呪いの言葉
TBSラジオ「荻上チキ Session22」のメインSessionで、上西充子さんがゲストで、「呪いの言葉」の特集をしていた。
呪いの言葉とは、霊的な意味の言葉ではなく、私たちの生きる社会で飛び交う、「相手を呪縛する言葉」という意味である。
たとえば、
「嫌なら会社やめれば?」
とか、
「そんなにこの国が嫌なら、この国を出て行け」
みたいな言葉。
悪いのは、「嫌だ」と思っている人間の方だ、というニュアンスが込められている。
「会社」や「この国」の方に責任があるということについては、不問に付している。
「仕事が遅いから残業になるんだよ。ひょっとして、残業代をもらいたいために残業してるの?」
なんて言葉もそう。残業をすることを、個人の責任であるかのように押しつけ、残業を生み出す構造的問題については不問に付しているのだ。
つまり、呪いの言葉とは、社会や組織の構造的な問題については不問に付し、それをすべて個人の責任の問題に転嫁することで、その人を呪縛し、あたかも個人に非があるように思い悩ませる言葉のことを言うのだ。
もっと簡単に言えば、人の生き方や働き方を縛り付け、人の自由を奪う言葉。これが呪いの言葉である。
そう考えてみると、この世の中は、呪いの言葉に満ちている。
「彼氏はいるの?」
とか、
「お子さんはまだですか?」
なんてのも、呪いの言葉である。
つまり呪いの言葉は、セクシュアル・ハラスメントやパワハラと直結する言葉なのである。
「前の職場」で教員稼業をしていた頃、学生に絶対に言ってはいけない言葉、というのを自分の中で決めていて、学生に対してはそれを言わないように心がけていた。その頃はまだ、呪いの言葉という概念はなかったが、いまから思えば、呪いの言葉を言わないように心がけていた、ということなのだろう。
昨年だったか、東京駅に、
「障がいは言い訳にすぎない。負けたら、自分が弱いだけ」
というポスターが貼られていたことがあった。東京都が作成したポスターである。障がいを持つアスリートの言葉として紹介されたポスターのようなのだが、たとえこの言葉がそのアスリートの信条だったとしても、これが不特定多数に向けられたポスターの言葉になった時点で、「呪いの言葉」となるのである。このポスターは問題となり、たしかすぐに撤去されたと記憶する。
つい最近は、阪急電車の車内の中吊りに、さまざまな業界で働く人々の言葉を紹介した言葉が紹介されたことが話題となり、炎上した。
「毎月50万円もらって毎日生き甲斐のない生活を送るか、30万円だけど仕事に行くのが楽しみで仕方がないという生活と、どっちがいいか。研究機関 研究者/80代」
「私たちの目的は、お金を集めることじゃない。地球上で、いちばんたくさんのありがとうを集めることだ。外食チェーン 経営者/40代」
これらも、呪いの言葉である。
上西充子さんの本を読んでいないので、そこにどんなことが書かれているかはわからないのだが、以下は僕なりの意見。
呪いの言葉から解き放たれるための方法はただ一つ。
言われたことが呪いの言葉であることに気づくことである。
誰かに呪いの言葉をかけられたら、
「それ、呪いの言葉ですよ」
と言い返してみよう。そうすれば、呪いを解くことができるはずである。
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コメント
「こぶぎさんは、なんでお酒飲まないんですか♪」
何百回と投げかけられた、呪いの言葉である。
しかも、呪って来る相手が酔っぱらっているから、手に負えない。
「飲みたくないから、飲まないんです」
と正直に言っても、まず効かない。
「なんか、飲めそうに見えますけど、本当に飲めないんですか?」
「飲んだことがないから、飲めるかどうか自体が分からない」
と、これも真正直に答えようものなら、屁理屈に聞こえてしまう。
「いやー、生まれつき、アルコールを受け付けない体質なんですよ。飲み会自体は好きなんですけどね(にっこり)」
と嘘をつくのが、その場を治める処世術である。
あーあ、やけ酒でもあおりたい(飲まないけど)。
投稿: こぶぎの呪い | 2019年6月13日 (木) 11時58分