Keiさんとツトムさん
前回の記事で、友達と没交渉だった父の話を書いた。
今回は、それと正反対の話。
高校時代の3年間担任だった恩師・Keiさんと、昨年、久しぶりに再会したことを、以前に書いた。
南の島を舞台にしたドキュメンタリー映画に、僕がトークショーで出演したことが、再会のきっかけである。
南の島で餓死したある日本兵が、死の直前まで日記を書き残していた。いくつもの偶然が重なって、その日記は日本にいる遺族の手に届いた。幼い頃に父と別れた息子のツトムさんが、その日記を手がかりに、南の島に慰霊の旅に出る、という映画である。僕は少しだけお手伝いしたご縁から、その映画のトークショーのゲストに呼ばれたのだった。
僕はそれまで全然知らなかったのだが、Keiさんは、その南の島と日本を結びつけるプロジェクトを立ち上げて、数年前から活動していたのだという。東日本大震災による原発事故で被災した県と、戦後やはり同じ体験に苦しんだ南の島を結びつけようというプロジェクトである。ただ、Keiさん自身は南の島に実際に行ったことはないのだそうだ。子どもの頃の中耳炎が原因で、飛行機に乗れないのだという。
僕は驚いた、日本人がほとんど知らない南の島を通じて、高校時代の恩師と再会できたからである。
Keiさんは、そのドキュメンタリー映画を何度か見に来てくれて、そこで、やはりトークショーのゲストで来ていた映画の主人公・ツトムさんと初めて出会うことになる。
二人はいくつもの共通点があった。
生まれた年が、1941年だったこと。
子どもの頃、中耳炎に悩まされ続けたこと。
そして何より、南の島にゆかりのあること。
二人はたちまち意気投合した。ツトムさんは、Keiさんの参加している南の島のプロジェクトに自分も参加したいと、さっそく会員になった。
まったく接点のなかったKeiさんとツトムさんが、僕の人生を通じて知り合ったことは、何とも不思議な感じがして愉快だった。しかも僕が計画的に二人を引き合わせたわけではない。二人は勝手に知り合ったのである。
もう一つ僕にとって不思議だったのは、二人とも、僕の父と生まれた年が同じだったことである。父はその前の年に亡くなったのだが、二人を見ていると、まるで自分の父を見ているかのように思えた。
さて、ここまでのことは、いままで書いてきたこと。
昨日、Keiさんから久しぶりにメールが来た。
「このたび南の島のプロジェクト49回目の集会を夢の島で催すことになったのですが、会員になってくれたツトムさんが会報に載せた私の2つの短文を読んで、「参加しよう」という気になったといって連絡をくれたので、今週土曜日、6日に東京駅で待ち合わせて一緒に参加することになりました」
なんと、ツトムさんは新幹線で東京に来て、二人は東京駅で待ち合わせるとのこと。
俺抜きで会うって、すっかり二人は友達になったんだな。ちょっと嫉妬を感じないでもない、不思議な感情である。
続くメールに、こうあった。
「明日は雨になりそうで、新木場駅から夢の島まで歩くのが憂鬱です。でもW町から出てきてくれるツトムさんをみんなに紹介できるのが嬉しいことです」
二人はいま、78歳。
78歳になって友達ができるってのも、悪くないなあ。
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