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ゴジラVSキングギドラ

ハリウッド映画版の「ゴジラ」が公開されるとかで、それに合わせてBSで大森一樹監督の「ゴジラVSキングギドラ」(1991年)が放送されていたので、見ることにした。

最初に断っておくが、僕は熱心なゴジラファンではない。だから、マニアックなことは全然わからない。

この映画の公開当時、僕はすっかりゴジラから離れてしまっていたので、リアルタイムでは見ていない。ただ、大森一樹監督は、自主映画出身の監督で、大林宣彦監督の弟分にあたる人だったので、気にはしていたのであった。

で、いま見ると、ひいき目かも知れないが、大森一樹監督のゴジラ作品は、平成ゴジラの中興の祖として、もっと評価していいのではないか、と思ったのだがいかがだろう。

本多猪四郎監督時代のゴジラへのオマージュもあるし、特撮も(川北紘一監督だけに)しっかりと見応えがある。

ただ、ちょっと可笑しかったのは、23世紀の未来から来た未来人が、チャック・ウィルソンで、片言の日本語を話しているのだが、もうちょっとなんとかならなかったのか?と気になって仕方がなかった。

また、その未来人たちが持っているコンピューターが、画素数の荒いデスクトップパソコンだったり、サイボーグの脳に何枚ものCD―ROMが埋め込まれていて、思考回路を変えるときには、その何枚もあるCDをいちいち取り替えなければならないとか、今となっては笑ってしまう未来ばかりなのである。映画の中で未来を描くというのは、やはりかなり危険な行為なのである。

あるいは、大森一樹監督は、それを承知で、わざとそのようにした可能性もある。この映画の随所に、さまざまな映画のパロディーが埋め込まれている。つまりもともとが、突っ込みどころ満載の映画なのである。大森監督は、かつて兄貴分の大林宣彦監督が金田一映画のパロディ映画「金田一耕助の冒険」を撮ったように、ゴジラを使ったパロディー映画を作りたかったのではないだろうか、とすら思えてくる。そこに、自主映画出身の映画監督の面目躍如、といった思いが見てとれるのである。

大森監督は、自分にしか撮れないゴジラ映画はどんなものだろう、と考えた末に、この映画に行き着いたのだろう、と夢想する。繰り返すが、僕は熱心なゴジラファンではないので、ただそのように想像するだけである。

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映画・テレビ」カテゴリの記事

コメント

所謂vsシリーズは私がリアルタイムで映画館で観たシリーズでして、この作品は多分小学校低学年だったので、展開の速さについていけず、ただ都庁戦の特撮だけが印象に残ってます。
vsシリーズが成功したのは大森一樹の力によるものが大きいと思ってます。ダラダラジリ貧にならずに6作品で終わったことも含め。
前作のゴジラvsビオランテも然り、ドラマパートの展開が速いのが大森ゴジラの特徴かと個人的には思います。
ま、今作は未来人のせいで映像のクオリティにムラあり過ぎて笑いネタになってますが。
一方、新堂会長とゴジラが対峙するシーンは名場面という…。
ま、個人的にはゴジラvsビオランテの方が好きですが…。まんま許されざる命だし。

投稿: 江戸川 | 2019年6月 3日 (月) 08時10分

新堂会長とゴジラの対峙するシーン。あのシーンのために、この映画があると言っても過言ではないね。

「ゴジラVSビオランテ」、恥ずかしながらまだ観ておりません。学生時代に公開され、当時かなり話題になっていたのですが、見に行かなかったことが悔やまれます。あのころ、映画評論家のおすぎが「ゴジラVSビオランテ」をかなり批判をしていたことが影響しているかも知れません。

投稿: onigawaragonzou | 2019年6月 3日 (月) 23時15分

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