« 2019年6月 | トップページ | 2019年8月 »

2019年7月

静観

人気お笑い芸人が、反社会的勢力の忘年会に出たということで、大手芸能プロダクションから契約解消を言い渡され、それを受けて二人のお笑い芸人が、謝罪の会見を行った。

その謝罪の会見は2時間半にも及んだそうだが、その中で、大手芸能プロダクションと所属芸人との間のやりとり、というのが明らかにされた。

僕はその大手芸能プロダクションが好きではないし、所属の芸人たちに対する思い入れもない。なのでこの騒動自体に関してはなんの興味もないのだが、ただ、その会見内容は、実に興味深いものであった。

当初は、芸人たちが、反社会的勢力の忘年会に出た、ということで、謹慎処分が下されたが、その後、芸人たちがギャラを受けとっていたのではないか、という疑惑が出てきた。

会見を開いた芸人の話によれば、5年も前の出来事なので、自分たちは、ギャラをもらったかどうかの記憶が定かではなかった。そこで、当初は「ギャラは受けとっていない」と取材に答えていた。

ところが、のちに複数の芸人の記憶をたどっていくと、実はそのときにギャラを受けとっていたという事実が判明した。

そうなると話は別である。反社会的勢力が違法行為によって被害者から奪い取ったお金を、お笑い芸人たちがギャラとして受けとっていたことになるからである。

お笑い芸人たちは、自分が所属する大手芸能プロダクションにそのことを正直に告白し、「このことを正直に公表して謝罪をさせてほしい」と会社に懇願した。

ところが大手芸能プロダクションは、「いまさら(事態を)ひっくり返すわけにはいかない」として、ギャラを受けとったという事実を公表するのを見送ったのである。当初の取材で「ギャラは受けとっていない」と答えていたことを、いまさら覆すわけにはいかない、ということなのだろう。

そのとき、社長を含めた社員たちは、「会社としては静観でいく」という方針を決めた。つまり、ギャラを受けとったという事実をあえて公表はせず、事態の推移を見守る、ということである。

結果的にこの方針がきっかけで、大手芸能プロダクションと所属芸人との関係がこじれにこじれ、問題を大きくさせ、最終的には「契約解消」という事態をもたらし、芸人による記者会見で大手芸能プロダクションの悪辣性が白日の下にさらされる結果となった。

どう考えても、ギャラを受けとっていたという事実がわかった時点で、大手芸能プロダクションと所属芸人がそろって謝罪会見を開けば、ここまで問題がこじれることがなかったはずである。

なぜ、このような「どーでもいい会見」に僕が注目したのかというと、ここで使われている「静観」という言葉を会見で聞いて、あることを思い出したからである。

それは、ポツダム宣言である。

1945年7月、ポツダム宣言を確認した日本の政府は、もはや戦争継続が困難という見方もあり受諾やむなしとの空気もあったものの、当面の間は一切の意思表示をせず「静観」するという方針を決めた。そうした方針が、次第にこじれていき、結果的にさらに大きな悲劇を生んだことは、歴史の事実である。

「静観」という言葉が引き起こした悲劇という点で、両者は共通していると僕は見ている。「静観」という態度が、しばしば取り返しのつかない事態を引き起こすことがあるのだということを、歴史は教えてくれているように思う。

| | コメント (0)

備忘録

「全体主義の特色は、個人よりも国家を重んずる点にある。世の中でいちばん尊いものは、強大な国家であり、個人は国家を強大ならしめるための手段であるとみる。独裁者はそのために必要とあれば、個人を犠牲にしてもかまわないと考える。もっとも、そう言っただけでは、国民が忠実に働かないといけないから、独裁者といわれる人々は、国家さえ強くなれば、すぐに国民の生活も高まるようになると約束する。あとでこの約束が守れなくなっても、言いわけはいくらでもできる。もう少しのしんぼうだ。もう五年、いや、もう十年がまんすれば、万事うまくゆく、などと言う。それもむずかしければ、現在の国民は、子孫の繁栄のために犠牲にならなければならないと言う。その間にも、独裁者たちの権力欲は際限なくひろがってゆく。やがて、祖国を列国の包囲から守れとか、もっと生命線をひろげなければならない、とか言って、いよいよ戦争をするようになる。過去の日本でも、すべてがそういう調子で、一部の権力者たちの考えている通りに運んでいった。

つまり、全体主義は、国家が栄えるにつれて国民が栄えるという。そうして、戦争という大ばくちをうって、元も子もなくしてしまう。

これに反して、民主主義は、国民が栄えるにつれて国家も栄えるという考え方のうえに立つ。民主主義は、けっして個人を無視したり、軽んじたりしない。それは、個人の価値と尊厳とに対する深い尊敬をその根本としている。すべての個人が、その持っている最もよいものを、のびのびと発展させる平等の機会を与えられるにつれて、国民の全体としての知識も道徳も高まり、経済も盛んになり、その結果として必ず国家も栄える。つまるところ、国家の繁栄は主として国民の人間としての強さと高さによってもたらされるのである。」〔文部省著『民主主義』角川文庫、2018年より。初出は文部省著作教科書として1948年に刊行された〕

| | コメント (0)

制限時間は10分

7月19日(金)

都内で、ちゃんとした会議。

職場の外からお客様を呼んで、その方たちの前でプレゼンをする、というもの。今年度はうちの職場から9名ほどがプレゼンをし、その中に僕も含まれる。

1人あたりの制限時間は10分である。

先日、職場の会議で予行演習をした。完全原稿を作り、パワポも完成させた。

そのときも、プレゼンの制限時間は10分だったが、いろいろ盛り込みすぎて、時間をややオーバーしてしまった。

だいたい僕は、制限時間を意識せずに資料を作ったりしているので、いつも時間をオーバーしてしまう。先日の講演会でも、予定の時間を15分ほど超過した。

今回の予行演習の際も、制限時間10分のところを5分ほどオーバーして終わった。だいたい僕はいつも、時計をまったく見ずに、体内時計だけでプレゼンをしてしまうのだ。

予行演習で5分ほどオーバーした僕は、まあ本番も大目に見てくれるだろうと、とくに読み原稿を刈り込むこともなく、当日を迎えた。パワポのスライドも、予行演習の時のままである。

さて当日。

司会を担当されたのは、職場の外のお客様であり、その業界の重鎮の方である。プレゼンは、8分で1回ベルを鳴らし、10分たったところで2回目のベルを鳴らす。つまり、2回目のベルが鳴るまでにプレゼンを終えなければならないのである。

僕のプレゼンは4番目だったが、最初にプレゼンをした同僚が、10分を過ぎてもプレゼンが終わらなかった。それを見かねた司会の大御所が、

「時間を厳守してください!あなただけを特別扱いすることはできないんですよ。あらかじめ10分でプレゼンをするようにと決められているのですから、当然そのつもりで準備されてきたんでしょう!」

と強い調子でおっしゃった。まことに正論である。大人なんだから、時間はちゃんと守りなさい、というのである。

僕はこれですっかりとビビってしまった。すっかり時間オーバーする気満々だったからである。同僚たちの間では許されることも、職場の外のお客様には通じないのだというあたりまえのことを、僕はすっかり忘れていた。いや、僕だけでなく、この後に続くプレゼンターも、ビビっていたはずである。司会者の最初の発言が功を奏したのか、2番目と3番目の同僚は、きっちりと10分以内におさめていた。

僕は急いで、自分の読み原稿を確認し、刈り込むべきところを刈り込んだ。

僕のプレゼンの順番がまわってきた。僕はガッチガチになりながら、読み原稿を読み、パワポを操作した。もちろん、このときも自分の悪い癖で、時計をまったく見ていない。

無我夢中でプレゼンをした結果、なんと10分を切った!5分はオーバーするだろうと踏んでいたプレゼンだったが、なんと10分におさまったのである。タイムを縮めた陸上競技の選手のような心境である。

なんだ、やればできるじゃないか。

これをプロの仕事と言うべきなのかどうか、よくわからない。本当のプロだったら、最初から10分におさめているはずだからね。

とにもかくにも、大過なく会議は終了した。ドッと疲れた。

| | コメント (6)

任期付きの友情

数年前から、韓国のある機関とうちの職場が交流している。一応、僕が窓口になっている。

今年に入って、2月5月に、僕は職場のボスと二人でその機関を訪問した。

遡って2018年2月には、韓国の機関のボスが、就任してすぐの頃にうちの職場を訪問した。向こうのボスというのが、もともとは官僚で、たまたま出向でその機関の社長ポストに就いているということだった。つまり今の座は行ってみれば腰掛けで、ほどなくして本庁に戻って出世コースを歩むのだろう。

その官僚出身のボスと話をしてみると、実に話のわかる方で、うちのボスは、向こうのボスの人柄に、すっかり感銘を受けてしまった。向こうのボスも、うちのボスの人柄にすっかり魅了されたようだった。

かくして、二人の間に友情が芽生えたのである。

5月22日に向こうで行われた「合同セミナー」も、こちらからはボスと僕しか出席できず、とても申し訳ないことをしたのだが、それでも、向こうのボスは大変喜んでくれて、うちのボスをますます信頼したようであった。セミナーが終わってからほどなくして、向こうのボスからうちのボスに宛てて、英文の長い手紙が送られてきた。僕もその手紙を見せてもらったのだが、英語がまったく苦手な僕が読んでも、とても心のこもったお手紙だった。

「来年、今度はうちがあちらをお招きしなければいけないな」

「そうですね」

うちのボスは、日本語で、向こうのボスに手紙を送った。

さて、今日。

その機関の担当者から、衝撃のメールが届いた。

「実は先日新しい社長が赴任いたしまして、9月に日本に行く機会があるので、そのときにそちらの社長様にご挨拶できないでしょうか。なんとか日程調整をお願いします」

ええええぇぇぇっ!!!もう人事異動があったの???

だって、9月に日本でお会いしましょう、と、5月に約束したばっかりじゃん!

おそらく、本庁に栄転になったのだろう。そうか、あの英文の手紙は、自らの退任にあたり、在任中のさまざまなことに感謝を述べた手紙だったんだな。

韓国の官公庁の人事異動のめまぐるしさは、凄まじいものがある。今までも何度も経験しているので、「またか」という感じだが、それにしても、日本だとせめて3年は任期があると思うのだが、あのボスは、在任期間が3年よりも短かったのではないだろうか?つまりそれだけ優秀だということである。

てっきりうちのボスも僕も、あと1年くらいは、今の社長の体制で行くのだろうと考えていたのだが、そうは問屋が卸さなかったわけだ。「来年、こちらにお呼びする」という夢も、潰えてしまった。またイチから、人間関係を構築しなくてはいけない。

何より残念なのは、おそらくもう2度と、向こうのボスとこちらのボスが顔を合わせることはないだろう、ということである。なにしろ向こうはエリート官僚。もうこちらの世界に戻ってくるはずはないからである。

お互いの立場を離れてまで、友情が続くわけではない。立場が違えば、自ずと友情もそこで途切れる。もちろんどこかでまた一緒に仕事ができるようなことがあれば、また友情が復活する。

だから韓国人は、「因縁」という考え方をとても大事にしているのだ。

外交とは、任期付きの友情なのだということを、あらためて思い知らされる。

| | コメント (0)

グリーンレクイエム

書くことがないので、ちょっとまたわからない話。

1988年に公開された映画で、「グリーンレクイエム」というのがあった。原作は新井素子の同名小説で、今関あきよし監督作品である。

主演は、鳥居かほりと坂上忍。今でこそ坂上忍は毒舌司会者として知られるが、実力派の子役俳優として知られ、この映画の頃は、いまでいう福士蒼汰みたいな位置にいたのだ。といっても、福士蒼汰がどんな俳優なのかわからないので、テキトーに言っているのだが。

まあそれはともかく、いかにも80年代のジュブナイル、といった感じの映画で、僕はこれを劇場で見たのではなく、レンタルビデオ屋さんで借りて、しかもそれをダビングして持っていた。

別に僕は原作の熱烈なファンでもなく(原作は読んだことがない)、鳥居かほりの熱烈なファンだったわけでもなかったのだ。それにこの映画じたい、今に至るまでソフト化されていないことからわかるように、それほど人々の話題にのぼった映画でもなかったのだ。にもかかわらず僕は、なぜかこの映画が気になっていて、当時ダビングしたビデオを繰り返し見たのである。

小林聡美が脇役で出ていたから、とか、今関あきよし監督が大林宣彦監督の助監督をしていたことがあるとか、そういった些末な理由はあるのだが、何より僕の心をとらえたのは、久石譲の音楽だった。映画音楽は久石譲が手がけたものだが、なかでも、劇中で女性歌手が歌われる歌が、僕の心をとらえて放さなかったのである。僕はその曲を聴きたいが為に、繰り返しその部分を見たのである。

この曲が、久石譲の作曲・編曲であることは、その曲調からすぐにわかったが、この劇中歌のタイトルと、歌っている女性歌手の名前がわからない。エンドクレジットのところに曲名が出てくるのだが、ダビングしたビデオ映像では、画像が粗くて字が潰れてしまって、何と書いてあるか読めなかった。

その後もこの歌のことがずっと気になり、もしCDで発売されているのならば、絶対に買おうと思っていたのだが、発売されているのかどうかもわからない。後年、インターネットの検索サイトが発達してから、検索サイトを駆使して、この映画のサントラが発売されているか探してみたのだが、どうもサントラは発売されていないらしかった。

かろうじて、この映画のメインタイトルであるピアノ曲は、久石譲のアルバム「Piano Stories」に収められていることを知った(ちなみにこれは名盤である)。もちろんこれはこれでよかったのだが、肝心の僕の探している劇中歌は、相変わらず見つからなかった。

折にふれて、この映画のDVDが発売されていないだろうか、とか、サントラが発売されていないだろうか、と調べているのだが、今に至るまで、そうしたことはないようである。

とあきらめていたところ、動画サイトで、「グリーンレクイエム」のサントラと題するものを見つけた。

 

一見してわかるように、これはサントラとして販売されたものではない。俳優の台詞が音楽に重なっていることから、実際の映画で流れた音楽の部分だけを、(おそらくビデオソフトから)抜き出して構成したものである。つまり苦肉の策として、「グリーンレクイエム」のファンの人が、ビデオソフトの音源から直接抜き出した、ファンならではの、手作りのサントラである。

この動画の、14分41秒頃から始まる歌が、まさに僕の探し求めていた歌である。

動画サイトの情報によると、この歌は「グリーン・レクイエム」というタイトルで、作詞が松井五郎、作・編曲が久石譲、唄が忍足敦子とある。

この情報をもとに調べてみたが、やはりこの歌がCD化されているといったことはないようである。忍足敦子さんという歌手の方も、初めて聞くお名前である。

ひとまず僕は、この歌と再会できたことに感激したのだが、それにしても驚くべきことは、僕と同じように、この「グリーンレクイエム」の音楽を忘れられないと思っている人が、この世の中に数名でもいるということである。そればかりでなく、その思いを共有しようと考える人もいるのだ。

この映画「グリーンレクイエム」の映像と音楽は、人々の記憶からどんどん失われてしまうだろうか。それはなんとも哀しい。いまや映画音楽の名手として確固たる地位を確立した久石譲の、「ナウシカ」や「ラピュタ」を手がけた頃と同時期の隠れた名作として、語り継いでいかなければならない。

| | コメント (0)

サインください

7月13日(土)

講演会の日。

20年来の付き合いのあるIさんから、講演を依頼されたのである。これは断るわけにはいかない。

事前申込制にしたところ、申し込み受付をの初日に、即日で定員の85名に達したという。実施には、120名くらい申し込みがあったとのことで、定員に達した時点で、すべてお断りしたのだという。

「高校生が二人、申し込んできましたよ」

「それは珍しいですね」

僕の講演会を聞きに来る人は、ご高齢の方がほとんどと相場が決まっていたので、高校生が聞きに来ることなど、めったにないのだ。

「鬼瓦先生の講演をぜひ聴きたいって言ってました」

「そうですか」はて、知り合いがいるわけでもないし。

「サインください、なんて来るんじゃないですか?」Iさんは私をからかった。

「まさか」

僕は大学生や高校生の前で授業をしたりすることを、もう何年も前にやめてしまっているので、いまの高校生が、僕の授業なり講演なりを聴く機会が、これまでにあるはずもない。つまり僕は、無名の人間なのである。

おおかた、高校の先生にでも言われたのだろう、と思った。

さて、講演会が始まった。

講演会の直前は、いつも不安でいっぱいである。自分が準備した内容が、企画の趣旨に合っているか、とか、1時間半なり2時間なり、決められた時間を最後まで話すことができるだろうか、とか。前の晩は、そんなことばかり悩んで、何も手につかなくなる。

ところがいざ講演会が始まると、時間を忘れてしゃべってしまい、つい終了時間をオーバーしてしまうから不思議である。今回も、15分ほど時間を超過してしまった。

一番前の席では、高校生らしき男の子2人が、熱心に聴いていた。

講演会が終わると、高校生が僕の前にやってきて、そのうちの一人が、講演の内容に関して質問してきた。僕はその質問に答えた後、逆に彼に質問した。

「講演の内容、どうだった?」

「とても面白かったです」

不思議である。内容はきわめて地味でマニアックなものでおよそ高校生には理解されないだろうと思っていたのだが、どうやらあるていどは伝わったらしいのだ。

ほかの方が次々に僕のところに来て、その質問に対応したのだが、その間も、その高校生は会場に残っていて、すべての質問に対応し終えた後、もう一度、その高校生が僕のところに来た。

「あの…お願いがあるんですけど」

「何です?」

「サインをいただけますか?」

そう言うと、高校生は、今回の講演会のチラシと、サインペンを取り出した。

「ここにサインをください」

まさか、冗談で言っていたことが本当に起こるとは!

「サインなんかしたことないよ」

「そうなんですか」

僕はサインペンを手に取って、講演会のチラシの適当な箇所に、自分の名前を書いた。我ながらかなりの悪筆で、書いていて恥ずかしくなってしまった。こんなものが記念になるのだろうか。

「ありがとうございます」

と言って、僕のサインの書かれたチラシを持ってその高校生は帰っていった。

俺のサインなんかもらってどうするつもりだろう。俺は別にテレビに出ているわけでもないし、売れている本を書いているわけでもないのだ。これから先も、売れる予定はない。

僕は狐につままれたような気持ちになった。

しかし、僕の地味な話を、1時間45分も飽きずに聴いていてくれたのだ。それだけでも講演をした甲斐があった。

その高校生に幸多かれと願わずにはいられない。

 

| | コメント (0)

逆砂の器

7月12日(金)

夜、用務地に到着。

午前中、職場で会議を終えてから、新幹線に移動したから、通勤時間と用務地までの移動時間を合わせると、8時間近く鉄道で移動したことになる。まったく、移動ばかりの人生だ。人生の大半は移動に費やされている。おかげで、旅がすっかり嫌いになってしまった。

2年前に病気してから、不要不急の出張は行かないようにしている。

たとえば、1年に1回、ある儀礼的な会合が行われたとする。多くの場合、そうした儀礼的な会合は、毎年会場が各地を転々とする。今年は北だから、来年は南、といった具合である。

それが1つの会合だけならばいいのだが、そうした会合が12種類あったとしたら、結局それだけで、1カ月に1回は、どこかしらに出張に行かなければならなくなる。

こんなことをしていては、とても体がもたないのだ。なので、儀礼的な会合には、できるだけ出ないことにして、出張を減らすことにした。

それでも出張は減らない。

先日の水曜日は、飛行機で日帰り出張であった。現地では、ひたすら先方の車で移動した。寝不足だったせいもあり、飛行機には酔うし、先方の車の手荒い運転にも酔うしで、すっかり体調が悪くなってしまった。

で、今回も新幹線に4時間くらいずっと乗っていた。しかも途中からやたらと揺れるので、またすっかり乗り物酔いである。

水曜日と、1日空けて金曜日の、今週2回の出張は、全然場所も違うし、用務も異なるのだが、

(なんか、「砂の器」の逆を行ってるな)

ということに気がついた。

わかる人だけがわかればよろしい。

| | コメント (2)

不調

すこぶる体調が悪いのは、どう考えても往復5時間の通勤時間によるところが大きい。

電車の中では、本を読む気力もなく、ただひたすら、ラジオクラウドを聴くだけである。

山のような原稿を書かなければならないのだが、通勤だけでヘトヘトである。当然、電車の中では原稿を書けない。5時間も時間があるのに、である。

ちょっと体調が悪いくらいだと、この仕事、なかなか休めない。

飛行機の予約や、先方との約束をキャンセルしてまで、となると、なかなか休めないのである。

明日は羽田から飛行機に乗って日帰り出張である。始発の飛行機で用務先に向かい、最終の飛行機で帰る。こうなるともう、国内で日帰りで行けない出張はないのではないか、と思いたくなる。

選挙の応援演説に飛びまわる政治家のごとくである。

あるいは、芸人の営業か。

しばらくは、練れた文章が書けそうにない。

| | コメント (1)

懇親会嫌い

このところ土曜日は2回連続で、職場で会合があり、ホスト役を務めている。二つの会合は、中身の異なるもので、メンバーも別々である。それぞれ10人から15人くらいのこぢんまりした会合ではあるのだが、会合を滞りなく終わらせるのには、それなりに神経を使うので、終わるとどっと疲れてしまう。

いまの職場に移ってから、「プロジェクトを立ち上げて、人を集めて、何らかの成果を出して、滞りなく終わらせる」という仕事が、とめどなく続いている。人と関わりを持つのが嫌いな僕が、最も苦手とする仕事なのだが、自分が苦手かどうかというのは、実は他人様にとってはどうでもいいことなのである。というより、「人を束ねる」という仕事はそもそも、誰にとっても、大なり小なり、心に負担のかかる仕事なのだ。日々そう言い聞かせているのだが、なかなか慣れるものではない。幸い、いまホスト役を務めている二つの会合は、自分が好きなように集めたメンバーなので、それでもかなりやりやすい方である。

さて、会合が無事に終わったとしても、メンバーの中には、遠くから来てくれた方もいるので、会合が終わってハイサヨナラ、というわけにもいかない、ということで、終了後は簡単な懇親会を開くことになる。僕は一応ホスト役なので、出ないわけにはいかない。

というわけで、なんとこの懇親会嫌いな僕が、先週の土曜日(6月29日)と今週の土曜日(7月6日)は、2週連続で懇親会をすることになった。

それだけではない!

一昨日の金曜日(7月5日)の夜にも、都内で懇親会があり、出席した!

外国から偉い方が来日し、ゆくゆくは仕事を一緒にすることになるかも知れないということで、顔つなぎのために、僕と、もう一人の同僚が、職場の大ボスから呼び出されたのである。これこそまさしく、仕事としての懇親会である。

僕は一番下っ端なので、トップ同士の会談を、ウーロン茶を飲みながらピクニックフェイスで聴いていさえすればいいのだが、まあこれもこれで、何かと気を遣う。先の二つの懇親会と違って、自分が気兼ねする必要のないメンバーというわけではなく、むしろ緊張する方々なので、端っこで黙っていたとしても、精神的にはかなり疲労する。

懇親会は、この国の悪しき因習である「同調圧力」が最もよく現れた場であるような気がするから、懇親会が嫌いな人というのは、潜在的に多いのではあるまいか。

『懇親会嫌い』という新書を出したら、意外と売れるのではないだろうか。

| | コメント (0)

Keiさんとツトムさん

前回の記事で、友達と没交渉だった父の話を書いた。

今回は、それと正反対の話。

高校時代の3年間担任だった恩師・Keiさんと、昨年、久しぶりに再会したことを、以前に書いた。

南の島を舞台にしたドキュメンタリー映画に、僕がトークショーで出演したことが、再会のきっかけである。

南の島で餓死したある日本兵が、死の直前まで日記を書き残していた。いくつもの偶然が重なって、その日記は日本にいる遺族の手に届いた。幼い頃に父と別れた息子のツトムさんが、その日記を手がかりに、南の島に慰霊の旅に出る、という映画である。僕は少しだけお手伝いしたご縁から、その映画のトークショーのゲストに呼ばれたのだった。

僕はそれまで全然知らなかったのだが、Keiさんは、その南の島と日本を結びつけるプロジェクトを立ち上げて、数年前から活動していたのだという。東日本大震災による原発事故で被災した県と、戦後やはり同じ体験に苦しんだ南の島を結びつけようというプロジェクトである。ただ、Keiさん自身は南の島に実際に行ったことはないのだそうだ。子どもの頃の中耳炎が原因で、飛行機に乗れないのだという。

僕は驚いた、日本人がほとんど知らない南の島を通じて、高校時代の恩師と再会できたからである。

Keiさんは、そのドキュメンタリー映画を何度か見に来てくれて、そこで、やはりトークショーのゲストで来ていた映画の主人公・ツトムさんと初めて出会うことになる。

二人はいくつもの共通点があった。

生まれた年が、1941年だったこと。

子どもの頃、中耳炎に悩まされ続けたこと。

そして何より、南の島にゆかりのあること。

二人はたちまち意気投合した。ツトムさんは、Keiさんの参加している南の島のプロジェクトに自分も参加したいと、さっそく会員になった。

まったく接点のなかったKeiさんとツトムさんが、僕の人生を通じて知り合ったことは、何とも不思議な感じがして愉快だった。しかも僕が計画的に二人を引き合わせたわけではない。二人は勝手に知り合ったのである。

もう一つ僕にとって不思議だったのは、二人とも、僕の父と生まれた年が同じだったことである。父はその前の年に亡くなったのだが、二人を見ていると、まるで自分の父を見ているかのように思えた。

さて、ここまでのことは、いままで書いてきたこと。

Keiさん・その2

ツトムさん

トークイベントの日

謎のナトリさん

昨日、Keiさんから久しぶりにメールが来た。

「このたび南の島のプロジェクト49回目の集会を夢の島で催すことになったのですが、会員になってくれたツトムさんが会報に載せた私の2つの短文を読んで、「参加しよう」という気になったといって連絡をくれたので、今週土曜日、6日に東京駅で待ち合わせて一緒に参加することになりました」

なんと、ツトムさんは新幹線で東京に来て、二人は東京駅で待ち合わせるとのこと。

俺抜きで会うって、すっかり二人は友達になったんだな。ちょっと嫉妬を感じないでもない、不思議な感情である。

続くメールに、こうあった。

「明日は雨になりそうで、新木場駅から夢の島まで歩くのが憂鬱です。でもW町から出てきてくれるツトムさんをみんなに紹介できるのが嬉しいことです」

二人はいま、78歳。

78歳になって友達ができるってのも、悪くないなあ。

| | コメント (0)

父の境地

最近は、飲み会、というものにほとんど出なくなったが、立場上、どうしても出なければならない懇親会は、仕事と割り切って出ることにしている。

最近は、それすらも煩わしいと思うようになってしまった。

仕事以外でも、飲み会にはほとんど行かない。というか、たぶん、僕はいろいろな人から「断捨離」の対象になったんだろうな。ほとんど呼ばれることもなくなってしまった。

一昨年亡くなった僕の父も、僕が物心ついてから、ほとんど飲み会というものに出たことがなかった。仕事が終わると家に帰って、ひとりで晩酌していた。晩酌、といっても、さほどお酒の強い人ではなかったから、焼酎1杯くらいを飲んでいたのだと思う。

ごくたまに、飲み会があったり、あるいは親類縁者で集まって宴会なんかをやったりすると、決まって泥酔するまで飲んでいた。たぶん、飲み会の席がいたたまれなかったから、必要以上にお酒を飲んだのだろうと思う。

いまから思うと、本当に友達がいなかったのだろうな。それでも、近所の人たちからは「いい人だった」と言われるのだから、まことに不思議な人である。

僕は若い頃は、飲み会に出ることはさほど苦ではなかったのだが、いまはもう、父とまったく同じ境地である。一緒に飲むべき友達もいないし、それより何より、お酒自体を飲まなくなった。

若い頃、ほとんど飲み会に出ずに家に帰ってくる父を、寂しい人だと思っていたが、自分が年を重ねるにしたがって、それがさほど寂しいことではないことがわかってきた。もちろん、本音のところはわからない。

酒も飲まず、必要以上に人と会ったりもしなかった父の晩年の姿は、僕にとってのこれからのお手本である。

| | コメント (0)

フニクリフニクラ派か、おにのパンツ派か

おにのパンツ」のつづき。

最近のこぶぎさんのコメントが、すべて「フニクリフニクラ」の替え歌でまとめられていて、どうも最近、フニクリフニクラブームが来たようである。

そう思って世の中を見渡してみると、この「フニクリフニクラ」の曲が、いろいろなCMで使われていることに気づく。

どうもこの曲は、「耳に残りやすい」「替え歌にしやすい」という二つの特徴を持っているようだ。

で、そのCMの替え歌も、「フニクリフニクラ」の歌詞を変えたものと、「おにのパンツ」の歌詞を変えたものに、どうやら分かれるようなのである。

まず、こちら。

 

これは明らかに、「フニクリフニクラ」の歌詞を意識した歌である。

面白いのは、クレヨンしんちゃんが登場するCMだったら、「おにのパンツ」の歌詞に寄せた方が、それらしいと思うのだが、そうではなく、歌詞を「フニクリフニクラ」に寄せているのである。

もう一つは、こちら。

 

「鬼丸ホーム」というのは、福岡県の会社のようなのだが、こちらの方は明らかに歌詞が「おにのパンツ」の替え歌である。

やはり、この曲は依然として、「フニクリフニクラ派」と「おにのパンツ派」に二分されているのだ。

記憶をたどったり、調べてみたりすると、まだまだ「フニクリフニクラ」を使ったCMがたくさんあるようなのだが、面倒くさいのでいちいちあげることはしない。

とにかく、「やたらと耳に残る曲」であることはたしかなのである。

そんな僕が、一番好きな「フニクリフニクラ」は、これです。

 

| | コメント (1)

はたらく

最近、よく耳にするようになったと思うのだが、

「『働く』の語源は、『傍(はた)を楽にする』から来ている」

という言説。で、これを言った後に、

「働くということは、周囲を楽にするという意味があるのだから、周りの人を楽にするという気持ちで働けば、働く意欲もわいてきますよ」

と続く。

こんなことを言う人が、最近増えているような気がする。もちろん、これを語源とするのは誤りである。

ここではっきりさせておきたいのは、「働くというのは、傍を楽にするということ」と言ったのは、僕の知る限り、池田勇人首相(在任期間1960~1964)が初めてである、ということである。

池田勇人首相は在任中、何かの挨拶の時に、

「みなさん、働きましょう。働くというのは、傍(はた)にいる人たちを楽にするということなのです。働きましょう」

と国民に語りかけていたことを、子どもの頃にテレビで見たことがある。もっとも、僕はその頃生まれていないから、過去を振り返る番組か何かで、その場面を見たのである。

なぜ覚えているかというと、「首相なのに、校長先生の訓話みたいなことを言う人だな」と、不思議に思ったからである。

その前から、「傍を楽にする」という語呂合わせ自体はあったのかも知れないが、これを広めたのが池田勇人首相であることは間違いないだろう。

所得倍増計画とか、高度経済成長とか、そういう時代にさしかかっていたから、この言葉は、そういう時代にマッチした言葉として、重宝されたのかも知れない。この言葉には、解釈次第では、自己犠牲こそが働くということである、という意味が含まれている。

しばらくこの言葉を聞かなかったが、最近になってまた、この言葉がどこからか聞こえてくるようになってきた。気のせいか?

いずれにしても、「傍を楽にする」という言説を口にする人が、どのようなタイプの人なのか、些細なことだが、注意しておく必要がある。

| | コメント (2)

東京のお祭り続編

鬼瓦殿

高校時代の友人・元福岡のコバヤシです。こんばんは。

大分お疲れのようですが大丈夫ですか?

あまり無理はするな、と言っても難しいのでしょうが。

ところで、大分前に鳥越神社のお祭りについて少しメールしましたが、昨晩、その氏子のお鮨屋さんに行った際に、大将からお祭りの行事についてまた少し話を聞いたので、貴君には興味深いのではと思い、メールする次第です。

あまり興味がなかったら失礼。

何時だったのか、言ったか言わなかったのかも忘れましたが、私は地方のお祭りは曜日に関係無く日にちは決まっているが、東京は休みに合わせて開催される、と貴君に言ったように思いますが、どうでしょうか?

言ったか言わないかは、もうどうでも良いのですが、どうやらそうではないらしい、ということで、今回の報告です。

東京の鳥越神社のお祭りでも、最初の行事は6月9日と決まっていて、一番最初の儀式(名前は失念)と御霊(みたま)入れの儀式を行うそうです。お宮入り等の一般的に我々が「お祭り」として見る行事は、9日に一番近い土日にするとのこと。

ちなみに御霊入れは、メインのお神輿に神様が降臨する儀式だそうで、これ以降、各町内で持っているものも含め、お神輿を担いで良いそうです。

浅学な私は大分前に、浅草寺のお祭りでお神輿の上に上がる不逞な輩がいるというニュースを見て、まあそうだなぁ、とぐらいにしか考えていませんでしたが、成る程と得心した次第です。前にメールした進水式もそうでしたが、日本の神様というのは、やたらに呼び出されるようですね。

それから日曜の朝(だったと思う)6時半から初輿(よ)式、お昼に昼輿式、最後に終輿式(だったと思う)と続くそうです。

昼輿式では、メインのお神輿はお宮の中に一旦戻って、結界を張った中に入れられて休ませる?そうです。その間は、誰かが結界の中に入らないように、毎年当番になった町の人が4人、結界の四隅に立ってずっと見張っているそうです。

それから、前に書いた7月1日に行う人形流しですが、正式には「夏越し(なごし)のお祓い」と言うそうです。

ということで、東京の鳥越神社のお祭りも、6月9日に始まり、7月1日に終わるというのは、実は昔から変わらずに決まっていたのでした。ただ、お神輿を担いだりするお祭りらしい行事は、時代に合わせて休日に変わっている、ということのようです。

ちょっと面白かったのでメールしてみましたが、いかがでしょうか?

つまらなかったらごめんなさい。

それでは、またそのうち。

| | コメント (0)

« 2019年6月 | トップページ | 2019年8月 »