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振り幅

小学生の頃の思い出話。

小学校高学年のとき、学校で歌のコンクールみたいな催しをすることになった。

各クラスから、1チームが出て、自分たちが自由に選んだ曲を歌って、優勝を決める、みたいなコンクールである。1チームというのは、数名の編成である。

出場するクラスのチームがどのように決められていたのかは覚えていないのだが、1クラスは40名ほどの児童がいたので、1チーム4人だとしても、1つのクラスで10チームくらいはできる計算になる。つまり、各クラスは、クラスの中でまずチームをいくつか作り、クラスの中で予選をして、その中で最もよいと思ったチームが、本選に出場する、という流れだったと思う。

チームが決まると、各チームごとに、どんな歌を歌うかを自分たちで決めて、練習をしなければならない。数日後に、クラス中で予選会が開かれた。僕の記憶では、そのとき担任の先生は不在で、放課後にクラスの児童だけで予選会をおこなったと記憶している。児童たちの投票で1位を決め、翌日にそれを、担任の先生に披露するという流れであった。

僕のチームが何を歌ったのかはすっかり忘れてしまったのだが、その時に1位になったチームの歌はよく覚えている。スギモト君を筆頭に男の子4人くらいのチームの歌だった。

教室の前で自分たちが選曲し、練習した歌を披露しなければならない。

スギモト君たちのチームが歌った歌は、こんな歌だった。

「きっさまとおーれーと~は~ どおきのさ~く~ら~

お~なじへいがっこうの~ にわにさ~く~

さ~いたは~な~な~ら~ ち~るのはか~く~ご~

みごとにち~り~ま~しょ~ く~に~の~た~め~」

スギモト君たちは、この歌を、右手の拳を上げたりおろしたりして、勇ましげに歌っていた。

ほかのチームは、比較的おとなしめの、文部省推奨的な歌を選んでいたのに対して、スギモト君のチームの歌は、ぶっ飛んでいて、圧倒的なインパクトを持っていた。その時の僕たち小学生にとって、実に新鮮な歌だったのである。

スギモト君たちの歌は大ウケして、満場一致で、スギモト君たちのチームを代表として送り込むことが決まった。

さて翌日。担任の先生が、

「では、我がクラスの代表に決まったチームの歌を、披露してください」

と言って、スギモト君たちのチームを教室の前にうながした。先生も、どんな歌が決まったのか知らなかったので、楽しみのようであった。

スギモト君たちは、昨日歌った歌を、昨日と同様、右手の拳を上下に上げ下ろししながら、勇ましげに歌った。

「きっさまとお~れ~と~は~…」

先生の顔がみるみるうちに紅潮するのがわかった。

歌が終わるか終わらないかのときに、担任の先生は、歌っていたスギモト君たち一人一人の頭を、グーで殴った。もちろんいまでは体罰として許されないことなのだが、当時はそんな時代だった。

「君たち、この歌の意味を知っているのか!!!」

楽しそうに歌ったスギモト君たちも、笑いながら聴いていたクラスの僕たちも、次第に真顔になっていった。

「この歌のせいで、どれだけたくさんの若い人たちが、亡くなったと思っているんだ!!!」

先生は戦争の話をはじめ、この歌詞の意味を解説した。そのとき、これが「同期の桜」という軍歌であることをはじめて知り、何も知らずに茶化しながら歌っていたことに関して、僕たちはようやく事の重大さに気づいたのだった。

「うちのクラスの代表として、この歌を披露することなんてとてもできない。ほかの歌を考えなさい!」

それから数日くらいたったころか、スギモト君たちのチームは、別の歌を選曲して、みんなの前で披露した。それは、こんな歌だった。

「雪だるま 雪だるま

まわしげりくれたら ねころんだ

雪だるまって まんまるい

雪だる ま雪だるま

ニードロップくれたら つぶれちまった

雪だるまって かわいいな

しも柱 しも柱

朝ひえこんだのは しもかしら

しもの話で恐縮ですが

しもしも もしもし 今晩は

下北半島に しもがきた

しも柱 しも柱

はまぐりの中には貝柱

おちゃわんの中には 茶柱

春さき 天気がよくなって氷が一枚流れ出し

1枚が2枚 2枚が4枚 4枚が8枚 8枚が16、32、

64、128、256、512、1000、1000... 水になる

そして又 冬が来て 氷になって 春をまつ

1枚が2枚2 枚が4枚 4枚が8枚 8枚が16、32、

64、128、256、512、1000、1000... 水になる

そして又 冬が来て 氷になって 春をまつ

1枚が2枚 2枚が4枚 4枚が... めんどくさいから水になる 」

僕たちはまたも爆笑した。あまりにもくだらない歌詞に、である。

先生からは、ようやく本選出場のOKが出たのであった。

その時はわからなかったのだが、ずっと後になってこの歌のことを調べてみたら、所ジョージの「組曲 冬の情景」という歌だったことがわかった。

今になって思うのだが、「同期の桜」を、面白半分に歌って先生にひどく怒られ、それに代わる歌として所ジョージを持ってきたというスギモト君たちのセンスは、実にすばらしかった。僕はその振り幅の広さに、感嘆したのである。

いまでも、テレビなどで「同期の桜」の歌が流れたりするのを聞くと、あのときのことを思い出し、すごく後ろめたい気分になる。

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