静観
人気お笑い芸人が、反社会的勢力の忘年会に出たということで、大手芸能プロダクションから契約解消を言い渡され、それを受けて二人のお笑い芸人が、謝罪の会見を行った。
その謝罪の会見は2時間半にも及んだそうだが、その中で、大手芸能プロダクションと所属芸人との間のやりとり、というのが明らかにされた。
僕はその大手芸能プロダクションが好きではないし、所属の芸人たちに対する思い入れもない。なのでこの騒動自体に関してはなんの興味もないのだが、ただ、その会見内容は、実に興味深いものであった。
当初は、芸人たちが、反社会的勢力の忘年会に出た、ということで、謹慎処分が下されたが、その後、芸人たちがギャラを受けとっていたのではないか、という疑惑が出てきた。
会見を開いた芸人の話によれば、5年も前の出来事なので、自分たちは、ギャラをもらったかどうかの記憶が定かではなかった。そこで、当初は「ギャラは受けとっていない」と取材に答えていた。
ところが、のちに複数の芸人の記憶をたどっていくと、実はそのときにギャラを受けとっていたという事実が判明した。
そうなると話は別である。反社会的勢力が違法行為によって被害者から奪い取ったお金を、お笑い芸人たちがギャラとして受けとっていたことになるからである。
お笑い芸人たちは、自分が所属する大手芸能プロダクションにそのことを正直に告白し、「このことを正直に公表して謝罪をさせてほしい」と会社に懇願した。
ところが大手芸能プロダクションは、「いまさら(事態を)ひっくり返すわけにはいかない」として、ギャラを受けとったという事実を公表するのを見送ったのである。当初の取材で「ギャラは受けとっていない」と答えていたことを、いまさら覆すわけにはいかない、ということなのだろう。
そのとき、社長を含めた社員たちは、「会社としては静観でいく」という方針を決めた。つまり、ギャラを受けとったという事実をあえて公表はせず、事態の推移を見守る、ということである。
結果的にこの方針がきっかけで、大手芸能プロダクションと所属芸人との関係がこじれにこじれ、問題を大きくさせ、最終的には「契約解消」という事態をもたらし、芸人による記者会見で大手芸能プロダクションの悪辣性が白日の下にさらされる結果となった。
どう考えても、ギャラを受けとっていたという事実がわかった時点で、大手芸能プロダクションと所属芸人がそろって謝罪会見を開けば、ここまで問題がこじれることがなかったはずである。
なぜ、このような「どーでもいい会見」に僕が注目したのかというと、ここで使われている「静観」という言葉を会見で聞いて、あることを思い出したからである。
それは、ポツダム宣言である。
1945年7月、ポツダム宣言を確認した日本の政府は、もはや戦争継続が困難という見方もあり受諾やむなしとの空気もあったものの、当面の間は一切の意思表示をせず「静観」するという方針を決めた。そうした方針が、次第にこじれていき、結果的にさらに大きな悲劇を生んだことは、歴史の事実である。
「静観」という言葉が引き起こした悲劇という点で、両者は共通していると僕は見ている。「静観」という態度が、しばしば取り返しのつかない事態を引き起こすことがあるのだということを、歴史は教えてくれているように思う。
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