが見てとれるのである。

大森監督は、自分にしか撮れないゴジラ映画はどんなものだろう、と考えた末に、この映画に行き着いたのだろう、と夢想する。繰り返すが、僕は熱心なゴジラファンではないので、ただそのように想像するだけである。

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アレが刊行されました

4時間半、休みなし

残り1ヶ月を切った

5月31日(金)

例のアレが、ついに刊行されました!

現物が我が家に送られてきたのは5月の最終日でしたが、5月の大型連休前には納品されていたようです。それがなぜか、延び延びになって、ようやく手元に届いた次第。

本来は3月末に刊行されていたはずなんだけれど、多少の遅れはご愛敬である。

手に持つと、ずっしりと重い。なんたって、B5の判型で647頁もあるんだから。

よくまあ、あの無茶なスケジュールで、完成までこぎ着けたものである。執筆者5人と編集担当者1人で、647頁を担当したのだから、平均すると一人あたり100頁以上は担当していることになる。

しかも、通常の本以上に、校正がやたらと面倒くさいのだ。

無茶なスケジュールに加え、過重な負担を強いるような執筆方針であったにもかかわらず、なぜ、ほぼ計画通りの時期の刊行にこぎ着けることができたのか?

それは、執筆者がみな、「筆の速い」人ばかりだったからである。

業界でも1,2を争う、「筆の速い」人たちばかりが集まったのだった。

かくいう僕も、「原稿ため込み党」の党首でありながら、実は意外と筆が速い。書き始めるまでは時間がかかるのだが、書き始めると、たぶん筆が速いのだ。

ふつうだったら、このスケジュールでこれだけの分厚くて校正が面倒な本が刊行されるはずはない。

だから、言っときますよ。これがふつうじゃありませんから!ふつうはもっと、時間がかかるものなんですよ!

このスピードを基準にして、仕事を依頼してはいけませんよ!このスピードで仕上げようとしたら、ふつうならば体を壊します(現実に、僕を含めた3名が、体を壊しました)

これは、口を酸っぱくして言っておきます。

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迷惑メールにご用心

5月31日(金)

今日も忙しい一日でございました。

午前9時19分に受信したメールは、まったく見覚えのないアドレスからだった。

件名「おはようございます。」

本文「朝早くからすみません。久しぶりにお食事でもご一緒できればと思っているのですが、来週はお忙しいですか?」

これだけ。

誰から来たメールなのか、わからない。アドレス帳に登録されていないメールなのだ。

「誰ですか?」

と返信しようと思ったのだが、思いとどまり、まずはアドレスの主が特定できるかどうか、調べてみることにした。

ひょっとして、この人は、以前に「メールアドレス変更しました」というメールをくれたりしたのだろうか?

僕は、「メールアドレス変更しました」というメールをもらっても、ズボラなので、アドレス帳を書き換えることをほとんどしないのだ。

検索をかけてみたが、過去にこのアドレスからメールをもらったことはないようだった。

次に考えたのは、「こんなことを書きそうなやつに、心当たりはないだろうか」ということだった。

「久しぶりにお食事でもご一緒できればと思っているのですが、来週はお忙しいですか?」ということは、以前に一緒に食事をした人だろうか?

「前の職場」の卒業生か?

いや、「前の職場」の卒業生で、こんな失礼なメールを送ってくる人はいない。絶対に自分のことを名乗るはずである。このメールでは、自分が誰かを名乗っていないのだ。

いや待てよ。卒業生のうち、何人かはこんなメールを送ってきそうなヤツがいるぞ。あいつとか、あいつとか。あいつだったら、うっかり自分を名乗らないままメールを送ってしまう可能性もあるぞ。

しかし、いくら何でもこの文面はひどい。

それとも、社会人の知り合いか?

「久しぶりにお食事でもご一緒できれば」と書いてきそうな人って、心当たりがない。

あいつだったら、ちゃんと自分を名乗るだろうし、あいつだったら、たしかにこんなメールを書いてきそうな気もするが、遠くに住んでいるので、メールを送ってよこすとしたら、「いまこちらに来ているのですが」という一言があってもよいはずだ。

だいいち、携帯のメールアドレスを知ってる人など、ごくわずかなのだ。

結局、誰であるかを特定できないまま仕事に戻り、夕方にようやく会議が終わって、携帯を見てみたら、15時6分にまたしても同じアドレスからメールが来ていることを確認した。

件名「こんにちは ♪」

本文「実は来週ちょうど連休が取れそうなんですよね。久しぶりにお会いしたいので、予定だけでも教えてもらえますか?」

ずいぶんしつこいヤツだな。そうまでして、俺に会いたいヤツなんぞ、いるはずはない。

…とここまであれこれ考えて、ようやく思い至った。

これは迷惑メールではないのか???

文面をそのままググったら、なんと、まったく同じ文面がヒットして、それが迷惑メールの定型文であることがわかったのだった。

うっかり返信すると、有料サイトに誘導されてしまうらしい。

放っておくと、二の矢、三の矢が打たれるみたいだ。僕の場合、二番目に来たメールが二の矢にあたる。

僕はこの時点で、受信拒否の設定をしたのだが、もしこのまま放っておけば、夜になって

件名「もしかして」

本文「メールだから気づいていないのか届いてないのでしょうか?お忙しいとは思いますが、一度お返事ください。」

といった、三の矢のメールが来ていたはずである。

まったく、あれこれと考えて、時間の無駄をしてしまった。

おかげでいろいろな人に疑いをかけてしまったぞ。

ところで、どこで僕のアドレスが漏洩したのか?

気になったのは、つい最近、僕が住む町の「安心メール」に登録したばかりだということである。

「安心メール」というのは、オレオレ詐欺に引っかからないようにとか、不審者の目撃情報があったので注意するようにとか、そういうメールをご丁寧に市役所が送ってくれるのである。そのシステムに登録したのである。そしてその直後に、迷惑メールが来たのである。

ひょっとしてここから、俺のアドレスが漏れたんじゃないか??

「安心メール」は、本当に安心なのか、不安になってきた。

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